創業・享保9年
「ノックアウトハンマー(以下、KOハンマー)」を生んだのは、東京都台東区に本社を構える株式会社増田屋コーポレーション。1724年創業の老舗玩具メーカーである。
……今、うっかりスルーしそうになったけど、1724年創業ということは今年で創業300周年である。3世紀……!?
1724年は和暦でいうと享保9年。あの「享保の改革」の享保だ。徳川吉宗が目安箱を設置したころじゃないですか。
現在KOハンマーは、「KOハンマー」と「ミニKOハンマー」の2サイズが発売されている。年間の販売個数は約15,000個。
以前はもう1サイズ小さい「ミニミニKOハンマー」があったが、「物流のコストが合わなくなってやめちゃった」とのこと。
叩くと「ピコッ」とファニーな音が轟く、あのハンマーである。国民のほとんどが知ってるツッコミ手法のひとつではないだろうか。
ブリキの一課と、やわらかな二課
KOハンマーの初期型が発売されたのは1965年(昭和40年)。今から約60年前。
そんなにロングセラーだとは。さぞや社史の中でも中心的な存在なのでしょう……と思ったら、木島さんは「でも当時の海外向けカタログには、こういうものは全然載ってないんですよ」という。
木島さん 当時、商品部には一課と二課がありまして。一課がブリキのしっかりしたものを、二課は雑貨や季節商品を作っていました。やはり一課が主力で、二課は「二軍」的な扱いだったんですね。
どうして一課が主力だったのか。
木島さんによると、戦後の日本はブリキの玩具の輸出が盛んだったのだという。
木島さん うちの会社も、昭和40年代までは商品の9割ほどを輸出していましたね。当時は玩具と繊維が日本産業のトップクラスで、玩具産業は外貨獲得にすごく貢献していたんですよ。
会社のほぼすべての利益を一課のおもちゃが稼いでいるのである。そりゃ二課が二軍的な扱いになるのも無理はない。
ただ、二課のおもちゃは国内向けが中心。値段的にもお求めやすく、キャラクターものもある。当時の日本の子どもたちには、二課のおもちゃのほうが親しみやすかったかも。
ちなみにその後、1ドル360円の時代は終わり、輸出で儲ける「ボーナスタイム」は終わりを告げる。
そういえば以前、当サイトで為房さんが別のおもちゃメーカーを取材したときにも、円高で生産拠点を移した話が出ていたっけ。
海外から国内へ。日本のあちこちで、おもちゃの主役が交代せざるをえない事態。以前は「二軍」だった二課の存在が、会社の存続につながったのかもしれない。
うっかり武器を生み出してしまう
そうそう、KOハンマーである。おもちゃヒストリーに夢中になってしまった。
でも、どうしてもヒストリーの説明がいるのだ。だってKOハンマーが作られたきっかけは、二課が「やわらかい新素材」で何か作ろうとしたからなのである。
木島さん ポリエチレン(PE)が出てきたんですよ。それまでの素材に比べて、安価で加工しやすく、劣化もしにくい。さっそく二課で何か作ろうとしたんですが、やわらかくて人形には向かないし、いいものが思いつかなかったそうなんですね。
そんななか、ある社員がなぜか「ハンマーを作ろう」と思いついたらしい。
木島さん なぜかはわからないですけど(笑)。とりあえず試作品をすぐ作ったらしいんです。ただのハンマーなので、もちろん蛇腹(じゃばら)もないし、笛もない。「まぁ、やわらかいし大丈夫だろう」と叩いてみたら……えらく痛かったみたいで。
普通に武器である。こんなの子どもに持たせられない。全国の親御さんがあざだらけになってしまう。
ダメか……と月日は流れていく。そんなある日、その社員がテレビをボーっと見ているときに「これだ!」と思いついた。
ブラウン管に映っていたのは、チャンバラトリオだった。
木島さん あのハリセンを見てピンときたんですね。あんなに思いっきり叩いているのに、そこまで痛くないし、音もいい。じゃぁ、叩くところをハリセンみたいにしたらいいんじゃないかと思いついて。
チャンバラトリオ? ハリセン? と、よく分からないヤングの皆さんはYoutubeなどで検索してみてね。トリオなのに4人組?と謎が深まるかもしれないけど。
それはともかく、こうしてKOハンマーの原型が生まれたのである。
さらにちょうどよかったのは、このハンマーが「ブロー成形」という製法で作られていたこと。
ブロー成形は空気で樹脂をふくらませる製法で、空気を入れた穴がどうしても最後に残ってしまう。でも、それが蛇腹に空気を出し入れする「空気穴」になって、アコーディオンのように自然と伸び縮みできたのだ。これはイケる……!
たまたまあった銀のテープ
こうして完成した蛇腹ハンマー、意気揚々と叩いてみると確かに痛くない。痛くないんだけど……「ぶすっ」って変な音が出る。
現場は一気に「……なんだこれ?」という変な空気になった。
木島さん これじゃ売れないよね、と(笑)。悩んだ末に「音が出ればいい」「笛をつけよう」となりました。ブリキのおもちゃには、笛箱とふいごを組み合わせて汽笛を鳴らしたりするものがあって、笛の技術はあったんです。
一課で培った技術が、二課のおもちゃを救う展開だ。激アツである。
とはいえ、ベストな笛の位置を見つけるのは苦労したそう。上に付けたり真ん中に付けたりするも、場所によって空気の抜け方が違って、全然いい音が鳴らない。
ようやくたどり着いたのが、ハンマーの頭と持ち手の接続部分。ただ、素材の特性上、笛を接着することができない。そこで……
商品名は、当時流行していたプロレスやボクシングから「ノックアウト」を取り、「ノックアウトハンマー」とした。いよいよ発売……したのだが、最初は「あまりパッとしなかった」という。
木島さん 実は最初のKOハンマーは、頭の部分が黒、持ち手が黄色というカラーリングでした。本物のハンマーに寄せていたんですね。それが逆に、ちょっと本気すぎたみたいで。
いくら「ピコッ」と鳴るとはいえ、ハンマーまでリアルな「ごっこ」になっちゃうとなんか怖い。痛そう。
それならと、叩くところの色を変えてみることにした。赤にしてみると、なんだかおもちゃっぽくていい感じ。叩いても冗談で済みそう。いいんじゃない?
木島さん 頭の部分を赤に、持ち手を黄色に変えたら、少しずつ売れ始めたんです。ところが売れ始めると、今度は類似品を出す会社が出てきまして……。
人気が出るとコピー商品が出る。今も昔もおんなじである。
そこで増田屋さんは考えた。よそが真似してくるなら、よそが真似できない「決定版」を作ろう。
ここでようやく、持ち手がピンクと白の縦ストライプになる。
木島さん 当時、ブロー成形では誰もやってなかった「2色成形」をやりました。歯磨き粉のチューブで、3色で出てくるのがあるでしょ? あんな感じでピンクと白の原料をチューブに入れ、ニューっと出して縦ストライプを作ったんですよ。
普通にハンマーを作ったら痛くて、痛くないように蛇腹にしたら変な音がして、変な音がしないように笛を入れて。
でも最初は売れなくて、売れるように色を変えたら他社に真似されて、他社に真似されないように独自の技術を編み出して……。
問題が起きては解決してを何度も繰り返し、ようやく今の“ピコピコハンマー”がある。