“伝説の投資家”に聞く 日本経済の展望

“伝説の投資家”に聞く 日本経済の展望
高額納税者のランキング、いわゆる長者番付が公表されていた頃、全国トップにその名が載ったことがあり、“伝説のファンドマネージャー”とも呼ばれる清原達郎さん。

ことし、みずからの投資経験などをまとめた初の著書を出し、話題となっています。その清原さんが、テレビメディアのインタビューに初めて応じました。

長年、株式への投資をおこなってきた清原さんに、日本経済の現状や今後の展望、そして投資に対する向き合い方などについて聞きました。
(※清原さんは咽頭がん手術の影響から、おはBizの渡部圭司キャスターの質問にタイピングで回答していただく形を取りました)

“伝説の投資家”の現在

(渡部)
なぜ今回テレビインタビューを受けることにしたのでしょうか。
(清原)
「SNSの詐欺に気をつけてください」と訴えたいからです。本が売れだしてから、SNS上で私を名乗る詐欺サイトが100以上立ち上がりました。

SNS上ではもっともらしいことが書かれていますが、私はSNSを一切やりませんので私を語るサイトは基本詐欺です。私が未公開株や暗号資産(仮想通貨)を勧めることもありません。
(渡部)
初めての著書を通じて何を伝えたかったのでしょうか。
(清原)
私は6年前咽頭がんの手術で声を失いました。その後も何とか頑張ってきましたが去年、みずからの能力の限界を感じファンドを閉じて引退しました。

実は私の夢は、「引退したら縁のある『子ども食堂』で勉強を教えること」でした。

自分の人生を振り返った時、大学生の時、家庭教師のアルバイトをしていた時が一番幸せだったと思えたからです。

でも声を失ってその夢は絶たれました。

引退して暇になったので何かできないかと考えていたら友人に「本を書いたらどうか」と言われました。

「確かにそうだ。私には後継者がいない。ならばこれまでのノウハウや失敗の経験を洗いざらい世の中にぶちまけよう」と思ったのです。

株に興味のある方に参考にしていただけたら幸いです。
(渡部)
引退された今はどう過ごされていますか。
(清原)
特に何もしていません。低山ハイキングが趣味なのですが6月から9月いっぱいまで暑すぎて熱中症になるのでハイキングは中止です。

やることがなく相場のコメントとかを書いています。
(渡部)
8月5日の過去最大の株価下落幅をどう見ていましたか。
(清原)
実は暴落した8月5日は、旅行から帰ってくる途中で相場を見ていませんでした。

去年の11月に引退してから、私は新規の投資はしていません。もう終活に入っていますので、株式を積極的に売り買いするインセンティブがないのです。

でもその日の午後5時、家に帰って暴落を知った時、突然スイッチが入ってしまい「買わなきゃ」となって手が勝手に動いたんです。

証券口座にあった230億円の現金分の買い注文を出し、翌日にメガバンクを一銘柄105億円分買いました。
(渡部)
何が今回の下落を引き起こしたと考えていますか。
(清原)
暴落の原因は分かりません。あれはフラッシュクラッシュです。テクニカルな要因が重なって起きたことだと思います。

日銀のせいにするのはばかげています。たった0.25%の利上げですから。

「相場が急激に上がりすぎていた」「米国の景気が不安視された」等、複合的な理由だと思います。

私は暴落の原因を詮索するのは無意味だと思っています。

数々の危機を乗り越えてきた投資哲学とは

清原さんのファンドは25年間、日本株に投資をおこなってきました。

その最終的な運用パフォーマンスは9341%。最初に100万円投資していれば、9341万円になっている計算です。

しかし、そこに至るまでの道のりは決して平たんではありませんでした。

清原さんはこの間、ITバブルの崩壊やリーマンショック、パンデミックなど数々の試練に直面し、乗り越えてきました。
(渡部)
リーマンショックの後、清原さんのファンドでは顧客の解約が相次ぎ、未曽有の危機に直面しました。

当時、清原さんはみずからの財産をすべてファンドに投じたそうですが、どういう心境だったのでしょうか。
(清原)
顧客のことしか考えていませんでした。地獄につきあってくれる顧客なんてありがたいとしか言いようがありません。

とにかく残ってくれている顧客がいるかぎり、ファンドを破綻させるわけにはいきません。破綻を防ぐためにできるかぎりのことをしようと必死でした。

しかしパフォーマンスはどん底でも「なんとか破綻は防いだ」時点で私の心は晴れやかでした。
(渡部)
プレッシャーやストレスとどう向き合っていましたか。
(清原)
酒を飲んでごまかしていました。
(渡部)
投資を行うにあたり、たとえ失敗しても復活するために必要なことは何ですか。
(清原)
「失敗しても」というのが「相場が暴落しても」という意味なら、暴落した時できるだけ株を売らないことです。

諦めたらそれで人生おわりです。いつも「次は勝つぞ」と思ってやってきました。一種のギャンブル中毒かも知れませんね。
(渡部)
失礼かもしれませんが、清原さんは楽観的な人柄ですよね。
(清原)
もともと若いときはとても悲観的な人間でした。楽観的になるよう「相場に教えられて」きたのかもしれません。

結局、人類は進歩し続けているのです。なんだかんだ言っても。だから悲観的になるより強気でいる方が得なのです。
(渡部)
投資先を決める際に社長に直接会うことを大事にしているそうですが、それはなぜでしょうか。
(清原)
「社長に会う」というのは小型株の話です。小型株は人的なリソースに乏しく社長が頼りです。

社長のガッツと能力で会社の成長性が決まります。私は社長に会ったとき必ず「ことしの入社式の時、何を話されましたか?」と聞くようにしていました。

新入社員は中小企業にとって宝物です。「忘れた」とかいうのは論外です。

逆に大型株では優秀な人材はいっぱいいますので、別に社長に会わなくても投資できます(会ってもくれないでしょうけど)。

清原さんが評価する日本企業の変化

バブル崩壊後、低迷を続けていた日本経済。しかし清原さんはバブル崩壊を機に“正しい道を歩み始めた”と考えています。
(渡部)
ファンドを運用する25年間は失われた30年に重なります。その間、日本経済をどう見ていましたか。
(清原)
私は「失われた30年」だとは思っていませんし、何が失われたのか私には分かりません。

失われたとすれば「日本の半導体産業」ですかねえ。あとは特に失われて国家的な損失を被った分野はないと思います。

1980年代の大きな過ちからこれまで時間をかけて日本はまともになってきた、というのが私の感想です。

1980年代は上場企業のガバナンスゼロの時代でした。少数株主の利益は無視され、各財閥がメンツのためにしのぎを削ってむだな設備投資を繰り返していました。

結果業績を悪化させ傷んだBS(バランスシート)を修復するため、株式を発行し、一株当たりの企業価値を毀損する繰り返しでした。

1990年にバブルが崩壊、日本は正しい道を歩み始めました。
(渡部)
日本企業のガバナンスの変化について、どのように評価していますか。
(清原)
とても評価しています。ガバナンスは180度変わりました。日本の株式市場に私がポジティブな一番の理由です。

企業の統合が進みむだな設備投資もなくなり今では増配、自社株買いが当たり前の世の中です。

日本企業、株式市場は、時間はかかりましたが1980年代と比べると、とても立派になったと思っています。

さらに欲張って日本企業に何か期待するとすれば「さらなる経営統合」でしょう。

「内需の減少」「海外市場の開拓」この二つの問題に対処するには規模が必要です。

まだ上場企業の数が多すぎると思っています。成長したいと思えば海外なのですが小さいままでは海外に手が回りません。

大きくなって体制を整えないといけません。
(渡部)
日本株の現在の状況は、過去のバブルとは異なっていますか。またどういう点で異なっていると考えていますか。
(清原)
全く異なっています。1989年12月にピークを打ったバブルではPER(株価収益率)は60倍もあり、当時の金利は下がったといえ10年物の国債で2%程度はあったと記憶しています。

今はPER16倍程度、10年国債の利回りは約1%です。今の日本株はバブルから程遠い状態にあります。

また決定的な違いとして1980年代の日本企業はガバナンスがひどく100点満点で言えば0点で、少数株主の利益は完全に無視されていました。

それが今では真逆の状態。80点で十分合格です。1980年代後半の投資環境は最悪でしたが、今は良好な投資環境下にあると思います。
(渡部)
一般の人はどのように投資とつきあっていけばいいのでしょうか。
(清原)
私は投資がまだブームになっているとは思っていません。相変わらず個人の金融資産に占める預金の比率が圧倒的に高いのです。

日本株の配当利回りは預金金利より圧倒的に高いわけですから、ある程度は株式投資に回すべきです。

株を買った後、大きく下がった時動揺して売らないことが大切です。下がれば「これで上がる確率が増えた」とでも思っていてください。
(渡部)
今後の市場の展望をお聞かせください。
(清原)
私のマクロの予想は当たりませんが一応こう考えています。

2年後の予想で政策金利(短期金利)0.5%、10年国債金利1.5%、ドル円130円/$。

日本の株式市場では、これまでの相場の上昇が急すぎたこと、また暴落も一時的とはいえ大きかったことを考えればしばらく投資家は「おっかなびっくり」で、相場は戻しては下げるのを繰り返すのでしょうけど「下値切り上げ型」でじわじわ上昇していくと見ています。
(渡部)
日本のGDPは4位に転落しました。日本経済は今後成長できるのでしょうか。
(清原)
日本は人口減少局面に入っているので、GDP成長率とかを目標にしない方がいいと思います。

大事なのは「一人当たりのGDP」です。GDPを目標にするなら、外国人労働者をのほうずに受け入れればいいだけの話です。

一人当たりのGDPを伸ばすためには、付加価値の低い仕事をロボットに任すか、IT技術で生産性を上げることが重要ですがそれは可能でしょう。
清原さんがファンドの運用を始めた1998年、この年の新語・流行語大賞には「貸し渋り」や「日本列島総不況」がランクインしていました。

それから引退するまでの25年間、日本や世界は大きく変わりました。

清原さんはどんな思いで市場と向き合ってきたのか、そして今の日本経済をどう見ているのか、短い時間でしたが、その考えに触れることができる機会となりました。
(聞き手:おはBiz 渡部圭司キャスター、取材・制作:政経・国際番組部ディレクター 村上由和)
“伝説の投資家”に聞く 日本経済の展望

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“伝説の投資家”に聞く 日本経済の展望

高額納税者のランキング、いわゆる長者番付が公表されていた頃、全国トップにその名が載ったことがあり、“伝説のファンドマネージャー”とも呼ばれる清原達郎さん。

ことし、みずからの投資経験などをまとめた初の著書を出し、話題となっています。その清原さんが、テレビメディアのインタビューに初めて応じました。

長年、株式への投資をおこなってきた清原さんに、日本経済の現状や今後の展望、そして投資に対する向き合い方などについて聞きました。
(※清原さんは咽頭がん手術の影響から、おはBizの渡部圭司キャスターの質問にタイピングで回答していただく形を取りました)

“伝説の投資家”の現在

“伝説の投資家”の現在
(渡部)
なぜ今回テレビインタビューを受けることにしたのでしょうか。
(清原)
「SNSの詐欺に気をつけてください」と訴えたいからです。本が売れだしてから、SNS上で私を名乗る詐欺サイトが100以上立ち上がりました。

SNS上ではもっともらしいことが書かれていますが、私はSNSを一切やりませんので私を語るサイトは基本詐欺です。私が未公開株や暗号資産(仮想通貨)を勧めることもありません。
(渡部)
初めての著書を通じて何を伝えたかったのでしょうか。
(清原)
私は6年前咽頭がんの手術で声を失いました。その後も何とか頑張ってきましたが去年、みずからの能力の限界を感じファンドを閉じて引退しました。

実は私の夢は、「引退したら縁のある『子ども食堂』で勉強を教えること」でした。

自分の人生を振り返った時、大学生の時、家庭教師のアルバイトをしていた時が一番幸せだったと思えたからです。

でも声を失ってその夢は絶たれました。

引退して暇になったので何かできないかと考えていたら友人に「本を書いたらどうか」と言われました。

「確かにそうだ。私には後継者がいない。ならばこれまでのノウハウや失敗の経験を洗いざらい世の中にぶちまけよう」と思ったのです。

株に興味のある方に参考にしていただけたら幸いです。
(渡部)
引退された今はどう過ごされていますか。
(清原)
特に何もしていません。低山ハイキングが趣味なのですが6月から9月いっぱいまで暑すぎて熱中症になるのでハイキングは中止です。

やることがなく相場のコメントとかを書いています。
(渡部)
8月5日の過去最大の株価下落幅をどう見ていましたか。
(清原)
実は暴落した8月5日は、旅行から帰ってくる途中で相場を見ていませんでした。

去年の11月に引退してから、私は新規の投資はしていません。もう終活に入っていますので、株式を積極的に売り買いするインセンティブがないのです。

でもその日の午後5時、家に帰って暴落を知った時、突然スイッチが入ってしまい「買わなきゃ」となって手が勝手に動いたんです。

証券口座にあった230億円の現金分の買い注文を出し、翌日にメガバンクを一銘柄105億円分買いました。
(渡部)
何が今回の下落を引き起こしたと考えていますか。
(清原)
暴落の原因は分かりません。あれはフラッシュクラッシュです。テクニカルな要因が重なって起きたことだと思います。

日銀のせいにするのはばかげています。たった0.25%の利上げですから。

「相場が急激に上がりすぎていた」「米国の景気が不安視された」等、複合的な理由だと思います。

私は暴落の原因を詮索するのは無意味だと思っています。

数々の危機を乗り越えてきた投資哲学とは

清原さんのファンドは25年間、日本株に投資をおこなってきました。

その最終的な運用パフォーマンスは9341%。最初に100万円投資していれば、9341万円になっている計算です。

しかし、そこに至るまでの道のりは決して平たんではありませんでした。

清原さんはこの間、ITバブルの崩壊やリーマンショック、パンデミックなど数々の試練に直面し、乗り越えてきました。
(渡部)
リーマンショックの後、清原さんのファンドでは顧客の解約が相次ぎ、未曽有の危機に直面しました。

当時、清原さんはみずからの財産をすべてファンドに投じたそうですが、どういう心境だったのでしょうか。
(清原)
顧客のことしか考えていませんでした。地獄につきあってくれる顧客なんてありがたいとしか言いようがありません。

とにかく残ってくれている顧客がいるかぎり、ファンドを破綻させるわけにはいきません。破綻を防ぐためにできるかぎりのことをしようと必死でした。

しかしパフォーマンスはどん底でも「なんとか破綻は防いだ」時点で私の心は晴れやかでした。
(渡部)
プレッシャーやストレスとどう向き合っていましたか。
(清原)
酒を飲んでごまかしていました。
(渡部)
投資を行うにあたり、たとえ失敗しても復活するために必要なことは何ですか。
(清原)
「失敗しても」というのが「相場が暴落しても」という意味なら、暴落した時できるだけ株を売らないことです。

諦めたらそれで人生おわりです。いつも「次は勝つぞ」と思ってやってきました。一種のギャンブル中毒かも知れませんね。
(渡部)
失礼かもしれませんが、清原さんは楽観的な人柄ですよね。
(清原)
もともと若いときはとても悲観的な人間でした。楽観的になるよう「相場に教えられて」きたのかもしれません。

結局、人類は進歩し続けているのです。なんだかんだ言っても。だから悲観的になるより強気でいる方が得なのです。
(渡部)
投資先を決める際に社長に直接会うことを大事にしているそうですが、それはなぜでしょうか。
(清原)
「社長に会う」というのは小型株の話です。小型株は人的なリソースに乏しく社長が頼りです。

社長のガッツと能力で会社の成長性が決まります。私は社長に会ったとき必ず「ことしの入社式の時、何を話されましたか?」と聞くようにしていました。

新入社員は中小企業にとって宝物です。「忘れた」とかいうのは論外です。

逆に大型株では優秀な人材はいっぱいいますので、別に社長に会わなくても投資できます(会ってもくれないでしょうけど)。

清原さんが評価する日本企業の変化

バブル崩壊後、低迷を続けていた日本経済。しかし清原さんはバブル崩壊を機に“正しい道を歩み始めた”と考えています。
(渡部)
ファンドを運用する25年間は失われた30年に重なります。その間、日本経済をどう見ていましたか。
(清原)
私は「失われた30年」だとは思っていませんし、何が失われたのか私には分かりません。

失われたとすれば「日本の半導体産業」ですかねえ。あとは特に失われて国家的な損失を被った分野はないと思います。

1980年代の大きな過ちからこれまで時間をかけて日本はまともになってきた、というのが私の感想です。

1980年代は上場企業のガバナンスゼロの時代でした。少数株主の利益は無視され、各財閥がメンツのためにしのぎを削ってむだな設備投資を繰り返していました。

結果業績を悪化させ傷んだBS(バランスシート)を修復するため、株式を発行し、一株当たりの企業価値を毀損する繰り返しでした。

1990年にバブルが崩壊、日本は正しい道を歩み始めました。
(渡部)
日本企業のガバナンスの変化について、どのように評価していますか。
(清原)
とても評価しています。ガバナンスは180度変わりました。日本の株式市場に私がポジティブな一番の理由です。

企業の統合が進みむだな設備投資もなくなり今では増配、自社株買いが当たり前の世の中です。

日本企業、株式市場は、時間はかかりましたが1980年代と比べると、とても立派になったと思っています。

さらに欲張って日本企業に何か期待するとすれば「さらなる経営統合」でしょう。

「内需の減少」「海外市場の開拓」この二つの問題に対処するには規模が必要です。

まだ上場企業の数が多すぎると思っています。成長したいと思えば海外なのですが小さいままでは海外に手が回りません。

大きくなって体制を整えないといけません。
(渡部)
日本株の現在の状況は、過去のバブルとは異なっていますか。またどういう点で異なっていると考えていますか。
(清原)
全く異なっています。1989年12月にピークを打ったバブルではPER(株価収益率)は60倍もあり、当時の金利は下がったといえ10年物の国債で2%程度はあったと記憶しています。

今はPER16倍程度、10年国債の利回りは約1%です。今の日本株はバブルから程遠い状態にあります。

また決定的な違いとして1980年代の日本企業はガバナンスがひどく100点満点で言えば0点で、少数株主の利益は完全に無視されていました。

それが今では真逆の状態。80点で十分合格です。1980年代後半の投資環境は最悪でしたが、今は良好な投資環境下にあると思います。
(渡部)
一般の人はどのように投資とつきあっていけばいいのでしょうか。
(清原)
私は投資がまだブームになっているとは思っていません。相変わらず個人の金融資産に占める預金の比率が圧倒的に高いのです。

日本株の配当利回りは預金金利より圧倒的に高いわけですから、ある程度は株式投資に回すべきです。

株を買った後、大きく下がった時動揺して売らないことが大切です。下がれば「これで上がる確率が増えた」とでも思っていてください。
(渡部)
今後の市場の展望をお聞かせください。
(清原)
私のマクロの予想は当たりませんが一応こう考えています。

2年後の予想で政策金利(短期金利)0.5%、10年国債金利1.5%、ドル円130円/$。

日本の株式市場では、これまでの相場の上昇が急すぎたこと、また暴落も一時的とはいえ大きかったことを考えればしばらく投資家は「おっかなびっくり」で、相場は戻しては下げるのを繰り返すのでしょうけど「下値切り上げ型」でじわじわ上昇していくと見ています。
(渡部)
日本のGDPは4位に転落しました。日本経済は今後成長できるのでしょうか。
(清原)
日本は人口減少局面に入っているので、GDP成長率とかを目標にしない方がいいと思います。

大事なのは「一人当たりのGDP」です。GDPを目標にするなら、外国人労働者をのほうずに受け入れればいいだけの話です。

一人当たりのGDPを伸ばすためには、付加価値の低い仕事をロボットに任すか、IT技術で生産性を上げることが重要ですがそれは可能でしょう。
清原さんがファンドの運用を始めた1998年、この年の新語・流行語大賞には「貸し渋り」や「日本列島総不況」がランクインしていました。

それから引退するまでの25年間、日本や世界は大きく変わりました。

清原さんはどんな思いで市場と向き合ってきたのか、そして今の日本経済をどう見ているのか、短い時間でしたが、その考えに触れることができる機会となりました。
(聞き手:おはBiz 渡部圭司キャスター、取材・制作:政経・国際番組部ディレクター 村上由和)

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