第6話 いざ修行

 燈真が背中に名誉の傷を負って四日後の木曜日、椿姫と光希は学校があるので自転車を漕いで村立魅雲高等学校へ向かった。

 稲尾家が所有する鬼岳がある村の北西部から高校までは、自転車で約四十分。北の霊山——魅雲連山の山中にある魅雲高校は、特別進学校を自称しているわけではない。就職案内も、大学への進学指導もある。ただそれだけの普通の高校だ。ただ、中学校を附属しているという点は特殊だろう。中高一貫校というわけだ。

 一般的な高校と異なるのは、生徒の大多数が妖怪で、実年齢がみんな違うこと。

 例えば椿姫は六十七歳だし、光希は六十五歳だ。中には、二〇〇歳を超えた生徒もいる。そういう高校なのだ。

 教師陣も若くして大学を出た、七十代の先生もいるし、見た目も変化の応用でどうとでもなるから少年のような外見の教師から、威厳ある老婆の教師もいる。

 

 校訓は「青く輝き、溌溂はつらつと」。全校生徒の数は。三六〇人弱。一学年三クラスで、一クラス四〇人である。村の高校なので、これでも多いほうだ。村自体が人口四万人という破格の人口であるがゆえである。

 椿姫は昇降口で上履きに履き替え、一年二組に向かう。朝の爽やかな空気が吹き抜けた。外からは野球部の掛け声が聞こえてきて、体育館からはバスケ部とバレー部、卓球部の活発な声が聞こえてきた。

 運動場は二つ。グラウンドと、第二グラウンド。第二グラウンドではサッカー部や陸上部が活動していることだろう。

 椿姫は退魔師をやっているので帰宅部である。卒業後も、退魔師一本で生きていくつもりだ。本当なら高校だって通うつもりなんてないが、伊予が「高校くらい出なさい」とうるさいので、渋々受験した。

 とはいえやるからには物事を徹底する椿姫は、先の中間試験で学年一位の成績を取った。頭脳明晰、運動神経抜群——玉に瑕なのは自信過剰なことくらいだと、少し自覚している。


「椿姫、おーはよっ」「おはよ」

「おはよ心音ここね、チッカ」


 後ろから抱きつくように挨拶してきたのは二尾の猫又の|霧島心音、それからクールに近づいてきたのはハーフエルフの亜川あがわチッカ。クラスメイトの友人だ。心音は苗字からも分かる通り、万里恵の実の妹である。歳は離れているが、万里恵の心音への猫可愛がりは尋常ではない。そんな姉を、心音はどうも時々鬱陶しく思うらしい。

 艶やかな黒髪を揺らす心音は購買に行っていたのか、手に菓子パンを持っている。チッカは、金色の粒子が舞うような髪をかき上げ、紙パックのコーヒー牛乳を見せてきた。

 チッカはイギリス人の母親を持ち、日本人の父を持つ。種族的にも民族的にも二重の意味でハーフだった。ちなみに、父親は退魔局に勤める内勤の局員だった。


「ちょっと元気あり気味? なんかいいことあった?」

「ん? 別にそんなことないけど?」

「……彼氏でもできたか? 気になるな、椿姫のお眼鏡にかなう男っていうのは」

「そんなわけないでしょ。ただ、弟弟子が増えただけ」


 何気なくそう言って、教室に入る。まばらに席に座る連中にまとめて挨拶して、椿姫は席についた。

 心音とチッカは周りに集まって、先んじて購買で買ってきた菓子パンやコーヒー牛乳を手に会話に興じる。


「弟弟子って、光希君のこと? あ、増えたってことは別人か。そういやお姉ちゃんがメールでなんか言ってたなあ」

「屋敷に新入りが入ったってことか。柊様の弟子なんて、凄いじゃないか」


 チッカの言う通りだ。椿姫は頷いて、


「そう。ちょっと根性があって見込みがあるから、柊が熱を込めて鍛えてんだよね。先祖が妖怪の子でさ」

「へ~。お姉ちゃんに詳しく聞いてみようかな」と心音。


 少し遅れて、光希が教室に入ってくる。「おっはー」と言いながらやってきた彼に、クラスメイトはそれぞれ挨拶を返した。

 彼はB1サイズの大きな作品を紙袋に入れて携帯していた。美術部で出す作品だろう。ここ最近ずっと描いていた水彩画だろうか。

 荷物を置いた後、友人(というか悪友)の神崎雄途かんざきゆうとという人間の少年を伴って教室を出ていく。雄途は髪を橙色に染めており、制服は夏服の半袖のカッターシャツにネクタイを巻かないスタイルだった。妖怪の高校だからというか、この辺はゆるいのが魅雲高である。彼らは文化部棟へ向かい、作品を美術部室に置いてくるつもりだろう。


 椿姫はみんな青春してるな~とか思いながら、心音が半分分けてくれたクリームコッペパンをかじり、家で修行に励む燈真のことを考えた。


×


 同日 七月十八日木曜日 午前十時半


 燈真はほぼ四日で傷を快癒させていた。恐ろしいほどの治癒力だが、燈真自身の生命力は先祖に妖怪がいるからなのと、包帯に妖力で育った薬草を使ったのと、しっかり食べて眠っていたからだろうと柊は判断していた。

 傷跡はしっかり残った。背中の傷は男の恥だが、燈真にとっては可愛い弟分を守った勲章である。その弟分は、現在居間で勉強中だ。


 柊と燈真は敷地にある道場に来ている。開け放たれた窓という窓から山を吹きおろす風が吹き抜け、ゆるりと構えた柊が「かかってこい」と言う。

 燈真は左をリードしたファイティングポーズを取り、「なら、本気でいくぞ」と言って挑み掛かった。


 踏み込みと同時に左のジャブ。柊は後ろに下がりつつ燈真の拳を平手で弾き、前蹴りを放った。燈真は腹に力を込めて直撃を防ぎ、息を止めて痛みに耐える。


「お主は攻撃を避けんのか? いや、受ける癖があるのか……」


 何かを思案する柊に、燈真はすかさず肩から突進。前に出した右肩に左腕一本を添えた彼女はベクトルを逸らして向かって右斜めに軌道をズラし、右拳を燈真のどてっ腹に捩じ込んだ。

 うぷ、と胃の中身を吐き出しかけた燈真はすぐに口を押さえてそれを飲み下し、左の裏拳で柊の顔面を狙った。しかし容易く右腕にブロックされ、ローキックが右脹脛を打つ。


「ぐっ」


 苦鳴を漏らして体を折った燈真の腕を掴み、柊は見事な一本背負いを決めた。

 背中から頑丈な板の間に叩きつけられた燈真は肺の中身の酸素を絞り出すように「かはっ」と悲鳴をあげ、そのままダウンした。


 まさかの秒殺である。

 今まで喧嘩なら負けなしの燈真が、開始一分も待たずダウンした。


「くそ……」

「思い切りはいい。だが受ける癖は直せ。攻撃をもらった時の硬直で簡単に追撃を許す」

「受け止めてカウンターした方が早い」

「魍魎の攻撃を受け切れる自信でもあるのか?」

「それは……」


 柊に腕を引き上げられ、燈真は一気に起き上がった。

 言われてみれば確かにそうだ。

 魍魎の中には、以前竜胆といるところを襲ってきた異口イグチのような人型以外にも、獣のような外見のものや、そもそも大きさが桁違いなものも多い。

 そんな大質量の攻撃を、そして瘴気と妖力を秘めた攻撃を受け止め切れるかと言えば——現状の自分では、ノーだ。

 相手は人間ではない。掛け値なしの化け物なのだ。常識的な考えは、ほとんど通用しないと見ていいだろう。


「お主はまず妖力の基礎操作を学ばねばな。何、時間はいくらでもある。妾が手取り足取り教えてやろう」

「頼みます、お師匠様」


 燈真はわざとらしく言って、フッと笑った。


「もう一本頼む」

「よろしい。次は一分以上は耐え切ってみせよ」


×


 燈真は道場の裏手にある井戸から水を汲んだ。道着を脱いでパンイチで、頭からしゃっきり冷えた水をかぶる。肌が縮むような感覚がして、ほてった体が冷えていくのを感じた。

 あれから結局散々殴られ、蹴られ、投げ飛ばされ——休憩を挟んで行った都合十回の組み手で一度も勝てず、せいぜい長くて三十秒耐えるのが精一杯だった。

 攻撃を避けることに集中すると、こちらの攻め手にかけて相手の行動を制限できなくなり、一気に畳み掛けられるという問題が出来するなど、あらたな課題が生まれた。


 柊は汗ひとつかかず、「午後からは妖力操作の修行に移るぞ」と言って、屋敷に戻って行った。

 バスタオルで水気を拭い去って、燈真は黒のジャージに着替えると、屋敷へ戻る。


「精が出るわね、燈真君」

「貝音。……まだまだ初日だけど、やる気は削がれてない。むしろ柊の吠え面を見たいくらいだ」

「いいわね、それ。私も悔しがる柊は見たいかも」


 石べりに腰掛けた貝音はそう言って、微笑んだ。燈真は彼女に別れを告げて踵を返し、玄関に向かう。

 靴箱に草履を入れて、洗面所で手洗いうがい。喉が渇いたので厨房に向かう。


「ねーひいらぎー、わっちおにくたべたい」

「肉ばかりでもダメだろう。栄養が偏る。……昼は、鮭炒飯にしよう」

「しょーがない、だきょうしよう」

「生意気なやつめ、もふり倒してしまうぞ」

「いやん」


 厨房では、柊が冷蔵庫から昼食の材料を取り出しながら牛乳を飲んでいる菘と話していた。

 そう言えば今日は村の集まりで伊予がいないんだったか。料理が出来る者が柊しかいないのである。言うまでもないが、燈真に料理は難しい——まあ、具材を切って素を入れて炒めるだけのものなら、なんとか出来るが。

 万里恵はといえば、多分散歩かなんかだ。猫なので気まぐれであり、彼女が普段何をしているのかを知るものはほとんどいない。まあ、本来の姿は猫ではなく黒豹らしいが。


「とうま、どうしたの?」

「麦茶もらいにきた」

「ぎゅうにゅうは?」

「牛乳……。そうだな、牛乳でいいか」


 菘が冷蔵庫を開けて牛乳パックを取り出した。「りへんのまきば」という、この地方に会社を持つ牛乳だ。燈真は棚からタンブラーを取り出し、牛乳を注いでもらう。


「ありがとな」

「どもども」


 その様子を見ていた柊が微笑みながら、調理に移った。

 中華鍋を取り出してレタスと椎茸、にんじん、ピーマンをみじん切りに刻み、狐火で焼き上げた鮭の身をフォークでほぐす。

 油を引いて熱した中華鍋に片手で卵をいくつか割り入れて手早くかき混ぜて具材を投入、冷やご飯を入れてガンガン叩くようにしてパラパラに仕上げていく。

 燈真は牛乳を飲みながらその様子を見ていた。

 この家の家主とはいえ、三十四代も子孫繁栄を見守ってきた存在だ。そりゃあ、料理くらいはできるか……そう思いながら、燈真は柊に先んじて皿を取り出して並べておいた。今日家にいるのは燈真、菘、竜胆、そして竜胆、貝音の五人。皿は五枚出す。


「気が利くな」

「まあな」

「椿姫に似てきたか? ま、自信家なくらいが退魔師にはちょうどいいがな」


 柊はお玉で掬った炒飯を盛り付けた。手早く五人前の炒飯を調理した柊は、中華鍋を流しに入れて水を入れる。


「さ、食うぞ」


 燈真と柊で二皿ずつ持ち、居間へ。菘が一皿貝音の分を持って、外に出た。

 居間では竜胆が勉強をしていた。中学二年生向けの教科書と参考書、それからノートを広げてシャーペンで問題を解いている。彼は高校を出たら退魔局で働きたいと言っていた。戦闘員として退魔師になるより、局員として皆を支える仕事をしたいという。竜胆らしい志だった。

 モニターからはネットモフリックスの特撮ドラマのタコ仮面が流れていた。さっきまで菘が見ていたのだろうか。


「竜胆、飯だぞ」

「もうそんな時間? すぐ片付けるよ」


 勉強道具を片付けた竜胆の席に炒飯を置き、隣に座る。戻ってきた菘は椿姫がいないので燈真の隣に座り、燈真は稲尾兄妹に挟まれる形となった。

 

「それじゃー、いただきまーす!」

「「いただきます」」


 レンゲを手に、燈真は鮭炒飯を頬張った。味付けは塩胡椒と醤油とシンプルなもので、飾りっ気のない質素な味わいであるが、美味い。鮭は甘塩だったようで、別段塩っ辛くはなっていない。

 レタスのシャキシャキ感とピーマンの食感、椎茸から滲む出汁が旨味を引き立てている。ご飯も一粒一粒に卵が絡みつき、黄金色をしていた。


「うみゃい」


 菘もご満悦だ。

 しばらく夢中になって食事をして、燈真は療養というにはぴったりの環境だなと思った。

 具体的に何がどうとは言えないが、あくせくする必要がないというのが本当に心が穏やかになる。急ぐ必要のない環境というのは非常に居心地が良く、心の凝りがほぐされていく感覚がした。


 そうやって、燈真たちはのんびりと昼時を過ごすのだった。

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