表現者はオタクの系譜にあると思う
「オタク」って何だろう?
都合のいい過去改変をするが、僕は僕自身のことを「オタク」と言ったことがない。
なぜなら「オタク」を称するには、至らない点がまだまだある人間だと思うから。
そもそも僕は「何オタク」なのだろうか。
プロフィールには「マンガ・アニメ・音楽・歴史・お笑い」など好きなものを並べているが、どれも「オタク」と言えるほど知らない。
「じゃあアニメの中で『銀魂』なら”オタク”を名乗れるんじゃないか?」
これもまたしっくり来ない。
確かに好きだ。
僕をアニメやマンガにハマらせた作品で、思い出深い作品である。
しかし「銀魂オタク」を名乗れるほど読み込んでないし、グッズやイベントにお金を落としてないし、なんならマンガを持ってない。
巻数が多くて一歩を躊躇してる。
「じゃあ『かぐ告』はどうだろうか?」
マンガ持ってる、アニメも見た、何周も。
それでも「かぐ告オタク」ではない。
アニラジを聞いてない、イベントにも行ってない、ずっと熱を持って接してるわけじゃない。
僕にとって「オタクを名乗る」のは腰が重いことだ。
岡田斗司夫さんの『オタク・イズ・デッド』という動画を見た。
これによると「オタク」というものは消滅したらしい。
「自分〇〇オタクなんで」と自称する人はいるし、「お前めっちゃオタクだな」という言葉もまだある。
しかし「オタク」という言葉によって表されていた固定観念はもうないと。
今で言うと「陰キャ」がそれに代わる言葉だろうか。
何かに熱中するオタク気質があって、内向的で、少人数を好み、のし上がりよりもプライベートを大事にする感じ。
話が逸れたので修正すると、「オタク」というものがもう無いと。
そして無いものをあるように認識して「それって何だろう」と疑問に思うことほど意味の無いものはないよね。
つまり最初に書いた問いは、今や回答不可で問いですらない。
それなのに、なぜかあるように思ってしまう。
そしてそれが「すごいもの」のように見えるし、僕はそこまで辿り着いていないように思う。
言うなれば「オタク原理主義」だろうか。
「オタクであるならば、オタク文化のすべてを知っていなければならない」
岡田さんが言っていた「オタクの定義」を基準として、それに倣おうとする感じ。
「原理主義」というか「懐古厨」かな。
「原理主義」は絶対的な正しいものがあるから成立する。
だけど「オタク」の絶対的な正しい定義なんて無い。
聖書みたいに文字おこしされてるものじゃないから。
かつて「オタク」とされてきたものは、時代と共に変化して壊れていった。
変化して壊れたものは、もう元には戻らない。
僕らは「オタク」という共通意識を失い、各々で「自分のスキ」を突き詰めることが求められている。
そう考えると「スキをつらつらと書く」という僕のnoteは、一番オタクなんじゃないだろうか。
これはただ「流れがきれい」ってだけで、「これがオタクだ!」というものではない。
というかそんなに仰々しく定義付けして、権威付けるものでもない。
好きであればいいし、それを表せばいい。
表現者であればいい。
以上!くろだでした。
読んでくれてありがとうございました。
スキやコメント、フォローをよろしくお願いします。
ではまた👋
【くろだSNS】
note・・・kuroda_letsgotd
X・・・@Kuro_723da
Threads・・・kuro_723da
【くろだについて】
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?
コメント