ふたたびまどろみのなかで

原口昇平のブログ

反差別運動の中に必然的に潜む脆弱性 ―― RÉSISTIQUEに対するデマの検証を通じて

文責:原口昇平  協力:春日そら

序章 この報告書を読めば分かること

反差別運動は、必然的に、ある危うさを内部に抱え込んでいるのではないでしょうか?

筆者はこの報告書で、その危うさについて皆さんと共に考えていきます。

そのために、日本語圏のパレスチナ解放運動の内部で最近生じた告発から始まるネットリンチを取り上げます。

そして、事実確認を通じて告発が実際にはデマであったことを改めて明らかにするとともに、今のところ得られた根拠と考えられる範囲で告発の正当性に対する疑いを提示します。

そのうえで、結論として次のことを指摘します。反差別運動は差別なき社会を目指しているので、まずは運動自身をインクルーシブにするため内部から差別を排除しようと注意しており、その努力を続けている限り参加者は互いに信頼を寄せ合っています。しかし、だからこそ、しばしばこの信頼が強すぎて、他の参加者の差別に関する告発を真実か確かめる前に信じて拡散してしまうことや、無意識の偏見に気づけず実は別のマイノリティである人を差別的だと即断して排除してしまうことがあるのではないでしょうか。それは、運動をたやすく分断に至らせる反差別運動独特のセキュリティリスクです。

0.1 付記 1 ―― 筆者とこの報告書の目的について

筆者(原口昇平)は、詩人、翻訳者、ライターであり、この報告書の作成時点ではパレスチナ解放運動に参加しています。そして、パレスチナ解放という目的を除くと、この報告書に登場するどの個人または組織とも一切の利害を共有していません。特に、今回取り上げるデマの被害者たちから金銭、商品、接待等の見返りを一切受け取っておらず、いかなる法律の上でも第三者であり、独立した立場を一貫して維持しています。

筆者は、過去にいじめやネットリンチを受けたこともあって、今回のデマによるネットリンチを初期から看過できず、事実関係を調べてきました。

筆者がこの報告書を作成し公開する目的は、特定の個人、組織、または運動を標的として攻撃することにはありません。日本語圏のパレスチナ解放運動の内部において最近発生したデマについて事実を確認することで、貶められた人びとの名誉を回復し、反差別運動の歴史の中で繰り返されてきた無実の仲間に対するリンチをやめるよう訴えることにあります。

なお、筆者はこの報告書の公開後、パレスチナ解放のための対面の集団的行動(デモや集会)には、筆者自身が主催者や責任者でない場合、主催者や責任者から公式に招かれない限り、一切参加しないことを約束します。これはひとえに、筆者がこの報告書で事実を提示したことによって感情を害された方々が、現場で思いがけず筆者に出くわすかもという不安にかられることなく集団的行動に参加できるようにするためです。ただし、24年1月から毎週か隔週のペースにて路上で続けてきた筆者単独のパフォーマンスについては、筆者は今後も続けていきます。

0.2 付記 2 ―― この報告書が立脚する資料と証言、そして報告書の達成と限界について

この報告書を作成するまでに、筆者を含む有志は、今回取り上げるデマに関する資料や証言を可能な限り多く収集しました。

また、デマの被害者や事情を知る第三者から聞き取りを実施しました。

ただし、デマの加害者側のうち、とりわけ最初に公に発信した者からの聞き取りは、この報告書の作成時点では、さまざまな事情により実現しませんでした。

このため、この報告書は以下の達成と限界をもっています。

  • デマの被害者が実際には言っていないことややっていないことを、デマのせいで言ったことややったことにされてしまったという事実については、この報告書は、資料と証言に基づき、相当の確かさで明らかにすることができました。
  • デマの加害者がどのような根拠や理由でデマを発信したのかは、とくに最初のデマ発信者の証言を欠くため、十分明らかにはできませんでした。それでも、デマ発信者が誤信を真実だと信じ込むに足る客観的根拠をもっていなかった可能性を、この報告書は、被害者から提供されたデマ発信者と被害者のやりとりの要約に基づいて指摘します。第 2 章 2.4.1 を参照してください。

 

第1章 デマの拡散プロセス ―― 告発、反響、波及

本章では、日本語圏のパレスチナ解放運動の内部でごく最近生じたデマの拡散プロセスを取り上げ、次章で事実確認の対象とするデマの全体像を描きます。

1.1 告発 ――「ガザの身元確認を合言葉を言って理解できなかったらAIと判断してた人」

信じられないことが起きてる。ガザの身元確認を合言葉を言って理解できなかったらAIと判断してた人に、朝鮮人大虐殺と同じロジックだしろう者や発音によっては理解できないからやめてと言ったら、その指摘は想定済みと言われた。怖いよ。某人気のFREE PALESTINEアクセサリーを作ってるアカウントです。— 👨🏻‍🦳 (@mainichi_orikou) 2024年6月2日

上に掲げる X の投稿が、ネットリンチを引き起こした告発です(※7 月 20 日に削除されました)。次章で事実を確認して明らかにするとおり、これはデマです。

告発対象は、一見すると明示されていないかのようです。

しかし実際には、「某人気のFREE PALESTINEアクセサリーを作ってるアカウント」はその希少な取り組みゆえに、多くの人にとって当時ほぼひとつしか思い当たりませんでした。

すなわち、日本語圏のパレスチナ解放運動の中では当時多くの人に知られつつあったジュエリーブランド、RÉSISTIQUE です。*1

このブランドが「ガザの身元確認を合言葉を言って理解できなかったらAIと判断してた」ということにされてしまったため、この告発は大きな注目を集め、日本語圏のパレスチナ解放運動の内外へ極めてセンセーショナルな反響を巻き起こしました。

 

1.2 反響 ――「シボレス」というレッテル

告発投稿が獲得した反響の大きさは、33.2万回の表示、229回のリポスト、833のいいね、561のブックマークという数字(この報告書の作成時点)に、端的に現れています。

なぜそれほど衝撃的に受け止められたのでしょうか?

後述するようにこれは実際にはデマなのですが、もしもこれが真実であれば、2023年10月以降のガザ大虐殺に反対・抵抗する人びとに寄り添おうとしてきたブランドが、歴史上の数々の虐殺において使われてきた「シボレス」という手法を使ってしまっていることになるからです(なお「シボレス」の定義は2.2.2を参照してください)。

そのように受け止めた代表例が、前述の告発を引用リポストした次のX連続投稿です。1つめの投稿はこの報告書の作成時までにすでに削除されています。

多分あのアカウントだろうなと・・。
結構いやかなりショックです。

こういう言葉の発音などで集団の構成員かどうかを確認するのをシボレスを用いるというけど、歴史上何度もそのやり方を使って差別や殺人が起きているので

— mgm🇵🇸🍉🫒🗝️ ||| (@mgm465503040415) 2024年6月2日

 

1.3 波及 ―― ネットリンチ

告発とその反響を受けて RÉSISTIQUE は6月3日、誤解を解くため声明を発表しています。告発投稿にやや近い注目を集めたものの、より少数にしか受け入れられませんでした。29.4万回の表示、192回のリポスト、344のいいね、284のブックマークがそれを示しています。

かたや告発の反響の波及効果は広範囲に、しかも深刻に及びました。以後、RÉSISTIQUE の投稿の表示回数やいいねの数は急減します。デマは SNS の外でも広がったかもしれません。6 月 2 日の時点ですでに「私はもってなくてよかった。今後持ってる人に教えてあげよう」と言っていた最初の告発者や、これを信じた人たちは、その後たびたびイベントやデモに参加していることから、悪評が口コミでも広がった可能性はあります。

そして 12 日後には、次のような投稿まで現れます。

極めて辛辣な皮肉です。投稿者は、パレスチナ解放運動の参加者たちの間で、RÉSISTIQUE のアイテムが以前とても大きな人気を集めており、そしてこの時点ではもうその人気が地に落ちてしまっていると認識しています。それでプロテストの場所で捨てられてしまっているのに出くわしそうだということで、「拾いそうで怖い」と冷やかしているのです。

 

RÉSISTIQUE ではこのころから、深刻な体調不良者や脱退者が相次いだことが、筆者を含む有志による聴き取りから分かっています。

むりもありません。

パレスチナ解放運動であれほど人気と尊敬を集めたブランドが、「令和の15円50銭」と言われるほど差別主義者・虐殺者のレッテルをはられてしまったのです。これは、すでにアイテムを受け取って着用していた人びとの心象や評判にまでかかわるできごととなりました。個々のお店にあいさつ回りをしてアイテムを供給していたひとや、個々の購入者とメールでやりとりしていたひとは、よほど強くなければ、メンタルをやられてしまうでしょう。

 

以上ここまで、 RÉSISTIQUE がまず「ガザの身元確認を合言葉を言って理解できなかったらAIと判断してた」と告発され、次に反響の中で「言葉の発音などで集団の構成員かどうかを確認する」「シボレス」に該当するなどと非難され、さらにそれが波及した結果として「令和の15円50銭」などと強烈に中傷され、RÉSISTIQUE メンバーから体調不良者や脱退希望者が続出したことを確認しました。

しかし、この告発は、次章で示すように真実ではありません。しかも、特に 2.4.1 で示すようにこれは単なる誤解の範囲を明らかに超えており、告発の正当性が強く疑われます。

 

第2章 事実確認

本章では、事実確認を通じて、前章でまとめた告発、反響、波及を通じて形成されたデマの全体をすべて検証します。

2.1 告発された発端の提案 ―― グループ DM に投稿されたボイスメッセージ

発端となるできごとが生じたのは、Instagram のあるグループ DM です。この中では、パレスチナ被占領地のガザ地区から金銭的支援を求めている人びとへの寄付活動に取り組む有志が、情報を交換していました。

これに参加していた RÉSISTIQUE の A さん(以下「Aさん」といいます)は 5 月 28 日、グループ DM の他のメンバーたちに、急いで詐欺の対策を共有しなければという思いに駆られたといいます。他のメンバーから、詐欺に遭ったようだという報告があったからです。詐欺犯から仲間や支援対象を守らなければなりません。そこで、自分がもっている知識を参考までに提供することにしたそうです。*2

しかし A さんは当時スマートフォンで長い文章を書けずにいました。まず、勤務中だったからです。また、特性上、書くことよりも話すことを得意としていたからです。ではどうするか? A さんは、仕事で詐欺に関するコメントを顧客や警察から求められた経験もあるので、電話でそれを話しているふりをしてボイスメッセージを録音し、シェアすることにしたといいます。

このとき送信した 3 つのボイスメッセージのうち、最後のものに含まれる詐欺対策の提案(以下、「発端の提案」と呼びます)が、mainichi_orikou さんらによって特に批判されることになりました。その内容全体を音声から書き起こし、以下に引用します。

 「何か、テレビとか何か騒がしい言語とかが行き交うような音声があえて入り込むような状況を作って、そこでこのように音声の録音する機能を使って『ラー・イラーハ・イッラッラー』と結構カタカナっぽい発音で言ってみてください。これに対して『何言ってんの? 早くお金送ってください』という人は、おかしいですね。ガザの人ではありません」 

RÉSISTIQUE の取り組みはこの発言をもって、mainichi_orikou さんから「ガザの身元確認を合言葉を言って理解できなかったら AI と判断してた」と糾弾され、また他の人びとから「シボレス」「令和の15円50銭」などと非難されました

しかしグループ DM に参加していなかった筆者が今回、第三者から提供された RÉSISTIQUE の A さんの該当するボイスメッセージを注意深く聞いたところ、これらの糾弾や非難は不当ではないかと思われました。A さんは危機感のせいか、勤務中だからか、どちらにせよ明らかにとても急いで話しているので、性急な印象は受けますが、それでも上記のような糾弾や非難に値するものではありません。次節以降で説明します。

 

2.2 発端の提案について、ボイスメッセージのみから分かること

A さんによって提案されていた「ラー・イラーハ・イッラッラー」(アッラーの他に神はなし)という言葉かけは、そもそも「合言葉」ではなく、ましてその類概念「シボレス」でもありません。そのことを、後日聴き取りから分かったことを加えずに、ボイスメッセージだけを読解して明らかにします。

2.2.1  「合言葉」ではない

まず、「合言葉」とは、互いが味方であることを認証するために仲間内で使われる言葉をいいます。これは合図の問答です。例えば、「山」と問われれば必ず「川」と答えるもの。これは、赤穂浪士の吉良邸討ち入りにおいて暗闇の中で敵味方を区別するために使われたとされ、日本語文化圏では最も有名な合言葉です。もちろん言葉に限らず、口頭で発せられた問いに対して行動で答えるものも、合言葉です。例えば、合図の言葉を聞いたらすぐ、立った状態からいっせいに座ることで合言葉を知らないスパイをみつける「立ちすぐり」、その逆である「居すぐり」です(すぐり=選ぶ)。どちらにしても合言葉というなら、それは合図なのですから、ひとつの問いに対する正しい応答は厳密にひとつしかありません

では、「ラー・イラーハ・イッラッラー」(アッラーの他に神はなし)はどうでしょうか。この言葉に対する反応は、さまざまなものがありえるでしょうそもそも、合言葉とは違って相手に反応を強制してすらいませんから、無反応であっても問題はありません。A さんは、この言葉に対し、(例えば「ムハンマドゥン・ラスールッラー(ムハンマドアッラー使徒なり)」など)特定の応答がなければ相手は詐欺犯であるとはあくまで述べていません。さまざまな反応の可能性がある中でも、ただ「何言ってんの? 早くお金送ってください」という失礼な態度の反応があれば要注意だという主旨の発言をしているのです(これが確かに要注意である理由については後述します)。

2.2.2 「シボレス」ではない

次に、「シボレス」とは、相手に決まった言葉を言わせたり行動をさせたりして、その発音やふるまいから敵味方を見分けることです。この定義は語源までさかのぼります。すなわち、旧約聖書の士師記第12章5-6節で、エフライム人を破ったギレアデ人が、落ちのびていく人びとに「シボレテ」(ヘブライ語で「麦角」)と言わせたという記述です。この中でギレアデ人は、エフライム人の多くがこの言葉を「セボレテ」としか発音できないことに基づいて、「セボレテ」と発音した人びとを捕らえ大量に殺したとされます。ここから、発音やふるまいに基づき敵味方を識別することを、シボレスを用いるなどというようになりました。これは古代から現代までさまざまな虐殺に使われてきた手法です。日本語圏でよく知られている現代の例としては、1923年9月に日本の関東大震災後に日本人が引き起こした朝鮮人大虐殺にて使われた「15円50銭」、1937年10月にドミニカ共和国の北西部で同国陸軍が行った「パセリの虐殺」で使われた「perejil(パセリ)」、太平洋戦争でアメリカ軍が日本兵スパイを識別する目的で使った「lollapalooza(驚くべきもの)」などがあります。

一方、A さんが提案していた「ラー・イラーハ・イッラッラー」(アッラーの他に神はなし)は、ボイスメッセージで明言されていたように相手に発音させる言葉ではなく、支援者自身がいう言葉なのです。したがって「シボレス」ではありません。

もちろんここで、「合言葉」にせよ「シボレス」にせよ、もっと広義の(または比喩としての)捉え方が可能ではないかと考える読者がいるかもしれません。例えば「合言葉」は標語、「シボレス」は文化的指標、というように。しかしそのような広義の捉え方は、どんなものであれ、本来の「合言葉」や「シボレス」が本質的に抱えているはずの危険や暴力性を薄れさせてしまいます。その危険や暴力性とは、ほとんどすべてのマイノリティに重くのしかかるものです。実際、歴史上、「合言葉」や「シボレス」を用いた虐殺では、殺されたのは標的とされた属性の人だけではありませんでした。耳が聞こえない人のように発音すべき言葉が聞き取れないと、殺されました。自閉症者のように発語がなくても、また場面緘黙症でも殺されましたし、方言の使用者も発音を理由に殺されました。なんなら、少しぼーっとしていても……。だからこそ、朝鮮人大虐殺の「15円50銭」は、朝鮮人以外の属性の人びとにとってもまた、他人ごとではなく自分ごととして重く受け止められているのです。したがって、虐殺下の身元確認という文脈で A さんの発言が告発されていた以上、ここまでに見たような意味での、本来の「合言葉」や「シボレス」にそれが本当に該当するかが問題なのです。そして、A さんの提案がそれらに該当しないことは上記のとおり確認しました。なお、支援対象が耳の聞こえない人であった場合については 2.3.1 を参照してください。

2.2.3 相互の信頼を築きながら希望をつなぐ言葉だろう

では、「ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーの他に神はなし)」は、「合言葉」でも「シボレス」でもないなら、何でしょうか
これは筆者を含む有志の共通した感想ですが、相手がガザ地区アラビア語話者なら、一方的に相手の身元確認を行う言葉ではなく、相互の信頼を築く言葉となるのではないでしょうか。
というのも、ジェノサイドを生き延びようと死にものぐるいになっているガザ地区の人が、助けを乞うた先の遠い日本の人と、さまざまなやりとりをした後で、全く思いがけなく、相手からムスリムにとっての信仰告白にあたる言葉を聞いたとしたらどうか、想像してみてください。

表面に現れる反応としてはさまざまなものがありえますが、心情としては、ムスリムなら慈愛を感じて救われる気持ちになりそうです。キリスト者なら(よく知られているようにガザ地区で両者が共存している以上)信仰は違っても共通した慈愛の精神の持ち主だと考えるのではないでしょうか*3

いずれにせよ、支援対象が、本当にジェノサイド下のガザ地区から助けを求めている人であったなら、この言葉を発されたらただちに「何言ってんの? 早くお金送ってください」などと失礼な態度で言うことは、確かにまずなさそうです。

2.2.4 小結論 ―― 発端の提案に「合言葉」「シボレス」という誤解の責任を負わせる主張は不当だろう

以上、ボイスメッセージの音声に基づく書き起こしだけを読解することにより、発端となった RÉSISTIQUE の A さんによる発言が、「合言葉」や「シボレス」を提案しているものではなかったことを確認しました

RÉSISTIQUE の A さんが提案したのは、「山/川」「シボレテ」「15円50銭」のように、人間らしい会話を打ち切っていきなり正確な認証パスワードを要求するような、支援対象に心理的負担をかけるものでは全くありませんでした。

むしろ、人間らしい会話の中で、支援対象が求める慈愛や救済の片鱗をほんの少しでも垣間見させ、わずかな希望をつなぐ言葉だったのではないでしょうか。筆者を含む第三者有志には、配慮をもって考え抜かれた、心を尽くした言葉かけであるように思われます。

この小結論には、大きな意味があります。つまり、発端となった RÉSISTIQUE の A さんの提案それ自体は、その後大きく広まったデマの根源であるとはいえないということです

告発以降、 RÉSISTIQUE を非難した人びとの多くは、後で告発が事実に反するという指摘を受けてもなお、発端の提案こそデマの根源であるかのような主張をし続けてきていました。例えば、mgm さんは、1.2 で取り上げた「シボレス」発言を撤回した後の 6 月 25 日になってもなお、X上で筆者の投稿への返信として公然と「『レジスティキさんがシボレスをしていた事実はない』ということと、『明らかに、そのような行為をしていると考えられる言動があった』ということは同時に成立します」と発言しました。また、mainichi_orikou さんは 7 月 13 日、1.1で取り上げた告発について、確認したところそんな事実はなかったという筆者の指摘に対し、「そもそも私を誤解させたのはレジスティキさんのボイスメッセージと【そのような指摘は想定済みです】という態度ですよ 」と述べました。この認識は 7 月 20 日もなお基本的には変わっておらず、mainichi_orikou さんは「レジスティキさんが実際やっていた行動はDMグループ内の発言とは異なり、DMグループ内でのレジスティキさんのボイスメッセージが間違っていました」と述べ、いまだデマの根源はボイスメッセージにあると示唆し続けています。

確かに A さんの発言は、性急ではあったかもしれません。しかし周りの人が、 A さんの発言をいきなり批判するのではなく、ボイスメッセージを繰り返しよく聞き、支援対象に「ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーの他に神はなし)」という言葉をかけることの意味や効果をしっかり考えたうえで、「合言葉」「シボレス」の本義を改めて確認していれば、A さんの提案がそれらに当たらないことは当初でも分かったはずでしょう。

今後、 RÉSISTIQUE の A さんの発言自体がデマの根源であるという主張は、やめるべきではないでしょうか。

 

重要:この節は、あくまで  RÉSISTIQUE の A さんによって提案された方法が「合言葉」「シボレス」に該当しないことを立証するためのものであって、その方法を身元確認に使うことを推奨するためのものではありません。なぜなら、この報告書が公開された段階で、この方法は詐欺犯にも知られてしまったという前提に立たなければならないからです。今後、寄付支援活動で身元確認を行う場合はこの方法は無効となってしまうことについて、筆者は  RÉSISTIQUE の了承を得ています。 RÉSISTIQUE がデマによってこれほど中傷された以上、この報告書の公開時点でこの方法を使っている寄付支援者はおそらくいないだろうとは思いますが、万が一いたら読者が無効となったことをその支援者に伝えてください。

 

2.3 発端の提案について、後日の聴き取りから分かったこと

ここからは、RÉSISTIQUE および 2.1 で言及したグループ DM の他のメンバーから有志が聴き取った情報も加えて、検討を続けます。

前節で読者の方は、二つの疑問を持たれたかもしれません。

第一に、相手が、耳の聞こえない・聞こえづらい人だったらどうか? 

第二に、ムスリムでなさそうな人が信仰告白をした場合に、敬虔なひとは「何言ってんの? 早くお金送ってください」と怒っていう場合もあるのではないか? そのように、こちら側が間違いを犯す可能性は常にあるのではないか?

一つひとつ検討していきましょう。

2.3.1 相手が耳の聞こえない・聞こえづらい人だったら? ―― 障害の有無や一緒に避難している家族がいるかも確認していた

mainichi_orikou さんは、 1.1 にて言及した 6 月 2 日の告発投稿で、RÉSISTIQUE の提案した言葉かけは「ろう者」には「理解できないからやめて」と言っています。グループ DM の別のメンバーも、mainichi_orikou さんに同調し、RÉSISTIQUE の A さんが方針として耳の聞こえない・聞こえづらい人を支援対象から排除しているのではないかと疑っていました。筆者と個人的にやりとりした中でそう打ち明けたそのメンバーは、A さんがグループ DM に投稿した 3 つのボイスメッセージの最初で、「私の方にもこのようにたくさん、たくさんたくさん寄付のお願いが来ておりまして、そのうち何名か、というかほとんどの方に音声で話しかけてみたんです」と述べたことを、疑った理由として示唆しました。そして耳の聞こえない人がグループ DM に参加していてショックを受けていたことも挙げました。

当事者がどのように感じたかについては、筆者は尊重します。その方の状況によってはマイクロアグレッションに聞こえるかもしれません。A さんはその方へのお詫びのために改めて準備をしているといいます。

それでも A さんのその発言は、「やりとりには音声を必ず使っています/使いましょう」などという排除的な方針をいうものではありません。文字通り単に「ほとんどの方に音声で話しかけてみた」という実際のことをいっているだけです。実際にたまたま A さんに助けを求めてきた人の「ほとんど」が耳の聞こえる人だった場合が考えられます。*4

方針としては、RÉSISTIQUE は、相手に音声メッセージを送るのは「相手が本当にガザにいるのか分からないとき、私たちが使える言語を相手の方がどのくらい使えるかを事前のやりとりから察したうえで、聴覚や言語機能に障害がなさそうだと判断される場合」だと、6 月 3 日、公式声明で説明しています。

筆者を含む有志は念のため、支援対象と RÉSISTIQUE の A さんがやりとりした記録を、許可を得て確認しました。詳細は明かせませんが、ほとんどが避難先からの連絡であり、先方の周囲に複数人の家族がいる状況だと分かりました(場合によっては 2 家族以上が狭い場所に身を寄せ合っているらしいこともありました)。両者が互いを知り信頼を築くため、危険でない範囲でさまざまな形式でさまざまな情報をやりとりしており、相手本人か、一緒に避難している家族の中に耳が聞こえる人が明らかにいると分かる内容でした。ジェノサイド進行中ですが会話はあたたかく、支援対象に負担をかけているように感じられることはありませんでした。むしろ、心がこもった言葉を交わし合っているという印象を受けました。

つまり、耳が聞こえない・聞こえづらい人を支援し包摂する状況が相手側にあることが確認されるケースばかりでした。

2.3.2 それでも納得できない人へ ―― 支援者が間違う可能性は常にあるが、現況の困難の根本原因はイスラエル軍の所業にあり、A さんは困難な中でも支援対象に手を伸ばそうとした

今回グループ DM に参加していた他のメンバーの中には、次のような疑問をいだいていた人がいました。つまり、ムスリムでなさそうな人が信仰告白をした場合に、敬虔なひとは「何言ってんの? 早くお金送ってください」と怒っていう場合もあるのではないか? あるとすると、そうした敬虔なひとをただちに支援対象から除外するのは問題では? というのです。

確かに相手が内心で怒る可能性は、常に全くないとはいえません。

ただしその怒りのせいで相手が「何言ってんの? 早くお金送ってください」と言う可能性は極めて低いでしょう。支援者にかける言葉としてはかなり失礼だからです。

なお、RÉSISTIQUE の A さんから話を聞いたところ、実際にお互いの情報を交換したうえで最後に A さんが「ラー・イラーハ・イッラッラー」(アッラーの他に神はなし)と発言したときに実際に受けた反応は、驚き、喜び、強い感動や感謝などの表現がほとんどだったといいます。

 

また別の人は、いずれにせよ、身元確認はどんな方法であっても間違えるおそれが常にないと言い切れない、と筆者に指摘していました。

それはそうです。そしてそんな状況をいま作り出しているのは、支援者側ではなく、イスラエルなのです。身分証明書のみを提示されて身元を確認できたと思ったとしても、実は相手はガザ地区の破壊された家屋に侵入してその身分証明書を奪ったイスラエル兵だったかもしれませんだからこそ、さまざまな方法を組み合わせる必要があります。その一方法を提案した RÉSISTIQUE の A さんは、実際にさまざまな方法を組み合わせていたことを有志の聞き取りにはなしています。そればかりか実は、告発前に mainichi_orikou さんにも明確に伝えていたのですが、それは告発の不当性を論じる 2.4.1 で詳しくみることにしましょう。

 

そもそもジェノサイド下では、身元確認そのものが、支援対象にとって負担となります。支援対象は、今にも殺されそうになっているというのに、まずあなたがあなた自身であることを証明してくださいと要求されたなら、つらい気持ちになるでしょう。

しかし、相手に負担となるという理由で身元確認をしないなら、RÉSISTIQUE の A さんは最初からパレスチナを支援できませんでした。なぜなら詐欺犯の中にはイスラエル兵(またはイスラエル国籍をもつ米国人やカナダ人)がおり、口座名義などの個人情報がそうした存在に漏れてしまった場合は、業界や組織によっては仕事が続けられなくなる人もいるからであり、A さん自身がそのような人だからです。

そこで A さんはさまざまな身元確認の方法を組み合わせ、そのなかに「ラー・イラーハ・イッラッラー」(アッラーの他に神はなし)と自分が言うことで心理的負担を本来の支援対象にかけない方法を組み込んだのです。したがってこれは、困難な状況の中でもそれでも可能な限り苦痛を増やさない方法で支援対象に手を伸ばそうとした A さんの努力のあらわれだといえます。これを「虐殺を再生産した」(mainichi_orikou さんの発言から)などと非難するのは、あまりにも不当ではありませんか。

 

2.4 告発と反響について、今のところ抱かれる疑念

ここまでは RÉSISTIQUE や第三者の聞き取りを通じて、RÉSISTIQUE が実際に言ったこととやっていた取り組みを検証し、デマやそれに基づく非難から大きくかけ離れていることを確認してきました。

ここからは今回の告発と反響について論じますが、まだはっきりとは分かっていないことがいくつかあります。特に、有志が現時点で告発者 mainichi_orikou さんからは直接聞き取りを実施できていないためです。

それでもなお、これまでに入手した情報に基づく限り、今回の告発と反響はまず正当化できないだろうと筆者を含む有志は考えています。ここからは、その最大の理由ふたつのみに絞って、説明をしていきます。

 

2.4.1 告発者は事前に個人DMで当人から告発内容を否定されていた ―― それでも告発した以上、証拠はあったのか?

筆者を含む有志は、 mainichi_orikou さんによる告発が真実でなかっただけでなく、当時としても不当であった疑いが強いと考えています。

mainichi_orikou さんはこの考えとは異なり、 7 月 20 日になってもなお、「合言葉」「シボレス」との告発は結果的に真実ではなかったが当時は正当であったとする主張をしています。「それをあの時点で指摘するのは当然のことだったと思いますが、理想的にはツイートはせず、メッセージでのやりとりなどで解決するべきでした。軽率にツイートするのは控えるべきだったと認識を改めました。

この主張を先取りするかのような問いかけが、百塔珈琲のJohanさんから春日そらさんへ 7 月 14 日に提示されていました。「誤解を招いた側も軽率さがあり、特にシボレスになり得る方法を安易に共有したことはかなり軽率だったと思います。確かに問題提起した側も、DMの切り取りなど避難(ママ)すべき点はありましたが、一方的に問題提起した側をデマを捏造した側として断罪しようとすることが理想的な解決でしょうか?聞き取りの結果シボレスには該当しなかった。問題提起した側も誤解を招いた側もそれぞれ軽率な部分があった。それで良いではないですか?

これらの 2 つは、ほぼ同じ前提に立っています。言い換えると ―― そもそも RÉSISTIQUE の A さんのボイスメッセージが「間違っていた」または「かなり軽率だった」のであって、 mainichi_orikou さんらに「合言葉」「シボレス」という「誤解を招いた」のは A さんだ。一方、 mainichi_orikou さんは「ツイート」または「DMの切り取りなど」をした点で「軽率だった」が、与えられた誤解を信じて公に問題を正当に「指摘」または「提起」しただけだ。 後でそれが事実に反していたことが分かったが、当時は正当だったのだから、デマと断罪されるべきではない ―― というのです。

このような主張は二つの理由で誤っています

第一の理由は、 2.2 で明らかにしたとおり、発端となった RÉSISTIQUE の A さんの提案は、後日の聞き取りから判明したことを加えずただボイスメッセージだけから分かるように、「合言葉」でも「シボレス」でもなかったからです。つまり、mainichi_orikou さんが「合言葉」「15円50銭の再来」であると誤信した根源は、 A さんの発言には求められません。

第二の理由は、もっと重要です。mainichi_orikou さんは、デマを投稿する前に RÉSISTIQUE へ個人 DM を送っており、ここで RÉSISTIQUE の A さんに「合言葉」を使用しているか改めて問い合わせていて、当人から繰り返し明確に否定されていたからです。どういうことでしょうか? mainichi_orikou さんは当人から事前に否定されたにもかかわらず、どんな根拠があってデマを投稿したのでしょう?

 

念のため、事前にどんなやりとりがあったのかを少し詳しく確かめてみましょう

この個人 DM のログは、mainichi_orikou さんの許可を得ていないため全文公開できません。許可さえあれば全文公開する用意があると RÉSISTIQUE の A さんは述べています。

有志が入手した個人 DM の要約は、次のとおりです。

カギカッコ(「 」):ログから正確にコピー&ペーストした引用

二重カギカッコ(『 』):引用中の引用

mainichi_orikou さんは、RÉSISTIQUE の Instagram アカウントに、個人 DM で「レジスティキさんの身元確認のやり方について非常に疑問を抱いています」と問い合わせた。そして冒頭から「合言葉を理解できなかったらAIとみなすやり方はまだ続けていらっしゃるのですか?」と尋ねた。つまり、「合言葉を理解できなかったらAIとみなすやり方」を RÉSISTIQUE がやっていたと一方的に断定していた。

A さんはやっていないと否定するため「いいえ」と答えた。

mainichi_orikou さんは「グループでも指摘しましたが、朝鮮人大虐殺と同じロジックの非常に危ない発想ですし、ろう者の方や発音によっては理解できない場合もありますよね」と問いただした。
A さんは、指摘された危険は想定したうえで対策を施しているので心配はいらないという意味で「わざわざありがとうございます。ご指摘されたことは我々もすべて想定済みでの行動です」と答えた。

その後のやりとりで、A さんは繰り返し以下のように説明した。
「『合言葉を理解できなかったらAIとみなすやり方』は、しておりません」
「その言葉についてのリアクションのみで、AIや偽物だと見做す行為は、わたくしたちは、一度もしておりません」
「お互いに、自分たちの状況を、危険でない程度に、紹介し合い、画像などもシェアし合います」
「AI技術を悪用して、こちらにコンタクトをしてくるものがイスラエル側におります。個人情報が向こうにしれてはいけない者として、対応策がいくつかございます」
しかし mainichi_orikou さんはこれに耳を貸すことがなかった。

この直後、mainichi_orikou さんが RÉSISTIQUE の A さんを挑発し、たった一度だけ、売り言葉に買い言葉となったといいます。mainichi_orikou さんは後で、とても興味深いことに、この挑発と応酬だけをスクリーンショットで切り取り、コメントをつけて X に投稿しています。

7 月 24 日にようやく削除されたこの投稿のスクリーンショットには、次のやりとりが写っていました。

mainichi_orikou さん「そうですか。虐殺、差別を再生産しないやり方でシェアしてくださいね。」
RÉSISTIQUE の A さん「misakiさまも、虐殺、差別を再生産しないやり方で、シェアお願いいたしますね。」

A さんのこの発言は、mainichi_orikou さんからの挑発に対する応酬である以上に、後に RÉSISTIQUE  に関するデマが撒かれるおそれを感じて、釘を刺していたかのようにも読めます。なお、A さんがこのとき相手を「misakiさま」と呼んでいるのは、mainichi_orikou さんが Instagram のアカウントで使っている名前が「misaki」だからです。

そして最終的には、mainichi_orikou さんが「反省や学習なしに活動してきた事実が恐ろしいです」と言い、「ブロックします」と宣言したそうです。なお、これもまた興味深いことですが、 mainichi_orikou さんがデマを投稿し、RÉSISTIQUE が公式声明を発表した後で、相手が Instagram の個人 DM を「消えるメッセージモード」に設定したときに表示されるエフェクトが 、RÉSISTIQUE の A さんのデバイスで表示された、と A さんは話しています。*5

 

以上が、mainichi_orikou さんと RÉSISTIQUE の A さんが交わした個人 DM の要約です。

さて、この報告書の作成時点で mainichi_orikou さんからの聴き取りは実現していません。ですから、mainichi_orikou さんは、

  • 自分から問い合わせたのに、A さんの説明に耳を貸そうとしなかったと A さんには受け取られている。それが本当なら、なぜか?
  • 他の一切を無視し、一度きりの挑発と応酬だけを切り取って X に投稿している。なぜか?
  • Instagram の個人 DM を最後に「消えるメッセージモード」に変更したという。それが本当なら、なぜか?

以上は、筆者を含む有志には今のところ分かりません。つい、挑発、印象操作、隠滅の意図があったのではと疑ってしまいそうですが、しかし個人 DM のログ全体が公開されておらず、mainichi_orikou さんからの聞き取りが実現していない以上、現時点ではそれらは邪推にしかなりません。

ここで重要なのは、mainichi_orikou さんは、自分の思い込みを X に投稿する前に RÉSISTIQUE の A さんに問い合わせており、そのときはっきりと否定されていた、ということです。もう一度引用します。

「『合言葉を理解できなかったらAIとみなすやり方』は、しておりません」
「その言葉についてのリアクションのみで、AIや偽物だと見做す行為は、わたくしたちは、一度もしておりません」
「お互いに、自分たちの状況を、危険でない程度に、紹介し合い、画像などもシェアし合います」

これほど明確に否定されたにもかかわらずmainichi_orikou さんはそれでもその後、1.1で言及したデマを発信しています。そうである以上、A さんの説明を虚偽だとみなし、自分の思い込みこそを真実だと信じ込んだことになります。

このためには、相応の具体的証拠や別の内部関係者の証言のようなものがなければなりません。

果たして、そんなものがあるのでしょうか? 筆者を含む第三者有志は、 RÉSISTIQUE の A さんが個人的に保存していた支援対象とのやりとりの記録をみせてもらっており、実際に告発された事実はなかったことを確認しています。また、A さんの寄付活動には A さん以外の  RÉSISTIQUE  メンバーは関与していません。

つまり、mainichi_orikou さんは、 RÉSISTIQUE の A さんが「ガザの身元確認を合言葉を言って理解できなかったらAIと判断してた人」であると断定できるだけの証拠資料や証言を、当時持っていなかったのではないでしょうか。言い換えれば、当時、mainichi_orikou さんは自分の思い込みを真実だと信じるに足る客観的な理由はなかったのではないでしょうか。なかったのだとすると、これこそまさに、事実無根のデマと呼ぶべきものです

これは、名誉毀損罪の違法性阻却事由のうち「真実性」または「真実相当性」の証明ができないおそれがあるのではないかと筆者は考えます。要するに、訴訟が提起されれば mainichi_orikou さんが敗訴するおそれがあるのではと思われます。このような事実無根のデマによる名誉毀損は、社会正義の観点から決して認められないからです。

 

2.4.2 反響の中で、反差別運動が避けるべきだった無意識の偏見が、デマの拡散に一役買ったのでは?

デマはなぜ、これほど広範囲に、しかも深刻に拡散されてしまったのでしょうか?

mainichi_orikou さんの告発は、2.1 で言及したグループ DM の他のメンバーたちをはじめとして、周囲の人びとにあまりにもたやすく信じられてしまいました

要因は、現状ではあくまで推察の範囲にとどまりますが、いくつか考えられます

まず、前述のように mainichi_orikou さんが告発時、事前に個人 DM でやりとりしたメッセージを切り出して投稿していたことが、ひとつの要因かもしれません。切り出された内容自体は告発の信ぴょう性を高めるものではありませんが、少なくとも、個人 DM で否定されたことを知らない一般人にとっては、 mainichi_orikou さんが前もって RÉSISTIQUE の A さんに問い合わせて事実の裏付けを得たうえで公に告発したかのようにも見えなくはなかったからです。特にグループ DM で RÉSISTIQUE の A さんの発言を聞いてモヤモヤしていた他のメンバーは、mainichi_orikou さんが事前に問い合わせをしたうえで告発しているのを見て、疑念を確信へ変えてしまった可能性があります。

そしてそれ以上に、周囲の人びとが抱いていた無意識の偏見が、デマの拡散を助長した可能性があるのではないでしょうか?

詳しく説明します。

デマ拡散の直後、RÉSISTIQUE はそのふるまいをめぐり、さらにさまざまな観点から差別主義者の疑いをかけられました

疑われたふるまいのひとつは、 RÉSISTIQUE の A さんが、2.1 で言及した グループ DM  内に耳の聞こえない人が参加していたにもかかわらず(それを知らなかったか意識していなかったかは問わず)、ボイスメッセージをシェアしたことでした。

これについて、拡散に関わったグループ DM メンバーのひとりは、耳の聞こえない人への差別のあらわれではないかという印象をもっていたが、mainichi_orikou さんの告発をみて確信したことを、筆者に DM で示唆していました。

しかし実際には、RÉSISTIQUE の A さんは、2.1 で言及したように、書くことが話すことほど得意ではないという特性がありました。つまり、これをグループ内に明示していなかった A さんは、周囲から、テキストメッセージの長文を定型発達者と同じくらいたやすく書けるはずだという別の偏見をもたれていたのです。このような場合は、A さんを責めるのではなくて、耳が聞こえるとともに文章を書くのも差し障りない方が、耳の聞こえない方と A さんの橋渡しをしたほうが、ずっとインクルーシブでしょう。

疑われたふるまいはもうひとつあります。RÉSISTIQUE 公式 X アカウントの写真付き投稿について、ALT が入力されていない投稿や、本文とALTの言語が違っている投稿があるという指摘が出されたのでした。

多分あのアカウントだなと思って、やはりそうだったのだけど、ALTたまにしかついてなかったり、ついてても日本語の投稿に英文ALTだったり(ついてる中には日本語投稿・日本語ALTの投稿もあるのだけど)他にも色々違和感があって何となく避けてたけど、まさかそんなことしてたとは……。しんどいな……。
— ナナシマ (さん/xe) (@y_mary_mary) 2024年6月2日

ここには無意識の偏見があります。ひとつは、RÉSISTIQUE は(日本企業らしく)本文と ALT を日本語カスタマー向けに日本語で提供するべきだ、という見方。もうひとつは、RÉSISTIQUE は目が見える人びとなのだから ALT をつけることはたやすいという見方です。

実際には、RÉSISTIQUE は企業ではありませんし、法人化を予定してもいません。有志が確認した限りでは、さまざまな背景やルーツがある個人の集まりです。そして、その中には、日本語で ALT をつけることに困難がある特性や背景を抱えた方もいます。

具体的には、RÉSISTIQUE の A さんによると、当時、公式アカウントの投稿は、やむをえない事情で、極めて多忙な A さんに代わり、日本語の読み書きがある程度できる海外在住のアジア系メンバー B さん*6によって実行されたことがあったといいます。

RÉSISTIQUE は、日本語のお客様サービスのように日本語による双方向の対話が必要なポジションには日本語ネイティブを配置しているそうですが、X や Instagram の公式アカウントは一方向の発信を目的として使っていたため、多様なルーツのある方が管理することもあったといいます。そこで A さんは参考のため本文と ALT については日本語テンプレートを B さんに渡していたものの、当然、いつでもテンプレートどおりの投稿ができるとは限らなかったそうです。

だとすると、上の投稿は、目が見えない人に対する差別に反対していながら、同時に、多様なルーツをもつ存在を排除してしまうおそれはなかったでしょうか。実際、悲しいことに、上の投稿をきっかけに B さんは、日本語入力キーボードを所有デバイスから削除してしまったと A さんは話しています。

 

本節をまとめます。

デマがこれほど拡散したのは、mainichi_orikou さんの告発のうち一部がもっともらしくみえたからだけではなく、周囲の人びとにおける無意識の偏見が、RÉSISTIQUE は差別主義だとするレッテル貼りに一役買ってしまったからでもあるのではないでしょうか

そうだとすると、これは、悲しいことですが、日本語圏のパレスチナ解放運動の一部を含む反差別運動一般にとって、とても大切な教訓となるのではないでしょうか。自分の内なる無意識の偏見は、いかに差別に反対している人であろうとも、たやすく捨て去ることができるものではありません。これは、それがはっきりと表面化し、問題化したケースだといえるかもしれせん。

 

2.5 中結論 ―― デマの発信者のみならず、拡散に少しでも関わった人は全員、最低でも撤回と謝罪が必要ではないか

第 2 章冒頭から前節までを振り返っておきましょう。

2.1-2.2 を通じて、私たちは、発端とされた RÉSISTIQUE の A さんによるボイスメッセージだけを読解し、A さんの提案は「合言葉」にも「シボレス」にも当たらないことを明らかにし、ゆえにそれがデマの根源であるとはいえないことを確認しました。

続いて、2.3で、補足情報として RÉSISTIQUE からの聞き取りに基づき、支援対象が耳の聞こえない人だった場合の対応を検討し、記録から、相手を包摂する状況が確認されていたことを確かめ、実際の対応が排除的だとはいえないことを指摘しました。また、A さんの提案は、困難な状況でもなお支援対象に手を差し伸べようとした努力のあらわれであることを明らかにしました。

さらに、2.4 では、告発と反響に対する強い疑念を提示しました。

2.4.1 では、mainichi_orikou さんが RÉSISTIQUE の A さんと交わした個人 DM の要約をみながら、mainichi_orikou さんは告発直前に何度も明確な言葉で A さんから思い込みを否定されていたにもかかわらず、その思い込みを真実として X に投稿してしまったことを確認しました。mainichi_orikou さんがこの誤信を信じ込むに足る理由は、第三者有志が確認した範囲では見つからなかったため、まさに事実無根のデマであって、この告発の正当性そのものが疑わしいと指摘しました。

2.4.2 では、デマがこれほど拡散した要因として、 (1) mainichi_orikou さんが RÉSISTIQUE の A さんと交わした個人 DM から都合のよい切り貼りをしたために、周囲の人びとが mainichi_orikou さんは事前に確認したうえで裏付けのある事実を告発したかのように誤解した可能性があること、(2) 反差別を掲げる人びとが無意識の偏見に気づけずに  RÉSISTIQUE のふるまいを差別的であるとみなしたため、拡散を助長した可能性があること を挙げました。

 

以上、確認したとおり、 RÉSISTIQUE の A さんの提案は「合言葉」でも「シボレス」でもなかったのですから、 RÉSISTIQUE が「ガザの身元確認を合言葉を言って理解できなかったらAIと判断してた人」だというデマの根源は A さんのボイスメッセージそれ自体にあるとはいえません。

また mainichi_orikou さんは X でデマを発信する前に自分の思い込みを A さんから明確に否定されていたのですから、それでもデマを発信してしまった以上、A さんの発言以外に、具体的な記録などの証拠資料や別の内部関係者の証言でもなければならなかったでしょう。有志の調査によると、そのようなものがあるとは今のところ思えません。万が一あれば、ぜひご提供いただきたいところです。筆者としては、そのとき誤信を真実と信じるに足る客観的な根拠がなかったのなら、社会常識に照らし合わせると、被害者たちから損害賠償を請求されてもおかしくないのではないかと思えてなりません。

そしてデマに責任があるのは、デマを公に発信してしまった源の mainichi_orikou さんだけではありません。あらゆるリポストもいいねも、このデマの拡散に加担してしまいました。

ソーシャルメディアでは一人ひとりのアカウントがメディアのチャネルなのですから、情報を拡散するリポストやアルゴリズムによる表示優先度を上げるいいねの責任は、決して軽くはありません。

事実無根のデマのせいで誹謗中傷を浴び、体調不良者と脱退者が続出した RÉSISTIQUE  の名誉が回復されるには、デマの拡散に寄与してしまった全員が、自分の責任の重さに応じた撤回と謝罪を公にしていかなければならないのではないでしょうか

 

終章 最終結論に代えて ―― 反差別運動は無実の仲間のリンチを繰り返してはならず、対策は傾聴と慎重な事実確認だ

この報告書は、RÉSISTIQUE がいかに、実際には言っていないことややっていないことを、デマによって言ったことややったことにされたか、実際の発言その他の証拠記録とRÉSISTIQUE の聞き取りから明らかにしました。

そして、デマの発信者からの聞き取りはさまざまな事情で実現しなかったものの、少なくとも告発そのものが真実でなかったと分かっただけでなく当時としても不当であった疑いが強いことを、RÉSISTIQUE から提供されたデマ発信者とのやりとりの要約に基づいて指摘しました。

この報告書は以上のように一定の達成にもかかわらず限界をもつため、完全な最終結論へ到達することはできません。

終結論は今後、当事者間で必要となったら、司法の手に委ねられることになるでしょう。

この報告書は今のところその最終結論に代えて、2 つのことを提言します。

3.1 提言 1 ―― 私たちは今後、反差別運動の根本に由来する脆弱性を克服しなければならない

今回のパレスチナ解放運動の一部を含む反差別運動は、差別なき社会を希求しています。だからこそ、まずは運動自身をインクルーシブにするため内部から差別を排除しようと注意しています。*7その注意が続いているから、参加者は互いを信頼しあうのです。*8

しかしそのように反差別である限りにおいて相互の信頼が厚いからこそ、誰かが差別をおこなったとする告発があらわれたときに、真実かデマかを十分確かめる前に、いともたやすく信じて拡散するおそれがあるのではないでしょうか。

また、反差別運動に参加してある程度の時間が経つと、どんなに謙虚な人でも、自分はふだんから差別のことをよく学んでいると自負するようになるものです。だからこそ、自分に無意識の偏見がまだまだある可能性を十分考える前に、相手を間違った仕方でジャッジしてしまい、2.4.2 で指摘したように、それがかえってデマの拡散を助長してしまうおそれもあるのではないでしょうか。

だとすると、これは反差別運動の内奥に埋め込まれた、反差別運動独特のセキュリティリスクではないかと筆者には思われます。*9

私たちは今後、この脆弱性を克服しなければなりません。

そのためには、仲間の言動について十分な根拠なく即断して強く批判する前に傾聴したりやさしく声を掛けたりしながらよく考えること、そしてセンセーショナルな非難が飛び出したときには念のため事実を確認することが、大切ではないでしょうか。

 

3.2 提言 2 ―― 私たちはすでに起きているリンチに抵抗しなければならない

最後に、読者のみなさんは、この報告書の内容を読んである程度ご納得いただけたならば、どうか今回被害に遭った RÉSISTIQUE への支持を、何らかの形で公に表明または表現してください。もっともそれは、デマを発信し拡散した人びとを攻撃してくださいという意味では決してありません(それはおやめください)。

 

筆者が他の有志と緊密に協力してこの報告書をまとめあげるのは、並大抵の苦労ではありませんでした。

何しろこれは、33.2万回の表示、229回のリポスト、833のいいね、561のブックマークという大きな反響を呼んだデマです。

文書を準備していることを X で明らかにした段階で、筆者は主にデマ発信者の支持者からさまざまな攻撃を浴び、これほどの憎悪と無関心にさらされるのかと驚きました。検証文書によってパレスチナへの連帯を解体するつもりなのかと、問い質す人までありました。ちょうど、暴力や差別を告発しようとしたら、個人、組織、業界のために黙っていろといわれるときのように。筆者を含む有志はそのたびに、黙ることはできない、あなたも自分の意志で解決に向けて行動してほしいと訴えてきましたが、実際に行動してくれた人はごく少数でした。

事実確認のために行動した第三者有志ですらこうだったのですから、被害者である RÉSISTIQUE のみなさんにとっては、なおのこと厳しかったでしょう。とりわけ RÉSISTIQUE の現時点での代表者の心身状態は深刻化しており、「7 月からは睡眠障害が悪化し、数日間の不眠状態に何度か陥り、食事回数も減少し、希死念慮を周囲にもらしています」と公式アカウントが 7 月 20 日に発表しています。何しろ「令和の 15 円 50 銭」と呼ばれ、デモの場でも捨てられているのではと冷笑されたのです。本当に悲しいことです。

それでも RÉSISTIQUE の別のメンバー C さんは、最近も、アイテムを身に着けているパレスチナ連帯アクション参加者がデマのせいで周囲から傷つけられることがないよう、自ら RÉSISTIQUE  のアイテムをたくさん着けて参加するなどしていたそうです。きっと自分こそがデマのせいでこの世から消えてしまいたいと思うほどに傷つけられたでしょうに、それでもなお自分よりアイテムを使っている人のことを思いやるなんて、本当に優しい人だと筆者は思いました。

被害に遭った人たちがここまでしなければいけないなんて、おかしいではありませんか。

私たちが、この空気を変えるべきでしょう。どうか、すでに起きてしまった無実の仲間に対するリンチに抵抗するという意志の表現を、日本語圏のパレスチナ解放運動の中に満たしてください

私たちが今、この意志を共有することは、これからに向けてとても重要です。すべては、虐げられた人びとへの連帯のために

 

以上

 

謝辞

有志のうち春日そらさんは、資料や証言の収集や整理から、関係者との調整、聞き取り、働きかけ、ひいては被害者の命を守る行動に至るまで、あらゆる場面で力を尽くされました。ここに大きな敬意を表します。この報告書の中にあるよい部分はすべて春日そらさんに由来するものであり、また悪い部分があるとすれば、それはすべて筆者原口に責任があります。

 

*1:ジュエリーブランドというと、多くの読者にはいかにもラグジュアリーな商品を扱う組織化された企業や法人であるかのように受け取られそうですが、当事者の説明によると、RÉSISTIQUE は、「これまで反差別のメッセージを販売促進に使っておきながらパレスチナ解放とは一言もいわないジュエリー業界に反旗を翻し、本業とは別に活動しているさまざまな背景やルーツをもつ個人の集合体」であるとのことです。つまり企業ではなく、法人化の予定はないそうです。またRÉSISTIQUE によると、アイテムは 23 年 12 月から 24 年 6 月までに 500 点ほどを無料で配布しており、販売分も利益を出さない価格設定で赤字状態にて活動を続けていたといいますから、明らかに営利目的の組織ではありません。

*2:A さんによると、支援対象の身元確認が重要である理由は、詐欺に遭ったら貴重なお金が必要な人に渡らないからだけではなく、寄付活動が継続不可能になるリスクが少なくとも二つ生じるからでもあるそうです。

第一のリスクは、口座凍結のおそれです。現在、一部の寄付呼びかけ人は、SNS で自分の口座情報を公開し、そこへ寄付金を振り込むよう不特定多数の人に呼びかけては、集めたお金を支援対象によって指定された海外の口座へ送っています。ここで仮に、支援対象だと思っていた相手が、実は国際的な特殊詐欺グループの一員だったとしましょう。しかも、同グループの別の人が、特殊詐欺の被害者に、お金を、この寄付呼びかけ人の口座に振り込むよう指示していたとしましょう。このような場合、寄付呼びかけ人の口座が特殊詐欺のマネーロンダリングに使われているなどと警察に判断されるおそれがあり、最悪、寄付呼びかけ人が被害者の一人であるにもかかわらずその口座が凍結されてしまう可能性もあります。

第二のリスクは、寄付呼びかけ人が生計を立てている仕事が継続できなくなるリスクです。パレスチナ関連の詐欺犯の中にはイスラエル兵などもいるため、口座関係の個人情報が渡ってしまうと、支援者がどんな業界やポジションで働いているかによっては仕事に影響するおそれがあります。

*3:A さんによると、実際にお互いの情報を交換したうえで最後にこのように発言したときに実際に受けた反応は、驚き、喜び、強い感動や感謝などの表現がほとんどだったといいます。

*4:なお、世界人口に占める耳が聞こえない・聞こえづらい人の割合はおよそ 20 人に 1 人です。

*5:これは同じアカウントへのログイン権をもつ他のメンバーのデバイスでも表示されたといいます。

*6:B さんは A さん同様に RÉSISTIQUE  のため私財を投じており、主要メンバーのひとりといって差し支えありません。

*7:例えば、あるパレスチナ連帯デモは、デモ参加者が点字ブロックのうえに立ち止まって目が見えない・見えづらい人の通行を妨げていると批判されたため、すぐにこれを防止するルールをつくり、見回って声をかける係の人を配置するようになりました。

*8:別のパレスチナ連帯アクションでは、明文化したグラウンドルールが共有されているおかげで、参加者がより信頼と安心をもって参加できるようになったといいます。

*9:このことは真逆の立場を考えればいっそうはっきりするでしょう。差別主義者は反差別という正義ではなく何らかの利益によって結びついているので、反差別運動にみられるような正義に反するデマによる分断は起きにくいのではないでしょうか。例えば、上の立場の者によって分配されるはずの利益が相応に分配されずにいる場合などなどに、差別主義者は造反や仲間割れを始めることが多いように筆者にはみえます。

【仮訳】ヒバ・ダーウードの証言(『ガザ・モノローグ2023』から)

正直、具合がよくないんだけど、あったことをみんな話すよ。

はじめは自分の家にいた。夫とふたりで、一緒にれんがをひとつずつ積み上げて築いた家。そこに私たちがいるのに、戦車は止まらず近づいてくる。暮らしてたのは、アルシファ病院の裏手。戦車がどんどん近づいてきて、私たちはあるとても暗い夜、寝ている間に何発もの弾が頭上を飛んでいく中を生き抜いた。

私たちは朝まで待ってから、自宅を発ち、親族のところへ向かった。そう、「死ぬなら一緒がいい」ってよく言うでしょう。だから私の夫の一族と一緒にいた。みんなでひとつの家の中にいたけど、どこも安全じゃなかった。実際、ガザ地区のどこにも、安全な場所はひとつもない。2日後、ミサイルが1発、私たちの家に着弾した。お金なら替えがきくけれど、大切なのは、ありがたいことに私たちが無事だということ。

翌日の夜11時ごろ、夫の一族の家の近くで爆竹が鳴った。みんなは恐怖で震え上がり、おのおの子どもを抱きしめた。義父は義母を、夫は私とふたりの子どもをそれぞれ抱きしめていた。ロケット弾があたりに落ちてくる中、一緒に座って震えていた。ガラスや天井が砕け落ちはじめ、私たちはミサイルがやむのをいつとも知れず待っていた。少なくとも50発は飛んできたと思う。あたりに50発も撃ちこまれて、私たちは死を覚悟した。実際、死は避けられないと私たちは思った。落ちてくるミサイルは真っ直ぐ私たちに向かって飛んでくるんだから! 眼の前で火の手が上がり、ガラスが割れ、壁が崩れるのを見て、私はすっかりくじけてしまった。少なくとも1時間半、私たちの目前には死があった、紛れもない死が。

爆撃が止んだ。私たちはもう3階にはいられなくなった。壁や天井から水が漏れ始めていたから。そこで私たちは1階へ降り、階段下のスペースへ移動した。爆撃が再開するのではと2時間ほどその階段下にいたけど、何も起こらなかった。爆撃は止んだんだ、イスラエル軍は爆弾を切らしたんだと考えて、私たちは階段下から出た。

義父は立ち上がって祈り、夫は座ってコーランを読んでいた。夫は読み終えるとこう言った。「よし、寝支度をしよう。女性は寝室で寝てくれ。われわれ男性は大広間にいる」私たちはもう3日間寝ておらず、身体を休めることが少しもできていなかった。真夜中過ぎの1時、私は寝室へ行った。頭を横たえて、娘と息子と一緒に眠った。私は夫にこう言った。「そばにいて。そばで眠って」 だから夫は私の隣で眠った。

未明の3時、夫は寝室を出て他の男性たちの隣に陣取り、入れ替わりに義妹が私のそばへ来た。すると突然、家全体を揺るがす大きな衝突音がして、私は飛び起きた。爆撃されたんだ。あたり一面に粉塵が舞い、子どもたちは煤で真っ黒になり、私は息ができなかった。義妹が私のそばで泣いていたから、私は言った。「死ぬときは殉教者になるのだから、ねえどうか泣かないで」

義妹が何とか私に言えたのは次の言葉だけだった。「父さんとがいい、ヒバ、私は父さんと一緒に死にたい」 私は部屋の扉のほうを見たが、瓦礫の山に次ぐ山しかなかった。爆弾が直撃したのはこの家だったのだと分かった。

瓦礫の山をよじのぼって大広間へ行くと、人間の痕跡は跡形もなかった! 居間では男性たち全員が瓦礫の山の下敷きになっていた。誰の姿も見当たらなかった。誰の声も聞こえなかった。誰も生きていないかのように思われた。私は夫を探し、夫の名を呼び始めた。呼び続けたが、夫の声は聞こえなかった。私は義父を見つけた。まだ意識があった。義妹の夫は殉教者となっていた。どうか彼に神のお慈悲があらんことを。義妹の夫は、義父や夫と同じように医師だったけど、血まみれになって殉教していた。義父はまだ生きていた。だから頭を動かし、遺言を述べ、微笑んでから亡くなった。

私は夫を探し続けたが、見つけることができなかった。今思えばどうやったのか分からないけど、れんがを一つひとつ持ち上げていった。瓦礫をどうやってどけたのだろう。れんがを持ち上げながら夫を探し続けていると、ようやく頭を見つけた。頭皮が剥がれていた。つまり、頭皮の外側がぶら下がっていた。何も分からなくて、夫は死んでしまったと私は本当に思った。私は夫に向かって泣き叫び始めた。夫の名を呼び、この手で夫のまわりから石をどけていった。夫の両足はふたつの大きな瓦礫に挟まっていた。
大きな瓦礫を夫からどけると、苦痛を訴える夫の叫び声が上がった。まだ生きている。私は石を夫のまわりからどんどんどけていった。夫の頭皮は剥がれているだけでなく、耳までちぎれていて、ひとつながりのままぶら下がっていた。私が夫を助け出していると、隣で暮らしていた夫のおじがやってきて、夫を運ぶのを手伝ってくれた。私たちは大きな木片の上に夫を載せた。

そのとき奇跡が起きた。ふつうは住宅が爆撃されると、通信サービスは完全に遮断される。だけどそのときはまだつながっていて、医師である私の父に電話をかけることができた。しかも夫の携帯電話も使えた。夫も医師で、知り合いが大勢いたから、あちこちの医師に電話をかけて私が見た限りの現状を伝え、私にできることを尋ねた。本当に、私にできることといえば夫の頭に包帯を巻くくらい。身に着けていたヒジャブを脱いで夫の頭に巻いて結び、バンダナで覆った。全力を振り絞って夫の命を守ろうとした。

私の子どもたちは無事だった。外へ出て確認し、夫のところへ戻った。私の周りには子ども、子ども、子どもばかり。めいたちは瓦礫に埋もれていた。掘り起こして出してあげたけれど、みんな殉教していた。一家で殉教者9人。殉教者9人、9人。その中には生後28日のめいもいる。戦争中に生まれて、戦争中に死んだ。出生証明書よりも先に死亡証明書が出た。私たちが瓦礫の山を掘り探っているあいだも、爆撃は止まなかった。掘り進めているうちに周囲が火に包まれた。まったく容赦がない。爆撃は続いた。しばらくして爆撃が止むと、私たちは救急車、民間防衛隊、赤新月社に電話をかけたが、どこも出てくれなかった。応答はなかった。ようやく誰かにつながっても、こう言われた。「たどり着けません。そこまでたどり着けないのです」 想像してみてほしい。爆撃は未明の3時半。夫は負傷し、病院へ行かなければならないのに。

私は手を夫の胸に当てて痛みを和らげようとした。できることを全てしてあげようとした。誰もここへ来てくれないから。誰も。ここへ来ようとする救急車は、イスラエル軍によって撃たれるだろう。

誰もアブー・ハシラ街区へ立ち入ることができなかった。私は朝9時か10時頃まで夫のそばに座っていた。イスラエル軍は家を爆撃した後で、隊列を作って通りを行進した。私は、もとは家だった瓦礫の山の上で夫と一緒にいて、通りを見つめていた。お隣さんの家が視界に入ったから、話しかけに行ってこれからどうするつもりか、どこへ行くのかを尋ねた。参考にするためだ。

彼は電話番号を教えてくれた。そのとき2発のミサイルがお隣さんの家に落ちてきて、お隣さんが逃げようとしている間に家が崩れ落ちた。お隣さんは白旗を揚げていたのに、親戚のところへ逃げようとしていたのに、ミサイルが落とされ、お隣さんは殉教した。耐えられない。行くべきか、とどまるべきか、何をすべきかも分からなかった。世界に、私たちを代表して訴えかけることができる誰かに呼びかけようとしたけど、私たちには何もできなかった。赤新月社は、救急車を向かわせたとしてもイスラエル軍に攻撃されるから、たどり着けないという。何もできないのだ。本当に、私と一緒にいる生存者といったら、夫イブラーヒーム、夫のおじ、女性たち、夫の年老いた母、私と同年代の娘たち。夫を抱えて家の中の安全な場所へ移動させることもできなかった。上の階の天井が、下の階の天井の上に崩れ落ちていたから。

みんなただ、私の夫と一緒に座っているしかなかった。夫が呼びかけに答えられるかどうか、私は確認し続けた。私がときどき夫を起こして「生きていて、生きていて」と言うと、夫は何かつぶやくので、夫がまだ生きていることが確認できた。

午後4時半、爆撃はまだ続いていた。ミサイルが頭上の天井に落ちてきて、天井はまたも崩れかけている! 私は、家の中で一緒にいた人たち全員に夫を移動させなければならないと伝え、みんなでとても慎重に夫を運んだ。夫は瓦礫の下にいたので背骨がやられているかもしれなかったが、私たちは夫を運んだ。人には想像できないくらいとても慎重に。夫は痛みに身をよじっていた。かわいそうに、だけどいつ落ちてくるか分からない天井から夫を守らなければならなかった。爆撃を受けたけれどもう少しマシな状態で残った隣の家へ私たちは行って、座り込んだ。とても暗い夜だった。まさに、人生で最も暗い夜のひとつだった。すべての明かりを消して、すべての携帯電話をオフにして、自分たちがそこにいてまだ生きていることを、イスラエル占領軍の兵士たちに悟られないようにした。そしてひたすらに、朝になれば助けを呼べると私が家族に言い続けたから、私たちは朝へたどり着けたのだった。私たちは、私たちの助けを乞うてほしいとあらゆる知人に呼びかけた。するとありがたいことに、ジャアファリ先生が世界へ向けてくれた訴えが1800万回も視聴された。またアルジャジーラのおかげで、私たちにいくらか注目が集まった。殉教した私の義父は「ハママ先生」としてよく知られた医師だったからだ。アルジャジーラはこう報じた。「多くの負傷した女性と子どもがいるアル=ナハル家にも助けを」

午前9時、イスラエル占領軍から電話があり、直ちに家から退去するよう言われた。同じ通りには25の家族が暮らしていて、私たちと同じように追い詰められ、傷ついていたというのに、イスラエル軍から電話で即時退去を要求されたのは私たちの一家だけ。いわく、「直ちに家を退去せよ。さもなければ被弾するだろう。その家をわれわれはこれから爆撃する」というのだ。

私は兵士に言い返した。「私だって出ていきたいんだけど、夫がけがをしていて、病院へ行くには担架が要る。抱きかかえては行けない。この道では、背負って運べない。あたり一面、瓦礫と石なんだから。どうすれば夫を運べるっていうの?」兵士はこう答えた。「自分で解決しろ、こちらは何も提供しない」「ああそう、ああそう。じゃ赤新月社に言ってよ、私たちに退去してもらいたいって」兵士は言った。「赤新月社に手伝ってもらえ、直ちに爆撃する」兵士は繰り返した。「爆撃する、直ちに退去しろ」

それで私たちは狂ったように駆け出した。そう、まさに狂ったように。私が夫にここを退去しなければいけないと伝えると、夫は言った。「みんなと立ち去れ、俺はここに置いていけ。もういい、俺のためにお前を危険にさらすな。お前の命を守れ」それで私は言った。「神に誓って、私はあなたを置き去りにしない。あなたの隣で死ぬ。あなたと一緒でなければここを動かない」みんなが、私の夫を置き去りにはしない、むしろそばにいると言った。夫が共にここから離れるまでは、私たちはとどまる。

みんなで夫をプラスチックの椅子に乗せて運んだ。どうやったかはよく覚えていない。とにかく、まだローラーが動くオフィスチェアを瓦礫の中から見つけ出し、夫を乗せて、押した。私たちが暮らした通りからアルシファ病院通りまで、瓦礫の山の間を通って、夫を押していった。道半ばまでやってきたとき、どうしてか分からないが、二度目の奇跡が起きた。白旗を掲げている人が見えた。それから、私たちのほうへ担架を持って走ってくる若い男性の姿も。誰がその男性をここへ送り出したのかは分からない。どこから来てくれたのかも。でも確かに、彼は私たちのために来てくれた。

私たちはイブラーヒームを担架に乗せて、アルシファ病院へ走った。ありがたいことに、本当にありがたいことに、夫の頭皮は縫ってもらえて、耳はまたくっ付いた。検査の結果、夫の肋骨は3ヵ所折れていたので、肺に酸素を入れてもらった。ようやく、酸素吸入のためのチューブが与えられたのだった。

私は死を見た。死を見てしまった。夫は深い心の傷に苦しんでいる。本当に深い心の傷だ。目覚めたとき、夫は私のことを思い出せなかった。ふたりの子どものことも、誰のことも覚えていなかった。義父は殉教した。きょうだいは殉教した。体が真っ二つに裂かれて。イエメン大学で夫とともに医学を専攻し、誰からも愛されていた夫の義兄弟にして親友も、殉教した。夫は起きてしまったことに耐えられなかったのだ。深刻な精神的ショックに見舞われていた。現実から逃げ出そうとしていた。夫が私のこともふたりの子どもも思い出せないことが分かったとき、私の心はすっかりくじけてしまった。あのとき私がどんな思いで彼のそばに立っていたかは、神のみぞ知る。

2日後。私たちは病院で2日ほど過ごした。2日か3日か、正確には覚えていない。その後、アルシファ病院からすぐに退去するようにという命令が届いた。私は泣き出した。どうすればいいのだろう。イスラエル占領軍は私にアルシファ病院を出てサラーフッディーン通りを南へ向かえというが、12キロの道のりを徒歩で行かなければならない。しかもすぐに行けという。私は泣き出した。夫と私はどうしろと? それでも自分にはできる、行けるという声が聞こえた。病院中を2時間は探し回った後、ありがたいことに、夫のための車いすが見つかった。これに夫を乗せれば、押して行ける。

私たちはしかし、死から死へと進むことになった。本当に、死から死へ。アルシファ病院を出て、イスラエル占領軍が「安全な経路」と呼ぶものへと進んでいったのだが、イスラエル占領軍は嘘をついた。嘘つきなのだ。

私たちはサラーフッディーン通りの検問所にたどり着いた。私たちは4歳の娘を連れていた。食料は全くなかった。私は5歳の息子を抱えていた。バッグを背負い、夫を乗せた車いすを押していた。肩はずいぶん凝っていた。検問所に着くと、イスラエル軍は私たちを午前11時から午後4時まで待機させた。そして、誰ひとり通行を許可しなかった。これがイスラエル軍のやり方なのだ。座ることも禁じられていた。ずっと立ったままで、両手を上げることを強いられた。イスラエル軍は待機中の10人ほどを手当たり次第に拘束し、ただ「おまえだ、来い!」「おまえ、来い!」と言った。挙句の果てに、午後4時になっても、誰ひとり通過させなかった。イスラエル軍は全員に言った。「去れ」 どこへ去れと? どうやって? いわく、「われわれの知ったことではない。お前たちで解決しろ。そら、去れ!」 そこで立ち去ることを拒んだなら誰でも戦車によって砲撃され、逃げ出す人びとは背後から撃たれただろう。

私たちは当てを失くし、爆撃が続いている北へとまた戻った。夜の闇が下りたので、私たちは行き先を求めて、あたりが爆撃されている中を駆け抜けていこうとした。オリーブ通りに学校があった。危険だと思われている一帯だった。学校に避難していた人びとは、私たちを見ると「こっちへおいで!」と言い、私たちを学校へ連れていった。人生最悪の夜がやってきた。私たちは何も持っておらず、校内はとても寒かった。敷物、枕、毛布、どれもないまま教室の床に座った。子どもたちと一緒に、凍えるほど冷たいタイルの上に一晩中座っていた。そのあいだずっと学校は戦火に取り囲まれていて、爆弾の金属片がこちら目掛けて飛んでくるのだった。私たちは夜の間ずっと恐れおののいていた。そして朝7時には、銃撃戦。校門から撃ってきている。窓から外をうかがうと、戦車が校門のあたりに駐まったのが見えた。それで私たちは駆け出した。イスラエル軍が走る全員を背後から攻撃していった。走り続ける私たち。その背後から撃ち続けるイスラエル軍。そして私たちはまたガザ市へ戻った。人生最悪の日だった。私の義兄弟の親戚がいる地域にたどり着いた。ただただ、ひととき身を隠す家を見つける必要があった。自宅は破壊され、義父の家も破壊された。

戦闘休止中に家族が家に戻ったところ、もはや家は見つけられなかった。白燐弾が至るところに落ちたため、何もかもすっかり破壊され、跡形もなかったという。もうそこで暮らすことはできない。きょうだいの家はすべて、ひとつまたひとつと破壊された。妹の家も倒壊したが、妹と夫、その子どもたちは瓦礫の下から出てきた。神が守ってくださったのだ。みな住み家を失った。私たち全員が住み家を奪われたのだ。

私は死をこの目で見た。死を見てしまった。自分自身の目で見てしまったのだ。自分が陥ったこの状態から私は出られずにいる。私は自分を鼓舞しようとしている。家族の前では気丈に振る舞っているけど、内心ではすっかりくじけている。私は心をすっかり閉ざしている。どうしてこのすべてに耐えることができたのだろう。どうやって、みんなで瓦礫の中、学校の中を、あの後のすべての中をくぐり抜けてきたのだろう。最近、私今暮らしている家から離れたところが爆撃された。その爆発を見たが、あんなものではなかった。私の近くで起きたときのほうが、ずっと恐怖を感じた。思い出してしまう。私がくぐり抜けてきたすべてのことを。火に取り囲まれたときのことを思い出してしまう。壁が崩れてきたときのことを思い出してしまう。ひとつひとつのできごとがまた起きているかのようにすべてを思い出してしまう。私は母を抱きしめて言った。「お母さん、私は、見たことすべてがまた起きるのを見るのは耐えられない。もう見たくない。もう無理なの、耐えられないの!」私たちは今、この家にひととき身を寄せている。戦争が終わった後、私たちはどこへ行くのか、どこで暮らせばいいのか、分からない。
戦闘休止中、私は街へ出かけた。街は身のすくむようなありさまだった。荒野だ、荒野。文字通りの荒野。私は元の家へ行った。服の一着くらいでも何でも、見つけられるものはすべて持って行くためだ。そして私はかつての家が恋しくてひたすらに泣いた。何かを見つけようとしたが、何も見つからなかった。ミサイルが落ちたせいで、家は全く住みようがなくなっていた。私たちがそこにいなかったのは本当にありがたい! またありがたいことに、夫は少しずつ良くなっている。夫の健康状態は上向き始めている。ただし、縫合した部分の抜糸にはまだ時間が要る。それに、たくさんの瓦礫の下に埋まったので、夫の筋肉の回復にも時間が必要だ。心のショックからは立ち直りつつあるけど、辛抱しなきゃいけない。少なくとも2カ月はかかると言われた。ありがたいことに、時間さえあれば、前よりも良くなりそうだ。夫が経験した深刻な心の傷は、時間が癒やす。

こうして、あったことをすっかり話し終えた。これであなたがたもあいつらの悪事を暴露できる。私たちの声を広めて、私たちが経験してきたすべてを伝えてほしい。ありがたいことに、私はすべてを見た。大切な人を亡くした。家を失くした。資産を失くした。失わなかったものはただ神への称賛だけ。神よたたえられよ、神よたたえられよ、神よたたえられよ、私は無事です、夫は無事です、子どもたちは無事です。私の義父、義兄弟、義姉妹の魂に神のお慈悲があらんことを。私の義姉妹の夫ハーレドの魂に神のお慈悲があらんことを、そして私たちが失くした子どもたちの魂に神のお慈悲があらんことを。神に感謝します、私の子どもたちと私は無事です。夫についても神に感謝します。神の思し召しにより、夫は良くなるでしょう。神の思し召しにより、私たちは以前よりも善き人になっていくことでしょう。

【仮訳】ICJ南ア対イ訴訟 公聴会初日 南ア原告口頭弁論(2)第1セクション「ジェノサイドの行為」

原文:https://www.icj-cij.org/sites/default/files/case-related/192/192-20240111-ora-01-00-bi.pdf (pp.21-31)
※この暫定訳は法務分野を専門としない翻訳者が自らの学習のために作成したものであり、正確性は一切保障しません。また、原文の注は全て省略しています
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ジェノサイドの行為

 

アディラ・ハシム博士 ありがとうございます。裁判長、裁判官の皆様、この格別に重要な訴訟で南アフリカ共和国を代表して出廷することは名誉なことです。本訴訟は、ジェノサイド条約前文に示されているようにわれわれに共通する人間性の真の本質を浮き彫りにするものであります。

私の任務は、国際司法裁判所憲章第41条のもとでこうして〔われわれをして〕仮保全措置を緊急に要請するに至らしめたジェノサイドの行為について証言することであります。南アフリカは、イスラエルがジェノサイドの定義の範囲内に含まれる複数の行動をはたらくことによりジェノサイド条約第2条に違反したことを、強く主張いたします。かかる複数の行動には、ジェノサイドが推察される組織的行動パターンが表れております。

 

概要

アディラ・ハシム博士 これらの行為を歴史的文脈の中に位置づけることをお許しください。ガザは、1967年以来イスラエルによって占領されている、パレスチナ被占領地を構成する2つの領域のうちの1つです。現在画面に表示されている地図に描かれておりますように、およそ365km2の面積を有する細長い地区です。イスラエルはガザにおける領空、領海、検問所、水、電力、電波、民間インフラ、そして主要な行政機能のすべてに対する支配力を行使し続けています。つい先ほど法相が述べたように、空や海からガザへ出入りすることは禁じられており、イスラエルはわずか2か所の検問所を運用するばかりです。ガザは世界で最も人口密度が高い地域のひとつであり、そこにはパレスチナの人びとが230万人近く暮らしていたのであり、そのおよそ半数を未成年者が占めていました。

直近96日間、イスラエルはガザを、現代戦史上最も激烈な非核爆撃作戦のひとつといわれるものにさらしてきました。ガザのパレスチナ人は、陸海空の三方からイスラエル軍の兵器および爆弾により殺され続けています。

また、ガザのパレスチナ人は飢餓、脱水、疾病による差し迫った死の危険にもさらされています。これは、イスラエルによる包囲戦が継続され、パレスチナの街が破壊され、パレスチナの人びとへの十分な援助物資が域内に入れられず、空爆を受けているがためにこの限られた援助物資さえも分配不能となっているためであります。

現在の仮保全措置に関する段階では、本法廷がガンビアミャンマー訴訟で明らかにしたように、イスラエルの行為がジェノサイドを構成するか否かという問いに対する最終見解に、本法廷で到達する必要はありません。必要なのはただ、「少なくとも疑いのある行為の一部が...ジェノサイド条約で定められたところの範囲内に含まれ得る」ことを立証することのみであります。告発された具体的な、継続中のジェノサイドの行為を分析いたしますと、こうした行為のすべてではないとしても少なくとも一部が、本条約で定められたところの範囲内に含まれることは明らかです。

 こうした行為は、南アフリカが提出した訴状の中に詳細に記録してあり、信頼できる情報源(多くは国連)により裏付けを得ています。ですから、それらすべてを詳しく説明することはここでは不要であり、不可能です。ここでは、ジェノサイドの行為のパターンを例示するため若干の事実のみに光を当てることにいたします。依拠している国連の統計は2024年1月9日時点のものです。

南アフリカは、口頭弁論の中で、視聴覚資料を限定的に使用し、依拠する事実を説明してまいります。裁判長、われわれは控えめに、必要な箇所でのみ、常にパレスチナの人びとへの敬意をもって、そのようにいたします。

こうした背景に対し、私はこれから、いかにイスラエルの行為がジェノサイド条約第2条(a)(b)(c)(d)に違反するかを実証してまいります。

 

ジェノサイドの行為

 

2条(a):ガザのパレスチナ人を殺している

アディラ・ハシム博士 イスラエルが犯した第1のジェノサイドの行為はガザにおけるパレスチナ人の大量虐殺であり、これはジェノサイド条約第2条(a)違反です。

国連事務総長が5週間前に述べたように、イスラエルによる殺戮の規模はあまりに大きく、「ガザのどこにも安全な場所はない」ほどです。私が本日皆様の前に立つこの時点で、直近3か月以上に及ぶ攻撃の間に2万3120人のパレスチナ人がイスラエル軍により殺害されております。そのうち少なくとも70%は女性と子どもだと考えられます。およそ7,000人のパレスチナ人がいまだ行方不明であり、瓦礫の下で死亡したとみられています。

ガザのパレスチナ人はどこへ行こうとも容赦ない爆撃にさらされています。自宅でも、保護を求めた場所でも、病院でも、学校でも、モスクでも、教会でも、自分の家族のために食料と水を手に入れようとしている間にも殺されます。避難せずにいても殺されていますし、逃げ込んだ先の場所でも殺されていますし、イスラエルによると「安全な経路」であるはずの道に沿って避難を試みている間にさえ、殺されているのです。

殺戮の規模はあまりに大きく、発見された遺体はしばしば身元不明のまま、集団墓地に埋葬されているほどです。

 10月7日から最初の3週間で、イスラエル軍は1週間あたり6,000発の爆弾を展開していました。少なくとも200回、計2,000ポンドの爆弾を、「安全地帯」に指定したガザ地区南部に落としました。これらの爆弾は北部にも大きな被害をもたらしました。その中には難民キャンプも含まれます。2,000ポンドの爆弾は、使用可能な爆弾の中でも最も大きく破壊的な部類です。落としているのは、地上の標的を爆撃するために使用される強力な戦闘機。世界で最も豊富なリソースを有する軍隊のひとつによってです。

イスラエルは〔国連の表現でいうと〕「比類なき、かつ前例なき」数の民間人を殺害しています。しかも、爆弾ひとつでどれほど多くの民間人の命を奪うことになるか十分に承知していながらです。

ガザ地区パレスチナ人の家族のうち、家族構成員を複数人失った家族は1,800を超えています。そして何百という多世代家族が生存者なく全滅しています。母親たち、父親たち、子どもたち、きょうだいたち、祖父母たち、おじおばたち、いとこたちがしばしばまとめて皆殺しにあっています。

この殺戮は、まさにパレスチナ人の生活の破壊に他なりません。それは故意に行われています。誰も容赦はされません、新生児でさえもです。ガザのパレスチナ人のうち殺されている子どもの規模は、複数の国連機関の長が「子どもたちの墓地」と表現したほどです。この破壊は、申し上げているように、意図されたものであり、人道的にはもちろん法的にも、いかなる容認可能な正当化も超えてガザに荒廃をもたらしています。

 

2条(b):ガザのパレスチナ人に重大な肉体的または精神的な危害を加えている

アディラ・ハシム博士 南アフリカの訴状で明示した第2のジェノサイドの行為は、イスラエルがガザのパレスチナ人に深刻な身体的または精神的な危害を加えていることです。これはジェノサイド条約第2条(b)違反です。

 イスラエル空爆は、60,000人近いパレスチナ人を負傷させたり、四肢切断に至らしめたりしています。ここでもやはり被害者の大多数は女性と子どもです。医療体制がほとんど崩壊した状況でこれが起きています。この点については後ほどもう一度取り上げます。パレスチナの子どもを含む民間人が大勢、拘束され、目隠しをされ、衣服を脱ぐよう強いられ、トラックに載せられ、見知らぬ場所へ連行されています。パレスチナの人びとの苦しみは、身体的なものも精神的なものも、否定しようがありません。

 

2条(c):集団に対して全部または一部に肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を故意に課している

アディラ・ハシム博士 第2条(c)違反に当たる第3のジェノサイドの行為に移ります。イスラエルは、肉体の破壊をもたらすために意図された、生活の維持を不可能にする条件をガザに対して故意に課しています。イスラエルはこれを少なくとも4つの方法で達成しています。

 第1に、強制退去によってです。イスラエルはガザにおけるパレスチナ人の約85%に退去を強制しています。逃げ込める安全な場所はどこにもありません。退去できないか、退去を拒む者は、自宅で殺されるか、または殺される極度の危険にさらされます。多くのパレスチナ人が複数回退去させられており、複数の家族が安全を探し求めて繰り返し移動を強いられています。

10月13日におけるイスラエルによる最初の避難命令は100万人超の人びとの避難を要求するものでした。対象の中には、子ども、高齢者、負傷者、体の弱い人が含まれています。複数の病院全体が避難を要求されました、新生児集中治療室に入っている早産児でさえもです。命令は、24時間以内に北部から南部へ避難するよう要求するものでした。この命令そのものがジェノサイド的です。命令は、人道支援が許可されておらず、燃料、水、食料その他の生活必需品の供給が故意に遮断されている中で、運べるものだけを持ってただちに移動するよう求めていました。明らかに、集団の破壊をもたらすよう意図されていました。

多くのパレスチナ人にとって、自宅からの強制退去は不可避的に永続します。イスラエルは今や、パレスチナ人の家では推計35万5000戸を一部損壊または全壊させており、少なくと約50万人のパレスチナ人を帰る場所がない状態に置いています。国際的な難民の人権に関する国連特別報告者によると、家やインフラは「徹底的に破壊されており、住み家を失ったガザの人びとは自宅へ帰る現実的な見通しを一切持てないようにされており、イスラエルによるパレスチナ人強制退去の長い歴史が繰り返されている」といいます。イスラエルが自ら破壊してきたものを再建する責任を引き受けるきざしは全くありません。

 むしろ、イスラエル軍は破壊を称賛しています。兵士らは、集合住宅地や街区を爆破したり、残骸の上にイスラエル旗を立てたり、パレスチナ人の住宅の瓦礫の上にイスラエル人入植地を再建しようとしたり、そのようにしてガザにおけるパレスチナ人の生活の基盤そのものを滅ぼしていく自分たちをうれしそうに動画撮影しています。

第2に、強制退去と同時に、イスラエルの行為は広範な飢餓、脱水、窮乏を引き起こすよう故意に意図されています。イスラエルの軍事作戦はガザの人びとを飢餓の瀬戸際へ追い込んでいます。「ガザの人口の93%という未曾有の割合が危機的水準の飢餓に直面している」という報道があります。世界で現在破局的な飢餓に苦しんでいる人びとの80%以上がガザにいることになります。

複数の専門家が今予測しているところでは、ガザのパレスチナ人は空爆よりむしろ飢餓と疾病でより多く死者を出す可能性がある状況です。そしてイスラエルは依然として、パレスチナ人に対する人道支援の効果的な提供を引き続き妨げています。十分な援助物資の入域許可を拒んでいるだけでなく、絶え間ない爆撃や妨害を通じてそれを容易に行き渡らせないようにしています。

まさに3日前、1月8日、複数の国連機関が計画した、緊急の医療用品と生命維持に必要な燃料を病院や医療用品センターに届けるミッションが、イスラエル当局により却下されました。これで12月26日以来、センターへの配送ミッションが却下されたのは5回目となります。この間、ガザ地区北部の5つの病院は救命に必要な医療用品や医療機器を入手できずにいます。

 入域を許可された援助物資のトラックは飢えた人びとにつかまります。提供されているものでは全く不十分なのです。[動画再生] 裁判長、裁判官の皆様、こちらはガザに到着する援助物資のトラックの画像です。

第3に、イスラエルは故意に、ガザのパレスチナ人が適切な避難先、衣服、衛生用品を得られない複数の条件を課しています。何週間にもわたり、衣服、寝具類、毛布など食料以外の必需品が深刻に欠乏しています。浄水はほとんどなく、飲用、清掃用、料理用に必要な水準を遥かに下回る量しか残されていません。

結果、世界保健機関〔WHO〕の発表によると、ガザは「感染性疾患の急激な大流行を被っている」といいます。5歳以下の子どもの下痢は、戦争行為の開始から2,000パーセント増加しています。同時感染や無治療の場合、栄養不良と疾患によって死に至る悪循環が生じます。

第4のジェノサイドの行為は条約第2条(b)に違反するもので、ガザの医療体制に対するイスラエルの武力攻撃です。これによって生命が維持できなくなっています。12月7日時点ですでに、健康への権利に関する国連特別報告者は「ガザ地区の医療インフラは完全に破壊されてしまっている」と指摘していました。

イスラエルにより負傷したガザの人びとは、救命医療を十分受けられずにいます。ガザの医療体制は、すでにイスラエルによる何年にも及ぶ封鎖とこれまでの侵攻によって機能を損なわれていましたが、絶大な規模の負傷者数に対処できなくなっています。

 

2条(d):生殖に関する暴力

アディラ・ハシム博士 最後に、成年・未成年の女子に対する暴力に関する国連特別報告者は、第4のジェノサイドの行為に含まれるであろうイスラエルが犯した行為を指摘しています。これはジェノサイド条約第2条(d)に違反するものです。

11月22日、国連特別報告者は明白に次のように警告しました。「イスラエルからパレスチナ人の女性、新生児、乳幼児、未成年への生殖に関する暴力は、〔ジェノサイド条約〕第2条に照らし合わせて、...「集団内における出生を防止することを意図する措置を課すること」を含めて...ジェノサイドの行為として認められる可能性がある。」

イスラエルは、ガザで毎日180人の女性が出産していると推定される状況で、出産に不可欠な医療用品のキットを含む救命援助物資の配送を妨げています。WHOによると、これら180人の女性のうち15パーセントが、妊娠または出産に関係がある合併症を経験している可能性があり、さらなる治療を必要としています。そのような治療は全く利用不可能となっています。

 

行為のパターンが意図を示している

アディラ・ハシム博士 要するに、裁判長、以上の行為すべては、個別的にせよ集団的にせよ、イスラエルによる行為の計算されたパターンを形づくっており、ジェノサイドの意図を示しています。この意図はイスラエルの行為から明白です。

(1)ガザで暮らすパレスチナ人を特に標的としている、

(2)民間人を標的とする狙撃のほかに、人を殺す大規模な破壊をもたらす兵器を使用している、

(3)避難所を必要とするパレスチナ人に向けて安全地帯を指定しておきながら、その後これを爆撃している、

(4)ガザのパレスチナ人から、食料、水、医療、燃料、衛生、通信といった必需品を奪っている、

(5)住宅、学校、モスク、教会、病院など社会基盤を破壊している、

(6)人を殺し、深刻な傷害を負わせ、多数の子どもに保護者を失わせている。

ジェノサイドは決して前もって宣言されないものです。しかし本法廷はおかげで、過去13週間分の証拠を得ました。そこには、ジェノサイドの行為に関する信憑性が高い主張の証拠となる行為と関連意図のパターンが、議論の余地なく表れています。

ガンビアミャンマー訴訟では、本法廷は、ミャンマーラカイン州内のロヒンギャに対してジェノサイドの行為を犯しているという申し立てに対し、ためらいなく仮保全措置命令を発出しました。本日、本法廷に提出された数々の事実は不幸にもさらに荒涼たるものでさえあり、ガンビアミャンマー訴訟同様、本法廷の介入にふさわしく、それを必要としています。

 

第1セクション結論

アディラ・ハシム博士 パレスチナの人びとにとって、生命、財産、尊厳、人間性の回復不可能な喪失は毎日、増大しています。われわれに配信されるオンラインニュースには、身ているのが耐え難くなるほどの苦しみの画像が掲載されています。この苦しみを止めるものは、本法廷の命令以外にはないでしょう。仮保全措置の命令がなければ、数々の残虐行為は続くでしょう。イスラエル防衛大臣は、少なくとも1年間はこの一連の作戦を続行するつもりであることを示唆しています。

 国連事務次長の2024年1月5日の言葉から引用いたします。

「ガザに援助物資を届けるのが簡単だと思いますか? もう一度考えてください。トラックが入れるようになる前に3段階の検査があります。混乱と長い列。どんどん増える、却下された品目。一方の検問所はトラックではなく歩行者向け。他方の検問所は、トラックが絶望と飢えに苦しむ人びとに阻まれる。破壊された商業セクター。絶え間ない爆撃。問題のある通信環境。損傷した道路。撃たれる車列。チェックポイントでの遅れ。心に傷を負い消耗した人びとがどんどん小さくなる土地に押し込められていて、複数の避難所が総収容能力を長らく超えた状態になっており、支援活動をしている人自身が住み家を失い、殺されています。これが、ガザの人びとと、支援をしようとしている人びとにとっての手に負えない状況です。戦闘は停止しなければなりません。」

裁判長、裁判官の皆様、これでイスラエルによるジェノサイドの行為に関する私の陳述を終了いたします。ご傾聴いただき、ありがとうございました。ではジェノサイドの意図につきまして、ングカイトビ弁護士の発言許可をお願いいたします。

裁判長 ハシム氏、ありがとうございました。テンベカ・ングカイトビ氏、ご登壇をお願いします。ご発言ください。

(続く)

【仮訳】ICJ南ア対イ訴訟 公聴会初日 南ア原告口頭弁論(1)開始部分~冒頭陳述

原文:https://www.icj-cij.org/sites/default/files/case-related/192/192-20240111-ora-01-00-bi.pdf (pp.17-20)
※この暫定訳は法務分野を専門としない翻訳者が自らの学習のために作成したものであり、正確性は一切保障しません。また、原文の注は全て省略しています
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ブシムジ・マドンセラ駐オランダ南アフリカ共和国大使 裁判長、裁判官の皆様、本日は南アフリカ共和国を代表して出廷させていただき、光栄に存じます。

本法廷におかれましては、本件における仮措置命令の発出に関する南アフリカの請求を受けて、可能な限り最も早い日程で本公聴会を開催いただき、御礼を申し上げます。

われわれの訴状におきまして、南アフリカは、1948年以来イスラエルによる入植活動を通じてパレスチナの人びとが現在もなおナクバ〔大厄災〕を経験していると認識しております。パレスチナの人びとに国際的に認められた不可侵の自己決定権、および現在のイスラエル領内にある自らの町や村に難民として帰還する權利を、イスラエルは故意に認めず、組織的かつ強制的にパレスチナの人びとから土地や財産を取り上げ、パレスチナの人びとを退去させ、分断してきました。

われわれはまた特に、イスラエルグリーンラインの内外でパレスチナの人びとをアパルトヘイト下に置きながら、支配を確立するべく差別的法律、政策、慣行の体制を策定、維持してきたことを心に留めております。かように広範にわたる組織的な人権侵害が何十年にもわたり免責されてきたがために、イスラエルは増長し、パレスチナで国際犯罪を何度も繰り返しては激化させてきました。

 まず南アフリカは、イスラエル国(以下、「イスラエル」といいます)によるジェノサイドの作為または不作為が、1948年以来パレスチナの人びとに対し実行されてきた不法行為の「連続体の部分を間違いなく形作っている」ことを認めます。本訴状では、イスラエルによるジェノサイドの作為または不作為を、イスラエルによる75年に及ぶアパルトヘイト、56年に及ぶ占領、ガザ地区に強いた16年に及ぶ封鎖という広範な文脈に位置づけています。その封鎖たるや、国連パレスチナ難民救済事業機関UNRWA)のある局長は「人民のサイレントキラー」と表現したほどです。

 人種差別撤廃委員会(以下、「CERD」といいます)が12月21日に警告したように、「パレスチナの人びとを標的としたヘイトスピーチやかかる人びとを人間扱いしない言説」は、ガザ地区における「人道に対する罪およびジェノサイドを防止するイスラエルと他の締約国の義務に関する深刻な懸念」を引き起こしています。この警告以後も複数の警告が相次いで発されており、中でも37人の国連特別報告者が、ガザにおける「ジェノサイド防止のための国際システムが発動されていない」と警告しています。

われわれは本日、パレスチナ国の、人権分野で活動するパレスチナの人びとの代理人として出廷しております。われわれが代理する人びとの中には、まさに数日前までガザにいたガザの住民も含まれます。ガザを何とか脱出し得たいくらか幸運なる人びとです。彼らの未来、およびいまだガザに残る彼らのパレスチナ人同胞の未来は、本件に関して本法廷が下す決定にかかっております。

私の発言を終えるにあたり、南アフリカ共和国法務大臣ロナルド・ラモラ閣下を呼び、南アフリカの実質的な冒頭陳述に入ります。

 

裁判長 ご発言ありがとうございました。それでは南アフリカ共和国法務大臣ロナルド・ラモラ閣下、ご登壇ください。どうぞご発言を、閣下。

 

冒頭陳述

ロナルド・ラモラ南アフリカ共和国法務大臣 ありがとうございます。裁判長および裁判官の皆様、この特別な事件につきまして、南アフリカ共和国を代表して皆様の前にこうして立つ機会をいただき、光栄に存じます。「はるかなパレスチナの人びとに手を差し伸べるとき、われわれは一体である人類の一員であることをしっかりと意識しながらそうするのだ。」われわれの〔民主化後の〕初代大統領、ネルソン・マンデラの言葉です。

南アフリカが1998年、ジェノサイドの罪の防止および処罰に関する条約(以下、「本条約」といいます)の締約を継承したのは、この精神においてであります。

この精神において、われわれは本件訴訟に取り組んでおります。本条約の締結国として、これこそが、われわれがパレスチナイスラエルの人びとに同じように負っている責務であります。

先に言及されたとおり、パレスチナおよびイスラエルにおける暴力と破壊は、2023年10月7日に始まったわけではありません。パレスチナの人びとはこの76年間にわたって組織的な暴力と抑圧を被ってきたのであり、それは2023年10月6日も、2023年10月7日以後も毎日続いております。ガザ地区では、少なくとも2005年以来、領空、領海、検問所、水道、電力、民間インフラ、また重要な行政機能に対し、イスラエルは支配力を行使しております。空や海からの出入りは固く禁じられており、イスラエルはわずか2か所の検問所を運用するばかりです。ガザという領域の至るところにイスラエルによる実行支配が続いていることに鑑み、ガザはいまだ、イスラエルの攻撃的な占領下にあると国際社会に認識されております。

南アフリカははっきりと、ハマスや他のパレスチナ武装勢力が2023年10月7日に民間人を標的とし人質に取ったことを非難しました。そしてこの非難は、最近では2023年12月21日付のイスラエルへの口上書の中でも改めて明確に示していました。

そこで述べたように、一国の領土に対し武力攻撃がなされたからといえ、またそれがいかに重大であれ――残虐な犯罪を含む攻撃であれ――法律上の問題としても、道徳上の問題としても、本条約に対する違反を正当化したり、弁護したりすることは決してできません。2023年10月7日の攻撃に対するイスラエルの報復はこのラインを超えてしまっており、本条約に対する違反を生み出しています。

かような証拠と、また本条約第1条に記載されているようにジェノサイドを防止するためできる限りのことをするというわれわれの責務に向き合い、南アフリカは本件訴訟を提起いたしました。

南アフリカといたしましては、イスラエルが、ジェノサイド条約締結国間で意図されているように、事前に提示した事実と提案を入念かつ客観的に検討した上で、法廷での問題解決を目的として本件訴訟に応じたことを、歓迎いたします。

今回の公聴会は、本法廷に南アフリカが仮保全措置の発出を要請したことにかかわるものであり、必然的にある限られた特定の焦点を持つこととなりましょう。私はマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの言葉を引用いたします。「万物がたどる弧は長いが、常に正義に向かって曲がる。」

南アフリカの訴訟は、6人の弁護士チームによって提起されました。アディラ・ハシム博士、テンベカ・ンクカイトビ氏、ジョン・ドゥガード教授、ブリーネ・二フラーリー氏、マックス・デュプレッシー氏、ヴォーン・ロウ教授です。

(1)アディラ・ハシム博士(上級弁護士)がジェノサイドの行為のおそれと、ジェノサイドの行為に対する永続的脆弱性の概要を提示します。

(2)テンベカ・ンクカイトビ氏(上級弁護士)がイスラエルにおけるジェノサイドの意図と疑われるものを分析します。

(3)ジョン・ドゥガード教授(上級弁護士)が一応の管轄権について検討します。

(4)マックス・デュプレッシー氏(上級弁護士)が現在脅威にさらされているさまざまな權利について論じます。

(5)ブリーネ・ニフラーリー氏(勅撰弁護士)が緊急性と取り返しのつかない害の可能性に関する論証を提示します。

(6)ヴォーン・ロウ教授(勅撰弁護士)が仮保全措置について説明します。

それでは裁判長、ハシム博士の発言許可を求めます。よろしくお願いいたします。

 

裁判長 ラモラ閣下、ありがとうございました。それではアディラ・ハシム氏、ご登壇をお願いいたします。ご発言ください。

 

(続く)

【仮訳】アリー・アブー・ヤースィーン「サラームの誕生日」(『ガザ・モノローグ2023』から)

サラームの誕生日

 

サラーム(平和)、またはサッルーム(五体満足)。わが孫娘の名がサラーム、その愛称がサッルームだ。二歳。色白で、瞳は外国の子どものようにみどり色。泣くことは本当に、本当にめったにない。誰をも愛し、誰からも愛されている。この子はサラーム。その名を体現するかのように、いつも穏やかだ。

わたしは住み家を失い、別の家へ身を寄せている。共に暮らすのは八十人ばかり。その中にはさまざまな年齢の子どもたちがいて、一番下の子は二か月。子どもたちだけで二十人を超えるが、家にはたっぷり余裕がある。

改めて言うが、サッルームは戦争の前、決して泣かなかった。今では毎夜、声を張り上げて叫びながら目覚める。それが一晩に二度、三度とある。真夜中にこの子の叫び声を聞いて、わたしたちはみな目覚める。ある者は悲しげな表情を浮かべ、ある者はシオニストを呪い、またある者はコーランを暗唱し、またある者はこ子に水を飲ませてやろうとし、またある者は「明日長老に見せなきゃ、ひょっとすると悪霊が憑いているかもしれないから」と言う。そこでこの子の母が言う。「この子が毎夜おびえて目覚めるようになったはじまりは、お隣のアル=ナアサンのお宅が爆撃されてからだよ。」 サッルームは自分のベッドで眠っていた。爆弾が落ちた瞬間、身体がベッドから一メートル以上も飛び上がり、それからまたベッドの上に落ちたので、恐ろしい叫び声を上げた。それ以来、叫び続けている。

サッルームの叫び声は伝染し始めている。この子が目覚めて叫ぶと、子どもたち全員が一緒になって同時に叫び始めるのだ。わたしたちは教養ある一族だとみなされていて、実際に戦争が終わるたびに、学校へ通う子の精神的な苦痛を和らげるため大いに力を注いだので、サッルームに生じているすべては戦争のせいだと分かっている。ときには一晩中、一睡もできないこともあった。この子が叫び始めると、わたしたちも一緒に叫びたくなるほどだ。

今日はサッルームの誕生日だった。共に暮らす子どもたち全員が、今日はこの子の誕生日だと分かっていたので、朝のうちに集まって、最高の誕生日にしてあげようということになった。まず石をふたつ持ってきて積み重ね、その上に木切れを載せた。それから土を取ってきて、泥のケーキを作り上げたのだ。そしてみんなでサッルームを囲んで、「ハッピー・バースデー・トゥ・サッルーム」と歌った。妻とわたしは小さな泥のかまどでお茶を温め、目には見えないシュロの葉の煙を胸いっぱい吸い込みながら、この世のあらゆる痛みを負った子どもたちを見つめて、こう言った。「神よどうか、この子たちの毎日がわたしたちのよりもよくなりますように。」 子どもたちはケーキを囲み、サッルームと一緒に泥の上に立てた見えないろうそくの火を吹き消した。それから、家の中庭で見つけたものをこの子にプレゼントしたのだった。ひとりが古い鉢を持ってきて、キャンディーボックスとして提供した。もうひとりが木切れをバラの花束のように見立てて渡した。三人目が、泥にまみれてところどころ破れた布を、まるで最高級の衣服のように差し出した。サッルームは贈り物を受け取ると脇に置き、みんながこの子にキスをしたので、この子の心と瞳は幸せでいっぱいになっていた。

遠くから見守っていた息子は、たとえ時間や労力がどれほどかかろうとも、自分の娘に本物のケーキを作ってやると決意した。しかしケーキづくりに必要な原材料はどこで手に入るのだろう?  息子は市場へ出かけて卵、小麦粉、またしばらく出回っていないバニラエッセンスを買い求めた。そしてデイルアルバラ中の道という道を歩き回り、ようやくケーキの原材料を手に入れて戻ってきた。

わたしたちは住み家を失ってここへ逃れており、ケーキづくりに必要なミキサーなどの調理用具を全く持っていないので、息子はパンを焼いている隣の家へ行き、お願いしてケーキを焼いてもらった。そして日暮れごろそのケーキを抱えて、まるで博士号を取ったかのように誇らしげに帰ってきた。わたしたちはまた子どもたちを呼び集めて、本物のテーブルを運び、置いたケーキの上に何枚かクッキーを載せて、サッルームのために子どもたちと一緒に歌をうたい、ケーキを切り分けてやると、みな瞬く間にたいらげてしまった。サッルームはベッドで眠りにつき、恐怖でまた叫び始めた。わたしたちは目覚めてこの子を落ち着かせようとしたが、その甲斐もなく、ふだん穏やかな天使のようなこの子は、夜が更けた今もなお安らぎを得ずにいる。

誕生日おめでとう、愛する孫娘よ。どうか末永く生きてほしい。

 

2023年12月20日

アリー・アブー・ヤースィーン

【仮訳】アリー・アブー・ヤースィーン「わが書斎へ」(『ガザ・モノローグ2023』から)

わが書斎へ

 

許してほしい。何ヶ月にもおよぶ戦争のせいで、おまえから離れざるをえない。戦争とそれがもたらす荒廃の意味を知るには、おまえはこの上なくうってつけだ。おまえの中にはレフ・トルストイの代表作『戦争と平和』が住んでいるのだから。そうだろ? わたしたちは『肝っ玉おっ母とその子どもたち』を繰り返し読んだ。そしてそれをいつかこの手で舞台にかけてやるとわたしは決心した。だから今ではもう、おまえを傷つける戦争の恐怖をわたしは恐れていない。おまえは自分の子どもを守る母親の勇気と胆力を手に入れたんだから。あれらすべての本と戯曲を、守るべき自分の子どもだと思ってほしい。

わが愛する書斎へ。知ってのとおり、わが家への電力は遮断されている。食べ物を料理するにも、パンを焼くにも、燃料がない。まるで干し草の山の中から針を探すように、人びとは木切れひとつ、段ボールの切れ端ひとつを探し回っている。みんなが命をつなぎとめるため、子どもを食わせるため、必要なだけどんな本でも持っていくことを許してくれ。わが親愛なる本の著者たちは、人びとのために自らの身を捧げてくれるはずだ。親愛なる友チェーホフアルベール・カミュジャン=ポール・サルトルジャン・ジュネシェイクスピア、 マフムード・ダルウィーシュ、 サミーフ・アル=カースィム、 ガンナーム・ガンナーム、 アルフレッド・ファラグ、 アーティフ・アブー・サイフ、 ムハンマド・アル=マーグート、 サアダッラー・ワンヌース、スタニスラフスキー、アウグスト・ボアール、おまえの棚の上に座している偉大な著者たちはみな喜んで燃える灯火となり、人びとを喜ばせてくれる。何しろわたしたちにとってこれらは、本の紙の上には収まりきらないほど大きな価値がある。著者たちが何を書いていたかは、世界とわたしが、わたしたちの精神以前に、わたしたちの心臓に刻みつけている。だから書斎よ、おまえのことは心配していない。むしろわたしが恐れているのはただ、本が自分の成長の糧となることを人びとが知ってしまうのではないかということだ。

わが大切な書斎よ、おまえは本当に大切だ。わたしは決して忘れない、1993年、カイロで開催されたアラブ演劇パフォーマンスフェスティバルに参加した日のことを。他の参加者たちはみな家族へのお土産を抱えて帰った。わたしは大きなかばんを携えて帰ってきた。中いっぱいに、最高にそそられる演劇関係の本を詰め込んで。重くて、道中は大変だった。やっと帰り着いたとき、お土産を期待して出迎えてくれた妻と子どもたちにわたしが差し出したスタニスラフスキーは、ほほえみながらこう言った。「わしに免じてこの演劇バカを許してやってくれ」

わが愛する書斎よ、わたしを待っていてくれ。すぐに帰って来るから。そのときは夜を明かして探りつくそう。人間の魂を、素晴らしくも不思議なこの世界を、言葉の奇跡と美を、そして輝かしくも偉大な本の書き手たちのことを。

 

2023年12月31日

アリー・アブー・ヤースィーン

言語キャピタリズムから言語コミュニズムへ――言語はコミュニテイの共有財産であり、大規模言語モデル(LLM)の私有化はコミュニティに対する越権である

産業翻訳に従事する言語労働者たち。私たちほど、何十年もにわたり互いの顔も見えないほど分断され孤立している労働者のタイプが、他にあるだろうか?

私たちの存在はふだん表に見えない。ただ、クライアントや翻訳会社が所有する「翻訳メモリ」(原文と訳文をペアで格納しているデータベース)の中に、訳文の作成者や更新者として記録されているだけだ。

それでも私たちは、輸出入されるあらゆる商品やサービスの広告からマニュアルまでにかかわり、また国境をまたいで活動しようとする組織や企業を言葉でつなぎ、グローバル資本主義の構造的な搾取に多かれ少なかれ加担する一方で私たち自身も搾取されながら、外国語を読めない人にも理解できる言葉で商品やサービスを利用できるよう助けてきた。

私たちを抜きにしては、例えばITの普及はありえなかった。私たちが力を貸さなければ、ラグジュアリーブランドが現地の販売者と手を切ってウェブサイトの現地語版を公開し、自分たちで高級商品を販売することによりそれまで以上に大きな利益をあげるようになることもなかった。私たちがいなければ、旧ツイッター日本語版の各種ポリシーも日本語で読めるようになりはせず、まして日本語UIも使えはしなかった。

さまざまな問題を引き起こしながらも発展を続ける今日のグローバル経済は、私たちあってのものなのだ。はじめに私たちがあったとはいわないが、私たちは確かに、デジタルによって加速したグローバル経済の中を流通するあらゆる言葉とともに常にあった。

にもかかわらず、私たちが手掛けた訳文は、新しいプロジェクトやAIの機械学習に使い回され、私たちはそのたびに一銭も受け取ることがない。翻訳メモリが言語資産と呼ばれ、仮に売り買いされていたとしても私たちに知らされることは少しもない。しかも、単価に下向きの圧力をかけるために私たちの間で競争を続けさせようと仕向けられていて、新規参入者にとって過剰に厳しい言説を振りまくほどに追い込まれている。

グローバルな資本主義の中で、プラットフォームを通じてデータを収集し一手に掌握する者たちは、私たちが築き上げたにもかかわらず私たちが所有することを許されていない言語資産を利用し、私たちの言語労働の一部または全部を機械に置き換えようとしたり、生産手段を持たず自らの言語運用能力を労働力商品として販売するほかない私たちに対してさらなる値下げを迫ったりしている。こうして私たちはあまりにも隠され、軽んじられ、無視され、そう遠くない将来に無くなる職業ランキングの上位に位置づけられている。

このようなことがまかりとおっているのは、私たち言語労働者が他分野では類を見ないほどばらばらに分断され、ひたすらに競争させられ続けているからだ。

私たちは、手をつながなければならない。私たちが本来受け取るはずだったものを、彼らから取り戻すために。

機械翻訳は、私たち翻訳者が主体となり、私たち自身が手掛けたデータに基づいて構築し、私たち自身が所有し、私たち自身のために使用不使用を決めるべきだ。

クライアントや翻訳会社が主体となるのも、他人の翻訳物をかすめとるのも、大企業に所有されるのも、単価引き下げのため使用されるのもダメだ。

問題の核心は、重要な言語資産である翻訳メモリが、私たちにより築かれていながら大資本により所有されていること。これは、本来翻訳者コミュニティのものであるはずのものを私利のために取り上げているに等しい。ならば私たちは、翻訳者・翻訳校閲者・言語品質管理者の労働者協同組合を結成し、組合員全員が出資、労働、意見をし、コミュニティ内部だけで翻訳メモリやエンジンを構築・共有してはどうか?

方法は問わない。ともかく言語キャピタリズムの奴隷であることはもうやめて、言語コミュニズムへシフトしよう。