世界中がコロナにやられて2年以上。なかなか会いたい人にも会えない日々。その間に亡くなってしまう人も居る。私の座付きとも言えるイラストレーター佐野文二郎クンが こんな素敵なポストカードを創ってくれた。寅さんがこう言っている。「元気かい 会いたいねぇ」しみじみ皆なと会って ゆっくり飲んでみたい。そこへ古くから私の追っかけのような事をしている「売れない画描き」の ながさわ君がこんな写真を送ってきた。八重洲ブックセンターでの私の「出版サイン会」だそうで そこへ本を買って「サインを下さい」と泣きそうにやって来た西村賢太芥川賞先生である。会いたくても もう会えない人も居る。
この時代なのに貧乏をこじらせ餓死するかもしれないので ながさわ君には時々お米を送っている。まるで終戦直後のような話だ。米が届くと こうして写真やら記事のコピーやら大して役にも立たない物を送ってくる。時々マツコデラックスの「アウトデラックス」に変ったヤクルトスワローズマニアとして不気味がられて出演もする。本も何冊かは出しているのだが・・・生きていけない奴が私の周りには沢山居る。
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さあ それではロシアが攻めてこない内に春を迎えましょう。羽生選手も「春よ来い」で滑っていましたネ。キャンディーズも歌ってます。「もうすぐ春ですね 彼をさそってみませんか」です。”歌は世につれ 世は歌に連れ小便”です。下品でした。昔のネタに「歌は世につれ 世は歌に連れ となりの婆さん 孫を連れ」というのがありました。今回の課題図書はこれです。「コミックソングレコード大全」(監修 高田文夫・編著 鈴木啓之 吉田明裕)白夜書房・2002年。豪華すぎるオールカラーで すべての曲のジャケットが載っております。今回は題して「昼のノーヒットスタジオ」といったところ。お恥しい話 私はこの年令になるまで1曲もヒット曲を出した事がありません。テレビの構成者としてもラジオのDJとしても落語家、プロデューサーとしてもまあまあのポテンヒットはあったのですが こと歌謡曲の作詞となると てんで・・・やっぱり人間には向き不向きというのがあるのでしょうネ。
「俺は今」歌・佐瀬寿一 作詞・高田文夫 作曲・佐瀬寿一 72年
私が作詞家デビューの曲である。24歳の時 学生時代から家に来ては勝手にビールを飲んでいた男が急に「オレ歌手になる。高田、詞を書け」B面はその時代の空気のまんま「駄目なオイラが旅立った」まったく駄目だった。しかし・・・この数年後 佐瀬は私が立ちあげた番組「ひらけポンキッキ」で「およげたいやき君」を作曲し日本で一番売れた曲の作曲家として今だに その大記録は破られていない。今でも時々会う腐れ縁である。
「好きさブラックデビル」のB面「回転禁止の新聞少年」歌 オレたち昔アイドル族(山田太郎と美樹克彦)作詞・高田文夫 作曲・桜井順。
シャレで歌ってくれた2人の大ヒット曲をみごとにリスペクトして詞にした怪作である。「オレたち ひょうきん族」も絶好調の82年に出たもの。
「染之助・染太郎のおめでとうございます」この曲までがレコード。次からCDとなる。太神楽の海老一染之助・染太郎が「笑っていいとも」で”お染ブラザーズ”として大ブレーク。勢いで出した89年。B面は「年がら年中御祝儀だァ」作詞・高田文夫 作曲・神山純一。「いつもより余計にまわっておりまーす」
「この恋いけませんか」歌・松本明子 作詞・高田文夫 作曲・市川昭介
89年の4月にスタートした「ラジオビバリー昼ズ」。曲が出ないアイドル松本明子を ふびんに思ったスタッフが天下の市川昭介先生に頭を下げ、曲を依頼。行きがかり上 私が詞を書いた。歌のうまさと売れ行きは全く関係なかった。
「アッコちゃん音頭」こりずに90年発売。作詞・高田文夫 作曲・HATAKIN
「足手まとい’92」歌・森雄二とサザンクロス 作詞・高田文夫 作曲・中川博之
私は当時西新宿に住んでいて同じマンションにムード歌謡のリーダー森雄二が住んでいた。飲み屋で年中会って かつてのヒット曲のカバー篇を頼まれ書いた。私の上の階にはみうらじゅんが居た。1階の飲み屋に いつも玉袋が来ていた。
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それにしても出す曲、出す曲 みごとに売れない。うちの居候のようなものだった悪友・佐瀬寿一は「およげ!たいやきくん」で すっかり甘いアンコをなめ毛皮まで着出して その後キャンディーズ「暑中お見舞い申し上げます」山口百恵「赤い衝撃」畑中葉子の「うしろから前からどうぞ」なんて とんでもない曲まで出してお金を欲しがった。私のノーヒット暮しは実はまだ始まったばかり。それにしても よくBSの歌謡番組などで作詞家の特集を放送している。阿久悠特集やら松本隆作品集やら。だったらいっそのこと いつも聞いている土曜夕方のラジオ日本、タブレット純の番組で なんで私の作品集を特集して流さないのだ。タブ!お前ン所のスタジオはロシア大使館のすぐそばだろ。近い内に爆撃に行くからな。ピロシキでも のどにつまらせて待っておけ。さぁ そんなこんなで佐瀬とタッグを組んでヒットを狙ったのがこの曲。私が若き日 歌番組の台本を書いていたころからの仲良し新沼謙治である。
「おとこ唄ひとり」歌・新沼謙治 作詞・高田文夫 作曲・佐瀬寿一 93年
この時は いい詞が書けたと手応えがあったのだが・・・。母親が息子に言ってきかせる曲だ。最後に”お前の人生シナリオは自分で書けと言っていた”私自身こんなことをお袋に言われていたのだ。「人生なんて すべて書きおろしだからネ」とも。
「進め!ヤクルト・スワローズ」歌・ヤクル党(高田文夫・三宅裕司・山本コータロー・城戸真亜子・工藤兄弟・春風亭昇太・松本明子)作詞・高田文夫 作曲・羽田一郎 93年。番組をあげてヤクルトを応援。
「ピロピロダンス」歌・松村邦洋 作詞・高田文夫 作曲・桜井鉄太郎 93年
「バウバウ」が大ヒットした松村、第2弾として世に問うたのが「ピロピロ」。沈火。”ピロピロ飲み”なんていうギャグも流行らせようとしたのだが・・・。
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私の企画・プロデュースのアルバムもあって まずは大瀧詠一さんと盛り上がって作った懐かしのバッタもの”東京ビートルズ”。そして日本一売れたB面とも言われる「いっぽんでもニンジン」も入った なぎら健壱のアルバム。日本一売れたはずだ、「およげ!たいやきくん」のB面なんだから・・・。買い取りだったので なぎらには金はチャリンしか入らず。
「meet the 東京ビートルズ」ひたすら日本語で歌うビートルズ。再発見。「あの頃(私・高校時代)本物のビートルズでも東京ビートルズでも両方、生で見ているのは日本では高田さんだけ」と大瀧氏よりお墨付き。94年。
「中毒」なぎら健壱 「悲惨な戦い」「ラブユー東京スポーツ」「下町(まち)」なんて名曲揃い。95年。私のみごとすぎる解説(ライナーノート)が入っている。
「KANREKIロック」歌・ミッキーカーチス 作詞・高田文夫 作曲・ミッキーカーチス 98年。「還暦だから 兄(あに)さん オレに詞書いてくんない」とミッキー。”落語立川流”では私が先輩なので「兄(あに)さん」と呼ぶ。”男はロックン60男 バスも女も乗り放題”なんてフキンシンに歌うロックすぎる名曲。あの頃ミッキー60,私50。そして談志が62歳。身体も気も弱ってきてたので「師匠、ミッキーの還暦祝いに一曲 詞書いてくれませんか?」これが泣けるほどの名曲に仕上がった。カップリング曲は「ダンシン ワルツ」作詞・立川談志 作曲・ミッキーカーチス
「ヨーデル食べ放題」歌・桂雀三郎WITHまんぷくブラザーズ 96年。
私のラジオ番組で話題になりCDからアルバムまで出し毎週大阪から雀三郎に来てもらったりした。今でも「焼肉特集」のTVなどでバックに必ずこの曲がかかる。気がついたら私は企画・プロデュースで詞は書いてなかった。リピート山中の詞である。
「領収証’99」歌・Le・シート 作詞・高田文夫・塩沢影光 作曲・茅蔵人「領収証」という小さなヒット曲があって それを私が改作。カバー。謎の歌手”Le・シート”は男性ふたり組。ひとりは某マネージャー、もうひとりは某アナウンサー。レシートとは我ながら うまいネーミング。
「そんなもんだよ しょうがない」歌・昭和のいるこいる 作詞・高田文夫 作曲・玉置浩二 01年
もう・・・作曲の名前が大きすぎて・・・ヘーヘーホーホー しょうがない しょうがない。
「冷麺で恋をして」歌・小瀧詠一(東貴博) 作詞・高田文夫 作曲・大瀧詠一 01年。「ヨーデル食べ放題」で焼き肉を食べ終ったあとは やっぱり冷麺で〆めだろうと思いつき本番中に口ずさんだのが「A面で恋をして」。CM中にペンを走らせ大瀧氏へ電話。「”A面”を”冷麺”ってことでいいかな?」「オリコンで100位以内に入れるならいいよ」というので早速制作・発売。いよいよオリコン発表ッ。さすが。エンタメの神様は私と東MAXについていました。なんと爆笑の99位。おみごと!ジャケットは大瀧盤でもおなじみ永井博画伯。ホンモノである。冷麺も描いている。
「傷だらけの私鉄沿線」歌・いっこく堂 作詞・高田文夫 作曲・馬飼野浩二 02年
腹話術でものまねして歌うという名人芸。レコーディングの時も口を開けていなかった。西城秀樹と野口五郎そっくりに歌うのだ。
「有楽町でまた逢いましょう」歌・鶴岡雅義と東京ロマンチカ(高田文夫歌唱バージョンもある)作詞・高田文夫 作曲・中村泰士 04年
あまりにも有名すぎる「有楽町で逢いましょう」(フランク永井)をリスペクトしすぎて「また」をつけて作詞してしまった。ニッポン放送といえば有楽町なのである。もっと びっくりすることは親しくしていた「レコード大賞」作曲家 中村泰士氏が曲をつけてくれたことだ。それに もっとおどろく事はムード歌謡の帝王・東京ロマンチカが歌ってくれたことだ。歌謡曲ファンにとっては天にも昇る心持ち。もっとおどろく事は このCDには私が歌っているバージョンも入っているという事だ。それが証拠にウラに私の顔写真も入っている。
「倶楽部」歌・高田文夫&森川由加里 作詞・作曲・中村泰士 04年。中村先生の企画アルバム「One More Miracle」の中で なんと私と森川(葛飾出身)がデュエットして歌っている珍品。まさに「SHOW ME SHOW ME」である。
「余談ですけど 愛してる」歌・林家ペー 作詞・高田文夫 作曲・佐瀬寿一 08年。
赤羽のスーパースターである。今でも寄席で歌ってくれている。松村邦洋&磯山さやかの師匠筋である(ぺーとパー子の ものまねは抜群)。カップリング曲がいい。寄席芸人の哀愁がしみわたる「そして高座」。余談ですけど これ「そして神戸」のシャレじゃないのよ。
「お子ちゃマンボ」歌・文乃(あやの)&文夫 11年。
私の学生時代からの先輩が勝手にプロデュースして私と孫がショーゲキのCDデビュー。7才だったこの孫も春からは女子大生だ。カップリングは「ジージのララバイ」。すぐに日本は東日本大震災で大騒ぎ。マンボどころではなかった。
「日本列島やり直し音頭」歌・西方裕之 作詞・高田文夫 作曲・佐瀬寿一 12年。大震災のあと「日本人よ、がんばろう」という意味で作ったこの曲。日本列島に掛け声かけてたら12年4月に私が心肺停止8時間で倒れてしまった。自分がやり直しだった。半年間仕事も休んだっけ。まさに「おもひでコロコロ」だ。
「おやじのたそがれ」歌・西方裕之 作詞・高田文夫 作曲・佐瀬寿一 14年。
東MAXが所属する「佐藤企画」の秘密兵器。演歌歌手の西方裕之。できれば ずっと秘密にしておきたかったが・・・。いい曲なのだが・・・歌い手の問題か、作曲家の問題か・・・私は問題外だと思う。
「ビギン・ザ・ギンザ」歌・U字工事 作詞・高田文夫 作曲・佐瀬寿一 18年。「ラジオビバリー昼ズ」で30年記念として出した曲。栃木なまりも少しブレンドされてU字工事が都会のムードを歌う。ジャズの名曲「ビギン・ザ・ビギン」と永六輔の「たそがれのビギン」をオマージュしてシャッフルして和光を入れたら こんな風になった。きき終ると”かんぴょう味”も残る。
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CD化はされていないがナイツのライブ用に私が作詞し作曲がなんと あの真島昌利というマニアにゃたまらない曲。題して「師匠」浅草の売れない師匠方の哀しい姿などを劇団ひとり「浅草キッド」の前に私が描いている。
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私が書いてきた曲ばかりを紹介してきましたが逆に私が書かれてしまった嬉しい曲も。あの宮藤官九郎、阿部サダヲ達の「グループ魂」が歌うロック「高田文夫」。アルバム「20名」の中に入っている。作詞クドカンはこう書く”バウバウバウ高田文夫になりたい 有楽町で笑いたい”仙台の高校生の頃からの私の追っかけ。クドカンならではの詞である。後輩からリスペクトされるのは嬉しいものだ。君らも もっと誉めろよ! ・・・それにしても無安打とは・・・。
2022年2月28日
高田文夫
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