【コラム】悟空と侍から学べ、AI時代の文化戦争-リーディー
コラムニスト:リーディー・ガロウドビデオゲームにおいて、文化的なリアルさは必ずしも重要ではない。
「スーパーマリオ」のステレオタイプなアクセントに文句を言うイタリア人も、「ストリートファイター」のダルシムに口出しするすインド人もほとんどいない。しかし、最近話題の大型2作品に関する評判を見る限り、本物らしさの有無はますます重要になってきている。
「黒神話:悟空」は2024年のゲーム業界において最も驚くべき成功を収めそうであり、中国初の「AAA」級のビデオゲーム、つまりハリウッドクラスの予算と高品質の大作として歓迎されている。
中国はこれまで、モバイルゲームやパソコンゲームで成功を収めてきたが、これら稼げる分野での名声は比較的低い。そのため「悟空」の人気は画期的な出来事といえる。
中国を舞台にしたこのゲームは「西遊記」が題材で、国内のプレーヤーによる熱狂的な愛国的反応に支えられている。国営メディアは中国がテーマとなっていることを大々的に報道。
「このゲームの魅力は、中国の伝統文化との深いつながりにある」と中国国際テレビ(CGTN)は解説し、「ゲームに登場する古代の建物は全て、開発チームが複数の省にまたがって現地調査を行った後、丹念に再現したものだ」と伝えた。
対照的に、フランスのユービーアイソフト・エンターテインメントは最新作「アサシン クリード」の舞台である日本のゲーマーに謝罪した。07年の発売以来、古代エジプトからルネサンス期のイタリアまで、さまざまな場所を舞台にした2億本の売り上げを誇るこのシリーズで、侍を主人公にした作品が出ることを、ファンは何年も待ち望んでいた。
しかし、11月に発売される「アサシン クリード シャドウズ」について、日本ではこれまでに公開された内容にはほとんど否定的だ。歴史的な不正確さや著作権侵害、漫画「ONE PIECE(ワンピース)」から引用された剣、日本語のはずの中国語の使用などは、ユービーアイソフトが謝罪を余儀なくされた問題の一部だ。
何よりも物議を醸しているのは、プレーヤーが操る2人のキャラクターのうちの1人に織田信長に仕えたアフリカ系の弥助という実在の人物を選んだことだ。
開発者側は弥助を「歴史的なレジェンドである侍」と表現。だが、弥助についての史料は乏しく、もっとマイナーな人物であり、恐らくは「刀持ち」だとの主張が日本にはある。
ある歴史家は「侍ではなかったかもしれない弥助を侍の象徴として描くことは、日本の侍文化から何かを奪っていると見なされかねない」と言い、右寄りの産経新聞は、弥助の描写がまた「偽史」の引き金になりかねないと懸念。「文化的流用」という非難が後を絶たない。
ユービーアイソフトはこうした論争を認め、キャラクターについて「創作表現の自由」に基づくものだと説明したが、ビデオゲーム業界が成長するにつれ、真実味がより重要になってきているようだ。
中国の国営メディアは明らかに、ソフトパワーを構築する協調戦略の一環として、悟空をアピールしている。私が2年前に書いたように、中国は日本や韓国が持つソフトパワーをうらやましく思っており、特にビデオゲームがその影響力を高めるのに役立つと認識している。
大きな戦場
一方、シャドウズに対する日本の不満は、より有機的だ。しかし、中にはかなり陳腐なものもある。 弥助が本当に侍かどうかがそんなに重要なのだろうか。このような設定で歴史上の人物を登場させ、プレーするのは当たり前のことだ(米国の第16代大統領リンカーンは吸血鬼ハンターではなかったし、ナチス・ドイツと戦ったチャーチル英首相は「ドクター・フー」の盟友ではなかった)。
確かに、シャドウズを巡る騒ぎの一部は、特に英語のソーシャルメディア空間では、封建的な日本の設定で黒人のキャラクターとしてプレーしたくない人種差別主義者から生じている。
また、自分たちの趣味が「ウォーク(社会正義に目覚めた)」勢力に脅かされていると妄想している人もいる。とはいえ、シャドウズに対する不満を全て人種差別として片付けるのは間違いだと思う。「悟空」の成功とこの論争の両方が示しているのは、本物志向の高まりであり、オリジナルの文化や設定への敬意である。
ウォルト・ディズニーの「SHOGUN 将軍」が日本を含め好評を博した理由の一つは、ジェームズ・クラベルの小説の設定を取り入れ、「白人の救世主」的な原作よりも本物らしく感じられるようにし、制作陣がこの物語を本物の視点から語ることができたからだ。
アジアを語る上で、それは今でも重要なことだ。例えば、18年の映画「クレイジー・リッチ!」が現地キャストなどで称賛されたことを考えてほしい。
また、ロブ・マーシャル監督の映画「SAYURI」(05年)に対する反発を考えてみたい。米国人作家アーサー・ゴールデンの小説を原作としたこの映画は、ほとんどがサンフランシスコで撮影され、日本人の主役には中国人俳優が起用された。
アジア文化を見下す当時の典型的な手法で、芸者=売春婦という架空のイメージを広めた。ユービーアイソフトは、開発スタッフに日本人の声を反映させなかったことで、同じような不誠実さへの非難を受ける可能性を残している。
だからといって、日本のスタジオだけが日本に根ざしたゲームを制作でき、中国のスタジオだけが中国のゲームを作ることができるなどということにはならない。
20年の「ゴースト・オブ・ツシマ」を考えてみよう。米国発のこのタイトルは、封建時代の日本をモチーフにしているが、そのインスピレーションに対する明確な愛情が日本で広く称賛された。
しかし、インターネットや人工知能(AI)によってリサーチが容易になり、予算が増え、ゲームが文化戦争の大きな戦場となるにつれ、こうした本物であることへの配慮はますます重要になっていくだろう。本物のアサシン、つまり暗殺者のように、ゲーム会社は慎重に行動しなければならないだろう。
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(リーディー・ガロウド氏はブルームバーグ・オピニオンのコラムニストで、日本と韓国、北朝鮮を担当しています。以前は北アジアのブレーキングニュースチームを率い、東京支局の副支局長でした。このコラムの内容は必ずしも編集部やブルームバーグ・エル・ピー、オーナーらの意見を反映するものではありません)
原題:Black Myth, Black Samurai and Gaming Nationalism: Gearoid Reidy (抜粋)
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