マイケル・ハドソン『貿易・開発・対外債務』p. 4

すべての貿易当事者の利益を対称的に実現するよう、世界市場の力を導く見えざる手など存在しないことは、もう十分に明らかだろう。過去2世紀の間、今日の自由放任主義者が信じているような善良なやり方で世界経済が動いたことは一度もなかった。バーナード・ゼンメルの 「自由貿易帝国主義」という言葉が示すように、初期の自由貿易主義者は温和ではなかった。工業技術や農業技術から得た利益は工業国に集中し、国際的な債権者の立場に転換された。第三世界の投資は輸出部門に一方的に適用され、国内部門を歪め、今日各国がそこから抜け出そうとしているモノカルチャー症候群に陥っている。

今日の大問題は、民営化、規制緩和、反政府イデオロギーに直面した将来の国家計画のあり方に関するものである。1980年代に起こった民営化、規制緩和、反政府イデオロギーの波を逆手に取れば、今日の世界金融危機の帰結は、政府がより伝統的な役割を回復するために介入することだろう。ソビエトの中央集権的な計画原理が解体されたことで、効果的な計画原理と非効果的な計画原理、公的部門と民間部門の間で相互牽制と均衡が最もうまくいく条件、市場のフィードバックの役割などを再検討する道が開けたとさえ言える。あらゆる経済は計画されているが、今日の主な問題は、この計画が主に政府によって行われるのか、それとも中央銀行の独立性を優先して政府を蔑ろにし、その権限を希薄化したことで生じた空白を埋めるために進出してきた国際金融機関によって行われるのかということである。

有意義な国家貿易政策には、経済、金融、技術、生態学、人口統計、国際、軍事、社会、政治、文化の各機能を統合的な全体像に関連付けることのできる、広い範囲と長期的な時間枠が必要である。このような理由からだけでも、貿易と開発に関する重商主義理論や保護主義理論の再検討は正当化される。

イギリス、ヨーロッパ大陸、アメリカ、そして日本における経済政策の創始者たちは、国際的な大国への道を歩み始めた当初、理論化のための広い範囲を作り上げた。17世紀から18世紀にかけてはオランダやフランス、19世紀にはイギリスなど、当時の先進国に追いつき追い越そうとした形成期に、彼らがとった政策の根底には包括的な保護主義理論があった。