何もなければ、失う怖さもない。
東京在住の女性I様から「会いたい」とご連絡をいただき、熱海の喫茶店でお会いした。I様は「本当は色々話したいことがあったのに、お会いしたら頭の中が真っ白になってしまった」と言った。無理をしてまで話すことはない。沈黙を恐れる必要もない。ただ、話したくなったら話せばいい。私たちは、何も話さないまま時間を過ごした。I様の瞳から涙が流れた。そして「不思議です。なんだか、色々なことがどうでもよくなってきました」と言って、笑った。
その後、家が見たいということになって、私の家に移動した。日が暮れたので、蝋燭に火をつけた。I様は、黙って蝋燭の炎を眺めていた。お茶を淹れている間も、菓子を用意している間も、I様はずっと炎を眺めていた。そして「こんな女はいますか?突然泣く女」と言って、涙を流した。私は、質問に答えなかった。質問に答えたり、自分の話をしてしまうことで、一度生まれた心の奔流を堰き止めてしまうことがある。涙が出るのは、良い兆しだと思った。良い兆しを、余計な言葉で止めたくないと思った。
I様は「眠くなってきました」と言った。私は「布団を敷きましょうか?」と言った。I様は「畳の上が気持ちいいので、このまま横にならせてください」と言った。横になりながら、I様は「はじめてお会いした人の家で、いきなり横にならせてくださいだなんて、生まれてはじめて言いました」と言った。坂爪さんは温泉みたいですねと言われた。それか、野生の動物みたいですねと言われた。野生の動物を前にすると、着飾っている自分が馬鹿らしくなる。なんで私はこんなに鎧を身に纏ってしまったのだろうって思ったら、涙が流れたとI様は言った。
横になりながら、I様は「何をしている時が一番楽しいですか?」と聞いた。私は、返事に困った。楽しい時間はたくさんある。だけど、そのどれもが、過去の時間であって、今の時間ではない。できることなら、今が一番楽しい時間になればいいと思っていると言ったら、I様は「そうですよね」と言った。頭の中がいっぱいになると、心の中がからっぽになる。頭の中がからっぽになると、心の中がいっぱいになる。横になって気持ちよさを感じたなら、頭で止めないで、心で感じて欲しいと思った。やりたいは泉。やらなきゃはボロ雑巾。頭ではなく、心から出てくる言葉で、会話をしたいと思った。
明るくなければいけないとか、元気じゃなきゃいけないとか、ちゃんとしなくちゃいけないとか、そんなことはないのだと思う。元気じゃなくてもいいし、さみしくてもいい。怖くてもいいし、不安でもいい。何もなくてもいいし、何処にも行かなくてもいい。生きててもいいし、生きてなくてもいい。全部、そのままでいい。寝ている自分を責めるのではなく、三年でも、三十年でも、好きなだけ眠っていればいい。目が覚めて、何かをやりたくなった時は、また、何度でも生き直せばいい。何もなければ、失う怖さもない。すべての美しいものは、悲しみを内包している。それは「永遠には見ていることができない」という、時の、透明な悲しみだ。
おおまかな予定
9月8日(日)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
バッチ来い人類!うおおおおお〜!
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