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ほぼ日刊イトイ新聞

2024-09-08
ほぼ日手帳
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糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「わたしには、ほんとうにやりたいことがある」って、
 そう言う人はすごいなぁと思うんだ。
 「わたしには、ほんとうにやりたいことがあるんです!」と
 「!」付けて語る人も、けっこういる。
 そして、その裏側には無数の
 「わたしは、ほんとうにやりたいことが見つからないんです」
 と言う人がいることも知っている。 

 「わたしがほんとうにやりたいこと」って、なんだろう。
 ほんとに、それを見つけている人っているんだろうか。 
 台本があって、それを演じている俳優がいたとする。
 その台本は、じぶんが書いたものじゃないけれど、
 それを演じることを求められていて、それを演じる。
 作曲家がいて、ある映画音楽を依頼されたとする。
 その映画の物語は、作曲家がつくったわけではない。
 いわば、曲づくりの腕を見込まれて手を貸したものだ。
 『モナリザ』の画家が、依頼されて肖像画を描いた。
 彼に描いてほしいと頼まれたところが出発点だ。
 「わたしがほんとうにやりたいこと」ではなくて、
 世の中のことはほとんどが「たのまれたこと」である。

 「たのまれたこと」ばかりに忙しくて、
 「わたしがほんとうにやりたいこと」ができない、
 と言っている人がいっぱいいることを知っている。
 もしかしたら、ぼくもそんなことを言ったかもしれない。
 コピーを書く仕事も、もともと「たのまれたこと」だ。
 作詞の仕事も、だれかが歌うための詩を考えるものだ。
 たいていの仕事は、ほんとうにやりたかったものではない。
 技術や味わいを認められて、手を貸すというものである。
 商品としてお金と引き換えにやるものばかりじゃない。
 友人の手伝いであるとか、おもしろそうだからやるとか、
 お金のやりとりされない「たのまれたこと」も多い。
 でも、「ほんとうにやりたいこと」をやったのとはちがう。
 いやだったのかと言われたら、そんなことはまったくない。

 矢野顕子の名刺みたいになっている「ひとつだけ」は、
 アグネス・チャンが歌うためにつくった曲と詩だ。
 「ほんとうにやりたいこと」というのは、
 「たのまれたこと」をやっているときに見つかるもの、
 かもしれないなぁ、と思うのだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ほんとうにやりたいこと」を探すのは、ヒマなときでいい。


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