早稲田大学 辻内ゼミ / TSUJIUCHI Labo. WASEDA

地球人!自由人! The People for the Earth, for the Freedom!

書籍内容紹介『フクシマ型PTSD”今やらねばならぬこと”』

【意見書】フクシマ型PTSD”今やらねばならぬこと”(三和書籍)

https://sanwa-co.com/9784862515612-2/

推薦

[東京大学名誉教授・島薗進]

・・・この意見書は、司法の場のみならず、教育研究の場で、また政策課題の考察・討議や被害者支援活動の実践現場などにおいて参照されるべき、おおきな意義をもつ文章であると信じ、ここの推薦する次第である。

[国立民族学博物館名誉教授・竹沢尚一郎]

・・・これまでの日本政府や福島県の実態調査は十分なものであるといえず、辻内氏の研究はこの点を実証的に明らかにしたばかりか、避難者にインタビューを行うことによってその声も数多く収集しており、その意味で被災者支援の観点からも大きな意義がある。

[京都南法律事務所・弁護士・井関佳法]

「被害実態を可視化して伝える力」

・・・高松高裁は辻内意見書を詳細に紹介したうえで、区域外避難者の慰謝料の判定しました。まだまだ不十分ではありますが、低額慰謝料の流れの中、辻内意見書は、区域外避難者の被害も甚大であることを裁判所に認めさせる力を示しました。

[福島県南相馬市メンタルクリニックなごみ・精神科医・蟻塚亮二]
・・・従来PTSDの原因となるトラウマ体験とは、戦争や事故などによる個人的暴力であった。これに対して辻内が「社会や政治の仕組みや構造がもたらす暴力」が「個人の生活や人生に対して影響を与えてPTSDを発症させる」という、社会構造に踏み込んだ新しい概念は刮目に値する。


目次

第1章 はじめに:意見書の趣旨
 1-1.持続可能な開発目標(SDGs)に向けて
 1-2.筆者らの調査・支援・研究活動の経緯
 1-3.「誰ひとりとして取り残さない」を目指して
第2章 調査研究の概要
 2-1.調査研究の目的
 2-2.調査研究の特徴
 2-3.アンケート調査の対象と方法
 2-4.本調査におけるストレス度の測定
 2-5.本調査で行った統計解析の概要
第3章 精神的ストレス度の11年間の調査結果と先行研究との比較
 3-1.11年間の精神的ストレス度の調査結果
 3-2.世界における災害研究との比較
(Tsujiuchi T.:PlosOne,2016原著論文をもとに和訳・加筆)
 3-3.東日本大震災後の研究との比較
 3-4.交通事故災害との比較
第4章 PTSD症状に影響する身体・心理・社会・経済的要因
 4-1.2012年SSN埼玉調査データから
(Tsujiuchi T.: PlosOne,2016原著論文をもとに和訳・加筆)
 4-2.2013年NHK福島調査データから
(辻内ら:心身医学,2016原著論文をもとに加筆)
 4-3.2015年NHK全国調査データから
第5章 原発避難者と地震津波避難者との被害の質の違い:2015年NHK全国調査データから
(Tsujiuchi T.: JapanForum,2021原著論文をもとに和訳・加筆)
 5-1.年齢と性別の構成
 5-2.心理的影響の違い
 5-3.社会的影響の違い
 5-4.経済的影響の違い
 5-5.4つのグループのストレス度の比較
 5-6.4グループ比較からみえる原発事故避難者の特徴
第6章 2016年以降の首都圏調査データにおけるK6の分析
 6-1.2016年調査の結果
 6-2.2017年調査の結果
 6-3.2018年調査の結果
(岩垣・辻内・金ら:心身医学,2021原著論文をもとに加筆)
 6-4.K6の経年変化(2016年・2017年・2018年・2020年・2022年)
 6-5.考察:原発事故被害者のストレスと社会・経済的要因
 6-6.まとめ
 6-7.本研究の限界
第7章 原発避難いじめの実態調査
 7-1.いじめ調査結果の概要
(辻内:岩波「科学」,2018a、明石書店,2018b 掲載論文をもとに加筆)
 7-2.アンケート自由記述の分析
 7-3.原発避難いじめの事例
 7-4.原発いじめに対する文部科学省調査の検証
 7-5.原発避難いじめの構造
第8章 福島原発事故に認められる構造的暴力
 8-1.構造的暴力によるPTSD仮説
 8-2.構造的暴力の上部構造
 8-3.構造的暴力の下部構造
(辻内:ナラティブとケア,2019掲載論文をもとに加筆)
 8-4.原発事故はまったく収束していない
第9章 事例分析:原発事故被害者10人の物語
ー心理・社会・経済・身体的ストレスの解読ー
 9-1.中間貯蔵施設建設による自宅・ふるさとの喪失と、娘たちの被ばく
 新田さん(52歳・男性),6人世帯,帰還困難区域
 9-2.生きがいの喪失、孤立、未来の喪失
 飯盛さん(56歳・男性),2人世帯,帰還困難区域
 9-3.長期にわたる避難所生活と賠償金をめぐる家族関係の悪化
 真野さん(59歳・女性),4人世帯,帰還困難区域
 9-4.ふるさと喪失・生きがいの喪失と、多数の持病を抱えた一人暮らしの苦難
 高瀬さん(68歳・男性),1人世帯,帰還困難区域
 9-5.乳幼児を抱えた母子避難と、知人友人関係の悪化
 前田さん(33歳・女性),3人世帯,緊急時避難準備区域
 9-6.コミュニティ・ふるさとの喪失による孤独と、胃がん・脳梗塞による身体不自由
 吾妻さん(86歳・男性),1人世帯,計画的避難区域
 9-7.家族分離による家族関係の悪化、子どものいじめと避難者への差別・偏見
 三峰さん(40歳・女性),5人世帯,避難指示区域外
 9-8.避難先での母親の事故死と、幼い子どもとの孤独な母子避難
 中山さん(37歳・女性),3人世帯,避難指示区域外
 9-9.妻の難病と事故後に生まれた四男の先天性心疾患、福島と首都圏との二重生活と家族分離の苦悩
 笹森さん(48歳・男性),5人世帯,避難指示区域外
 9-10.平穏な日常生活の破綻、原発事故後の離婚、母子避難の孤独と病気
 神山さん(29歳・女性),4人世帯,避難指示区域外
 9-11.おわりに
第10章 結論
 10-1.本書で示した調査結果より明らかになったこと
 10-2.分断の解消に向けて
 10-3.『居住コンセプト』という新しい避難・帰還政策の提言
 10-4.「避難する権利」および「避難を継続する権利」
 10-5.第37回人権理事会本会合(2018)指摘事項のフォローアップ
 10-6.総括的提言
付録資料 最新調査分析結果をもとにした政府に対する要望書
(2023年3月7日)
 引き続く原発避難者の苦難を直視した継続的かつ実行的支援を求める要望書
 第1 要望の趣旨
 第2 要望の理由
【研究助成】
【引用文献(ABC 順)】
【謝辞】
【執筆者紹介】

著者プロフィール

辻内 琢也(ツジウチ タクヤ)
愛知県生まれ。幼少期を南アフリカ共和国で過ごす。浜松医科大学医学部卒業。東京大学大学院医学系研究科・内科学ストレス防御心身医学修了。博士(医学)。千葉大学大学社会文化科学研究科(文化人類学)単位取得退学。東京警察病院内科、東京大学医学部附属病院心療内科、健生会クリニック心療内科・神経科診療室長、早稲田大学人間科学部助教授、ハーバード大学難民トラウマ研究所(HPRT)・マサチューセッツ総合病院精神科リサーチフェローなどを経て、早稲田大学人間科学学術院教授、早稲田大学災害復興医療人類学研究所所長。
1995年発災の阪神・淡路大震災において、被災地医療に従事。調査研究論文「阪神淡路大震災における心身医学的諸問題(Ⅱ);身体的ストレス反応を中心に」にて第11回(1997年度)日本心身医学会『石川記念賞』受賞。2011年発災の東日本大震災後は、福島県から首都圏への避難者に対する医学・心理学・人類学的調査を行うとともに、震災支援ネットワーク埼玉(SSN)副代表として支援活動を行っている。「原発事故広域避難者のトラウマに対する社会的ケアの構築」にて、第16回(2014年度)『身体疾患と不安・抑うつ研究会賞』受賞。「福島原発事故首都圏被害者に持続する甚大な精神的被害-人間科学的実証研究から-」にて、第20回(2021年度)日本トラウマティック・ストレス学会・学会奨励賞『優秀演題賞』受賞。

[意見書]フクシマ型PTSD”今やらねばならぬこと”(三和書籍)2024年8月15日発売

みなさま
 このたび「福島原発事故責任追及訴訟埼玉弁護団」および「原発賠償 京都訴訟弁護団」の依頼を受け、埼玉地方裁判所(2019年12月16日)および大阪高等裁判所(2020年5月7日)に提出された意見書(甲D共231)『福島第一原子力発電所事故被害者に持続する甚大な精神的苦痛-精神的ストレスと社会・経済的要因に関する人間科学的実証研究から-』をもとに大幅に加筆した書籍が、三和書籍から刊行される機会を得ました。
 原発事故による被害者が、いかに甚大な精神的苦痛と過酷な 生活・人生を強いられているか、筆者らが原発事故発生以降これまでに行ってきた人間科学に基づく大規模アンケート調査・インタビュー調査・フィールドワーク調査の結果から明らかにしています。
 被害者支援に従事されていらっしゃる方、被害当事者の方、研究者の方、学生の皆様、是非、手に取っていただき、人間科学の立場から明らかにした原発事故被害の実相を広く知っていただきたいと思います。
 本書は、大変有難いことに、推薦文を、東京大学名誉教授・宗教倫理学者の島薗進先生、総合研究大学院大学・国立民族学博物館名誉教授・文化人類学者の竹沢尚一郎先生、京都南法律事務所・弁護士の井関佳法先生、そして、福島県南相馬市メンタルクリニックなごみ・精神科医の蟻塚亮二先生にご執筆いただきました。先生方には、本書の核心をご理解いただきました。心から感謝申し上げます。
 2024年8月15日発売予定です!
WIMA所長:辻内琢也

「フクシマ型PTSD」書籍紹介20240814

13年経った福島

2024-08-01 09.36.04

こんにちは、人間情報科学科の鴨下全生です。

ゼミ合宿についてのエスノグラフィーを投稿します。


ゼミ合宿2日目エスノグラフィー

13年経った福島

人間科学部人間情報科学科
鴨下全生
 奥に福島第二原子力発電所が見える。強い日差しで肌が焼けるような暑さを感じる8月1日。四角い無機質な建物の中では、私が今いる外とは比べ物にならない程暑い中で、防護服に身を包み、汗に溺れそうになりながら作業をしている人達がいるのだろう。
 私の故郷、いわきの自宅は福島第二原子力発電所からは30km圏内だ。13年前のあの時、一本のケーブルが奇跡的に動き、死にかかっていた原発を何とか繋ぎ止めたから、福島第二原子力発電所は過酷事故に至らずに済んだ。もし、あの時その奇跡がなければ、今でもいわきは立ち入りさえ禁じられるような状態だったかもしれない。
2024-08-01 09.15.29
 現在地は富岡の浜街道。廃炉が決定した福島第二原子力発電所を通り通り過ぎながら、県道391号をバスが走っていく。
 9:30。特定廃棄物埋立情報館、「リプルンふくしま」に到着する。優しそうな職員の出迎えを受け、中に入る。まず目に入るのは環境省のロゴが入った「リプルンふくしま」の理念。最初に気になったのが、真ん中の文章が後から貼られていること。何か都合の悪い事があったのではないかと勘繰ってしまい、職員に話を聞くと「昔は、処理を進めている最中だったから現在進行形になっていたが、現在処理が終わったので過去形り張り替えただけ」とのこと。何もなくてよかったと思うと同時に、環境省という国の書いたものが信頼しずらくなってしまっていることに、辛い気持ちになる。
2024-08-01 09.36.04
次に空間線量率の説明を受ける。実際に測定されたデータをもとに、汚染が非常に減衰していることを説明される。モニタリングポストがあるのは除染が行われた地域が多いため、現在の値が低いことは当然だと思うが、初期値(原発事故直後の放射線量)から比べて減衰率があまりにも高い。同条件での比較ではないのではないかと気になったため質問をしたところ、初期値はモニタリングポストではなく実際に人が計測したものが使われているということ。そもそも、復興の状態を示すのであれば、原発事故前と比べるべきであり、同条件であってもこの比較はよくないと思うが、そもそも同条件ではなかったことに驚く。こういうことは、信頼をされずらくなるので、やるべきではないのではないかと思った。

2024-08-01 09.38.27

 次に廃棄物の処理の方法についての説明を受ける。これは、もしかすると8000bq/kg以下の土壌を全国の公共事業で無理やり使わせる、という話がでるのではないかと思って聞いていると、まさにそのことについて話し始める。「全てを廃棄物として処理すると渋谷区ぐらいの面積が必要になってしまう。しかし、8000bq/kg以下の土壌を公共事業に使っていただければその1/3の面積で処理ができる。」として、汚染土を資源として使うことにメリットがあると説明してきたのだ。資源として使うことになったとしても汚染した土であるという事実は変わらない。国が被害を矮小化できるというメリット以外に、わざわざ福島から汚染した土を運搬し、公共事業に使うメリットはない。流石におかしいと思い、このことについてどのようなメリットがあるのかを質問する。職員は「国は土を意味のある資源として考えているようで......」、と言葉を濁す。土はどこにでもあるものであり、遠距離を運搬してでも使いたい資源ではなく、本当にそれがメリットになるのか再度職員に聞くと「......1職員なので国の考えの詳細は分からず答えられない......」、と返答した。適当にはぐらかすのではなく、分からないことを真摯に答えてくれたことが意外で、相手に対して尊敬の感情が芽生える。その後も様々な説明を受けながら、色々と現地の話をメモしていく。非常に重要な話を多く聞くことができてとてもよかった。
 のちに聞いた話だが、私の質問に答えてくれていた職員は実は量子力学の博士だったらしい。だから、こちらの質問に対して、はぐらかすことなく、分からないことについては分からないと答えてくれたのだろう。いい人とやり取りができたことを嬉しく思うと同時に、そこまで優秀な人にこのような合理的ではない政策を説明させているという構造があることに落ち込む。

 ちなみに、この「リプルンふくしま」にはこのような展示もあり、こんなことも展示してくれているのかと驚いた。

 次は夜ノ森公園の近くの桜のトンネルの地点に向かう。夜ノ森公園は、私が小さい頃いつもあそびに行っていたところだ。花見の季節もそうだし、秋に落ち葉にまみれて遊んでいたのも覚えている。しかし、今では、そんなことをすれば当時の何倍も被曝することになる。非常に重たい事実だ。おそらく、私が死んだあとも、この事実は変わらないだろう。なぜ、こんなことになってしまったのかと、辛くなる。

 夜ノ森桜通りから離れ、次は原子力災害伝承館に向かう。見渡す限り一面、綺麗に舗装された原子力災害伝承館。モニタリングポストの示す値は0.06μSv/h。どれだけのお金をこの除染に費やしたのだろうと思う。ただ、それでも直前の道路での空間線量は0.4μSv/h程度まで上がっていた。いつも遊んでいたような目の前の山に入れば、モニタリングポストの何倍になるかも分からない。人間のできることの少なさを改めて実感する。伝承館に入り、最初に5分程度の映像を見る。迫力のある映像に流石だなと感じていると、唇に何かが触れるのを感じる。鼻血である。やばい、と思ったときにはもう遅く、鼻を抑えた手に血があふれていく。すぐに職員が気付いてかけよって、色々と介抱をしてくれる。私は大丈夫と断ったが、一応念のためということで、救護室に連れていかれる。ここで、とりあえず落ち着くまで休んで下さい、と言われベッドに座る。出血には人の興奮を抑える作用でもあるのだろうか。さっきまでの興奮が急激に低下し、体温が下がったような感じがする。鼻を抑え、白い部屋の壁を見ながら、震災当時のことがよみがえってくる。

 あの時、避難所には鼻血を出す子どもが多くいた。しかも、尋常ではない量の鼻血を出す子が沢山いたのだ。レジ袋や洗面器で鼻血を受けながら歩いている子ども。共同洗濯場では、布団についた鼻血をどうするか母親達が話し合っていた。私自身も、洗面器で受けるような鼻血が繰り返し出続け、最終的に、手術をして鼻の血管を焼き切ることにした。私にとって、初めての手術でとても辛かったのを覚えている。当時は、これが何なのか分からなかったが、後から、双葉町や宮城県丸森町といったプルームが通った地域で、鼻血の症状を訴える人が別の地域に比べ非常に多かったことを知った。被曝の量から考えてこの症状が急性被曝による確定的影響ではないことは明らかだろう。ただ、自分の避難所だけでなく、多くの地点で何かしら異常なことが起きていたのかもしれない。

 しかし、これだけで問題は終わらなかった。 

 とあるメディア報道でこの問題が触れられた。その途端、「こんなことを言っているのは誰だ!」、とまるで魔女狩りのように大規模なバッシングが発生した。「嘘を言うな」、「賠償金が欲しくてデマをまき散らす気持ち悪い乞食だ」、「頭が犯されて放射”脳”になってしまったヒステリック偽避難者」、「頭ベクれてる」、「非国民」、肉体的にも精神的にも限界だった避難者をとてつもない誹謗中傷が襲った。ただ起きたことを喋っているだけの避難者を、多くの人がまるで犯罪者かのように、責め、つるし上げた。ただの一般人だった避難者が、こんな状況の対処の方法なんて知るはずもない。そして、その状況に対して、助けの手を差し伸べるべき国は、まるで、避難者が嘘をついているかのように広報した。この事件で、多くの避難者は被害について喋れなくなってしまった。実際に起きたことを喋るだけで、壮絶な誹謗中傷に晒される。疲れ切っていた避難者を黙らせるのに、この事件は十分すぎた。

 今では、そんな鼻血が出ることはない。何年も前のことである。今日、何か特別なことが起きたわけではないことは、私が一番よくわかっている。でも、この地で当時のことを思い出させるように鼻血が出たことには、何かを感じざるを得なかった。

◆P5-12抄録「福島原発事故10年の経験から学ぶ;当時小中学生だった若者の語りから<第6報>」

福島原発事故10年の経験から学ぶ;当時小中学生だった若者の語りから<第6報> 

三浦元輝1,2、榎本悠人1,2、渡辺樹1,2、榎本史悠1,2、秋満太翔1,2
笠田悠1,2、五井野龍了2,3、宝本小枝子2,3、稲葉千恵美2,3、金智慧2,4
平田修三2,5、小島隆矢2,4、明戸隆浩2,6、扇原淳2,4、多賀努2,7
岩垣穂大2,8、増田和高2,9、桂川泰典2,4、熊野宏昭2,4、辻内琢也2,4

 

Lessons from 10 years of experiences after the Fukushima nuclear accident
; From the young victim’s narrative (Report No.6)

 Motoki Miura, Yuto Enomoto, Itsuki Watanabe, Shiyu Enomoto, Taito Akimitsu,
Yu Kasada, Tatsuaki Goino, Saeko Takaramoto, Jihye Kim, Shuzo Hirata,
Takaya Kojima, Takahiro Akedo, Atsushi Ogihara, Tsutomu Taga, Takahiro Iwagaki,
Kazutaka Masuda, Taisuke Katsuragawa, Hiroaki Kumano, Takuya Tsujiuchi

 

1. 早稲田大学人間科学部(School of Human Sciences, Waseda University
2. 早稲田大学災害復興医療人類学研究所(Waseda Institute of Medical Anthropology on Disaster Reconstruction)
3.早稲田大学大学院人間科学研究科(Graduate School of Human Sciences, Waseda University)
4. 早稲田大学人間科学学術院(Faculty of Human Sciences, Waseda University)
5. 仙台青葉学院短期大学こども学科(Department of Child Studies, Sendai Seiyo Gakuin College)
6.    大阪公立大学経済学研究科(School of Economics, Osaka Metropolitan University)
7.東京都健康長寿医療センター研究所(Tokyo Metropolitan Institute of Gerontology)
8.金城学院大学(Kinjo Gakuin University)
9. 武庫川女子大学(Mukogawa Women’s University)

 

【目的】福島原発事故当時小中学生だった被災当事者の語りを通して、幼い頃に経験した避難に伴うストレスや葛藤について分析し、社会・文化的状況との関係を考察する。

【方法】福島原発事故当時中学校3年生で、現在社会人の被災当事者Yさんにインタビュー調査を2回実施した。録音した会話の音声データを逐語化し、語られている内容をカテゴリー化することで質的分析を行った。(倫理承認No.2021-352

【結果】震災・原発事故発生当時、ラジオで原発事故の情報を聞き、山形県に一時避難するも、4月には入学が決まっていた高校に通うためにいったん福島に戻る。1か月通った高校では「放射能被害はない」とみなす県内の周りの雰囲気に合わせて、空気を読んで過ごす息苦しい日々だった。再度、山形県に避難するが、時間が経つにつれ、家族内でも放射能に対する認識のずれが現れるようになり、家族とYさんとの間に軋轢が生まれた。原発事故の悪夢や家庭内の不和が原因で心身の不調が続く中、SNSを通じて自身の経験に寄り添ってくれる人々に出会い、自分の居場所がある可能性を感じて北海道に移住。現在はカウンセラーの仕事を続けながら北海道各地で自身の経験をもとに講演活動を行っている。

【考察】現代社会において原発事故のことを「話してはいけない」という雰囲気が蔓延し、子どもらしく振舞えない状況が続いていた。子どもアドボカシーの必要性が強く問われた事例だと考えられた。

◆P5-11抄録「福島原発事故10年の経験から学ぶ;当時小中学生だった若者の語りから<第5報>」

福島原発事故10年の経験から学ぶ;当時小中学生だった若者の語りから<第5報>

丸山瑛士1,2、田村悠1,2、菅野はんな2,3、津乗静花1,2、野原颯太1,2
五井野龍了2,4、宝本小枝子2,4、稲葉千恵美2,4、金智慧2,5、平田修三2,6
小島隆矢2,5、明戸隆浩2,7、扇原淳2,5、多賀努2,8、岩垣穂大2,9
増田和高2,10、桂川泰典2,5、熊野宏昭2,5、辻内琢也2,5

 

Lessons from 10 years of experiences after the Fukushima nuclear accident
; From the young victim’s narrative (Report No.5)

 Eiji Maruyama, Yu Tamura, Hanna Kanno, Shizuka Tsunori, Sota Nohara,
Tatsuaki Goino, Saeko Takaramoto, Chiemi Inaba, Jihye Kim, Shuzo Hirata,
Takaya Kojima, Takahiro Akedo, Atsushi Ogihara, Tsutomu Taga, Takahiro Iwagaki, Kazutaka Masuda,
Taisuke 
Katsuragawa, Hiroaki Kumano, Takuya Tsujiuchi

 

1. 早稲田大学人間科学部(School of Human Sciences, Waseda University
2. 早稲田大学災害復興医療人類学研究所(Waseda Institute of Medical Anthropology on Disaster Reconstruction)
3韓国外国語大学日本語通翻訳学科(Department of Japanese interpretation and translation, Hankuk University of Foreign Studies
4.早稲田大学大学院人間科学研究科(Graduate School of Human Sciences, Waseda University)
5. 早稲田大学人間科学学術院(Faculty of Human Sciences, Waseda University)
6.  仙台青葉学院短期大学こども学科(Department of Child Studies, Sendai Seiyo Gakuin College)
7.    大阪公立大学(Osaka Metropolitan University)
8.東京都健康長寿医療センター研究所(Tokyo Metropolitan Institute of Gerontology)
9.金城学院大学(Kinjo Gakuin University)
10. 武庫川女子大学(Mukogawa Women’s University)

 

【目的】福島原発事故当時小中学生だった被災当事者の語りを通して、幼い頃に経験した避難に伴うストレスや葛藤について分析し、社会・文化的状況との関係を考察する。

【方法】福島原発事故当時小学校1年生で、現在大学生の被災当事者Hさんにインタビュー調査を3回実施した。録音した会話の音声データを逐語化し、語られている内容をカテゴリー化することで質的分析を行った。(倫理承認No.2021-352

【結果】小学校2年生の夏に、放射能の危険から身を守るために関西へ母子避難した。仕事や実家の整理のために福島に残った父親と1年間別れ離れに生活していたこの時期が、家族全員にとって最もつらかったという。避難先の小学校で「フクシマに帰れ」とからかってきたクラスメイトとのトラブルもあった。中学2年生の時には、学校の弁論大会で震災・原発事故について話そうとしたところ、政府を批判するような文章を担任の先生に変更され、自分の言葉ではない講演をさせれられるにがい経験をした。中学校卒業後、韓国の高校に進学し、学校教育の中で自由に社会問題や環境問題が議論されていることに魅力を感じた。現在、韓国の大学で環境問題に対して自分ができることを最大限に行いたいと語る。

【考察】自由な発言が統制されがちな日本の教育現場から離れ、信念と目標の確認をすることができ、物語ること、書くこと、話すことによって心的外傷後成長(PTG)が得られた事例だと考えられた。