吉祥寺界隈で親しくさせていただいた普聞隆(ふもんりゅう)先生が28日の朝に亡くなったと奥様がFacebookで投稿されました。
ご病気で享年74歳だったとのことでした。
「人生100年時代、普通に生きれば百歳まで生きられるんだ」と快活に言っていた先生を思い出します。
しかし人生の残り4分の1を使い果たさずにあちらの世界に行ってしまわれました。
思い返すと311の震災があった2011年の秋くらいに吉祥寺・七井橋通りにあった喫茶店カルディに行くようになり、そこである日カウンター席でハンチング帽をかぶってコーヒーを飲んでいる教授のような感じの先生をお見かけしたと思います。
喫茶店カルディ
ある日、高井戸から神田川沿いに歩いて井の頭公園に来る途中で、野良猫を捕獲器で捕まえている人を見かけたのでカルディのマスターに見かけた光景を話して「あれはなんでしょう?保健所かな?」と尋ねたらマスターが先生に「先生どう思います?」と話を振ったのが先生と話し始めたキッカケだったと思います。
そこからカルディに先生がいらっしゃるとマスター、女性店員と私で話が盛り上がるようになりましたが、先生は声もよく通って話が豊富、博覧強記だったので、毎回話し始めると夕暮れ時まで2〜3時間くらいお話を伺いました。
先生は「私のような団塊の世代の言うことをまともに聞いちゃいけないよ。」と前置きをして実にいろいろと話をしてくださいました。
学生のときにファンだった江戸川乱歩賞作家の小峰元先生をまっさきに思い出しました。
最初はたとえばこんな話でした。
・秀吉の手指は6本あった。
→それを聞いたときは私はトンデモ・ネタだと思いました。
・忠臣蔵の吉良上野介はちゃんとした武士だった。浅野内匠頭は作法を心得なかったのがいけない!
→自分では上野介の息子は上杉家に養子に入っていたが、吉良家は自家の遊興費を上杉家に払わせていたのでやっぱり上野介は問題のある人物じゃなかったのかと返しました。
その後も先生は会うたびに私がちょっと何かを聞くと立て続けに順を追って話してくださり、読むと良さそうな作家や著作を紹介してくださったので、それからは先生の話したことを頭の中からこぼさないように家に帰りすぐにiPadにメモしていました。
・日本の歴史であれば西尾幹二、林房雄が良い。
・イスラムについてであれば井筒俊彦。
・科学史であればメイソン。
・清瀬洌の外交史、クリミア戦争、ボーア戦争、グラッドストーン、外需内道。
・落語の 『代書屋』、会田雄二『アーロン収容所』、丸山真男、小室直樹、梅原猛
・フランス革命の頃を知りたければ、デュマやユーゴーがいいということ。
・支那事変や朝鮮の歴史についてのお話。
・日本の戦前はマルクス主義、戦後の実体は社会主義であること。
・都知事選のこと。
・久生十蘭の話、広島土砂災害の話、STAP細胞中間報告の話、安岡正篤の話。
・自民党の外交政策のこと。
・SF、ホームズの話など。
・中国を知るには『三国志正史』と『水滸伝』と『史記』が良い。
・先生が勉強された言語は英語版、ドイツ語、ロシア語、サンスクリット語、スペイン語。
博士論文はドイツ語で書き上げたという話。
・小説論。モンテ・クリスト伯、アガサ・クリスティ、コナン・ドイルの手法について。
・小乗仏教、大乗仏教、唯識論・唯物論の話。
・スターリンの話。
・ヒトラーの話。
…などなど。
2016年の上半期に残念ながらカルディが閉店になってしまい、自分の通う場所も井の頭公園での野鳥観察が主体になって行きましたが、先生とはFacebookを通じてときどきコピスや井の頭公園など会ってまた色々とお話を聞きました。
先生の著作も読ませて頂きました。
⚫︎2003年 市販で販売されている先生の唯一の歴史小説
⚫︎2012年電子書籍
Fumon さんの公開書籍一覧|パブー|電子書籍作成・販売プラットフォーム
この中でも『吉祥寺七井橋通りの恋人たち』は先生がカルディのマスターと女性店員を登場させて創った話ですが、冒頭の吉祥寺駅南口を出た通りの賑わいやカルディの雰囲気やマスターがいかにもやりそうなことを書いていて、今はもう無くなってしまったカルディを懐かしく思い出します。
※気軽に読めますのでオススメです!
先生がどういう経歴の持ち主かはあまりよく知らないまま自分が疑問に思っていたり興味・関心があると話したことに対していろいろ話を伺ったのですが、その知識の源泉がどこから出て来たのか不思議に思っていました。
⚫︎ネットに公開されているプロフィールと奥様の話から先生の経歴がわかりました。
1949年佐賀県に生まれる。
名古屋市の公立中学校教員。在職中に大学院に進学、修士課程修了。
後に(53歳で?)退職し博士課程に進む。仏教学を専攻。
“満州語訳仏典”及び“唯識思想”を研究。
今日7月31日は吉村昭の命日で『悠遠忌』でした。
先生と同じ三鷹市の『吉村昭書斎』に行ってきました。
吉村昭の書斎
先生の書斎もまさにこんな感じでハードカバーの蔵書が壁一面に広がっていましたね。
読む物も読む量も圧倒的に違うことが分かりました。
最後にお会いしたのが2020年高井戸区民センターのカフェでした。
コロナが本格化する前に母の認知症が始まって介護の話など伺いました。
帰りに隣の高井戸清掃工場に行って『高井戸ゴミ戦争』の展示をいっしょに観ましたが、先生はひとこと言われました。
「美濃部(当時の都知事)は社会主義だったんだよな」
美濃部さんのやり方が杉並区の清掃工場建設予定地決定で悶着を起こしたという認識は自分が調べたこととも一致していたので先生はやはりするどいと思いました。
先生は中国はいつの時代からか本当の中国ではなくなったとも話していました。
あれがいつからと言われたのか残念ですが覚えていなかったので、今度お会いしたときにもう一度先生の説を伺いたかったです。
昨年、清国の最後のほう、ラストエンペラーの時代と日本では犬養毅から満州事変・日中戦争までの経緯の話を小説や自伝で読んだりしたのでそれも今度お会いしたら訊いてみたいと思っていました。
いまの予備知識があれば先生の話からもっとよく理解できると思ったのです。
昨年NHK大河ドラマ『どうする家康』はコメディ・タッチになったものの、先生に会ったらこれをネタに話してみたいと思いました。
司馬遼太郎の小説では拾いきれていなかった事、気になる事があったのでそれも訊いてみたいと思っていました。
たとえば今川氏真が豊臣の時代も家康の時代もある種のステータスを持って生き抜いていたことが不思議だったこと、また家康は織田家と同盟関係にありながらじつは今川や北条との結び付きも強かったんじゃないかとかなんとか。
先生に訊き始めたら色々質問が出て来たんじゃないかと思います。
ですが、先生に声をかけるがのびのびになって後の祭り、先生の声を聞くことが出来なくなってしまいました。
ある日、先生は井の頭池を観ながら「この世界は意識が先にあって出来ている」と言われました。
私の認識では物質があって世界があり、そこに意識と思われるものがあちこちに存在すると思っているという応えをしたと思います。
これからも先生のその意識を思い出しながら考えていきたいと思います。