スケート再開のきっかけは浅田真央さん 関西大学・木下咲良「人の心を動かすような演技を」
初めての全国大会で達成感
関西大学中等部に入学し、アイススケート部に所属。中学からスケートを始める友人とともに部活動をした後、所属しているチームの練習をするなど、とても充実した日々を送っていた。 6級の必須要件であるダブルアクセル(2回転半)ジャンプを習得し、近畿ブロックに出場する目標が現実味を帯びてきた。いつもできていることがバッジテストになるとできないこともあったが、ブロック大会の出場申し込み締め切り1カ月前に6級を取得し、ノービス最後の年に初めて、全日本選手権の予選となる近畿ブロックに出場できた。 全国につながる大会とはいえ、そもそも選手になってから出場した試合の数が少なく、近畿ブロックの重みというのを感じておらず、木下にとっては1つの大会に過ぎなかった。結果は振るわなかったが、自己ベストを更新し、目標としていた大会に出場できたという達成感は得ることができた。 翌年、ジュニア1年目のシーズンでは全国中学校大会の大阪府予選を勝ち抜き、初めて全国大会への切符を手にした。遠征も初めてで、わくわくした気持ちで開催地の長野県へ向かった。 「同じ中学生がこんなに上手とは」と驚くと同時に、全国大会に出場する楽しさも味わい、大きな刺激になった。練習に力が入るようになり、全国高校総体(インターハイ)に3年連続で出場。高校2年次に7級も取得し、次々と目標を実現していった。 大学は内部推薦の成績優秀者に与えられる特別推薦を利用し、関西大学文学部へ進学した。
大学に入り、自分が引っ張っていく立場に
進学時はスケートの進級テストでうまくいかないことが多くつらい時期もあったが、コツコツと積み重ねた結果、文武両道を実現している。 大学1年目からシニアに移行し、関西大学の名前を背負って数多くの試合に出場した。ジュニア時代も含めて初めて西日本ブロックへの出場が決まると、「ようやくここまで来たんだ」と高揚感があった。しかし周りを見渡すと、スケートを始めた時に買った雑誌に載っていた大庭雅(東海東京FH)や、世界選手権に出場している三原舞依(シスメックス)などがいることに驚いた。 7級所持者のみが利用できる時間枠で練習をする時は、「本当にここにいていいのだろうか」と思うこともしばしばあった。選手としてはずっと追いかける立場であったが、大学から競技を始めた選手に指導をすることもあり、自身が引っ張っていく立場に変わっていた。徐々に自覚が芽生えてきており、現在は後輩を指導し、先輩らしい一面を見せている。 昨シーズンはほぼ毎試合、自己ベストを更新するも結果がついてこないつらいシーズンだった。何をしても空回りで、気持ちと身体がついてこず号泣した日もあったが、「年明けに試合が1つもないのは悔しい」と挑んだ国民スポーツ大会派遣選手選考会では2年連続で大阪府代表として出場が決まった。 今年1月の国民スポーツ大会では「不甲斐ない演技をした」と悔やむも、あと2シーズンで引退することを決めており、「悔いのない競技生活のためにできる限りのことをやろうと気持ちが新たになった試合だった」と振り返る。 今シーズンのフリーはミュージカル映画の「La La Land」、ショートプログラム(SP)は昨シーズンのフリーで使用した「SAYURI」をSPバージョンにリメイクした。スケートを始めた当初からアップテンポの曲が多かったが、昨シーズン初めてゆったりとした曲調の「SAYURI」を使用し、曲と滑りがマッチした感覚があった。SPには苦手意識があるが、この感覚を信じて、昨シーズンよりも1つでも多くの試合に出場すること、そして当初より抱いている「見ている人の心を動かすような演技をする」ことが目標だ。 昨シーズンこそ結果がついてこなかったが、コツコツと努力を重ねて成長し続けている木下であれば、きっと近いうちに大きな花が咲くであろう。大きな舞台で、観客の心をわしづかみにする。そんな姿を見られる日がくるのを今から楽しみにしている。
澤田亜紀