井の中の蛙、大海を知って、井に戻る。
どうも、tokusanです。
三週間ぶりの投稿です。お久しぶりです。
「井の中の蛙、大海を知らず」
ということわざをご存知でしょうか。
井戸の中で生きているカエルは、広い海を知らないということから、
狭い世界だけで生きている人は、広い世界を知らず、視野が狭い
と、ネガティブな用途で使われることがしばしばあります。
一応、ことわざの続きとして、
「されど空の深さを知る」
という節が続くみたいで、専門的な知識の深さには辿り着ける、というポジティブなところに落ち着くらしいです。
(中国から入ってきたものに日本人が付け足したらしい。)
そんなことは今回どうでも良くて、何が言いたいかというと、
大海を知っても、その大海が良いとは限らなくね?
ってことです。
大海=良いもの 井=悪いもの
この公式は果たして正しいものでしょうか。
もし海水が肌に合わなかったら、井に戻ったほうが健康的ですよね。
でも、大海に出て、素晴らしく美しい珊瑚礁に出会えたり、別の土地の肌に合いそうな井を見つけられたらラッキーですよね。
私は大海も井も否定しません。どちらも良いと思います。
でも、選択肢を狭めて自分を苦しめているなら、視野を広げてみても良いのでは?という話です。
大海に出る前に、井の中で、自分の善し悪しの価値観を考えておかないと、大海で溺れ死ぬ可能性はありますが。
ちなみに、この議論を世界情勢に当てはめて難しく考えると、
グローバリズム(大海)かナショナリズム(井)かの議論に発展しますが、
私は、グローバルを知ったナショナリストが最も良いと考えてます。
(もはやそれはナショナリストではないかもしれないが。)
世界はもう、どうあがいてもグローバル化が起きています。
Twitterを開けばグレタトゥーンベリのストライキ活動を見れるし、パソコンは外国からのサイバー攻撃にウァイアウォールで対処しなければならない。
世界で起きている気候変動やテロ、難民などの問題も、もはや狭い地域で起きている問題ではなく、地球上に生きる人類には少なからず直接的な関わりのあるものです。
昨今ではグローバルな視点で物事を考えることは全人類に強いられています。
ですが、人が幸せに生きるには、近隣の家族や友人や地域コミュニティなどのナショナルな関係性のほうが重要です。
ナショナルに生きながらグローバルを考える。物凄い難解な時代に生まれてしまいました。
この記事を見ている方々はこの時代に生まれ落ちた戦友です。ともに戦いましょう。
要するに、世界で何が起きているか?という課題を視野に入れておきながら、自分の足元で出来ることは何だろう。を実践する、グローバルを知ったナショナリストが増えていくと、世界平和にも辿り着けるのかなぁ、と思ったり。
世界平和なんてあり得ないのかもしれませんけどね。わかりません。
なんにせよ、今回の記事で言いたかったのは、
視野を広げていこう。そして、自分の価値観で考えて行動しよう。
という話でした。
それでは、また
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