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Conversation

#山上徹也 #安倍元首相銃撃事件 改めて、彼に対する私の考えをまとめておきたい。 結論から述べると、私からは善悪の断定はできないが、考える程に山上徹也寄りの意見になってしまう、というのが正直な気持ち。 深く考える為の手助けとなれたら幸いという思いで綴ります。 より深い考えをお持ちの方がいらしたら、是非ご意見いただきたいです。 --- まず、人の善悪は決して一面だけでは判断できない。 多面的に見る必要があります。 彼について、殆ど知らない人は、「元首相暗殺犯」という側面だけを見て、「絶対悪」と評価する。 少し知る人は、これに「不幸な生い立ち」が加わり、「絶対悪」を行ったが、同情できる点は有る人、と評価する。 更に詳しく知る人は、 「元々は消防士になろうとしていた」 「兄妹の生活の為に自分の保険金を渡そうと自殺を試みていた」 「兄が亡くなった時、涙を流して深く悲しんでいた」 「我、一命を賭して全ての統一教会に関わる者の解放者とならん」という言葉を残していた といったエピソードに代表される、元々は他人の為に自分の命すら捨てようとする程、利他的で自己犠牲の心を持った人だった事を踏まえ、 「統一教会さえ無ければ、事件を起こすような人では無かったのに」と評価する。 知れば知る程、彼一人を非難する事は不当な事に思えてくる。 一方、銃撃という手段を採った事について、事件直後から「決して許される事の無い蛮行」といった非常に強烈な否定の言葉が繰り返し繰り返しメディアから報道された。 確かに、「銃撃」という一面だけを見れば、一見この上無い悪行に見える。 しかし、その目的が、強烈な復讐心に加え、 「より多くの人の家庭が破壊され続け、複数人の自死が出続ける事を防ぐ事」であり、また、他に手段が無かったとしたら、その善悪はどうなるだろう。 功利主義的な観点からは、「問題を起こしていた教団と手を結んだ一人の命」よりも、「自死により継続して失われている無数の命と心、家庭崩壊を防ぐ」の方が重要、とされるのが妥当に思える。 日本の法律でも、「緊急避難」として、 『自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。 ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる』 とある。この条文を見る限りでは、「生じた害」と「避けようとした害」の比較により、罰するかどうかを決めているので、この条文においては功利主義的な善悪判断を含んでいる。 安倍氏と山上徹也という2人だけの関係で見ると、当然この条文は当てはまらないが、視野を広げ、事件発生の時点で実際に影響する事が予想された人達(無数の宗教被害者達)の事まで考えると、的外れとは言えない。 一方、義務論の立場を採るならば、「たとえどんな目的が有ろうとも、人の命を意図的に奪ってはならない」という道徳原則から、殺人は悪、とされるのが正しく見える。 けれども、こちらも視野を広げ「複数の人が自死を選ぶ程に心が傷つけられ、家庭崩壊が繰り返され続けていく状況を見過ごすべきではない」という道徳原則もあり得る。この見方をすれば、たとえ義務論の立場を採ったとしても、悪かどうか判断し兼ねる状況になる。 結局、代表的な善悪判断基準である功利主義・義務論のどちらを採っても、彼の置かれた状況下において、「彼の行為が悪である」と断定する事は難しいように思う。 どうしても彼を悪としたいならば、あの事件を起こす前の状況下で、どうすれば良かったのかを明示する必要がある。 日本の最高の権力を持つ側が教団と強く結びついていたが故、フランスのように反セクト法相当が作られる事も無く、警察に訴えても宗教問題、家庭の問題は門前払いとされる事が多かったという。 メディアに訴えても、世の中が強烈に注目しなければ、簡単に握りつぶされてしまう。 政府にロビー活動をしても、時の政府がお金や票に結びつかない要望に対して応じたとは思えない。 このような状況下でどうすれば良かったというのか。 何の代案も示さずに彼を悪と断罪する事は無責任。 また、事件と事件をきっかけに救われた人達は別問題などと、きちんとした根拠なく彼に悪の部分だけを押し付けるのも、勝手で不当な事だと思う。 事件は、一人の命を奪うという大きな負の側面と、多数の命・人生・家庭の崩壊を避ける為という大きな正の側面、両方有ったと見るのが偏見を持たない妥当な見方だと思う。 結論として、私は山上徹也の動機面と人間性は理解できるし賛同したい。 事件を起こしたと言う「行為」に対しては、代案が見つからない限り、絶対悪と断定する事はできない。 勿論、暴力一般に対しては賛同できないが、より大きな被害を食い止める事を意図した暴力について、私は大罪とするのは間違っていると考える。 『暴力を用いなくて良いよう、不当に人を不幸にする行為はきちんと取り締まられ、法で裁かれる世の中を作るべき。その為に私たちができる事は、人を良く見て投票するしかない』 私はそう考えています。