七十五膳の神事は、
忌部の神事とも言われる。
酒、穀物、魚、海藻、野菜、果物など、
75種類を神社の祭礼時に神前に
お供えする。
同じく吉野川市の
山川町の『川田八幡宮』、
美郷平の『平八幡神社』や、
神山町の『黒松八幡神社』などで
行われており、
忌部が開拓した土地ならではの
珍しい神事…
かと思いきや、以外と全国でも
行われている。
岡山県 吉備津神社の「七十五 膳据神事」
栃木県 祖母井神社の「七十五膳献上」
東京都 亀戸天神社の
「大御食(おおみけ)御調進の儀」も
「七十五膳」と呼ばれていた。
今年の1月、
千葉県の房総半島を訪れた際に
近くの『岩船』という地名が気になって
調べてみた。
岩船の由来は「祝い船」など諸説ある。
この地域の伝承には、
大しけにあった七十五座の神々が
漂流してこの地に上陸したという
古い言い伝えがあり、
岩船地区では、
この七十五座の神々に供応する神事が
昔から続いているのだそうな。
などなど、挙げれば各地に
なぜか「七十五」に関わる神事が見られる。
これも忌部の痕跡なのだろうか。。
徳島県美馬市の白人神社の祭祀は、
古来から七十五人の宮人(みょうど)が
担ってきた。
その奥宮の磐境神明神社には
自然石を積み上げて造られた祭祀場があり、
古代イスラエルの礼拝所とそっくりなのは
有名な話である。
興味深いのが、
阿波国式内社であり、
諏訪の元宮とも称される
多祁御奈刀彌神社でも
「七十五膳の神事」がある。
また、
ワタシが最も大好きな川のひとつ
『天竜川』が付近に流れる
静岡県浜松市天竜区『光明寺』の伝承では
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遠江国司草壁大掾が天龍河に棲む
二俣の毒蛇を退治せんため
笠鋒坊権現に祈誓して法楽を奏し
七十五膳を献供したことが、
爾来約一千三百年連綿と
途絶えることなく続く
七十五膳献供の神事の始まり
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そして天竜川を遡っていくと、
諏訪湖にたどり着く。
諏訪大社の御頭祭では、
猪または鹿の頭を
七十五供えたのだそうな。
伝承の内容はともかく、
『七十五』は明らかに聖数として
扱われている。
少し視点を変えてみると
さらに面白いことがわかった。
弘法大師空海による、
四国八十八ヶ所霊場。
その75番札所は
『屏風浦五岳山誕生院善通寺』。
なんと、空海が生まれた地である。
空海さんが、札所の番号にも
何か意味を隠していることは明白である。
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創世記22章2節
神は命じられた。
「あなたの息子、あなたの愛する独り子
イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。
わたしが命じる山の一つに登り、
彼を焼き尽くす献げ物として捧げなさい。
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守屋山や、物部守屋、
諏訪神社上社の神長官「守矢氏」。
アブラハムはイサクのかわりに
75頭の羊を神に捧げた。
アブラハムは
「ハランを出発した時に75歳であった」。
と、ベタなことも書きつつ(笑)
ちなみに、
諏訪大社の神紋は『梶の葉』。
徳島が誇る『忌部神社』の神紋もまた、
「梶の葉」なのである。
阿波忌部の祖『天日鷲命』は、
『麻(アサ)』とともに『梶(カジ)』を
普及させた織物の神様。
また、
梶(カジ)は、柏(かしわ)と同様に、
御食を献じる器に代用された。
東京都 亀戸天神社の「七十五膳」は
「大御食(おおみけ)御調進の儀」。
大御食津姫命(オオミケツヒメ)は
伊勢外宮の『豊受大神』と同一神。
つまり、阿波の国魂神
『大気都比売神(オオゲツヒメ)』なのである。
アメノムラクモだった。
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