戦争中に予科練から特攻隊を志願した安藤は、アジアに深い思いを持っていた。

「戦争中の大東亜共栄圏じゃないですけど、日本と全東南アジアが手を携えるみたいな構想がありました。そういう時に安藤のおやじは、俺はフィリピンを受け持とうと決めた。日本で車検の切れた消防車を持って行くことを考えたんです。フィリピンは財政状態が良くなくて困っていたところに援助したんですよね。そういうことを官僚や政治家に代わって考えていました」

フィリピンでは、安藤昇は最高の礼をもって迎えられた。

「安藤のおやじが『俺は今度、フィリピンへ行くんだ』って。で、フィリピンの空港へ着くと、そこからマラカニアン宮殿まで先導車でダイレクトに入っていけたそうです。『俺は国賓なんだよ』っていってました。とにかく桁違いの発想と腹をくくられた、頭の回転の素晴らしい方でした。今、渋谷の街を歩くと、安藤昇が作ったとなんとなく思い浮かぶね。109の裏側とか坂の上の方とかね」

安藤昇は2015年(平成27)12月16日に89歳で亡くなった。翌年2月28日に東京・青山斎場で「安藤昇 お別れの会」が行われた。

「誰が弔辞を読むかと言うことになってね。監督は佐藤純弥さんが体調悪いってっていうことで、中島貞夫さんが監督代表。次に俳優代表の弔辞は、生きていれば菅原文太さんだった。文太さんが、一番安藤さんに面倒を見てもらってた。生きてこれたのは安藤さんのおかげだっていう文太さんが亡くなってた。それで松方弘樹さんは、その時に愛知県の春日市で歌のショーが入っていた。梅宮辰夫さんは体調が悪くてダメだった」

(続く)

◆堀田眞三(ほった・しんぞう)1945年(昭20)10月20日、熊本県御所浦町(現天草市)生まれ。63年第11期東映ニューフェース。64年映画「くノ一化粧」で俳優デビュー。70~72年TBS「キイハンター」。73年映画「やくざと抗争 実録安藤組」。79~80年TBS系「仮面ライダー」。10年(平22)NHK大河「龍馬伝」。176センチ。血液型O。