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「治療は受けないでいるより、受けた方がずっといい」 故ジャニー喜多川氏に「人生を破壊された」二本樹顕理さんが歩み始めた性被害の絶望からの回復

菊地香・毎日新聞医療プレミア編集部
国連人権理事会の「ビジネスと人権」作業部会のヒアリングを終え、取材に応じる二本樹顕理さん=大阪市東淀川区で2023年7月28日午後7時50分、滝川大貴撮影

 被害補償受付窓口への申告者は996人(8月30日現在)――。旧ジャニーズ事務所(現「SMILE-UP.」=スマイルアップ)創業者、故ジャニー喜多川氏による前代未聞の性加害問題を受け、同事務所が記者会見をしてから9月7日で1年になる。被害を公にした元ジャニーズJr.の二本樹顕理さん(41)にとっては道なき道を走り続けた日々だった。現在は子どもへの性暴力根絶を目指して活動しながら、トラウマを軽減すべく本格的に治療を進めている。「日本『性とこころ』関連問題学会」の学術研究大会で講演もした二本樹さんに、どのような変化が訪れているのだろう。

「これ以上、沈黙を続けることはできない」

 「被害を告白してからは、人生が全く違うものになってしまった。信じられないことの繰り返しで、嵐のような日々でした」(二本樹さん、以下同)

 二本樹さんがジャニー喜多川(喜多川擴=きたがわ・ひろむ。以下、喜多川)氏から受けた性加害をメディアで公にしたのは、昨年5月のこと。事前に医師や弁護士に相談することも両親に告げることもなく、顔と実名をさらした。

 それまで被害のことは、2014年に結婚した妻など、ごく一部の人に伝えてきたにすぎなかった。「週刊文春」の報道をめぐる民事訴訟で04年、喜多川氏による「性加害」記事の重要部分を真実と認定した東京高裁判決が最高裁で確定しても、ほとんど報道しないメディアを前に「自分が声を上げても、城壁に向かって小石を投げるようなもの」と希望を失っていた。相手は11年に、最も多くのコンサートや「第1位のシングル曲」をプロデュースした人物としてギネス世界記録にも認定されたエンタメ界のカリスマである(※①)。

 だが、昨年3月に英国の公共放送BBCが喜多川氏の性加害に切り込むドキュメンタリーを配信し、4月に元ジャニーズJr.のカウアン・オカモトさん(28)が記者会見で被害を明かしている姿を見て、気持ちが固まった。

 「もう、これ以上、沈黙を続けることはできないと思った。昨年2月に子どもが生まれたことも背中を押してくれました」

 日本でも、性加害が人権侵害であるという意識が根付いてきた。17年の改正刑法では、男性もようやくレイプの被害者として認められることになった。確実に世間の理解は進んでいる――そう感じていた二本樹さんを、しかし、おびただしい誹謗(ひぼう)中傷が襲う。

 <なぜ今さら>

 <うそつき>

 <売名だ>

 <ジャニーさんは素晴らしい人物だった>

 <加害行為なんてなかった>

 「フラッシュバックに耐えて告白し、ただでさえ不安で孤独だったところにネット上の書き込みを見て、さらに落ち込みが強まりました。妻の顔写真まで流出した時は怖くて眠ることもできなかった。被害を訴えてこんな目に遭ってしまうのだったら、誰も被害を訴えられなくなる、と。励ましや共感の言葉もたくさんいただいていたのに心が折れ、うつ状態になりました」

国連のヒアリングで見た先輩の涙

 だが、二本樹さんは表に出ることを選んだ。

 メディアの取材を拒まず、児童虐待防止法の改正を求めて署名活動を行い、立憲民主党のヒアリングに応じた。昨年6月には元ジャニーズJr.の中村一也さんらと「ジャニーズ性加害問題当事者の会」を立ち上げる(※②)。「被害者の会」とせず「当事者の会」としたのは「被害を認めたくない人でも参加しやすいようにするため」。来日した国連人権理事会の「ビジネスと人権」作業部会による聞き取りも受けた。

 「作業部会のお二人はとても親切で、温かな言葉をかけてくださいました。当事者の会代表だった平本淳也さん、メンバーの志賀泰伸さんと同席しましたが、先輩方がボロボロと涙を流しながらヒアリングに答えていた姿が忘れられません。やっと光が当てられたと感じました」

 「小石」は数を得て「城壁」を揺るがし始めた。8月にはジャニーズ事務所が設立した「外部専門家による再発防止特別チーム」が調査報告書を公表し、9月には事務所が会見を開く。喜多川氏による性加害が認められ、東山紀之社長や藤島ジュリー景子前社長から謝罪が述べられた。

 さらに事務所は「SMILE-UP.(スマイルアップ)」に社名変更し、被害者の救済や補償に専念した後に廃業することを決定。一方でタレントのマネジメント業務などは新会社「STARTO ENTERTAINMENT(スタートエンターテイメント)」に継承されることになった。「被害者救済のための道筋を開くという、当事者の会の当初の目的が達成された」と考えた二本樹さんは当事者の会をやめ、次の構想を実現させる。

 子どもたちを性暴力から守り、暴力を根絶するための活動だ。

 12月、前出の中村さんをはじめ飯田恭平さん、大島幸広さん、長渡康二さんと共に「1 is 2 many 子どもへの性暴力を根絶するAction Plan」、通称「ワニズアクション」を立ち上げる。

 「『性被害を受ける子どもは1人でも多すぎる』という意味を込めました。スタート社に所属する方とも連携し、一緒に活動できたら大きなうねりになるし、私たち当事者の孤立感も軽減されると期待していましたが……現実は難しいものですね。手探りではありますが、政策提言や啓発活動を続けていきたい」

「5分診療」で心療内科医にも明かせなかった被害

 東京電力福島第1原発における労働慣行やマイノリティーに対する差別などとともに、国連が注視する旧ジャニーズ事務所の性加害問題。今年5月には前述した国連人権理事会の作業部会が調査報告書の中で、同問題について「深い憂慮」を示した上で、日本のメディアとエンタメ業界の環境は「不処罰の文化を助長する」――と指摘した。6月、二本樹さんはスイス・ジュネーブの国連欧州本部に飛び、人権理事会の会合で性加害の撲滅を訴える。その足で東京に向かい、同29日、「日本『性とこころ』関連問題学会」学術研究大会(大会テーマ/性被害からの回復)に出席し、およそ300人を前に性加害をめぐる構造上の問題点を挙げ、被害回復についての具体的提言などを行った。

 そこに至るまでには大きな決断もあった。4月に大阪を離れ、妻の故郷であるアイルランドに移住したのだ。

 「誹謗中傷が妻にも及んだため、やむを得ない判断でした。妻はいまだに『日本に行くのは怖い』『行きたくない』と言っています」

 首都ダブリンから車で数時間離れた小さな海辺の町。昨年11月、大阪府警に被害届を出しても、当事者の会の仲間が自ら命を絶っても収まらない中傷や、旧事務所のタレントが何事もなかったように出演するテレビ番組から距離を置き、告白前の生活を取り戻すつもりでいた。ところが――。

 「アイルランドに来た途端、とにかく無気力と、ひどいうつ状態になってしまって……。燃え尽きたように、もう、生きていたくないというぐらいの状態になりました。嵐のような1年間を通過して、どっと疲れが出たのか、ベッドの上からしばらく身動きが取れなくなったのです」

 無理もない。「嵐のようだった」のは、この1年ほどに限らず、被害を受けた25年以上前から続いてきたのだ。

 事務所に入所したのが1996年の夏。13歳で、デビューを目指してレッスンしながら芸能活動を行うジャニーズJr.の一員になった。3カ月ほどが過ぎた頃、喜多川氏から東京・赤坂の高級ホテルに泊まっていくよう勧められる。その夜、ベッドに忍び込んできた喜多川氏から性加害を受けた。「初めての性的体験で何が起きたのか分からず、パニックになりました」

 その後も加害はやまず、回数が増えるにつれて仕事の出番は増えた。行為の後には決まって喜多川氏から1万円。中には6万円をもらったと言うJr.もいて、性加害は事実上、「デビューのための通過儀礼」と化していた。

 だが、中学の休みを利用して参加した学園ドラマ「それが答えだ!」のロケで、痛烈な違和感を覚える。「他の事務所のタレントと違って、なぜ自分は、こんな嫌な思いをしてまで仕事をしなければならないのだろう」。雑誌の取材にはロケを「修学旅行みたい」と笑顔で答えていても、気持ちは乖離(かいり)していた。

 被害は10回ほどを数え、15歳で事務所を退所。それからは喫煙し、非行に走った。警察に補導されたのも一度や二度ではなかったという。

 「ものすごい理不尽だと思うのに声を上げられなかった自分に怒りを抱いていました。社会に対する不信感も非常に強くて、行き場のない感情を持て余し、グレるしかなかったんです」

 二本樹さんの様子を見かねた会社員の父親は異動願を出し、99年に一家で米国に移住したが、被害のことは両親にも言い出せなかった。ポップロックバンド「No Curfew」にギタリストとして加入し、後にグラミー賞を受賞する通称サンダーキャットらと共にメジャーデビューを果たしても心は埋まらず、置き場のない感情にとらわれた。自己肯定感が低下し、「死にたい」と考える日々。次第に引きこもることが増え、バンド解散後に進学した米国のバークリー音楽大も中退を余儀なくされた。

 実は20代でカウンセリングに救いを求め、30歳の頃には心療内科も受診したことがあった。だが、被害のことはカウンセラーに明かせても、心療内科医には伝えることができなかったという。

 「初診ではゆっくり話を聞いてくれても、2回目からは5分10分の診療。とても切り出す余裕がありませんでした。処方された抗うつ剤など複数の薬も合わず、日中、布団から出られなくなったのです。自分が全く機能しなくなった感じで、あまりにつらく、服薬も通院もやめてしまいました」

 以来、継続的な治療からは遠ざかっていた。だが、今春から公認心理師のカウンセリングと心療内科医の診察を定期的に受けるようになった。

 「先生は日本の方なので、オンラインで受診しています。抗うつ剤と睡眠薬を処方していただき服用を始めたら、10日ほどして少しずつ気持ちが上向きになってきました。ただ最近は効き目が弱まってきたので、抗うつ剤を倍増することになりました。睡眠薬は飲むと、起きるのがつらくなってしまいます」

 処方された抗うつ剤はSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)といわれるタイプで、精神安定に関わる脳内の神経伝達物質セロトニンを増やす働きを持つ。

「今、あなたが安全なところに…

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