↑のつづき。

さて、元諏訪を後にしたワタシは、再びディーゼル車に乗る。

見た目は電車だが、動力源は電気ではないのだ。

下浦駅から一駅、石井駅で下車。

そこから徒歩5分。



『大御和神社』である。

「おおみわ」ですよ皆さん❗







あやかり兎。




角がある狛犬が好きです。




拝殿。

『大御和(おおみわ)神社』

鎮座地 徳島県徳島市国府町府中
創建 不詳
祭神 大己貴命(大国主命)
別名 府中宮(こうのみや) 印鑰大明神

延喜式神名帳にもその名を刻む、式内社。

由緒書きによると、
人皇第四十二代文武天皇の大宝二年、 当国の国司より国璽の印、及び国庫の鑰を献納されたことから、その後、印鑰大明神と奉称された。

「国府」の地名にあるように、この辺りは古代の阿波の中心地であった。

それどころか、国璽の印とその国庫のカギがあるということは、この地こそが国の中心地であった証明。

つまり、

『帝都』だったのである(こことても重要)。





なんとも立派な彫刻。

真ん中には鳳凰。 ただごとではない素晴らしさ。



神紋は『鍵の立ち合い紋』。

昔の鍵はこんな形だった。





本殿の石垣には阿波の青石が用いられているらしい。

青石ってなんか良い。


斜め後ろから本殿。

ん? 千木は女千木? 

なぜだ。


本殿の裏にはウサギさん。

まるで出雲大社のようだ。

奈良の大神神社の例祭である大神祭は、崇神天皇8年の卯の日に始まったとされている。
そのため、大神祭は卯の日神事とも称される。

大神神社の祭神『大物主』と因幡の白兎を助けた『大国主』が同一神と言われることも関係がありそうだ。

そもそも、この二柱は役職名であるため、ある時代には同一神だったことは想像の範疇である。


またいた。



一瞬、「生卵」に見えてしまった🤣

失礼しました。




さて、「おおみわ神社」と言えば、誰もが奈良県桜井市三輪に鎮座する大和国一宮『大神神社』を思い浮かべることだろう。

大神神社のHPによると、
~~~~~~~~~~~~~~~~
当社の創祀に関わる伝承が『古事記』や『日本書紀』の神話に記されています。
『古事記』によれば、大物主大神が出雲の大国主神の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀まつられることを望んだとあります。
また、『日本書記』でも同様の伝承が語られ、二神の問答で大物主大神は大国主神の「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」であると名乗られたとあります。
そして『古事記』同様に三輪山に鎮まることを望まれました。
この伝承では大物主大神は大国主神の別の御魂として顕現され、三輪山に鎮まられたということです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~

また、大物主の子孫(または子)である、
『大田田根子(オオタタネコ)』についても述べなければなるまい。

第十代崇神天皇の時代に、疫病が流行り多くの民が亡くなった。
大和の三輪山の大物主神のお告げにより、大田田根子が大神神社の神主となり、結果として疫病が無くなったという有名な伝承。

大物主のお告げを実行するために、探し出した大田田根子が何処にいたかというと、

●日本書紀
茅渟県(ちぬのあがた)の陶邑(すえむら)。

●古事記
河内の美努(みの)の村。

また、大神神社の御神体『三輪山』は、
記紀では『御諸山(みもろやま)』と呼ばれていた。


しかし、阿波徳島には驚くべき事実が隠されていた。


今回は、勝手に敬愛する『ぐーたら気延日記』さん『awaーotokos blog』さんのブログを参考にさせて頂きます↓

 


この方々は本当に素晴らしいです。

ワタシの記事より、よっぽどためになりますのでぜひ(笑)。


まず答えから言ってしまうと、
当社『大御和(おおみわ)神社』は、
『大神(おおみわ)神社』の元宮であるということ。

●『三諸山』
徳島県阿波市 土成町宮川内にある御所山であり、「御所」は「御諸」から転訛したもの。

大御和神社は、もともと土成町の『奇玉(くすたま)神社(現在の薬王子神社)」から移されたとの説がある。
※祭神は国作りの際の大国主の相方スクナビコナ

●『崇神天皇』
諱名の御間城尊(ミマキノミコト)の「ミマ」は、
徳島県の「美馬(ミマ)」のこと。

●『倭大国魂神社』 式内社
鎮座地 徳島県美馬市美馬町重清
奈良の『大和坐大国魂神社(大和神社)』、
淡路の『大和大国魂神社』の元宮説がある。
淡路は元々は阿波国の領土。
社名の「坐(います)」とは元々鎮座していた場所では用いられず、「ここにやってきました」という意味なのだそうな。


「倭(ヤマト、イ)」と「大和(オオヤマト)」は明確に分けられていた。


「倭の国(阿波)」から現在の奈良に遷都し、
国を大きくしていき「大和(オオヤマト)」になった。

「倭(イ)」四国の東半分 西はヨの国
「委(ワ)」(ヤマト)阿波徳島にはアワ国とナガ国
「大委(ダイワ)」(オオヤマト) 奈良に遷都
「大和(ダイワ)」 
「大和(ヤマト)」 当て字。
「日本」 中国側の邪馬壹國の字を嫌い改名。

↓の風土記には様々な風土記がまとめて記載されており、『阿波国風土記』も少しだけ載っているのだが、、

 

   
驚くべきは、その内容。
「天より天降ってきた山の大きな方が、阿波の国に天降ってきた「天の元山」。
その山の一部が砕けて大和の国に降り付いたものが「天の香具山」である…

と、記載されている。

つまり、奈良の「天の香具山」の元は、阿波にあるということ。

このように、阿波国発祥の地名が大和国に多くのこされている。
※徳島の神山町には「元山」といわれる場所がある。詳細はまたの機会に。

●『大田田根子(オオタタネコ)』意富多々泥古
大田田根子の居た「美努(みの)の村」とは、
現在の徳島県三好市三野町のこと。
また、現在のつるぎ町には、太田村という地名があった。

●『伊加加志(いかがし)神社』
鎮座地 徳島県吉野川市川島町桑村
祭神 伊加賀色許売命 伊加賀色許雄命
当社の祭神は兄妹
父 大綜杵命(オオヘソキ) 物部連の祖
母 高屋阿波良姫

伊加賀色許売命(イカガシコメ)は、
第8代孝元天皇の妃、第9代開化天皇の皇后。
そして、崇神天皇(ミマキイリヒコ) の母である。

伊加賀色許売命が祀られている神社は、知る限りでは全国に一社、徳島県のみ。

伊加賀色許売命は『伊香色謎命』とも書き、まさに「謎」多き人物だが、徳島の史蹟を調べると、あれよあれよと人物像が浮かび上がる。


このように、大神神社の伝承に関わるキーワードが、阿波徳島には星の数ほどある。

仮に大神神社の元宮が当社だとしても、なんら不思議はないように思える。


皇紀2600年を記念した石碑。

鷲が地球に乗っている。

阿波忌部と言えば、天日鷲命。



虎の石像。

鷲さんと同じ時期に造られたのだそうな。


境内社
若宮神社 祭神 瓊々杵命

稲荷神社 祭神 宇賀魂命



境内には遊具も。子供たちの遊び場が神社って最高ですよね。



江之島神社 祭神 市杵島媛

なぜ、江之島神社があるのだろうか。




色とりどりの石。
青いのは阿波の青石だろうか。



付近には、四国八十八か所霊場第16番札所の観音寺がある。
境内には阿波国総社も。


さてさて、なんともワクワク溢れる徳島の神社さんである。

そういえば、出張の合間の神社巡りシリーズを始めたばかりのころ、尾張一宮の大神神社に参拝した。



ふと、思った。

現在、全国に鎮座する「一の宮(現在の)」の多くが、阿波徳島に関わってくるのではなかろうか…と。

中々興味深い課題。引き続き調べよう。


今回の記事をシンプルにまとめると、
阿波にいた天皇が、
阿波にいたオオタタネコを、
阿波のオオミワ神社の神官にしたら、
阿波の疫病がおさまった。
(そして、その話を阿波から大和(奈良)へ帝都を移したのと同時に、神社や地名も移した)。


これが本当なら衝撃の事実である。
(徳島県民でもなんでもないワタシでも信じてしまいますがね)


そして、次に参拝した神社で、ワタシは更なる衝撃を受けたのだった。





つづく。


ではまた❗



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