日本版ユーザーの勝手な誤読

Last-modified: 2024-09-02 (月) 21:52:07

当時物議を醸していたページその1
Wikiのあちこちと相互にリンクしていたので参照切れまくっているけど放ったらかす


公式の表記ユーザーコミュニティの標準理解
英語koan辞書通りkoan=公案=禅の問いかけと理解している
韓国語화두
話頭
辞書通り禅の問いかけと理解している
日本版古則
koan
なぜか聖書関連用語と誤読し、かつkoanについてほとんどのユーザーが一切意味を調べていない(無視している)

日本版コミュニティ限定の大恥
要するに日本でこの単語について考察勢を名乗っていたユーザーの大半は辞書も引かないしグローバル版がどうなっているか確認するための検索も行わない惨憺たる有様の(やから)だった事になる
(当初からごく僅かながらkoan=公案を指摘していた人はいる)
サービス開始当初から第一部最終編まで世界に恥を晒し続けていた(というか現在進行形で晒し続けている)事になるが、こうなってはもう今更どうしようもない

  • 2024年4月に入ってようやく(推定)爆心地の記述が修正された
    上記誤読についても今後数年がかりで緩やかに解消されてゆくものと見込まれる
僅かながら
ここで言う僅かは文字通りの僅かで、「Twitterで古則とkoanを同時に含めたツイートがサービス開始からの3年間で5件(うちサービス開始直後に正しく訳した人一名三周年付近の時点で理解している人一名)」とか「日本版ユーザーWikiで公案を検索してヒットする2024年3月以前の投稿2件」とかそういったレベルでの「僅か」となっている
Twitterで
「公案とkoanを同時に含めたツイート」だとブルーアーカイブ以外のコミュニティで用いられ、正しく理解されている光景が目に入る
「古則と公案を同時に含めたツイート」だと禅宗関係者のツイートから必死な解説botまで出てくるが、残念ながら国内ブルアカ文化圏はkoan→公案にも辿り着けなかったため両者の接触は生じなかった
🆕「辞書」
当Wikiトップページに掲げられている文言
「知らない言葉に出会ったら辞書を引いてくれ」
これは何一つ専門技能の話などしていない
ハンディサイズの辞書と大型辞書(にっこく)の適切な使い分け……といった話はともかく、「辞書を引け」だけなら国内教育カリキュラムに照らして小学校中学年相当の基礎的注意書きでしかない
gakushu_shido_yoryo_2022_kaisetsu.jpg

物語読解の最中に知らない単語に出会っても辞書を引かず、コレと決めつけた宗教から元ネタ探しを始め、あまつさえ結局出典を見つけられないまま断定形で拡散してしまう奴
義務教育で散々習った手続きをすっかり忘れている
読解対象としてのソシャゲを舐めきっている
初めから騙すつもりでデタラメ撒いている

いかなる理由であれ、テキスト読解および発表における望ましい姿勢とはかけ離れている
✞悔い改めてください✞
Wikiとして立ち向かわねばならない層の一つ


(参考)「公案」と「古則」

「公案」はいわゆる「禅問答における問い」そのものイメージに近い
代表例として「隻手の声」

  • 「左右の手のひらを打ち合わせると音がなる。では一方だけの手のひらで鳴る音とはどんなものか」
    • んなもん知るかと反射的に思ってしまった人は悟りなど到底開けないのである
      俺もそう

師匠が即興でネタを考える事もあるだろうし、一方で昔の偉い坊さんが思い付いたネタを使い回しつつああでもないこうでもないと頭をひねらせる事もある
「古則公案」あるいは単に「古則」と呼ばれるグループは原義的に言って後者、つまり(禅宗的に)歴史上で知られるある程度有名な問いを指す狭義の呼び方となる

というのが非専門的な説明なので、それ以上詳しく知りたければTwitterあたりに山ほど転がってる禅宗の坊さんあたりに訊いてみてね

(参考)現代のグローバル文化圏における"zen"の受容

「外(っつうか神)からの啓示」を思索の前提としてきたアブラハムの宗教文化圏、特にキリスト教圏
現代の彼らにとってひたすら内面世界を扱うZenはエキゾチックで新鮮に映ったのか、(いわゆる坊さんが寺で袈裟を着ている仏教から切り離された形で)それ単独で英語圏内での受容・定着に至っている

OED原文

Zen /zɛn /
▸ noun (also Zen Buddhism) [mass noun] a Japanese school of Mahayana Buddhism emphasizing the value of meditation and intuition rather than ritual worship or study of scriptures.
Zen Buddhism was introduced to Japan from China in the 12th century, and has had a profound cultural influence. The aim of Zen is to achieve sudden enlightenment (satori) through meditation in a seated posture (zazen), usually under the guidance of a teacher and often using paradoxical statements (koans) to transcend rational thought.
▸ adjective informal (zen) peaceful and calm:
she is kind and relaxed with a very zen energy about her.

禅 /zɛn /
▸ 名詞(禅仏教とも)[名詞] 儀式的な礼拝や経典の学習より瞑想と直感の価値を強調する、日本の大乗仏教の一派。
禅仏教は12世紀に中国から日本に伝わり、深い文化的影響を与えてきた。禅の目的は、座った姿勢(座禅)での瞑想を通じて突然の啓発(悟り)を得ることだ。通常は師の指導の下、逆説的な発言(公案)を用いて合理的思考を超越する。
▸ 形容詞 (俗) 平和で穏やかな様:
彼女は親切でリラックスしており、非常に的なエネルギーを身にまとっています。

洋ゲーなどでzenの表記を見た事がある人もそれなりにいるのではないだろうか 誤解を恐れずに言えば東洋版ジェダイの騎士の教えみたいな文脈で西洋文明へとピンポイントに引っこ抜かれている

  • フラダンスとかと比べたら原型が残ってるだけまだマシな方
  • 他方で韓国は禅宗含めた仏教勢力が普通に存在する地域であり、「禅」の位置付けに関する理解度も日本のそれとさほど変わらない とこのページで書くとまとめて殴る形になってしまいそうだが違う、韓国は仏教徒もキリスト教徒もその辺に転がっている宗教シェアの文化圏なのでブルアカユーザーコミュニティも日本版相当の失敗は犯さなかった

そんなわけなので、日本以外のユーザーコミュニティでは「ジェリコの古則は実在しないフレーズだ」と見なされている
ジェリコは確実にヨシュア記由来であり*1、当然ヨシュア記の中に禅問答は出てこない

なぜか日本のユーザーWikiだけが昔から「実在するジェリコの古則」を大発見しているしていたが当然出典は何も示されていないいなかったし、単語としてのkoanすらページ単位で見ても記載されていないいなかった

  • キヴォトスでは下着だと信じれば下着だが現実ではいくら聖書用語と信じても依然として禅は禅だ
    • 2024年4月1日~2日付でようやくサイレント修正されていた(14日確認) このWikiは3月9日サ開なので、概ね三週間で現地まで届いたようだ
      目立つ場所で三年くらいデタラメを撒き続けたページなのだから本来なら訂正情報をしっかり載せるのが筋だがまあ言うまい、直した人おつかれさんです
      なぜか修正にブチ切れている妖怪がコメント欄に一匹いたので、そいつが元凶だったのかもしれない

日・英の章タイトルに限ればおそらく合っているが、テキスト本文(韓国語原文)となると話が変わる

「時計じかけ/clockwork」は日/英独自の章題

韓国語原文では"태엽 감는(ねじまき) 꽃의(花の) 파반느(パヴァーヌ)"
"A Clockwork Orange"は"시계태엽 오렌지"

意図して変えたらしい訳(意訳)?ページも参照

プロローグ冒頭におけるシッテムの箱起動パスワードの一節

実はこのフレーズ、日本版公式の訳からしてやや怪しい? しかしそれはそれ、これはこれ

英語ユーザーらはサービス開始の時点で他の単語と最も距離が近いジェリコ攻略に向けた託宣(契約の箱と共に外壁の周囲を回る儀式を七日繰り返し、七日目のみ七周回って七回角笛を吹いたらあら不思議防壁大崩壊)への言及をとりあえず仮定していた

まあ「七つの嘆き/ジェリコの古則は元から意味の通らないイレギュラーなフレーズ、プレナパテスの入力したパスワードが本来の形、アロナも含めてイレギュラーな状態にあったのは我々本編の先生の側」が作中の種明かしなのだろう

日本版ユーザーWikiはなぜか昔からキリスト教世界の民間信仰&カトリックローカルの概念である聖母マリアを断定口調で参照しているが、時代も宗派もまるで異なる上に(旧約)聖書における契約の箱から聖母マリアを参照しようとするのはどう考えてもイスラム教原理主義者の観測範囲内でコーラン燃やすのとほとんど変わらぬレベルのユダヤ教的大型地雷を踏み抜いている

時代も宗派もまるで異なる
具体的な細かい話

①ジェリコの戦いの舞台設定は推定紀元前13~12世紀
②(旧約)聖書編纂は推定紀元前5~2世紀
③ナザレのイエスの母であるマリアは当然紀元前1世紀~
④カトリックにおける聖母マリア信仰決定打は西暦431年*2
⑤ユーザーWiki言及「七つの悲しみ」は13世紀カトリック発
⑥16世紀以降のプロテスタント諸派はほとんどが「聖母マリア」概念を非採用
と原作者(ユダヤ教)を完全無視してキリスト教世界に限ったとしてもだいぶローカルな概念であるため、現代の作品がここに参照関係を結ぶと宗教ごった煮シナリオの域を逸脱した単なるカトリック史観に基づく作品でしかなくなってしまう
もっと言えば教典に「新」を冠して大胆な神の乗っ取りに出たカトリックですら現実世界における伝統的な参照方向は「新約聖書におけるマリア→契約の箱」の一方通行止まり(これも大概どうかと思うというか人の子宮*3捕まえて神の入れ物に見立てるのはキリスト教世界の外から眺めると素でかなり気持ち悪いが)、「旧約聖書の契約の箱」関連シナリオにおけるマリアへの参照は一切主張していない さすがのカトリックもそのくらいのラインは守っている

……間違いなくWiki編集者に一切の自覚はなく、単にユダヤ教とキリスト教世界の内部事情を何も区別できていない(というか聖書と新約聖書と民間信仰をごちゃまぜにしている)だけ
一応はホームグラウンドのチームである禅宗の用語すら三年間誰も(ほぼ全ての日本版ユーザーが)引用元を理解していない土地なので、敬虔な関係者各位の皆々様にはそんなもんだと諦めて寛大に眺めてやってほしい

そこまで分かってるなら直しといてくれと思うかもしれないが、そんなしょうもない記述でも三年近く生き延びている今となっちゃ確実に現地住民との折衝が必要になる 俺にそこまでの義理はない案件であるため放っておく
なおも文句があったらキリスト教世界スタート地点~布教時点までの内紛を丸ごと隠したザビエル&愉快な仲間たち、聖典の名前を重要教義に被せてきたあげく聖書を横取りしているキリスト教世界それ自体に向けてほしい

メインストーリーで示された作中および現実基準で意味の通る並びはこちら

七つの古則
ご存じメインストーリーに登場済みの用語
禅問答に楽園の概念は出てこないはずなので、個々の問いについてはおそらくキヴォトス事情に合わせたisakusanの創作
魔法図書館キュラレで完走できなかった七つの外典的リトライでもあるのだろう
ジェリコ
ジェリコの戦いでは要するにまあ「神に捧げるための皆殺し」が描かれる
「ジェリコの嘆き」はグローバル版準拠の直訳だと「ジェリコの慟哭」であるため、人から家畜まで皆殺しと描かれるジェリコの戦いはイメージぴったりとなる

この戦いは英語圏というかキリスト教文化圏だと知らなきゃ常識を疑われるレベルの有名シーンなので、日本版Wikiのように必死に検索して見当違いの元ネタを探す神秘的な碑文とかではなく頭の中に常識として入っているシナリオ
  • 発掘してみたら壁の崩れた時期がヨシュア記シナリオの推定年代から明らかに古い側へズレており、考古学的には戦いそのものが創作を疑われているらしい
    https://en.wikipedia.org/wiki/Jericho
  • 戦いにて描かれる年代から聖書の成立時期まで何百年~千年近く飛ぶため、考古学的見地が正しいなら歴史的にはまあおじいちゃん司祭が孫にちょっと話盛り過ぎたとかまあそんな経緯だと思う(そんな素朴な話かなこれ…)

おそらく部分的には合っているが一部確実に違う

あの場面にて描かれた現象のうち作中ルールで説明できない(=奇跡である)かもしれない要素は、瞬時に空が晴れた点ただ一つのみ
ユスティナ聖徒会(のミメシス)については、先生のリアクションも込みで
本来の機能的欠陥(行動決定アルゴリズム上司令塔の並立を想定していなかった)に則った機能不全に陥っている*4

根拠


あらすじにそう書いてある

アリウス側もヒヨリ以外はその場で欠陥に気付いているし、なんなら晴れたのも作中では通常ルールかもしれない

シングルスレッド前提で書いたプログラムを後からマルチスレッド化して地獄見るのはキヴォトスの中でも同じなのだろう
mutexとか使いなさい チヒロの指導が必要だ

指導が必要だ
間違いなくトリニティで一番重い武力なのに戒律のアルゴリズムガバガバじゃねえか!
とツッコミ入れる声へのアンサーが「隠されし遺産を求めて ~トリニティの課外活動~」となる
=ユスティナ聖徒会も日常を謳歌する生徒たちだった
  • である以上はシスターフッドの前身となる組織にプログラミング的例外処理に明るい奴なんぞいたはずがない、サクラコ見てみろサクラコ

しょうもない百科事典サイトを含めて大半のユーザーはそのようにのみ解釈している
韓国ユーザーWikiは異なる解釈を載せている
4thPV_AL_1S.jpg
可能性の問題に過ぎないが説得力*5で完全に負けている
「他Vol.相当の前半部は全て複数の生徒が描かれている」とダメ押しされたらぐうの音も出まい

なんで黒服みたいな腕になってんの?
①大人の戦いにて物語的役割(ロール)に注目した黒服のごとく
②アリスの存在(ロール)を規定したことで
③皮肉にも規定した通りの破滅を招く
④「自己成就予言(self-fulfilling prophecy)を担ってしまった愚か者」として
⑤自らの神話的役割(ロール)を自覚
⑥最早生徒ではあり得ぬ存在と自らをも規定
⑦自ずからそうなってしまった

と読む俺の仮説(とりあえずの説明)で満足するなら持ち帰ってどうぞ namuwikiは特になんとも言っていない
(参考)そのように読む読解上のメリット
4thPV_vol2.png
掛かる対象がアリスだけではなくなる
4thPV_vol2_2.png
2ndPV_vol2.png
アリスに隠れた左半分や右詰めの着席に解釈の幅が増える

仮説は常に仮説

Q.なにそれ?
A.非・ブルアカ用語集
 ごくシンプルに言えば
 「強い/偉い立場から弱いものを守ってあげる」
 と見る態度
 パテルpater⇨パターナリズムpaternalism


https://news.denfaminicogamer.jp/interview/240628b_jp/3
そうした視野において、私は『ブルアカ』の先生を家父長制のなかでのプライベートな父子関係ではなく、もっと社会的な責任を持つ存在として回収したいと考えていました。大人だから子どもを守る構図は、父と子の関係とはまた別のものです。

(isakusan)

原則として個々のユーザー読解にあまり口を出さない(出すべきではないとの態度を取っている)isakusanが、割とはっきり父権的読解を否定している*6

(参考)父権主義の否定としての「子どもの権利条約」
子どもとは人である

何を当たり前なと思ったかもしれないが、少なくとも20世紀以前の人類はほとんど誰もそう考えていなかった 20世紀の人類も多くがそう考えていなかった 今だって人類単位で見れば怪しいぞ

「子どもにはあらゆる意味において人権がある」、すなわち大人と対等な世代として捉える条文
生きる/育つ/守られるといった(大人に照らせば社会権(生存権)に類する)事柄についても、「保護される存在としての子ども」ではなくそうある権利を行使する存在としての子ども」を主体的に定義している

  • isakusanのお膝下に説明を寄せれば、「子どもとは大人より新しい時代の人である」と定義した방정환(方定煥)の延長にあるべき概念となる
    ……といったような話はこのWikiにおいてシュン(幼女)?の下に何もかもぶら下がっている


  1. 先生のモチーフを
  2. 作中設定レベル
  3. アブラハムの宗教における神(YHWHなりナザレのイエスなりその他諸々)そのものありき
    ……と視点を固めて見ている層にとっては割と致命的な公式インタビュー
    isakusanは先生すなわち画面の前のお前ら(オタク)だと散々言っているし、作中無名の司祭らも先生は神秘持ってねえよと断言していた 特に日本では半ば後者が無視されている
    • そもそも論で言えば先生の性*7すらプレイヤーにぶん投げているブルアカでキリスト教的父権主義に寄った読解=パターナリズムが成り立とうはずもないが、こうした話はそうした層の耳まで届かない


上記のごとき事情もあり、「先生のモチーフについて考えるアレコレ」については(このWikiでそうしているように)慎重姿勢を示す態度が望ましい

  1. 「?」を付ける
  2. 「消去法的には」等と仮定の上に書く
  3. 「見出す」「(宗教上のシンボルを)探す」」
    と読解する側の問題に絞る
  4. isakusanインタビューや無名の司祭(の作中台詞)に言及した上で「設定レベルで一般人代表やっている可能性も普通にある」と示しておく

    と何重にもクッションを挟んでようやくナンボか地に足の付いた態度となる
    結論から入って断定形で何事か書いている文はゴミ箱に叩き込むべし
 

熟語としては柴関(さいかん)が存在するものの、
ブルアカ作中の店名はグローバル版でも訓読み準拠
Shiba Seki Ramen / 시바세키 라면

  • ついでに柴大将はグローバル版だと
    Master Shiba / 마스터 시바

……といった話以前の次元、柴を紫と読み間違えているユーザーも散見される

「にぎにぎと ゆきゆきて」の炎上に関連して生じていた混乱

誤記ではない
「魑魅一座」は日本版が独自に名前を変えている
意図して変えたらしい訳(意訳)?ページを参照

日本版でもアルファベット表記はグローバル版準拠で統一されているため、時々ズレが可視化される
フィーナの綴りは公式でPINAだぞ?ページも参照

作中固有名詞には日本側で独自訳を採用しているケースが多々あります まず検索しましょう

まったくの誤解
日本版の「毎日毎日楽しそうに!」は韓国語原文からの忠実な訳

  • おそらくは(翻訳クオリティが低くネタを何も拾えていなかった)英語版から生じた誤解
    他項目含めて対策委員会編の英語ローカライズはかなりクオリティが微妙……というかはっきり言ってしまうと修正前「にぎにぎと ゆきゆきて」の方がまだマシかもしれないような品質であるため、基本的には参考にすべきではない
    悪いのはテキトーに英語に訳した奴なので日本版ユーザーに咎はない
    • 一番分かりやすいところでは黒服がかなり小者っぽい口調で喋っている上に開口一番ホシノとだけ呼び掛ける
I've tormented you in every conceivable way, yet you still spend your days laughing and smiling without a care in the world!
(思い付く限りの方法でお前たちを苦しめてきたのに、それでもお前たちは何も気にせず笑って過ごしている!)
It's because of you that my plans are...!
(お前たちのせいで私の計画が…!)
그렇게 괴롭혔는데! 그렇게 철저하게 괴롭혔는데도! 매일매일 즐겁다는 듯 히히덕거리고 있는 네놈들 때문에!!
(あんなに*8虐めたのに! あんなに徹底的に虐めた*9のに! なのに*10毎日毎日楽しそうにニヤニヤしている*11お前たちのせいで!!)
크으으으읏-!! 네놈들 때문에 나의 계획이-!!
(クウウウウッー!! お前たちのせいで私の計画がー!!)
あれほど懲らしめたのに、徹底的に苦しめたのに、毎日毎日楽しそうに!!!
お前たちのせいで、計画がっ!!!私の計画があぁぁっ!!!!

カイザー理事は原文韓国語の方が一歩情けない台詞かもしれない あいつそのうちまたひょっこり出てこねえかな

修正前「にぎにぎと ゆきゆきて」
修正&謝罪&詫び石セットを見たグロ版英語ユーザーの少なからぬ人数が
「じゃあ俺たちは日頃のクソ翻訳合わせてどんだけ山盛り石貰えるんだ?」的にブチ切れながら放置されている誤訳をSNS上で並べ立てていた
彼らの姿にはそれなりに哀しき背景がありそうだ
日本版は間違いなく恵まれている
 

違うぞ

2024年7月現在、ユーザーWikiは用語集にせよ他ページにせよキリスト教を前提にヘイロー(現実における宗教的シンボル)を説明している 他サイトもだいたい同様
あまりにも見識が狭い
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Halo_(religious_iconography)

仏教の光背/後光(特に頭光)、ユダヤ教聖書編纂より1000年古い古代インド美術、エジプトにせよヘレニズム時代のギリシャにせよ多くの宗教が共通のシンボルを用いている/英語圏ではみなひっくるめた総称としてhaloと呼んでいる
最大公約数的な神性/聖性表現手法の一つであり、間違ってもキリスト教の所有物ではない

  • キリスト教のそれについてもゾロアスター教→ミトラ教由来の表現と影響関係を具体的に指摘されており、歴史上は後乗りも後乗り
    坊主(ぼうず)が分かりやすい偶像として大いに好み、活用したに過ぎない

とある百科事典サイトのブルアカ関連項目にてそんな記述を見つけた 一応突っ込んでおこう、100パーセント完全なウソではないが98パーセントくらい誤解を含んでいる

よく知らんものを断定形で書いてあるページへのクソ長ったらしい注意喚起
キリスト教の経典における記述
ナザレのイエスが
23-8(ファリサイ派)司祭の奴らをラビと呼ぶな
23-9天の神以外を父と呼ぶな*12
23-10キリスト(おれ)以外を指導者と呼ぶな
と延々ブチ切れている演説シーン…をイエスの死後何十年も経って関係者が一通り死んだ頃に弟子の名を騙って描いている場面が『マタイ』23となる
ブチ切れている
ここでは文字通りブチ切れている
同シーンの残りのテキストは全てファリサイ派への罵倒

「ラビ」
ナザレのイエス存命時代ユダヤ教の指導者=司祭階級一般に用いられていた呼称
ユダヤ教ローカルにおいて今日的な一般名詞としての「教師・教員」にある程度通ずる意味合いで用いられ始めるのは中世以降の話となる 歴史は浅い
細かい話
  • なおかつ「律法学者/律法を説く教師」としての語義が主
    いわゆる学校で子供相手にカリキュラムを消化したりカウンセリングこなしたり受験の指導やったりしつつ日銭を稼ぐ職業を広く指す呼称とはやや離れた距離にある
    要は司祭階級の成れの果て 西暦のアタマでローマ帝国相手の反乱に大失敗&神殿ごとブチのめされ地元を追い出されて以降世俗の権力は残っていないが、宗教的権威のみコミュニティ内で継いでいた枠

    ナザレのイエスの晩年(西暦30年前後)にせよ福音書が執筆された1世紀後半にせよ、同時代における尊称「ラビ」は「ラビ」でしかない
    それでもあえて他言語の一般名詞に訳すなら「我が師」や「師匠」が直訳となる
    参考:OED

    rabbi /ˈrabʌɪ /
    ▸ noun
    (plural rabbis)
    a Jewish scholar or teacher, especially one who studies or teaches Jewish law.
    ▪ a person appointed as a Jewish religious leader.
    – ORIGIN late Old English rabbi, via ecclesiastical Latin and Greek from Hebrew rabbī ‘my master’, from raḇ ‘master’.

    (Oxford English Dictionary)

ブルアカ関連国における(新訳)聖書の主要翻訳バリアント
聖書バリアント(年)マタイ23-8マタイ23-10
KJV(1611)RabbiMasters
文語訳(明治/大正)ラビ導師
RSV(1952)rabbimasters
KRV(1961)랍비(ラビ)지도자(指導者)
新共同訳(1987)先生師匠
REB(1989)rabbiteacher
NRSV(1990)rabbiinstructors
聖書協会共同訳(2018)先生教師
英語だけでも無数の翻訳バリアントが転がっており、きりがないので主要なヤツのみ引っ張ってきた
新共同訳およびアプデ版の浮きっぷりを見ての通り、当該の記述を「先生」や「教師」相当の言葉で意訳する風潮は近年入って以降の話となる
↑では引用していないが、韓国国内でより近年に出版されている口語訳聖書も事情は日本と同じ ラビを一般名詞先生/教師に対応する語で意訳するようになったのは高々50年ほどの歴史、どう見ても「昔から」ではない

そしてブルアカのグローバル英語版では「先生」をSenseiと訳しているし、言うまでもないが聖書のバリアントにも現代英語圏のキリスト教諸派にもナザレのイエスをSenseiと呼ぶ宗派は存在しない

仮に現代口語バリアントに絞った話をするなら
英語版にてInstructor Kokonaを自称しているココナちゃん教官11歳139cmは近年の口語訳のまったく同じ節を典拠にココナちゃん・キリスト11歳139cmになってしまう
  • 11は『神曲』における各文の音節数に一致し、神学的解釈に基づけば『神曲』は三位一体を称揚する作品に他ならない
  • そして1・3・9は何れもキリスト教において重要シンボルである
    1は唯一の神に通じ、3は三位一体に通じ、9は3に3を掛けた数字である
  • なんならブチ切れながら周囲に呼ばせようとしているあたり、『マタイ』でブチ切れているナザレのイエスに態度がきわめて近い
  • しかもヘイローもなんか3つに分かれているような気がするから三位一体を表しているに違いない!!! 結論ありきでシンボルを「見つける」ってこういう行為だぞ

注目自体の妥当性
そもそもナザレのイエスは「他の奴ら特に司祭どもを師と仰ぐんじゃねえ!」と喚いており、要は態度全般に対してNGを出している
そんなナザレのイエス語録から特定語のみ抜き出して着目してもあまり意味は無いし、ブルアカ作中に師匠的キーワードそのものは山ほど転がっている
なんなら柴関ラーメンの大将も英語ではMaster Shiba表記であり、伝統的な英語訳の『マタイ』23-10中キーワードと一致する
一度犠牲になって復活してるし🍜キリスト教派生団体の中には「ラーメン」を聖句とする派閥も存在する🍜が、柴関ラーメンイエス・キリスト説でも唱えるか? 

怪しげな記述に注意
「先生周りの描写に神話・宗教上のシンボルを探す」と大きく括る場合なら、取り得る候補は(シッテムの箱=契約の箱関連キーワードがシナリオ年代不問で散りばめられている都合上)ユダヤ教におけるYHWH(かみ)・キリスト教におけるナザレのイエス(かみ)・せいぜい古則から仏教へ飛んでブッダ止まり ネタ元候補としてナザレのイエスを引っ張り出すだけなら何もおかしな読解ではない
しかし縦軸の理解がグチャグチャなままアレコレと使えそうなシンボルをかき集める態度は決して賢明なものとは言えない
  1. このWikiでは散々注意喚起しているが、キリスト教世界には(他宗教と比べて浅めといえど)短く切っても1700年を超えるくらいの歴史がある
  2. 原作ヘブライ語からギリシャ語やラテン語を経由して他言語に翻訳されてきた歴史があるため、聖書およびキリスト教における新訳聖書内の各種キーワードについても主流の訳は時代と共にどんどん変化する 原語から音写で引っ張ってそのままキーワード語化している東洋系の宗教とはスタンスが異なる
  3. 縦軸で見ても横軸で見てもバリアントが腐るほど出ているため、特定の時代における特定地域ましてや特定バリアントの訳語だけ引っ掴んでもそれほど意味がない
  4. なんで積極的にキリスト教嫌ってる俺がキリスト教徒みたいな解説付けてんの…
  5. ブルアカは韓国語原作であるため、日本国内シェア1~1.5パーセントのキリスト教ローカル事情(訳語)を引用したところで何の意味も無い

インターネット上の怪しげな記述を野放しにすると、第三者がわざわざこの手の注意を書かなければいけなくなってしまう
だからこそ多少なりともまともな百科事典サイトは引用についてのルール段階で出典明記を必須化し、違反記述はゴミ箱に叩き込むことになっている
Wikipedia水準に満たないサイトは往々にして怪しげな記述で埋め尽くされてしまうPixiv百科事典聞いてるかこの項目はお前の話だぞが、今日的なインターネットにおいては迷惑極まりない存在であるためどうにか自治していただきたい

  • こういうのは本来ならキリスト教関係者が内輪の責任として周知訂正すべき話だが、国内のそれは超マイノリティであるためWikipediaの記述すら怪しいソースの訂正が追い付いていない 困ったもんだ


こういうのは国内キリスト教コミュニティがあらかじめ自前の責任としてWikipediaにでも書いといてくれよと言いたくなるさらに長ったらしい補足群
(参考)他の福音書/類似の言及箇所
コメント欄における追加の質疑応答
Q.↑のマタイ以外はどうなの?(要約)
A.マタイ以外も事情は同じ
押すと開く

【KJV(1611)】
John(ヨハネ) 20:16

Jesus saith unto her, Mary. She turned herself, and saith unto him, Rabboni; which is to say, Master.

※ラボニ(Rabboni)はラビ(Rabbi)の強調/よりフォーマルな呼称/尊称として使われている
Mark(マルコ) 10:51

And Jesus answered and said unto him, What wilt thou that I should do unto thee? The blind man said unto him, Lord, that I might receive my sight.

【文語訳聖書(~大正)】※本文wikisourceコピペ
●ヨハネ傳福音書 20:16

イエス『マリヤよ』と言ひ給ふ。マリヤ振反りて『ラボニ』(釋けば師よ)と言ふ。

※釋…国内事情としては仏教方面の尊称 おそらく宗教的な尊称として流用されている
●マルコ傳福音書 10:51

イエス答へて言ひ給ふ『わが汝に何を爲さんことを望むか』盲人いふ『わが師よ、見えんことなり』

要するに当時のユダヤ教文化圏ローカル用語であった「ラビ」をどう処理(ローカライズ)するか?の問題 ナザレのイエス伝からユダヤ教フレーバーを消さんとしている近年の訳語はぶっちゃけ割と不誠実な気がする
(参考)英語圏にて伝統的に"teacher"で訳されてきた唯一の対イエス記述
『ヨハネ』3:2に一箇所のみ(「ラビ」の補足としてオマケ的に)出てくる
ただしイエス固有の称号としての用法ではない
すぐ後(3:10)の文ではナザレのイエスも相手を概ね対等に呼ぶ/少なからぬバリアントが訳を揃えている
押すと開く/日本語以外の訳はWiki手製
バリアント相手の男
⇨イエス
イエス
⇨相手の男
KJV
(1611)
the same came to Jesus by night, and said unto him, Rabbi, we know that thou art a teacher come from God: for no man can do these miracles that thou doest, except God be with him.
(その男が夜イエスのもとに来たりて曰く、「ラビ、我らは汝が神より来たりし教師と知る。神共に無くして誰がかような奇跡の数々を成し得ようぞ」)
Jesus answered and said unto him, Art thou a master of Israel, and knowest not these things?
(イエスが彼に答えて曰く、「汝イスラエルの師なり、然るにかくの如き物事も知らずや?」)
文語訳
(大正)
夜イエスの許に來りて言ふ『ラビ、我らは汝の神より來る師なるを知る。神もし偕に在さずば、汝が行ふこれらの徴は誰もなし能はぬなり』イエス答へて言ひ給ふ『なんぢはイスラエルの師にして、猶かかる事どもを知らぬか。
RSV
(1952)
This man came to Jesus by night and said to him, “Rabbi, we know that you are a teacher come from God; for no one can do these signs that you do, unless God is with him.”
(この男が夜イエスを訪れて言った、「ラビ、あんたが神の方から来た教師だって俺らは知ってます。あんたが示したような(きせき)は、神サンが一緒にいでもしなきゃ誰にも出来っこねえ」)
Jesus answered him, “Are you a teacher of Israel, and yet you do not understand this?
(イエスが答えて言った、「お前イスラエルの教師だろ、なのにそんな事も分かんねえの?」)
KRV
(1961)
그가 밤에 예수께 와서 가로되 랍비여 우리가 당신은 하나님께로서 오신 선생(先生)인줄 아나이다 하나님이 함께 하시지 아니하시면 당신의 행하시는 이 표적을 아무라도 할 수 없음이니이다
(彼が夜にイエスのところに来て曰く、「ラビよ、私たちがあなたは神様として来られた先生だと思っているのです。神様が一緒でなければ、あなたの行うこの表蹟を誰も行えないからです」)
예수께서 가라사대 너는 이스라엘의 선생(先生)으로서 이러한 일을 알지 못하느냐
(イエスが曰く、「あなたはイスラエルの先生としてこのようなことを知らないのか」)
新共同訳
(1987)
ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。
上記引用箇所を見比べれば一目瞭然、「他者相手に何ごとか物事をteach()し、何処かへと導くmaster()」を指す最大公約数的なカテゴリーとしてなら「teacher(教師)」という訳語は一応成り立つ
それゆえ文語訳聖書はラビ標準訳語(=師)でどちらに向けた言葉も訳し、KRVは(形容詞こそズレるが)双方の表現を「先生」で訳し、英語圏は概ねラビ周りの関連語に沿って訳している

「あらゆる宗教的指導者(層)は本質的にコミュニティ内部において教師である」くらいまで抽象化すれば、テキスト中の記述にも現実の歴史にもしっかり即した説明となる(2%要素)
しかしそこまで一般名詞的に使われている語となると最早ピックアップしたところであまり意味は無い
分かりやすい事例で言えば長期間表舞台から姿を晦まし続けた末に近年公式に死亡した****の****なども、内部の人間は尊称として「先生」および「師匠」を用いていた
⇨****はナザレのイエスと無縁の仏教系カルトだが、出自も含めて比較的ラビに近い用例(=師匠(せんせい))
(参考)↑でナザレのイエスと会話している男
こっそりシャーレ訪問したFOX小隊みたいな立場の奴

①パリサイ派=ナザレのイエスが活動開始~死ぬまでレスバを続けた敵対勢力の所属、割と偉いポジション
②しかし実は内心好意的な立場だった(ことになっている)
こっそり訪ねてきた相手×ナザレのイエスによる夜のサシ密談シーン
そんな密談誰が書き残せるんだ?
公共空間ではないし論敵とのレスバでもないため、ナザレのイエス的にも取り巻きの信者相手にイキる必要はない/いつものように煽り散らす局面ではないことになる*13
⇨どちらも相手に相応の敬意を払いつつ、概ね落ち着いた態度で対等に話し合っている

(参考)当該シーンの歴史的信憑性
これ書く必要ある?
①論理上ナザレのイエス/訪ねてきた男しか知り得ない密談シーンが克明に描かれている*14
②なんかすげえ奇跡!の実在が前提の会話シーン
③高等批評における史的イエス分析においては基本的に『ヨハネ』そのものが切り捨て対象
総じてお察しとなる
「******における****(本名*****)の空中浮揚と同程度に信憑性があるエピソード」と捉えれば非宗教的視点においては概ね合っている
(参考)むしろナザレのイエス死後の弟子や最初期信者(という体で書かれた面々のテキスト)が積極的にteacherを自称している
これ以上膨らますとしまいにゃ福音書入門が始まってしまうため個々には引用しないが、概ねそんな感じになっている
まあ一個くらい引用しておこう

キリストは、ご自分の体である教会を形成する個々の部分として、人々を次のように任命されました。使徒、預言者、教師、奇跡を行う者、病気をいやす力のある者、人々を援助する者、人々の働きを管理する者、異言で話す者。
(『コリントで早速内紛を始めた初期信徒らに向けてパウロ*15が送った書簡ってことになってるテキスト』*1612:29、新共同訳)

後にcommunio sanctorumへと転ずるろくでもない概念の兆候が早くも見えている
「最初期の信徒が(ナザレのイエス処刑後に)他者との応答において教師を自称するテキスト」は一定程度経典に含まれている
↑では新共同訳のみ引っ張ったが、この用例においてはteacher訳が伝統的に出てくる
ナザレのイエス語録はそういう事するんじゃねえとブチ切れていたような気もするが、結局のところ死人に口無し/信徒らは信徒らで好きなように布教を展開していく

韓国語一般では総力戦ボス以前にそもそも日本語で言うローマ教皇グレゴリウスを그레고리오(グレゴリオ)表記で音写しており(固有名詞音写の採用元=外来語としての原語が日本と異なる)、ブルアカ日本版が原文の音を準拠元に選んだだけ
Wikipedia韓国版:교황 그레고리오 1세
辞書を引きましょう


グレゴリオに限らず外来語の音写は地域によってバラバラになる
意識しておこう

が時々いる

全然古くないよ歴史浅いよ
Wikipedia英語版:生命の樹(カバラ):

中世まで進んでからのカバラ由来、具体的には13世紀から14世紀以降
印刷によってある程度世に広まったのは16世紀(1516年-)、日本で言えば戦国時代ド真ん中

  • 日本版Wikipediaだと成立時期についてやや誤解を招くような記述になっているが、それでも旧約聖書とは一言も言っていない

雑な括り方をすれば「中世入った頃にユダヤ教徒がやっていた二次創作をルネサンス期あたりのキリスト教が横からパクって人気が出たネタの一つ」程度

オタクカルチャー的には固有名詞のセットが並んでおり便利な参照元であるため(あと直近数十年のオタクカルチャーは新世紀エヴァンゲリオンの影響がとんでもなく濃いため)好んで多用されるが、歴史的には別に神話的な権威とかがあるわけではない ソロモン72柱とかと同じ西暦回ってだいぶ経ってからの二次創作枠

「強権的で抑圧的な独裁*17」を意味する一般名詞/形容詞

OED:iron fist (also iron hand)

引用

noun
used in reference to the exercise of power in an oppressive or ruthless way. See also an iron fist in a velvet glove:
he rules the town with an iron fist.

(名詞)抑圧的または冷酷な方法で権力を行使することに関して用いられる。iron fist in a velvet gloveも参照:

彼はiron fistで町を支配している。

OED:iron-fisted (also iron-handed)

引用

adjective
exercising power in an oppressive or controlling way:
an iron-fisted leader intolerant of opposing political views
decades of iron-fisted rule.
See also an iron fist in a velvet glove.

(形容詞)抑圧的または支配的な方法で権力を行使する:

反対の政治的見解を容認しないiron-fistedな指導者
数十年にわたるiron-fistedな統治。

iron fist in a velvet gloveも参照

辞書を引きましょう

日本語ではあまり使われない/用例がまったくないわけではない
韓国語では철권정치(鐵拳政治)がフォーマルな書き言葉として使われる/頻用されるほどではない


鉄拳統治
iron_fisted_okusora.png
セリカはその場で一般名詞として「鉄拳統治」を用いている
フィデル・カストロ
キューバ危機の時代から現代付近までキューバでボスをやっていた男 評価が難しい奴であるためWikipediaに丸投げしておく


(参考)iron fist in a velvet glove
対訳には外柔内剛が用いられる
(参考)雷帝
どうせここも気になるだろうからついでに書いておく
日本語「雷帝」は韓国に(日本語由来の)漢字語뇌제として一応輸出されている
半年待ちだがおそらく原文からの直訳
 

割とどうでもいい誤解だが違う
ゲーム内(Final-4-7)で流れる歌はグロ版も日本版と同じ=日本語ボーカルの『優しさの記憶』

  • グローバル版韓国公式YouTubeに転がっている韓国語/英語ver.はあくまでゲーム外にて独自に公開されたカバー曲

たぶんユーザーWiki「音楽ページ」が微妙に中途半端な書き方をしているせいで生じた誤解
気付いた人直しといてくれ
原則ああいったデータベース的な場は敬称略で揃える事になっている/フォーマットブレているのもちょっと気になる

(参考)実際に日本版とグロ版で別の歌が流れるシーン
対策委員会編2-19はグロ版だと『Target for love』(グロ版主題歌)?が流れる
韓国語設定なら韓国語ボーカル版、英語or繁體中文設定なら英語ボーカル版 タイ語は再起動が面倒だった*18ので確かめていない(たぶんまあ英語ボーカルだろう)タイ語も英語ボーカルだった やはり韓国語ボーカルは韓国語限定であるようだ
  • 日本版では『Clear Morning』
    どちらにせよ1番終わりできれいに〆となるよう調整されている

他ページにも書いてある話
日本語ページは揃いも揃って1974年生まれと書いている

yongha_1975.png
しかし他ならぬ本人が修士論文に1975年生まれとはっきり書いている
修論のプロフィールで生年月日は間違えねえだろ

http://pdf.khgames.co.kr/637/63748.pdf
yongha_pohang.png
honnin_kakunin.png
↑の本人確認

ズレた原因の推定
韓国社会はずっと数え年を採用してきた 行政レベルでは近年*19満年齢への移行を試みている

韓国、国民全員が1~2歳「若返り」 年齢の数え方を変更
2023年6月29日
https://www.bbc.com/japanese/66050031

が、民間レベルでは2024年現在もまだまだ普通に数え年を使っている
生まれた瞬間加算タイミング
数え年1歳1月1日で固定
満年齢0歳次回の誕生日
数え年は満年齢より1~2歳分表記上の数字が多くなる
⇨数え年基準の「年齢」を満年齢と誤解したまま生年月日を逆算すると、少なくとも一年分過去方向にズレが生じてしまう

*1 契約の箱とジェリコが並んでヨシュア記を連想しないのはイヌ・サル・キジと鬼ヶ島が並んで桃太郎を連想しないようなものだと思えばだいたい英語圏の文化として合っている
*2 エフェソス公会議におけるネストリウス派の異端認定
ネストリウス派は東方に活路を開いたため現代まで細々生き延びている

*3 この表現もカトリック的には異端になります 付き合ってられっか
*4 戒律の守護を目的として残された機能がエデン条約機構を攻撃するわけにはいかない
*5 腕時計、インナー材質の差、シナリオ上のAL-1Sに対するアクセス性=縁
*6 こどもの世界に責任を負う大人たち「父」
*7 とりあえずグロ版英語公式はgenderで訳している
*8 그렇게の辞書的な対訳は「そんなに」だが日本語的には「あんなに」で訳す事もある、ここではそうする
*9 ここは言語間の感覚差が最も出ている 韓国語は傾向として同一フレーズの反復を割と好む/発声時のリズム優先である※ため、単語の繰り返し=悪と見なされる日本語圏の文学作品評価とスタイルが異なる
※よく言われる例では「그림을 그린다(クリムル クリンダ)」(絵を描く)のような反復表現、日本語に無理やり直訳すれば「絵をえがく」

*10 直前の文末に付いている도(~にもかかわらず)をこちらにくっつけた 逐語訳するなら手前の文が「虐めたというのに!」とかになる
*11 히히덕거리고は辞書的には正しくないらしい口語히히덕거리다、Google翻訳などは対応していない 現地の翻訳エンジンであるPapagoは「ニヤニヤする」と和訳を付けている 文法的な話は現地の日本で言うNHKみたいな公共放送局(KBS)が解説していた
*12 これは後にカトリックの坊主(ぼうず)たちが真っ先に違反する
*13 それでも宗教圏の外から眺めると偉ぶってる感じに描かれてはいるが
*14 Q.実はその場に第三者がいたのでは?
A.福音書の執筆者が叙述トリック大好きだった話は確認されていない
まあ対人スキル皆無だったはずのモーセが山中でYHWHと親しく会話した内容などもなぜか克明に描かれている 宗教の経典とはそういうものなのだろう

*15 「イエス処刑後に残った信徒を始末していたら、突然電波を受信し信徒化した」……ことになっている伝説上の人物
*16 忖度した呼び方においては『コリント人への手紙』と題されている
*17 厳密な定義上は独裁と異なる語
しかし現実の政治において一方を用いる奴は大抵もう一方も兼ねるためあまり気にされていない

*18 英語・繁体字・ギリギリ韓国語までは次に何か調べる機会までそのままプレイできる/タイ語は一文字も読めないため即座に再起動が必要になる
*19 この「近年」は文字通りの近年↓