法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

Wkipediaの「アメリカン・ニューシネマ」項目から『ダーティハリー』が削除されたことに大月隆寛氏らが何らかの陰謀を見いだしているらしい

 まずWikipedia編集履歴を確認すると、『ダーティハリー』と『時計じかけのオレンジ』が作品リストから削除されたのは8月27日のこと。
「アメリカン・ニューシネマ」の版間の差分 - Wikipedia
 この編集者が参加したとわかるのはこの時だけだが、変更履歴を見ると似たアドレスが散見されるので、以前から何度か参加しているのかもしれない。ここはよくわからない。
「アメリカン・ニューシネマ」の変更履歴 - Wikipedia
 また、その少し前に映画関係の項目をよく編集しているTYK 821e氏も作品リストからいくつか消していることが確認できる。
「アメリカン・ニューシネマ」の版間の差分 - Wikipedia
 それ以前の編集がTYK 821e氏による2023年11月のものなので、ここ最近にインターネットでニューシネマが話題になったことをきっかけに編集された可能性は高いだろう。


 下記エントリでまとめたように、発端となった感想において、北村氏*1は『ダーティハリー』をニューシネマの影響下にありつつ、ニューシネマ的かどうかはわからないと評していた。どちらでもかまわない立場だ。
もしも北村紗衣氏の『ダーティハリー』感想におけるアメリカンニューシネマの説明がまちがっていたとしても、あまり感想の良し悪しとは関係がないし、ウソをついたことを意味しない - 法華狼の日記
 くわえて北村氏は著名なWikipedia編集者だが、感想ではWikipediaに言及していなかった。そもそもニューシネマの説明は一般的な見解でしかなく、わざわざ出典を出していなった。
 Wikipediaの作品リストを出典として利用したのは、北村氏にnote記事で反論しようとした映画にわか氏だった。『ダーティハリー』はリストにふくまれていたが、「あからさまな暴力やセックス表現」がニューシネマの主な特徴のひとつという記述に映画にわか氏は反論したので、むしろリストにふくまれないほうが映画にわか氏の傍証となる。
 事実として米日の両リストにふくまれる映画を列挙するなかで『ダーティハリー』にふれていなかった*2。もっとも、北村氏の感想を前提としているため記述の重複をさけただけなのかもしれないが。
シェイクスピア研究者の北村紗衣さんがアメリカン・ニューシネマについて俺の個人的なニューシネマ観とはかなり違うことを書いていたのでそれを説明しつつニューシネマのいろんな映画を紹介する記事〔改訂版〕|須藤にわか

二つのリストに共通する作品をいくつか挙げると、たとえばマイク・ニコルズの『卒業』、スチュアート・ローゼンバーグの『暴力脱獄』、ジョン・シュレンジャーの『真夜中のカーボーイ』、デニス・ホッパーピーター・フォンダの『イージー・ライダー』、ジョージ・ロイ・ヒルの『明日に向かって撃て!』などがある。

 北村氏は再反論でもWikipediaを利用しなかったし、そもそも争点にしなかった。もちろん1981年の『アメリカン・ニューシネマ名作全史』のような『ダーティハリー』をニューシネマにふくめる資料を出したりもしていない。

 つまり『ダーティハリー』をWikipediaの「アメリカン・ニューシネマ」から除外する動機が北村氏や同調者にあるとは考えづらい。



 しかしなぜか北村氏もしくは賛同者が編集をおこなったかのような陰謀論が流れている。何人かが言及しているが、特に注目されているのは「dada@yuuraku」氏のツイートだろうか。


なにか恐ろしい闇の力でWikipediaアメリカンニューシネマの項目からダーティハリーが消えたようだぞ

 上記を引用して、ドラマ『相棒』の「あ~ おっかないおなごだわ。」という台詞のキャプチャ画像や、「人文姫」*3という表現で女性の行為を示唆するツイートがある。


恐ろしい闇の力(Wikipedia内)と言うあたり、ほんと人文姫のショボさが現れててエモい

 先述のように「さえぼう」の通称でも知られる北村氏はWikipediaの著名編集者でもある。そこから関連を主張する「魚か@naakass」氏らのツイートもあった。


一応知らない人もいるかもだから言っておくと、さえ某はWikipediaの編集者。。。。。


当事者がwikiの首魁だからかなー

 そして大月氏*4も編集に対して異議をとなえたいかのようなツイートをしていた。


(゚Д゚)ハァ?

 そもそも北村氏による『ダーティハリー』の感想が発端ということすら大月氏は理解できていない。ニューシネマの定義にこだわったのは映画にわか氏だ。


アメリカンニューシネマ」の定義がどうこうとか全く関係なく、そもそもあんたその「ダーティー・ハリー」を楽しんだん? オモロい映画だと思ったん?そうでないなら、それはなんでなん? 能書きや大文字のリクツでなく語ってみたらどうなん?、と、まずはそこからなんでないん?

#もうどうにでも


 ちなみに、『ダーティハリー』がニューシネマにふくまれると北村氏が主張したかのような認識から、『ダーティハリー』がニューシネマにふくまれないという主張が北村氏への批判になるという誤認も散見される。
 特に注目されているのは町山智浩*5による下記ツイートだが、こちらは北村氏を直接的に指しているわけでもなく、あまり争点を把握しないまま一般論を語っただけに見える。


『ダーティ・ハリー』がニューシネマとして論争になってるようですが、『ダーティ・ハリー』は狭義の「アメリカン・ニューシネマ」には含まれません。既存のハリウッド・システムとベテランの職人による、むしろ反ニューシネマです。

 そもそも先述したように北村氏の感想でも、あくまで影響下にあることを指摘しているだけで、ニューシネマとは断言していなかった。
メチャクチャな犯人とダメダメな刑事のポンコツ頂上対決? 『ダーティハリー』を初めて見た – OHTABOOKSTAND

ダーティハリー』もこのニュー・シネマの影響下にある警察映画だと思うんですが……でもニュー・シネマ的なのかどうかがよくわかりませんでした。

 町山氏も『ダーティハリー』を詳細に論じるなかで反ニューシネマという規定はつづけつつ、監督らがニューシネマの手法をとりいれていたことも指摘していた。


ダーティハリー』のドン・シーゲル、『北国の帝王』のロバート・アルドリッチ、『ラストラン』のリチャード・フライシャーはニューシネマの手法を取り入れながら反ニューシネマを作り続けた職人でした。

 つまりここでは北村氏と町山氏の見解におおきな違いはない。Wikipediaの編集にしても『ダーティハリー』がニューシネマではないと明言した町山氏の影響を受けた可能性がまだ高いだろう。


 しかし町山氏の最初のツイートが北村氏への批判になるかのような解釈がされ、映画にわか氏が編集したTogetterにも「北村さんの『ダーティハリー』感想記事に対する映画評論をやっている人のツイート(参考意見)」として収録された。
北村紗衣さんとツイッターでニューシネマのお話をしたのでまとめました(編集なしの完全版) - Togetter [トゥギャッター]
 さらに年間読書人こと田中幸一氏のnote記事において、上記Togetterが言及されつつ町山氏のツイートが引用されて、北村氏が反論できない批判であるかのように流布されていった。
北村紗衣という「ひと」 : 「男みたいな女」と言う場合の「女」とは、 フェミニズムが言うところの「女」なのか?|年間読書人

著名なベテラン映画評論家である町山智浩が、明確に、次のように断じており、これに対しては、「北村紗衣」氏は、反論していないのである。

『 町山智浩@TomoMachi
『ダーティ・ハリー』がニューシネマとして論争になってるようですが、『ダーティ・ハリー』は狭義の「アメリカン・ニューシネマ」には含まれません。既存のハリウッド・システムとベテランの職人による、むしろ反ニューシネマです。
2024-08-26 8:14:32』

つまり、「北村紗衣」氏は、自身の偏見に満ちた思い込みによる「個人的な定義」を、いくつかの海外の研究家の「個人的定義」を引き合いに出すことで、さもそれが「学術世界での定義となっている」かのように強弁して、ありもしない「学会の常識」の権威で、アマチュアの映画ファンである「須藤にわか」氏に対し「素人は黙っていろ」と、お得意の「上から目線の断言」で、マンスプレイニングに押し潰そうとしただけ、なのである。

 あらためて上記Togetterのコメント欄を見ると、町山氏のツイートが北村氏には不利であるかのように「上野 良樹🍉@C104 8/12 東地区 “V” ブロック 22b@letssaga3」氏が田中氏のnote記事を引いている。


https://note.com/nenkandokusyojin/n/n7ce06f9ebd9b?sub_rt=share_pw 北村氏の手法の巧みさがよく分かりますね。たとえば町山智浩氏が自分に不利な発言をしても標的にしない訳です。標的の取捨選択に巧みと云えましょう。

 またコメント欄では「闇属性@sandletter1」氏がWikipediaのリスト編集を指摘しているが、北村氏の視点の偏りを主張しつつ*6Wikipediaは出典にならないと映画にわか氏へ主張もしているので、どちらかといえば編集が可能なこと自体が北村氏にとって有利といえなくもない。
 他に「happy_world@happy_world2」氏が「Wikipedia編集はさえぼう氏の得意技ですしね」とコメントしたり、「cyber_tom@tom_hirasa」氏が編集に怪しさを見いだしているが、どちらも具体性を欠いているので主張としての意味はない。


 しかし北村氏が『ダーティハリー』をニューシネマにカテゴライズしたがっているという誤認と、北村氏がカテゴライズから『ダーティハリー』を除外したいという誤認は、同じ誤認でも仮想された北村氏の動機は正反対だ。
 つまり本来ならふたつの誤認は別の人物がおこなっていると考えるべきなのだろうが、「魚か@naakass」氏などは先述のようにWikipediaの編集に陰謀を見いだしつつ、田中氏のnote記事を必読と紹介している。


こ、これは。。w序盤は散漫で冗長にも思えるけど読み応えのある記事なんで、さえ某アメリカンニューシネマ発狂事件に興味ある人は必読。
北村紗衣という「ひと」 : 「男みたいな女」と言う場合の「女」とは、 フェミニズムが言うところの「女」なのか?|年間読書人 #note

 また、「happy_world@happy_world2」氏は編集については言質をとられないようふるまっているが、田中氏のnote記事には全面的に依拠したツイートをおこなっている。


https://note.com/nenkandokusyojin/n/n7ce06f9ebd9b?sub_rt=share_pw
これ見るだけでも相手の指摘をごまかし続け、無理矢理に自分の(的はずれな)論旨に引きずり込もうとする、場合によっては運営通報スラップ訴訟などの盤外戦も辞さないmのどこが「卑怯でない」のか、理解に悩みますなぁ。

 大月氏のような著名人をはじめ、ニューシネマのリストから『ダーティハリー』が削除されたことに陰謀を見いだしている人々は、いったいそれが誰の何のための編集になると思っているのだろうか。
 利用できれば精査せず矛盾する主張でも採用してしまっているだけではないというなら、きちんと説明できるだろうか。

*1:はてなアカウントはid:saebou

*2:リンクしたnote記事は、批判されてタイトルを変更したり主張が主観と明記しなおしたうえで、noteに書きこまれたコメントの問題を北村氏に抗議されたため、コメント禁止を宣言して自己転載したもの。

*3:まとめたエントリの注記で紹介した北村氏を揶揄するTogetterのタイトルにもつかわれているので、同定されると考えても良さそうだ。人文姫トーーク! - Togetter [トゥギャッター]

*4:はてなアカウントはid:king-biscuit

*5:はてなアカウントはid:TomoMachi

*6:反論において北村氏が一般的な百科事典を引いていることを無視しているが。