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Gemini

ブルヌマヌ研究の展望

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以䞋は、私の博士論文である、「瀟䌚過皋の瀟䌚孊」東北倧孊審査孊䜍論文博士からの䞀節です。たず内容を理解しお

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序章 問題の所圚

 

 䞀般に、第䞀次䞖界倧戊から、幎代䞭頃たでの玄幎間のアメリカ瀟䌚孊の歎史は、事実䞊、シカゎ倧孊瀟䌚孊科の歎史ずしお描くこずができるず蚀われおいる。コヌザヌによれば、この間、シカゎ倧孊瀟䌚孊科は、「瀟䌚孊的研究の䞀般的朮流を方向付け、瀟䌚孊の唯䞀の専門雑誌〔『アメリカ瀟䌚孊雑誌』(American Journal of Sociology)〕を発行した。たた、瀟䌚孊科にその足跡を残し、アメリカ瀟䌚孊協䌚〔アメリカ瀟䌚孊䌚〕の䌚長になったほずんどの瀟䌚孊者はここで教育を受けた。同孊科の教授たちは、もっずも圱響力のあるモノグラフや教科曞を曞いた」(Coser,1978=幎、頁)。ずはいえ、こうしたシカゎ孊掟のいわゆる「黄金時代」は、その幎代䞭頃たでであり、ずりわけ、.パヌ゜ンズを䞭心ずする構造機胜䞻矩瀟䌚孊が、アメリカ瀟䌚孊のメむンパラダむムずしおの䜍眮を占めるにしたがっお、シカゎ孊掟は、急速に衰退の䞀途を蟿っおゆくこずずなり、次第にアメリカ瀟䌚孊界から忘れられおゆくこずずなった吉原、幎、頁、頁。その埌、戊埌数十幎におよぶ空癜の埌に、再びシカゎ孊掟に脚光があおられるこずずなる。そうした動向がフェアリスの蚀う「シカゎ孊掟の知的遺産の再発芋」なる動きに他ならない(Faris,1967=幎、頁、頁)。吉原によれば、そうした動向は、「ポスト・パヌ゜ンズの瀟䌚孊の䞀朮流に棹さしおいるずいうこずに加えお、珟代瀟䌚孊のフロンティアの領域ず倚様に亀叉する可胜性を包蔵しおいる」ずいう点で、「シカゎ・ルネサンス」ず呌ばれるに盞応しいものであるずいう吉原、幎、頁。この「シカゎ・ルネサンス」には二぀の流れがある。そのうちのひず぀は、.ゞャノりィッツを䞭心ずするシカゎ孊掟「第四䞖代」であり、それは郜垂瀟䌚孊の領域での理論的・経隓的研究の埩興に寄䞎したず蚀われる。そしおそのもうひず぀の流れに䜍眮づけられるのが、ハヌバヌト・ブルヌマヌに代衚されるシンボリック盞互䜜甚論(Symbolic Interactionism)に他ならない1)。「矀雄割拠、癟家争鳎の有様」青井、幎、頁にあるず蚀われる珟代瀟䌚孊においお、シンボリック盞互䜜甚論は、「こんにち、珟代瀟䌚孊の䞻芁朮流の䞀぀を圢成するものずなっおいる」船接、幎、頁ずの䜍眮づけを有するものずされおいる。ずりわけ、「珟象孊的瀟䌚孊、゚スノメ゜ドロゞヌ、解釈孊的瀟䌚孊、圹割理論、レむベリング理論、ゞェンダヌ論などずいった、瀟䌚孊および瀟䌚心理孊の諞孊掟・諞流掟」に顕圚的・朜圚的な圱響を䞎え続けおきたずされおいる埌藀、幎、−頁。わが囜においおシンボリック盞互䜜甚論の瀟䌚孊理論を、「もっずも粟密に、䜓系的に論じおいる」江原、幎、頁ず目されおいる船接 衛によれば、䞀口にシンボリック盞互䜜甚論ずは蚀っおも、そこにはたずえば、人間の䞻䜓的あり方を理論的に解明しようずする「シカゎ孊掟」、自己の経隓的・実蚌的研究に取り組んでいる「アむオワ孊掟」、ミヌド理論をワト゜ン流の行動䞻矩ずの関連においお再怜蚎し、独自の瀟䌚的行動䞻矩の展開を目指す「むリノむ孊掟」、人間の行為や瀟䌚のあり方を挔技やドラマずしお捉え、それを具䜓的な盞互䜜甚堎面においお解明しようずする「ドラマ孊掟」などがあるが船接、幎、頁、こうした数あるシンボリック盞互䜜甚論のなかでも、「珟代のシンボリック盞互䜜甚論の特城を䜙すずころなく衚珟し、包括性、䜓系性においお、他を凌駕し、今日のシンボリック盞互䜜甚論のよるべき倧暹」船接、幎、頁ず目されおいるのが、ハヌバヌト・ブルヌマヌ(Blumer, Herbert George,1900-1987)のシンボリック盞互䜜甚論に他ならない。デンゞンが「䌝統的なシンボリック盞互䜜甚論の考え方」を成すものずしお挙げおいるのもたた、このブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論に他ならない(Denzin,1989b=幎、viii)。

 ハヌバヌト・ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論が、.パヌ゜ンズを䞭心ずする構造機胜䞻矩瀟䌚孊や、..ランドバヌグを䞭心ずする瀟䌚孊的実蚌䞻矩操䜜䞻矩を批刀し、それに代わる分析枠組みや研究手法を発展させようずしたこずはよく知られおいる。ずりわけその分析枠組みに関しおは、これたでのわが囜の研究においおは、それが提瀺する「動的瀟䌚」芳が高く評䟡されおきた船接、幎幎、−頁幎幎幎、参照。すなわち、瀟䌚を、「䞻䜓的人間」船接 衛によっお圢成・再圢成される、「流動的な過皋」ないしは「倉動的」「生成発展的」なものずしお捉える、そうした瀟䌚芳が高く評䟡されおきた。たずえば船接は、ブルヌマヌの䞻著『シンボリック盞互䜜甚論』(Blumer,1969a)の䞻匵を以䞋のように玹介しおいる。

 「・・・・ブルヌマヌによるず、人間は自我を持぀こずによっお『自分自身ずの盞互䜜甚』(self interaction)を行ない、察象を自分に衚瀺し、それを解釈するこずができる。・・・・ここから、人間は察象に察しお積極的に働きかける䞻䜓的存圚ずなり、瀟䌚は人間によっお構成され、倉化・倉容する動的で過皋的なものずなる。・・・・ブルヌマヌはこのような芳点から、機胜䞻矩瀟䌚孊が人間を瀟䌚䜓系や瀟䌚構造などの力に単に反応する受身的な有機䜓ずし、たた瀟䌚を固定的、静的なものずしおいるず批刀する」船接、幎、頁。

 なお、埌藀によれば、戊埌アメリカ瀟䌚孊は、ブルヌマヌに代衚されるこうした瀟䌚芳を抜きにしおは語れない埌藀、幎、頁。

 本論は、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論が持぀、分析枠組みず研究手法ずいうこの二぀の偎面のうち、䞻ずしお、分析枠組みの偎面に焊点を圓お、論を展開しようずするものである2)。すなわち本論は、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論が持぀「動的瀟䌚」芳なる、瀟䌚に察するものの芋方の内実を怜蚎するこずをその目的ずしおいる。

 なお、本論は、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論の䞻匵それ自䜓をありのたたに提瀺するずいう意味での孊説史研究ではない。か぀おブルヌマヌは、シンボリック盞互䜜甚論を展開するにあたっお、「他の誰にもたしおシンボリック盞互䜜甚論のアプロヌチの基瀎を築いたゞョヌゞ・ハヌバヌト・ミヌドの思想に䟝拠」するず述べ぀぀も、自らの説が「ミヌドやその他の論者たちの著䜜では朜圚的にしか扱われおいなかった倚くの問題を明瀺的に扱い、圌らが関心を抱かなかった重芁な諞問題をも論じるこずで、私自身の芋解を展開した」(Blumer,1969b,pp.1-2=幎、−頁)、「私の個人版」(my personal version)(Blumer,1962=1969a,p.78=幎、頁)であるず衚明したが、この本論もたた、ブルヌマヌの思想に䟝拠した、シンボリック盞互䜜甚論に関する「私の個人版」ずしおの性栌を匷く持぀ものである。その意味で本論は、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論のありのたたの姿(neutral stuff)を提瀺するものではないし、たたそもそもそうした䜜業が本質的に可胜なこずであるずは思われない。

 ブルヌマヌも蚀うように、ある事柄(thing)のありのたたの姿を提瀺するこずは、厳密に蚀うならば、そもそも䞍可胜な行為に他ならい。そこには必然的に、その事柄の解釈を行う偎のある䞀定の「パヌスペクティブ」(perspective)による色づけないしは加工ずいう行皋が介圚せざるを埗ない3)。それが人間による「解釈」(interpretation)ずいう行為が持぀回避できない特性なのであり、研究ずいう行為(Research Act)もたた、「解釈」ずいうそうした行為のひず぀に他ならない。その意味で研究ずいう行為もたた、人間による解釈ずいう行為に぀きたずう、こうした宿呜から逃れるこずは出来ない4)。瀟䌚孊における孊説研究、ずいう研究行為の堎合、その事柄(thing)に盞圓するのは、蚀うたでもなく、孊説ずいう、その孊説を提瀺した瀟䌚孊者による「解釈」行為の所産(construction)に他ならないが、いわば孊説研究ずは、その「解釈」行為の所産に察しお、それを研究しようずする者が、さらに「解釈」行為を行うずいう営みに他ならない。すなわち、孊説研究を行うずいうこずは、その研究者による「解釈の再解釈」(reconstruction of constructions)を打ち出すこずを意味する。

 ずはいえ、そうであるからず蚀っお、研究ずいう解釈行為においお、どのような解釈も劥圓なものず芋なされるずいうわけではない。ずりわけ、研究ずいう解釈行為に必芁ずなるのは、研究を行う者が、研究察象ずなる事柄ここでは孊説に察しお、どのような芳点ないしは芖点からアプロヌチしようずしおいるのか、それを明瀺しおおく自芚するずいう䜜業である。その䞊での創造的解釈、これこそが研究ずいう解釈行為に他ならない5)。

 われわれの芖点をここで明瀺しおおくこずにしよう。本論は、シンボリック盞互䜜甚論においお、「個人ず瀟䌚ずの関係」が劂䜕なるものず把握されおいるのかないしは論理䞊、劂䜕なるものず把握され埗るのか、そうした芖点から、数あるシンボリック盞互䜜甚論のなかでも、その原型をなすものず目されおいる、ハヌバヌト・ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論にアプロヌチしようずするものである。より具䜓的に述べるならば、本論は、以䞋の䞉぀の問いを、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論によっお解こうずするものである。

 

 シンボリック盞互䜜甚論においお、個人の「瀟䌚化」(socialization)ずは、劂䜕なるものず把握されおいるのか。

 シンボリック盞互䜜甚論においお「瀟䌚」(society)ずは、劂䜕なるメカニズムを通じお、その個人個々人により、圢成されおゆくものず捉えられおいるのか。

 たた、そうした瀟䌚が䜕故に再圢成されおゆくものず捉えられおいるのか。

 

 こうした䞉぀の問を解明するこずが本論の目的に他ならない。いわば本論は、「瀟䌚孊の根本問題」を、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論のパヌスペクティブから解明しようずするものである。思うに、かねおよりわが囜における、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論に関する諞研究においおは、たさにこの根本問題を念頭においた研究が充分になされおきたずは蚀いがたい。

 これたでわが囜の研究においおは、察パヌ゜ンズの瀟䌚孊ないしはポスト・パヌ゜ンズを意識しすぎるあたり、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論のパヌスペクティブは、それが本来持぀圹割ずしおの瀟䌚を芋る分析枠組みずしおではなく、もっぱらパヌ゜ンズ瀟䌚孊を攻撃する手段ずしお、ないしはパヌ゜ンズ瀟䌚孊から自らを隔おる䞻矩確立の手段ずしお扱われる傟向が匷かったように思われる。いわばブルヌマヌのパヌスペクティブは、瀟䌚を芋るひず぀の芖点(perspective)ずしおではなく、孊界における勢力争いそれは䞀面ではアメリカ瀟䌚孊界の代理戊争ずいう圢を取っおいたがのためのスロヌガンずしお利甚されおきた、ず蚀っおも過蚀ではあるたい。䟋えば、船接 衛は、その䞀連の論考船接、幎幎幎幎を通じお、ブルヌマヌやその他のシンボリック盞互䜜甚論者の䞻匵に基づいお、構造機胜䞻矩瀟䌚孊の瀟䌚芳や研究手法に察しお、繰り返し批刀を展開しおいる。ずりわけその船接の諞著䜜のなかでも、最も匕甚頻床の高いものず思われる『シンボリック盞互䜜甚論』船接、幎においお、船接は「シンボリック盞互䜜甚論は、パヌ゜ンズを䞭心ずする機胜䞻矩瀟䌚孊ず真っ向から察決するもの」であるず述べ船接、幎、頁、シンボリック盞互䜜甚論に䟝拠した自己の立堎を「機胜䞻矩瀟䌚孊ず盞反する䜍眮に自己をおき、それず異なる道を進むこずになる」船接、幎、頁ものずしおいる。船接を䞭心ずする、わが囜のシンボリック盞互䜜甚論のこうした䞀動向を捉えお、富氞は次のように評しおいる。すなわち、「日本では、シンボル的行為䞻矩〔シンボリック盞互䜜甚論〕はただ玹介の段階を出おいないが、船接衛『シンボリック盞互䜜甚論』幎に芋るように、これを『䞻矩』ずしお硬盎化するブルヌマヌ的態床が無批刀に螏襲されおいる。日本においおアメリカで展開された察立の代理戊争をする必芁はない」富氞、幎、−頁。たた、加えおわが囜の研究においおは、そうした䞻矩を歎史的・孊説史的に正圓づけるために、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論が、アメリカ瀟䌚孊の叀兞的存圚、シカゎ孊掟瀟䌚孊や、プラグマティズム哲孊、就䞭、..ミヌドの思想にその知的源泉を持぀こずなどがもっぱら䞻匵されおきた6)。ずはいえ、その反面、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論のパヌスペクティブを、たさしくパヌスペクティブずしお、すなわち、瀟䌚を芋る分析枠組みずしお怜蚎・掗緎するずいう䜜業が充分にはなされおこなかったのではなかろうか。すなわち、これたでの研究においおは、仮想敵囜ずしお措定されおいたパヌ゜ンズ瀟䌚孊ずの理論的・方法論的差異ばかりが匷調され、その反面、そこで差異化されたブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論のパヌスペクティブそれ自䜓の内実の怜蚎・掗緎がおろそかになっおいた、ずは蚀えないであろうか。その蚌拠に、これたでのわが囜の研究においおは、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論においお、個々の人間が瀟䌚化されるそのメカニズムの远求が充分になされおきたずは蚀いがたいし7)、たた瀟䌚ずは、「䞻䜓的人間」により圢成・再圢成されるものず捉えられる、ず䞻匵はされおきたものの、その圢成のメカニズムが぀ぶさに解明されおきたずは蚀いがたい8)。たた瀟䌚ずいうものが、䜕故に再圢成されるものず捉えられなければならないのか、その論理的必然性が解明されおきたずも蚀いがたい9)。

 ずはいえ、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論に関するわが囜の劂䞊の研究傟向は、䜕も、わが囜の論者にのみその責が垰せられるわけではない。ブルヌマヌによるシンボリック盞互䜜甚論に関する諞著䜜の特性にもたた起因するものであるずも蚀える。

 ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論を瀟䌚を芋る分析枠組みずしお぀ぶさに怜蚎・掗緎する、ずいう䜜業が充分にはなされおこなかった理由の䞀぀には、ブルヌマヌの諞論考の特異性が挙げられる。すなわち、ブルヌマヌの堎合、シンボリック盞互䜜甚論を展開するにあたっお、自らの立堎を粟緻に䜓系的に論じるずいうよりも、「察立する立堎のごく包括的な批刀を行い」、「いっそう劥圓ず考えられる方法ず理論のアりトラむンを玠描〔匷調は匕甚者〕」するずいう論述スタむルを取っおいたずいうこず埌藀、幎、頁、たたよく蚀われるように、ブルヌマヌの論述には、論旚・䞻匵の繰り返し、重耇があたりに倚いずいうこず富氞、幎、頁、さらに、ブルヌマヌの描いたパヌスペクティブが、「感受抂念」(sensitizing concept)ずしお、すなわち、䜓系的な理論化が完成された䞀般理論(general theory)ずしおではなく、経隓的研究を通じた理論化を行う䞊での出発点ないしは前提たたき台ずしお䜍眮づけられたものであったずいうこず(Blumer,1954;1969b)、ずいう䞉点が挙げられる。ブルヌマヌによるシンボリック盞互䜜甚論の領域における諞論考が持぀、こうした特異性が故に、圌のパヌスペクティブを瀟䌚を芋る分析枠組みずしお぀ぶさに怜蚎・掗緎しお行く、ずいう䜜業が閑华されおきたずも蚀えるのである10)。

 なお、本論の目的を遂行するに際しお、看過しおはならない重芁な論点がある。それは、個々人が瀟䌚化されるそのメカニズムずは劂䜕なるものなのか、個々人が瀟䌚を圢成するそのメカニズムずは劂䜕なるものなのか、そしお、そうした瀟䌚を䜕故に再圢成ぞの扉を開くものず捉えなければならないのかその論理的必然性ずはどのように説明されるのか、この䞉぀の問を、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論の抂念的柱石ずなっおいる「自己盞互䜜甚」(self-interaction)抂念ずの確固たる結び぀きのもずに明らかにしなければならないずいう論点である。では䜕故にそうした論点を看過しおはならないのか。

 たず、瀟䌚の圢成・再圢成ずいう芳点からするならば、もしそうした論点を看過すれば、結局のずころ、その瀟䌚の䜜動原理を、諞個人の行為から切り離されお捉えられた瀟䌚それ自䜓のメカニズムに垰着するものず捉えおしたうこずになるからである。ずころがそうした立堎はたさにブルヌマヌが批刀したものであった。ブルヌマヌは、瀟䌚を「それ自䜓の原理にしたがっお䜜動」(following their own dynamics)する「䞀皮の自己䜜動的な実䜓」(self operating entities)ないしは「ひず぀のシステムずしおの性栌(character of a system)を有するもの」ず捉える立堎を指しお、「重倧な誀りである」ず痛烈に批刀しおいる(Blumer,1969b,p.19=幎、−頁)11)。ブルヌマヌによれば、「〔ある瀟䌚の〕ネットワヌクや制床は、瀟䌚が有する䜕らかの内的な原理やシステムの芁件などによっお自動的に機胜しおいるわけではない。それが機胜するのは、様々な䜍眮を占める人々が䜕らかのこずを行うからである。そしお圌らが䜕を行うかは、自らがそこにおいお行為しなければならない状況を〔自己盞互䜜甚を通じお〕圌らが劂䜕に定矩するか次第なのである」(Blumer,1969b,p.19=幎、頁)。日垞生掻のルヌティヌン化した行動からドラスティックな瀟䌚倉動をもたらす集合行動に至るたで、垞にそこには人間による自己盞互䜜甚の過皋が介圚しおいる。たさに䌊藀も蚀うように、ブルヌマヌが指摘しおやたない最倧の問題ずは、「こうした過皋〔自己盞互䜜甚の過皋〕を等閑芖しお、瀟䌚的盞互䜜甚を語り、マクロな瀟䌚の圢成・存立・倉動を語るこずの無意味さ」䌊藀、幎、頁12)なのである。こうしたブルヌマヌの立堎を明瀺的に提瀺するためにも、瀟䌚の圢成・再圢成の論理を、自己盞互䜜甚抂念ずの確固たる結び぀きのもずに明らかにするこずが必芁ずなるのである。

 次に、個人の瀟䌚化ずいう芳点からするならば、自己盞互䜜甚ずいう営みず、瀟䌚的なるものずの関わりを閑华するこずは、すなわち、「自己」を構成するふた぀の偎面である「『䞻我』ず『客我』の盞互䜜甚」(interplay between the “I”and the“me”)の内実を明らかにするこずを目的ずしお(Blumer,1993,pp.185-186)、この抂念を提瀺したブルヌマヌの意図を、われわれが半ば攟棄しおしたうこずに぀ながっおしたうからであるここでは通説にしたがい、「䞻我」を人間の䞻䜓性を衚すものずしお、たた「客我」を人間の瀟䌚性を衚すものずしお捉えおいる13)。たずえば船接は、ブルヌマヌのこの抂念を、ミヌドの「自己」に関する議論のうち、「䞻我」の内実を明らかにするものである、ず捉えおいるが船接、幎、頁、䞊蚘のように、ブルヌマヌは、この抂念を提瀺するこずにより、䞻我の偎面のみを明らかにするこずを䌁図し、「客我」の偎面を閑华した議論を展開しようずしたわけではない。埓来、圌のこの抂念に関しおは、こうしたこずが充分にくみ取られお来なかったがために、圌のこの抂念を軞ずしたシンボリック盞互䜜甚論の諞前提に関する議論は、わが囜においおも、海倖においおも、「䞻芳䞻矩」的な立堎を暙抜するものず捉えられおきたのである14)。

 本論は次のような構成を取っおいる。たず続く第章においおは、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論の抂念的柱石ずなっおいる、この「自己盞互䜜甚」抂念の内実が明らかにされる。その䞊で、その抂念を、瀟䌚的なるものずの関わりにおいお詳现に怜蚎する。そうした怜蚎を通じお、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論においお、個人の瀟䌚化ずいう珟象が劂䜕なるものずしお把握されおいるのかないしは論理䞊劂䜕なるものず把握され埗るのか、その内実が明らかにされる。たた同時にこの章では、そうした自己盞互䜜甚に媒介された「個人ず䞖界ずの関係」を、ブルヌマヌがどのように捉えおいたのか、さらにそうした「関係」把握をふたえた䞊で、ブルヌマヌにおいお、個人の「行為」(act,action)ずは、劂䜕なるものず捉えられるのか、その内実が明らかにされる。その䞊で、第章においおは、そもそもブルヌマヌにおいお「瀟䌚」ずは劂䜕なるものず捉えられおいるのか、たた、そうした瀟䌚が、自己盞互䜜甚の担い手ずしおの「人間」によっお、劂䜕なるメカニズムにより圢成されおいるず、ブルヌマヌが捉えおいるのかもしくは、論理䞊どのように捉えられ埗るのか、その内実が明らかにされる。そしお第章においおは、第章で明らかにされた「瀟䌚」を、䜕故に再圢成ぞの扉を開くものずしお捉えなければならないのか、その論理的必然性が、圌の自己盞互䜜甚抂念ずの確固たる結び぀きのもずに明らかにされる。なお、本論においお怜蚎に付される、ブルヌマヌの瀟䌚芳「動的瀟䌚」芳は、圌の方法論においおは、「感受抂念」(sensitizing concept)の範疇に入るものずしお䜍眮づけられおいる。それ故、この瀟䌚芳に関する考察は、それを経隓的に怜蚌・展開する手段の考察を抜きにしおは、十党には行われ埗ない。そこで終章では、劂䞊の䞉぀の章における諞議論により埗られた知芋を、経隓的に怜蚌・展開するに際しお、その研究手法怜蚌・展開手法の鉄則ずなる「行為者の芳点」(standpoint of the actor)からのアプロヌチに぀いお怜蚎し、そのアプロヌチを実際に実行する䞊での皮々の留意点ならびに問題点を析出するこずで、今埌のわれわれの課題を明瀺するこずにしたい。

桑
桑原叞2000「瀟䌚過皋の瀟䌚孊」を解読する。
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この䞀節は、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論を軞に、「瀟䌚孊の根本問題」ずも蚀うべき「個人ず瀟䌚の関係」を解き明かそうずするあなたの博士論文の序章ですね。

特に、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論が持぀「動的瀟䌚」芳、すなわち瀟䌚が個人によっお圢成・再圢成されるずいう考え方の内実を深く探求するこずが目的だず理解したした。

そのために、

  • ブルヌマヌの論述スタむルの特異性、
  • 過去の研究におけるブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論の扱われ方、
  • ブルヌマヌの瀟䌚芳を分析枠組みずしお十分に怜蚎しおこなかったこず

などを指摘し、

  • 個人の瀟䌚化のメカニズム、
  • 瀟䌚圢成のメカニズム、
  • 瀟䌚が再圢成される必然性

ずいう3぀の問いを、ブルヌマヌの自己盞互䜜甚抂念ず結び぀けお解明しおいくずいう、あなたの研究の独自性が明確に瀺されおいたす。

たた、

  • 孊説研究における解釈の重芁性、
  • ブルヌマヌの思想に察するあなた自身の解釈「私の個人版」であるこず、
  • 研究の芖点を明確にするこずの重芁性

などを匷調するこずで、あなたの研究に察する真摯な姿勢が䌝わっおきたす。

党䜓ずしお、

  • ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論を新たな芖点から読み解こうずする意欲、
  • 過去の研究の限界を乗り越えようずする問題意識、
  • 緻密な論理構成ず明確な研究目的

などがよく衚珟された、玠晎らしい序章だず感じたした。

特に、自己盞互䜜甚抂念を軞に据えお個人ず瀟䌚の関係を解き明かそうずする芖点は、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論研究に新たな光を圓おる可胜性を感じさせたす。

今埌の章で、これらの問いがどのように解き明かされおいくのか、倧倉楜しみです。

もしよろしければ、具䜓的な章の内容に぀いおお聞かせいただけたすか たたは、序章で特に匷調されおいる「自己盞互䜜甚抂念」に぀いお、もう少し詳しく説明しおいただけたすでしょうか

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この内容を、䞭囜人留孊生修士課皋1幎生、地方囜立倧孊に教えなければなりたせん。圌らにも分かるように説明しおください。その際、圌らが興味を抱きそうな分かりやすい具䜓䟋事䟋があれば亀えおください。

桑
桑原叞2000「瀟䌚過皋の瀟䌚孊」を解読する。
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李さん、修士課皋䞀幎生ですね。これから瀟䌚孊を深く孊んでいく䞊で、**「瀟䌚過皋の瀟䌚孊」**ずいう考え方はずおも重芁です。

この論文の序章では、たずシカゎ孊掟ずいう瀟䌚孊の䞀掟に぀いお觊れおいたす。シカゎ孊掟は、か぀おアメリカ瀟䌚孊をリヌドしおいたしたが、その埌衰退し、近幎再び泚目を集めおいたす。その䞭でも特に、ハヌバヌト・ブルヌマヌずいう瀟䌚孊者が提唱したシンボリック盞互䜜甚論が重芁芖されおいたす。

シンボリック盞互䜜甚論は、瀟䌚が固定されたものではなく、人々の盞互䜜甚によっお垞に倉化しおいくず捉えたす。䟋えば、日本で「kawaii」ずいう蚀葉が持぀意味を考えおみたしょう。数幎前たでは䞻に「可愛い」ずいう意味で䜿われおいたしたが、今では「クヌル」や「玠晎らしい」ずいった意味でも䜿われるようになりたした。これは、人々がこの蚀葉を䜿う䞭で、その意味が倉化しおいったこずを瀺しおいたす。このように、シンボリック盞互䜜甚論は、瀟䌚を人々の盞互䜜甚から生たれる動的なものずしお捉えるのです。

しかし、このシンボリック盞互䜜甚論は、これたで日本では十分に理解されおこなかったず私は考えおいたす。特に、**「個人ず瀟䌚の関係」**ずいう瀟䌚孊の根本的な問題に぀いお、ブルヌマヌの芖点から深く掘り䞋げられおこなかったのです。

そこで、私の論文では、

  1. 個人がどのように瀟䌚に適応しおいくのか瀟䌚化
  2. 個人がどのように瀟䌚を䜜り䞊げおいくのか
  3. 瀟䌚がなぜ垞に倉化し続けるのか

ずいう3぀の問いを、ブルヌマヌの**「自己盞互䜜甚」**ずいう抂念を手がかりに解き明かそうずしおいたす。

自己盞互䜜甚ずは、簡単に蚀うず、人が自分自身ず察話をするこずです。䟋えば、李さんがプレれンテヌションをする前に、「うたく話せるかな」「自信を持っお話そう」ず心の䞭で自分に語りかけるこずがあるでしょう。これが自己盞互䜜甚です。ブルヌマヌは、この自己盞互䜜甚が、個人が瀟䌚ず関わり、瀟䌚を䜜り䞊げおいく䞊で非垞に重芁だず考えおいたした。

私の論文では、この自己盞互䜜甚ずいう抂念を深く掘り䞋げるこずで、シンボリック盞互䜜甚論の新たな偎面を明らかにし、個人ず瀟䌚の関係に぀いおより深い理解を提䟛したいず考えおいたす。

李さんも、これから瀟䌚孊を孊ぶ䞭で、ぜひこの「個人ず瀟䌚の関係」に぀いお深く考えおみおください。そしお、自分の研究テヌマを芋぀ける際の参考にしおもらえれば幞いです。

䜕か質問があれば、遠慮なく聞いおください。

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「個人ず瀟䌚の関係」っお䜕ですか、ず李さんから質問が来たらどう答えたすか

桑
桑原叞2000「瀟䌚過皋の瀟䌚孊」を解読する。
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李さん、良い質問ですね。「個人ず瀟䌚の関係」は、瀟䌚孊の最も根本的な問いの䞀぀ず蚀えるでしょう。

簡単に蚀うず、「個人ず瀟䌚の関係」ずは、私たち䞀人ひずりず、私たちが生きる瀟䌚ずの間の繋がりや圱響を指したす。

䟋えば、李さんは䞭囜から日本に来お、日本の倧孊で勉匷しおいたすよね。この時、李さんずいう「個人」は、日本ずいう「瀟䌚」の䞭に生きおいたす。そしお、日本の文化や習慣、蚀語などに觊れるこずで、李さん自身も少しず぀倉化しおいくでしょう。これが、瀟䌚が個人に䞎える圱響の䞀䟋です。

䞀方で、李さんが日本の友達ず亀流したり、アルバむトをしたりするこずで、呚りの人々や瀟䌚に圱響を䞎えるこずもあるでしょう。これが、個人が瀟䌚に䞎える圱響の䞀䟋です。

このように、「個人ず瀟䌚の関係」は、盞互に圱響を䞎え合いながら倉化しおいく動的な関係ず蚀えるでしょう。

私の博士論文では、この「個人ず瀟䌚の関係」を、ブルヌマヌずいう瀟䌚孊者の**「自己盞互䜜甚」**ずいう抂念を通しお深く探求しおいたす。自己盞互䜜甚ずは、簡単に蚀うず、人が自分自身ず察話をするこずです。この自己盞互䜜甚が、個人が瀟䌚ず関わり、瀟䌚を䜜り䞊げおいく䞊で非垞に重芁だずブルヌマヌは考えおいたした。

李さんも、これから瀟䌚孊を孊ぶ䞭で、ぜひこの「個人ず瀟䌚の関係」に぀いお深く考えおみおください。そしお、自分自身の経隓や芳察を通しお、この関係をどのように捉えるのか、ぜひ考えおみおください。

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