Yasuke is so white! ― ポリコレ視点から見るアサシンクリードシャドウズ(Assassin's Creed Shadows)弥助炎上事件

日本が舞台のゲーム「アサシンクリードシャドウズ」が、大炎上していますね。先に結論を言うと、これはアジア人差別的なビデオゲームです。私はこのゲームのファンなので、とても残念な気持ちです。この問題は、シリーズを知らない人にはわかりにくいので、順に説明していきますね。

この問題を理解する鍵は、欧米におけるアジア人男性に対するステレオタイプ、「白人の救世主」という概念、Ubisoftの制作陣が言った「私たちの侍(our samurai)」という言葉です。

なお、ここで「アジア人」と書いてある場合、それは東アジア人のことを言います。

 

アサシンクリード(Assassin's Creed)とは?

アサシンクリードは、歴史の裏で暗躍する暗殺者になって、歴史上の人物から無名のモブキャラまで、人を殺しまくるゲームです。残酷なシーンや大人のロマンスシーンがあるので、年齢制限が設けられています。

これまで、ルネッサンス期のイタリア、革命期のフランス、ヴィクトリア朝ロンドン、プトレマイオス朝古代エジプトなど、様々な国と時代がゲームの舞台になってきました。

表向きの歴史は私達が知っているものと同じだけれど、実は、裏では、人々をコントロールしようとする集団と、人々の自由を求める集団が、何世紀も争い続けていて、さらに、実は、人間より先に来た宇宙人(?)がいて、その人たちが神話上の神で、神の秘宝を手に入れた人間が、強大な力を得て支配者になれて……といった、ある種「マトリックス」的な、壮大なフィクションになっています。

「表向きの歴史」の部分では、当時の建物や町並みを、オープンワールドでかなり忠実に再現していて、そこを自由自裁に走り回れる、「歴史観光ゲーム」としても楽しめます。

 

アサシンクリードは、フランスに本社があるゲーム会社「Ubisoft」が制作しています。Ubisoftは、ヨーロッパ最大のゲーム会社であり、アサシンクリードは、既に17年続くシリーズもので、累計2億本売れている、この企業の主力商品です。欧米では、「ファイナルファンタジー」に匹敵するほどの人気ゲームであり、パリオリンピック開会式に登場するくらいには有名です。

Ubisoftについては、この方が詳しく解説して下さっています。

note.com

 

炎上・第一段階:アフリカ人男性と日本人女性の主人公〜「アジア人男性は主役になれない問題」

このゲームシリーズは、「アサシン」という性質上、歴史に名を残さない、架空の現地人が主人公でした。イタリアならイタリア人、フランスならフランス人、北米ならイギリス人とアメリカ先住民の間に生まれた人……といった具合です。歴史上の人物は沢山登場しますが、それらは全てNPCでした。

シリーズ初期は男性主人公一人が殆どでしたが、ここ近年は、男性主人公と女性主人公を出してきていたので、ファンたちは、なんとなく、「主役は日本人男性と日本人女性だろう」と思っていました。しかも、過去に「山内鷹(Yamauchi Taka)」*1という日本人アサシンの存在が仄めかされていたため、「山内鷹か、彼に関係した人物が主人公だろう」と思っていた人も多かったのです。

それに、なんと言っても、シリーズ始まって以来、AAAタイトルで初のアジアです。アジア人が主人公になったことは、これまでありません。日本のアサシンといえば、忍者だよね! 世界中のファンたちが、日本が舞台のアサシンクリードを、楽しみにしていました。

 

で、蓋を開けてみれば、弥助です。

 

はぁ?バエク(Bayek)いたじゃん。(古代エジプトヌビア人男性)

アドウェール(Adewale)も。(奴隷制時代の黒人男性)

 

実際、最初の段階では、日本のSNSでは、アサシンクリードを知らない人たちは、「弥助が主人公のゲーム? 良いじゃん!」と反応していましたが、シリーズのファンたちは、もやもやとした、複雑な気分になっている、という雰囲気でした。*2

 

一方、海外では、既に炎上していました。というのも、欧米では、アジア人男性のレプリゼンテーション(Representation)の問題があったからです。

欧米社会では、アジア人女性は魅力的だが、アジア人男性は魅力的ではないと思われている。なので、映画などのメディア媒体で、アジア人男性が主役になれないという問題があるのです。アジア人男性は、弱々しくてオタクっぽいというステレオタイプがあるため、恋愛序列の最下層です。*3そんな彼らにとって、侍や忍者やカンフーの達人は、かっこいい主役になれる貴重な機会なのです。

一方、アジア人女性は、エキゾチックで性的かつ従順だと思われています(もちろん良い意味ではない)。「Asian fetish」と言えば、それは「アジア人女性フェチ」のことです。欧米の映画では、白人男性とアジア人女性の主人公は、よく見る組み合わせです。それだけに、主要キャラクターが全員アジア人のラブロマンス映画『クレイジー・リッチ・アジアンズ』は、当時のハリウッドでは、非常に画期的だったのです。

 

過去作のアフリカ系主人公については、AAAタイトルで、古代エジプトが舞台でヌビア人男性の主人公。PS3版限定で、フランス人とアフリカ人の間に生まれた女性主人公。ダウンロードコンテンツで、黒人男性主人公がいました。

アジア人主人公については、明時代中国が舞台のミニゲームで、女性主人公。秦時代中国が舞台のモバイル限定ゲームでは、シリーズ初となるキャラクターカスタムで、プレイヤーの外見と名前を自由に選択できました。しかし、これは同時に、アジア人男性を選ぶ必要がないことと、明確な主人公がいないことを意味しました。

そして、今回、日本が舞台で、アフリカ人男性と日本人女性です。

他のゲームタイトルでは、ほぼ毎回、現地人の架空の男性主人公がいたのに*4、アジアが舞台のゲームタイトルでは、3回とも全てアジア人男性主人公がいないのです。これは、このシリーズを知っているファンからすると、非常に不自然なことです。

 

In a leaked email to studio executives, about why he didn't cast an Asian American as the lead for the movie "Flash Boys" - based on a book with an Asian American lead character named Bradley Katuyama - Aaron Sorkin wrote "there aren't any Asian movie stars".

"I'm tired of hearing from people that they can't 'see' an Asian American actor playing the romantic lead or the hero, so I created #StarringJohnCho to literally show you," he said.

 (スタジオの幹部に宛てた流出した電子メールの中で、アーロン・ソーキンは、ブラッドリー・カツヤマというアジア系アメリカ人の主人公が登場する本を原作とした映画「フラッシュボーイズ」の主役にアジア系アメリカ人を起用しなかった理由について、「アジア系の映画スターがいない」と書いている。

アジア系アメリカ人俳優が恋愛の主役やヒーローを演じる姿を『想像できない』という声を聞くのにうんざりしているので、文字通り皆さんに見せるために#StarringJohnChoを作りました」と彼は語った。)

#StarringJohnCho highlights Hollywood's 'whitewashing' - BBC News

「子どものころ、アジア系男性への典型的なイメージといえば“強いけどモテない武芸の達人”、あるいは”卓球経験のあるオタク気質な数学の天才”というようなものでした」と、パンは振り返ります。

  「子どもながらに自分が人に劣っていると感じ、自尊心が欠如していました。メディアで見聞きすることに影響され、セルフイメージにコンプレックスがあったんです」。

アジア系男性はモテない!? 全米で話題の俳優クリス・パンから見る「アジア系男性の魅力」

 

この時点で、欧米のアジア人たちは怒っていました。彼らにとって、この配役は露骨に差別的でした。どうやら、Ubisoftは、現時点でも、「アジア人の代表者は奈緒江一人で十分だ」と考えているようです。

アジア人男性が抱えている問題は、「欧米社会で、自分たちの存在を無視されている」ことなので、日本のゲーム会社が日本人男性を主役にしたゲームを作っても、それは彼らの問題を根本的に解決したことにはならないのですね。

アサシンクリードシャドウズの主人公は、日本人男性と日本人女性であるべきでした。

 

多くの日本人は、弥助が主人公のゲームを作ること、それ自体は問題ないと思っています。(日本人差別的な内容でなければ。)なので、アサシンクリードシリーズを知らない日本人に、この件についてどう思うか尋ねても、「良いんじゃない?」という反応が返ってきます。

実際、海外では、アサシンクリードをプレイしたことがない日本人の回答を持ち出して、「ほら、日本人は怒ってないよ」と言う人たちが沢山いました。一方、このシリーズを知っているアジア人たちは、不満を感じている人が多いです。

そして、多くの黒人の人たちが、日本のゲーム会社が作った、ウィリアム・アダムスが主人公の『仁王』や、映画『ラストサムライ』の例を出して、「白人の侍なら良くて、黒人の侍ならダメなんだろう⁉」と思っている。そういう現状です。*5

 

炎上・第二段階:「伝説の救世主」〜超豪華な甲冑を着た弥助が、日本人たちを撲殺

私は、弥助が発表された時、彼の外見に違和感を感じました。鎌倉時代の上級武士が着ていた大鎧と、戦国時代の当世具足をミックスしたようなデザイン。豪華な金細工。一部の上級武士しか着られないようなものです。

例えるなら、新入社員が超高価なスーツを着て、ロレックスの腕時計をしているような感じです。

弥助は、これまでも、日本の漫画や小説やゲームなどに登場していました。ただ、多くの日本人は弥助のことを知らないし、知っている人の弥助のイメージは、「侍だったとしても、地位は高くない」だと思います。*6下級武士は全くリッチではありませんでした。

 

そして、ゲームプレイ動画が発表されました。


www.youtube.com

見た瞬間、「あ、これはあかん」「これは日本人にとって印象悪いぞ」と思いました。

超豪華な甲冑を着た弥助が道を通ると、日本人の農民たちが深々とお辞儀をします。そして、大男が日本人を次々に撲殺。そして、最後には斬首。(あの場面で斬首する必要ある?)

 

Yasuke "to free japan from its oppressors"/弥助「日本を抑圧者から解放する」

ああ、これ、「白人の救世主」だ。

 

「白人の救世主」とは、白人が異人種や異民族を助けるという、お決まりのストーリーです。助けられる役は黒人であることが多いです。「白人の主人公」が嫌われるのは、白人が良い気分になるためのものだからです。実際には、黒人が黒人を助けているケースが多くても、それらはあまり題材にならないのです。現地人は、自分で問題を解決する能力がなく、強い外国人に頼って何とかする人たちとして描かれます。

 

映画における白人の救世主(英語: white savior)とは、白人が非白人の人々を窮地から救うという定型的な表現である。その表現は、アメリカ合衆国の映画の中で長い歴史がある。白人の救世主は、メシア的な存在として描かれ、救出の過程で自身についてしばしば何かを学ぶ。

白人酋長モノなどともいう。

白人の救世主 - Wikipedia

Screen Saviors: Hollywood Fictions of Whiteness labels the stories as fantasies that "are essentially grandiose, exhibitionistic, and narcissistic". Types of stories include white travels to "exotic" Asian locations, white defense against racism in the American South, or white protagonists having "racially diverse" helpers.

(Screen Saviors: Hollywood Fictions of Whitenessは、これらの物語を「本質的に大げさで、自己顕示的で、ナルシスティックな」ファンタジーと分類している。物語の種類には、白人が「エキゾチックな」アジアの場所を旅すること、アメリカ南部での人種差別に対する白人の防衛、または「人種的に多様な」助け手を持つ白人の主人公などがある。)

White savior - Wikipedia

 

「日本で、超豪華でリッチな甲冑を着て、侍になりたい!日本人相手に、伝説的でカリスマ的な救世主になりたい!俺が通ると現地人がお辞儀して、俺を敬うんだ!俺は日本では大男だ!チビなアジア人を倒しまくって、『フウゥーーーー!! 俺強ぇぇぇーーーー!!!』ってやりたい!」

「まぁ、今の時代、白人キャラでこれやったら、私たち、絶対に皆から『ホワイトウォッシュ』『白人の救世主』って言われて批判されるけど……黒人キャラなら大丈夫だよね!」

こういうことですかね?

「私たちの侍(our samurai)」って、そういう意味かな?

 

日本では、この動画の公開から一気に炎上してきました。まぁ、変な箇所が多かったですしね。流石に「関ケ原鉄砲隊」の旗の件はマズかったですが、弥助の印象が悪かったからこそ、あそこまで日本人からの反発を招いてしまったのでは?と思うのです。

ところで、日本人以外の人が、侍の甲冑を身に着けて、記念撮影などすることは、何も問題ありません。念のため。

 

炎上・第三段階:トーマス・ロックリーによる「弥助・メアリー・スーの物語」

もう、これについては、こちらを御覧ください。

togetter.com

togetter.com

 

私は、ロックリー氏は、特に日本人を貶める気はなかったのではないかと思います。彼は本気で、「16世紀の日本人は、黒人を偏見なく受け入れる人たちだった」と表現したつもりだったのではないかと。巷では、彼が黒人奴隷は日本発祥だと言っているという話が広がっていますが、実際には、そこまでのことは言っていないようですし。まぁ、今や彼はイソップ童話の狼少年なので、全く信用されていないのはわかります。

要するに弥助が人気過ぎて黒人フィーバーが起きたという内容にしたかったのでしょう。彼のやりたかったことは「弥助スゲー」であって、日本に黒人奴隷の責任を押し付けることではないかと。

https://x.com/laymans8/status/1815011020072718478

「トーマス・ロックリーによって『黒人奴隷は日本発祥』というデマが広がっている」というデマ - 電脳塵芥

 

しかし、彼の「弥助ファンフィクション」に登場する日本人は、ほぼ全員、弥助を称賛するためだけに存在しているかのようです。実際には、織田信長の周囲には、「本物の」伝説の侍たちがいました(当たり前)。しかし、彼の著書では、「昔の日本の中で最も大きく、最も強かった男は実は日本人ではなかった」。それは弥助だと紹介されています。*7要するに、これは典型的な「メアリー・スーの物語」ですね。

”お手軽メアリー・スー作成講座改:蛇足1.メアリー・スーの真髄は主人公の全能性よりも、他のキャラをまともに動かさない事です。主人公が全能でなくても、原作キャラは主人公を賛美し、どんな悪役も主人公の活躍で倒せ、全ては主人公のためだけに回ります。そしてそこに論理的な展開などは不要です。”

お手軽「メアリー・スー」作成講座・改♪ とメアリー・スーについての私感 - Togetter [トゥギャッター]

 

彼はおそらく、弥助に対して共感を持っていたのでしょう。弥助に自分自身を重ね合わせていたのかもしれません。なぜロックリー氏が、これをファンフィクションに留めておくのではなく、ノンフィクションにしたかったのか、わかりませんが、とにかく、彼にとって弥助は、実際に周囲から称賛される特別な存在でなければならなかった。史実そのままの弥助で十分興味深い存在だという捉え方はしていなかった、ということでしょう。

ちなみに、彼の最新作は、日本人の少年が海賊船に拾われて、エリザベス一世女王の元でジェントリの地位を得る、ノンフィクションらしいです。

 

当時、英語圏で弥助のことを調べようとすると、トーマス・ロックリーに行き着く状態だったので、アサシンクリードの弥助は、かなり彼のファンフィクションの影響を受けているでしょう。おそらく、Ubisoftの製作陣は、彼が書いた「弥助・メアリー・スーの物語」に魅了され、酔わされてしまい、クリエイターとしての情熱と冷静さのバランスを失ってしまったのではないでしょうか。奈緒江は、これまでのアサシンクリードの主人公と同様、魅力的に見えるのに、弥助からは、どこか、製作者の自己陶酔が感じられます。

彼らは、「弥助は日本では伝説の侍なんだから、これまでの慣例を破って日本人男性を外しても、日本人は受け入れてくれるはず!」とでも思ったんでしょうか?

 

 Q: Do you think writers who write unsatisfying Mary Sues are just not self-aware?

PS: I think that's the great part of it. They're so un-self-aware that they think this keen story that means so much to them must mean exactly the same to everybody else. I've thought up Mary Sues—we all do—I just never wrote them down. I lived out my little adventures in my head, wandering around. Now, with the Internet, everyone can publish their stories…and they do.

(Q:満足のいかないメアリー・スーを書く作家は、単に自己認識がないだけだと思いますか?

追伸:それが素晴らしいところだと思います。彼らは自己認識があまりにないので、自分にとってとても意味のあるこの素晴らしい物語は、他のみんなにとってもまったく同じ意味を持つに違いないと思っています。私はメアリー・スーを思いついたことがあります。私たちはみんなそうします。ただ、それを書き留めたことがないだけです。)

https://journal.transformativeworks.org/index.php/twc/article/view/243/205

 

彼が弥助伝説を創作した理由については、私の推測はこの方の見解に近いです。単なる金儲け目的ではない気がします。

japanese-with-naoto.com

 

「伝説の侍・弥助」は、白人たちによって作られたキャラクター

私は、これを「ブラックウォッシュ」と言うのは、適切ではないと思います。なぜなら、アサシンクリードの弥助は、白人たちによって作られたからです(Ubisoftが黒人の会社なわけがない)。これは、ホワイトウォッシュの亜種だと考えるべきでしょう。

 

JONATHAN 弥助については、まず“私たちの侍”、つまり日本人ではない私たちの目になれる人物を探していましたが 

"We were first looking for "our samurai" someon who could be our non-Japanese eyes"

『アサシン クリード シャドウズ』混乱の安土桃山時代を生きる侍・弥助と忍・奈緒江のダブル主人公、リアルに再現された日本に迫る国内独占インタビューを公開! | ゲーム・エンタメ最新情報のファミ通.com

 

現在、この箇所は、「差別的だ」と批判があったからか、元の記事から削除されています。

このインタビューに答えている人たちは、日系人一人を除き、全員白人です。彼らは、弥助のことを「私たちの侍」と言っています。なんか変ですね。「私達は、日本を訪れる際、東アフリカ人の目を使います」という意味でしょうか?

おそらく、Ubisoftは、奈緒江を「日本人の代表」、弥助を「日本を訪れる外国人の代表」……つまり、弥助を、彼らの主要な顧客である欧米人が自己投影できるキャラクターにできると考えたのではないでしょうか。

ちなみに、歴史学者の人は、宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノが日本に来る途中、モザンビークかインドのゴアで、弥助を連れてきたと考えているみたいです。実際の弥助は、アメリカはもちろん、日本に来るまでに、ヨーロッパに行ったこともないのでは?

そもそも、アサシンクリードシリーズには、全ての出来事を見つめている現代編の主人公レイラ・ハサン (Layla Hassan)がいます。「日本人ではない私たちの目(non-Japanese eyes)」なら、彼女が最も適任でしょう。

 

最近のメディアコンテンツでは、白人の主人公が、異人種・異民族のコミュニティに入っていく場合、できるだけ「白人の救世主」にならないよう、注意深く配慮します。

しかし、これが黒人の主人公になると、Ubisoftは、全く何も注意せず、何も配慮せず、「英雄になりたい!」「救世主になりたい!」「現地人に敬われたい!」という欲望を露出させてしまいました。彼らは、それで日本の人々にどう思われるのか、何も考えていなかったようです。

これで、本気で「日本人は怒らない」と思っていたなら、不思議です。どう考えても、絶対に炎上するでしょう。

Ubisoftは、新しいことをしたつもりだったのでしょうか? アジア人にとっては、何も新しいものはありません。主人公が白人でも黒人でも同じことです。アジア人に対する扱いが古いままだからです。

 

もし、彼らが、全くの善意で、黒人をエンパワメントしようとしていたとしても、その結果、彼らが生み出したものが、「これまでの白人のダメなところを再現した黒人キャラクター」だったなら、彼らの「白人の救世主コンプレックス」は、あまりにも根深いと感じます。

 

多くの日本人は、「白人の救世主」という概念を知りませんが、ゲームプレイ動画を見た時、多くの人が「なんか不快だ」と感じたのでしょう。例えば、『セクハラ』という概念を知らなければ、自分がセクハラされていても気づかないけれど、「なんか不快だ」という感情は残ります。

その「なんか不快だ」の正体は、一言で言うと、ナルシシズムでしょう。多くの日本人は、弥助そのものではなく、弥助を創った人たちのナルシシズムに、不快感を感じているのだと思います。

これは、あくまでも私の推測ですが、今の炎上は、彼らが感じた「なんか不快だ」という感情を、日本描写の間違いを厳しく指摘するという形で、表現しているのではないでしょうか。(『Ghost of Tsushima』も、日本人から見て少し変だなと思う箇所はあります。でも、日本で大人気です!)

 

現代の感覚で言えば、「白人の救世主」(この場合は、「白人たちが創った黒人の救世主」)は、ダメなフィクションです。日本描写が正しくても、弥助が侍であってもなくても、「白人の救世主」を創るのは、ダメなんです。

 

黒人とアジア人が争う構造を作ったのは、誰?

さて、最初に「黒人主人公はもういた」と書きましたが、やはり、シリーズ全体を見れば、白人主人公が圧倒的に多く、黒人主人公は少ないです。そして、アジア人主人公は実質いませんでした。

今回、Ubisoftが非常にダメだったのは、希少な主人公の席を、黒人とアジア人が奪い合う構造を作ってしまったことです。

マジョリティが、マイノリティ同士で争い合う構造を作る。マイノリティが分断されてしまう。これは、小規模なものから深刻なケースまで、様々な差別構造でよく見られます。

例えば、親が毒親だった場合、希少な「親からの愛情」を巡って、兄弟たちが熾烈な争いを繰り広げることになるのは、よくあることです。

 

そもそも、16世紀の日本より、ずっと多くの黒人がいた国と時代は、沢山あったはずですよね。ヨーロッパを舞台にしたAAAタイトルの作品では、黒人を主人公にしていないのに。白人は黒人に席を譲らないのに、アジア人が黒人に席を譲るのですか? なんか、ずるいなぁ。まずは、トマ=アレクサンドル・デュマ*8シュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュ*9を主人公にするべきだったのでは? 私は、他のマイノリティを犠牲にするのでなければ、黒人を主人公にしたゲームタイトルを創るのは、大賛成です。

ついでに言うと、東アジア人はNPCですら少ないです。エツィオ・アウディトーレ(Ezio Auditore)最後の弟子シャオ・ユン(Shao Jun)と、女海賊ジン・ラン(Jing Lang)の他に、誰かいたっけ? まぁ、私は、古代ギリシャヴァイキングの世界に、東アジア人が出てくることを、望んでいるわけではありませんが。

 

何が問題なのかわかっていないUbisoft

以前Ubisoftが出した声明*10*11は、「謝罪になっていない謝罪」ですね。以下に問題点をまとめておきました。

 

  • 「Once An Accident, Twice A Coincidence, Three Times A Pattern.」という諺があります。これまで、ミニゲームも含めて、アジアを舞台にしたゲームを3作創って、なぜ、全てアジア人男性主人公がいなかったのですか?(もちろん、アジア人女性の主人公も必要ですよ。)
  • アジア人男性は、魅力的ではない、弱々しくてオタクっぽい、ロマンスを演じるには向いていないというステレオタイプが存在している。そのため、欧米のメディア作品で、アジア人男性が主人公になる機会が少ないという社会的な問題について、考慮していましたか?
  • 今作品が「白人の救世主」の再現になっていることに、気づいていなかったのですか?主人公が黒人であっても、アジア人にとっては、これまでと扱いが何も変わっていないのだとは、考えなかったのですか?
  • シリーズの主人公は、白人が多く、黒人が少なく、アジア人は実質いなかった。この状況で、アジア人男性を退け、黒人男性を主人公にしたら、どのようなことが起こるか、考えなかったのですか?あなたたち自身が、マイノリティ同士(黒人とアジア人)が分断され、争い合う構造を作ってしまったのだと、理解していますか?

 

今回のことに上手く対応できなければ、「シャドウズ」は、アサシンクリードシリーズの汚点になりかねません。そうなってしまっては、本当に残念です。

Ubisoftは、声明の中で「敬意を持った表現で戦国時代の日本を描くことに注力してきました。」と言っていますが、それ以前に、日本人に対して敬意を持った表現になるよう注力して欲しかったですね。

私たちが、奈緒江についてあまり話題にせず、弥助のことばかり話題にするのは、奈緒江にはあまり問題がなく、弥助には問題があるからです(当たり前)。

できれば、発売延期して、日本人男性と日本人女性の主人公で作り直してほしいです。実際、そのほうが売れるんじゃないでしょうか? 今なら、全部トーマス・ロックリーのせいにするという言い訳もできますし。

 

ちなみに、アサシンクリードとは別のタイトルで、弥助が侍という設定で主人公にしたゲームを創ることは、何も問題ありません。ただし、その場合、トーマス・ロックリーが言ったことは、全て忘れて下さい。

 

海外での炎上はこのような模様になっています。こちらもお読み下さい。けっこう地獄です。

アサクリ騒動で学ぶアジア人の透明化現象。「お前はグーグル翻訳の偽日本人だ!」 海外の文化戦争に巻き込まれてアサクリ批判派の複雑な感情がリベラル勢力とアサクリファンボに伝わらない件&反ポリコレも味方にするには厄介すぎる件

togetter.com

 

ポリコレはアートを殺すのか?

どなたかが「ポリコレはアートを殺す」と言ったことが、話題になっていましたが、私自身は、それには懐疑的な立場です。というのも、ポリコレや多様性に配慮していながら、良い作品も沢山あるからです。

Netflix映画『シティーハンター』では、主演の鈴木亮平が「女性をこれだけ性的に見ているリョウが、自分が体を張らないのはダメです。ぜひ入れてください」と提案して、「もっこりダンス」のシーンができたそうです。*12こういうケースでは、「ポリコレに配慮した結果、おもしろくなった」とは言われません。ただ「おもしろい映画だったな」と思われるだけです。ポリコレや多様性に配慮していても、配慮が自然であるため、見ている人にそれがわからない。そういう作品は多いです。

確かに、80年代に描かれた『シティーハンター』の内容を、2024年にそのまま再現してしまうと、ジェンダーの問題が色々とやばいので、そこは考えられているわけですね。いずれにせよ、今の時代において、特に世界展開しているメディアコンテンツでは、ポリコレを無視するわけにはいきません。

 

ただ、アサシンクリード・シャドウズの場合は、「ポリコレがアートを殺した」とは違うと思います。逆です。政治的に正しくない(Politically incorrect)のが、このゲームの問題です。

逆説的ですが、アサシンクリード・シャドウズを見ると、なぜポリコレが必要なのかがわかりますね。うっかり差別的なものを作って企業が炎上しないようにするためです。ポリコレはリスク管理でもあるのです。最近だと、Mrs.GREEN APPLEの『コロンブス』のMVが炎上した件がありましたしね……*13

 

ちなみに、私が考える「政治的に正しい黒人の救世主」は、『進撃の巨人』に登場するオニャンコポンです。彼は、物語の中で救世主的な立ち位置にありますが、作者の自己陶酔でもなく、メアリー・スーでもない。かといって、「マジカル・ニグロ」でもない。他の登場人物と同様、一人の人間として描かれています。

 

そもそも、アサシンクリードって、差別的要素が少ないゲームだったはずなんですよ。特に、「ACIII」では、イギリス人とアメリカ先住民との間に生まれた男性が主人公で、深いテーマを扱っていました。でも、アジアを舞台にした途端、これなのかと。もう2024年だというのに、まるで、『ティファニーで朝食を』のミスター・ユニオシを見たような気分です。

 

あとがき

まぁ、そうは言っても、日本人も、けっこう「日本人スゲー!」みたいな話が好きな人、多いですからね。「救世主になりたい」という願望は、誰でも、どの人種の人でも、持っているものなのでしょう。それが「架空の異世界ファンタジー」なら良いのですが、実在する人種や民族に対して、自分の願望をむき出しにしたらどうなるのかということを、このゲームは反面教師として見せてくれました。

 

やっぱり、日本人男性と日本人女性の主人公が良かったですね。弥助は重要なNPCで、追加のダウンロードコンテンツで主人公になる。結局、それが一番良かったと思います。弥助が、実はエツィオ・アウディトーレの弟子たちに暗殺術を教わったスパイアサシンだったら、ファンとして喜んだと思いますが。

そもそも、アサシンクリードにおいては、主人公は侍である必要はありません。侍の専門分野は軍隊です。暗殺者は単独行動です。僧兵でも良いし、あるいは、単純に、忍者の姉弟でも良かったかもしれません。

 

Youtube等でゲーム実況している人は、いつも通りこのゲームの実況をしてほしいなと思います。この手のゲームをしない人も内容を検証できますから。私は、購入した人を責めることには賛同しません。

 

「Yasuke is Gay!!」って言ってる人多いけど、あれは、『オデッセイ(古代ギリシャが舞台)』の時と同じように、プレイヤー自身が誰と性的関係になるか選べるって意味なのでは……?

面白いことに、この点は、日本人主人公だったら、騒ぎにならなかったかもしれませんね。今日び、私たちは、昔の日本人の性愛に対する価値観が、現代人とは違っているということを、知っていますから。

 

「神社で線香」については、当時は神仏習合の時代だったし、別に間違ってないかもしれない。二礼二拍手一礼は、最近の参拝の仕方。

「鳥居が村の入口」については、あれは、弥助が神域の森林から出てくるところなら、間違いではありませんね。確認したところ、しめ縄が村の側につけられているので、そうだと思います。

桜と田植えについては……私はよくわからないけれど、桜も米も、現在のそれらとは品種が違うからなぁ……どちらも、現在より1ヶ月くらい後かもしれない。まぁ、ここまで細かいことは、ゲームに対しては求めませんが。

ただ、できれは、武士が正座してるのと、主君が座るところに畳が敷いていないのに、家臣が座るところに畳が敷かれているのは、修正して欲しい。そこは流石に違和感あるわ(笑)。当時、畳は高価でしたからね。

 

今回の件で、「もし弥助が侍なら、本能寺の変で主君を守りきれなかった時点で、切腹してるはずだ」って言ってる人、何人も見かけたけど、いやぁ……戦国時代は、主君を裏切ったり倒したりする侍、いっぱいいいたからなぁ…… それに、そんなこと言ったら、本能寺の変から逃げ延びた織田長益(有楽斎)はどうなるんだということになるし。そういう、主君に忠義を果たす高潔な武士っていうのは、もっと後の時代にできたイメージよね。

むしろ、明智に殺されず、イエズス会の元に帰されたこと自体が、明智は弥助のことを恐れていなかったし、重要な人物だと思っていなかったことを示していると思います。

私は、織田長益も弥助も、生き延びて良かったと思いますね。

 

 

*1:「鷹(Taka)」という名前は、昔の日本人としては女性っぽいので、例えば、「影鷹(Kagetaka)」とか「影鷲(Kagewashi)」という名前のほうが良いのでは?

*2:「実在してるから荒れるパターンもあるんか」実在した黒人侍をアサシンクリードの主人公にすることの是非、海外の弥助騒動は難解なことになっているらしい - Togetter [トゥギャッター]

*3:アジア系男性は「恋愛の序列の最下層」──リアルもオンラインも、なぜモテない|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

*4:例外として、前作の主人公が続投したケースはありました。

*5:ラスト・サムライ』は、もう20年前の映画なので、今の感覚からすると時代遅れですね……

*6:本当に弥助が侍だったのかどうかは、歴史の専門家に任せるとして。フィクションの世界では、弥助は侍として表現されることが多かったです。だって、そのほうが面白いですから!

*7:英語で読む外国人がほんとに知りたい日本の文化と歴史 著:ロックリートーマス

*8:トマ=アレクサンドル・デュマ(Thomas-Alexandre Davy de la Pailleterie dit Dumas, 1762年 - 1806年)軍人。フランス人侯爵と黒人奴隷女性との間に生まれる。ナポレオン時代に陸軍中将であった。『三銃士』や『モンテ・クリスト伯』で有名なアレクサンドル・デュマ・ペールは、彼の息子。

*9:ジョゼフ・ブローニュ・シュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュ(Joseph Boulogne Chevalier de Saint-Georges, 1745年 - 1799年) フランスのヴァイオリン奏者・音楽家プランテーションを営む地主と黒人奴隷女性との間に生まれる。フェンシングの達人でもあり、フランス革命時には1000人の黒人部隊を結成して戦った。

*10:https://x.com/UBISOFT_JAPAN/status/1815674629643719061

*11:https://x.com/assassinscreed/status/1815674592444187116

*12:鈴木亮平、『シティーハンター』“もっこりダンス”を自ら提案 振りはアキラ100%ら芸人4人を参考に 続編にも意欲(マイナビニュース) - Yahoo!ニュース

*13:「なんでこの企画通ったんだ…」Mrs.GREEN APPLEの新曲『コロンブス』のMVが物議を醸す - Togetter [トゥギャッター]

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