(現場へ!)原発避難者たち:5 伝える責任、高校生は問う

 政府と福島県の住宅提供打ち切りで避難先住宅を退去せざるを得なくなり、福島県南相馬市の帰還困難区域の洞窟で暮らしていた男性(77)が2017年8月末、警察に保護された。衰弱と脱水で市立総合病院に救急搬送された。2カ月間、山菜などを食べてきた。

 同院で内部被曝(ひばく)検査を行ったところ、年0・2ミリシーベルトと推定された。市は、希望者全員に無料で内部被曝検査を同院で行ってきているが、13年以降では3番目に高い数字で、17年では相馬地区で最も高い値だった。

 当時、同院に勤めていた医師の澤野豊明(とよあき)さん(30)は、男性はやせてがりがりだったといい、「内部被曝は帰還困難区域でのキノコ、山菜、川魚を食べてきたことによるものと考えます。貧しい人々に対する社会的支援の低下が、内部汚染の一因となる可能性があるということです」と話した。

 男性は点滴治療を受けた後、9日後には生活保護で新たな住居を確保して退院した。

 社会的弱者がサポートを失ったとき、内部被曝すら強いられる現状があることを示した形だ。

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 避難し、住宅提供打ち切りでさらに追いやられる人たち。そんななか、避難先で少しでも前に進もうとする少年がいる。

 福島県から東京に避難している高校3年の鴨下全生(まつき)さん(17)。避難先の都内の小学校でいじめられ、中学では避難者と知られないようにしてきた。いじめによりPTSD(心的外傷後ストレス障害)にもなり、絶望感に苦しみ、死にたいと思うこともあった。

 どうしたら苦しみがなくなるのか――。支援してくれている人たちから「ローマ教皇に手紙を書いてみたら」と勧められ、鴨下さんは驚いた。しかし、いざ書くと決めたときには「今後は避難者であることを公にして生きて行こう」と覚悟が決まった。

 手紙は教皇に届き、昨年3月、鴨下さんがバチカンに行って教皇に面会。以降は実名で講演に立ち、語り続けている。11月の教皇来日の際はスピーチする被災者の1人に選ばれた。

 「大人たちは、汚染も、被曝も、これから起きる可能性がある被害も、隠さず伝える責任があると思います。それを伝えず、うそをついたまま、認めないまま、先に死なないで欲しいのです」

 スピーチと、教皇が鴨下さんを包み込むようにハグをする姿は国内外のメディアに報じられた。

 教皇は帰りの飛行機内で「安全が保障されない限り、核エネルギーは使うべきではない」「核エネルギーについては議論があるが、いまだに安全性が保障されておらず、限界がある」と語った。

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 今年の3月11日、鴨下さんはネットでの生中継があるトークイベントに出演。最後に伝えたいことは、と尋ねられ、こう答えた。

 「被害者は可哀想だから助けてあげようという気持ちで行動するんじゃなくて、いまの社会の理不尽を直そう、当たり前のことを当たり前に出来る社会にしようというところで行動してほしい」

 世界に原発避難者の実情を訴える一人になった鴨下さんはいま、問題の根本には何があるかを考え、正面から向き合うことを私たち一人ひとりに求めている。

 =おわり(青木美希)

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