なぜ、作家性は守られなければならないのか?──ドラマ『セクシー田中さん』で浮き彫りになった原作者軽視の悲しき慣習

ドラマ『セクシー田中さん』の原作者が急死した問題では、日本テレビの拙速なドラマ制作と原作者軽視が浮き彫りになった。では、そもそもなぜ作家性は守られなければならないのか? 松本清張や塩野七生など、著名作家の編集担当を務めてきたジャーナリストの堤伸輔が問題の本質に斬り込む。

「これは作家性のある原稿だから、そのつもりで扱うように」

編集者になって間もないころから、上司や先輩に時おりそう注意された。言われたのはそれだけのことがほとんど。「作家性とは?」と自問しながら、印刷所に原稿を渡すための指定と呼ばれる作業を進めた。

「作家の原稿だから、気をつけて扱うように」ではない。では、どのような人が、どのような思いで書いたものが「作家性のある原稿」なのか。いまあらためてこの問い掛けをしたいと考えたのは、日本テレビが制作・放送したドラマ『セクシー田中さん』が、漫画原作者の芦原妃名子さんの死という、あまりに不幸な結果を招いたことに関し、関係者にこの「作家性」ということについての根本のところでの認識が乏しいのではないかと思えたからだ。5月から6月にかけて、日本テレビと原作漫画の刊行元である小学館は、相次いでこの出来事の「調査報告書」を公表した。それぞれ91ページ、86ページもある詳細な(詳細そうに見える)ものだが、両方を読み込んでも、私には「作家性への敬意」、言葉を換えれば「表現者への共感と思いやり」はどこにも感じられなかった。

この出来事をめぐっては、ドラマ脚本家が、次いで原作者がSNSなどネット上で発信した時点から、数多くの意見が述べられた。「調査報告書」が出たあとも同様だ。その中には漫画家や作家の見解もあった。私も、40年あまり編集者を務めた者として、何がしかの問題提起をすることが責務ではないかと思い至ったのである。

「表記」や「文章」への飽くなきこだわりから始まる

日本テレビの石澤顕社長は、記者会見で「芦原さんが心血を注いで『セクシー田中さん』を作り上げた」と語っていた。そう、多くの表現者が「心血を注いで」作品を書き上げる。中には多枚数生産を旨とするような書き手もいるが、だからと言って心血を注いでいないわけでもない。そして、彼ら彼女らは、実にいろんなことにこだわる。読点を打つか打たないか、改行するかしないか……。「作家性」の主張は、まず「表記」あるいは「体裁」から始まる。

平野啓一郎さんのデビュー作『日蝕』を見てほしい。物語のクライマックスにたどり着くと、「…」(三点リーダー)や「‥」(二点リーダー)が活字にして何文字分も続く。そこに至るまでも「……」や「──」の多い小説なのだが(注・縦組みの原作ではリーダーは「センター揃え」)、ここで堰を切ったように「……何に?……光に、…………」とリーダーが溢れ出し、しまいには何行にもわたってリーダーだけとなり、そして拡散するようにリーダーもまばらとなって、空白の行が続くようになる。そこでページをめくると、見開きの両ページが全面「空白」だ。これは書籍によくあるページ調整のための「白ページ」ではない。本来、活字で埋まっているはずのところが埋まっていないのも著者の「表現」であり、その証拠に170、171とノンブル(ページ番号)もしっかり印字されている。白ページならふつうノンブルは記さない。いきなりこの書物を見せられたら、ひょっとして誤植か、活版印刷の昔なら活字の脱落ではないかと思われるだろう。しかしこれも、どうしてもここに表現として空白を入れたいという、作家のこだわりなのである。

私が担当した塩野七生さんは、『ローマ人の物語』の随所に「行アキ」を入れた。ちょっとした場面転換や語りのペースを変えるために。それが、1行アキだったり、2行、3行アキだったり、バラバラなのである。編集者は「体裁を統一したい習性」をもっている。本の中の近い箇所にさまざまな行アキが出てくると、「塩野さん、これ、1行アキに統一しませんか」と、ローマの塩野さんに電話し恐る恐るお伺いを立てる。ピシャリと言い返される。「なに言ってるの! ここは3行アキだと思ったから、そうしたのよ。私がアキを入れる時は、どのくらいの流れの切れ目かを判断して、1行か2行かもっとかを決めるの。このままにして!」と。

なにもこうした話は、平野さんや塩野さんに限ったことではない。作家も詩人も、時には科学者も、こうした「感性に基づく自己主張」をするものだ。一度話したあとは、こちらもそうした「好み」を覚えておき、尊重することになる。ただ、どんな場合もそのままに、というわけではない。

映画・テレビドラマの脚本家から時代物の作家に転じた隆慶一郎さんの、作家デビュー作『吉原御免状』の生原稿を見たことがある。隣席の同僚が入稿作業をしながら首をかしげていたので覗き込んだのだ。冒頭のところ、

〈かすかに、風が、鳴って、いた。見渡す、かぎりの、田圃に、刈り残された、稲葉が、ふるえて、いる。〉

と、ほとんど文節ごとに読点が打ってある。隆さんの脚本家としての長年の「書き癖」がこうだったのだろう。さすがにこれでは読者にとって読みづらいことになるので、同僚はもう少し点を減らしましょうと提案し、その後、隆さんの作家としての書き方が定まっていった。

逆に、「表記」に対するこだわりのあまりない書き手もいる。あるいは、意識のない書き手と言ってもいいだろう。一般に、作家には「こだわり無し派」は少なく、ジャーナリストなどには結構多い。そういう人だと、ひとつの原稿の中で、同じ言葉を漢字で書いたり平仮名で書いたりしてくる。原則、編集者は表記の統一を図るが、これも「作家性」が絡むと甘く見てはいけない。たとえば、作家の山口瞳さんは、同文中でも意図的に漢字・仮名を使い分けていた。「その中で」と書いたり「なかでも」と書いたりするのだ。もちろん、理由がある。1行ずっと平仮名続きのような文章なら、見た目の「締まり」を生むために意識して漢字を使う。いつもは「すでに」と書いていても、そんな時は「既に」と。

これを編集者が勝手に入稿作業でどちらかに「統一」してしまうと、作家は、ゲラで元に戻してくる。人によっては何も言わずに。あるいは、人によっては作家性への配慮を知らない編集者としての資質を問うような言葉を添えて。

作家性の次なる主張は「文章」である。文章・文体の尊重はイロハのイであり、ここでは詳しく述べない。ひとつだけ、「語尾へのこだわり」を挙げておく。たとえば、「だ」「である」の常体で文を綴ってきて、急に「です」「ます」の敬体にしたり、その逆をする書き手がいる。うっかりもなくはないが、作家性の世界では必ず意図的である。チェンジオブペースによる強調や文のリズムの「締まり」を狙っているのだ。

これは語尾の繰り返しについても同様で、一般には同じ語尾が続くとダルい文章になってしまう。しかし、あえて繰り返すことである種の表現効果を狙う場合があるのはお分かりいただけるだろう。

いわゆる「地の文」でもこうだから、「会話」となると尚更だ。村上春樹さんは、あくまで私の“観察”の範囲においてだけれど、優しいタイプの登場人物に滅多に「~だが、」と語らせない。「~だけれど、」と、同じ逆接ではあっても少しカドのとれた言い方にさせることが多いようだ。

だから、ドラマの中で台詞の語尾をちょっと変えられるだけでも、表現者にとっては、「自分の書き方ではない」と強く思えてしまう。原作者と脚本家という表現者同士でも、いや、どちらも表現者であるからこそ、こうした言葉への感性がぴったり重なることはあまりないと思えるので、脚本家やドラマ制作スタッフは、「原作(の作家性)を尊重する」と言うなら、そういうところにまで想いを至らせる必要がある。

何を大袈裟な、と反論されるかもしれない。そんな時、私はこういうたとえ話をする。「あなたが毎日語りかけながら大事に育てた赤ちゃんが、初めて言葉を発するようになった時、いきなりよその国の言葉で話し始めたら、どう感じますか? あるいは、自分とまったく違う地方の方言を口にし始めたら、驚き、哀しくなりませんか?」と。

すべて原作者と同じ言い方・表現・文体にすべきだと言いたいわけではない。放送の尺の関係で台詞を短くしたいと言っても、表現者のこだわり・主張・好みを見抜いた上で改稿を提案するようにしてほしい、ということだ。村上作品の登場人物がみんな「~だが、」と語り始めたら、村上さんは「やれやれ」という顔をするに違いないと思うから。

「人物」の立ち上げに注がれる熱量

そしてここから、「人物」という、作家性のさらなる根幹に入る。どんな表現者も、人間に関わる物語である以上、独自の人物の造型に「心血を注ぐ」。奇妙奇天烈な人物を作るのはある意味簡単だが、そうではなく、たとえば、どこにもいる普通の人物であるようでいて、何か特別な感性、独自の能力、人知れず抱える事情、そうしたものの上に立つ人格・考え方・行動を、繊細かつ大胆に作り上げていくのだ。過去の名作から人物像を借りてくるような書き手は、作家の名に値しない。私たち編集者も、そうした独自の人物像を「立ち上げられる書き手」こそが優れた作家だと考える。その先に、主人公であれば読者から「正の感情移入」を自然に招きうる人物、敵役なら「負の感情」をいつの間にか呼び起こす人物といった、ストーリー展開とともに具体化していく人物造型が待つ。これがうまくできたら「あとは物語が勝手に走っていく」と、何人もの作家が口にするのを聞いてきた。

ただし、付言しておくと、上に書いたようなこともいわば「類型」の範囲内であり、優れた書き手は、そこからさらにひとヒネリ、ふたヒネリを加えてくる。芦原さんもそこに工夫を凝らしていた観が強い。

だから、自己の能力を最大限発揮したつもりの人物造型を、ドラマ化・映画化・舞台化などで微妙にでも変えられると、表現者はまた「これは自分の書いたものではない」と感じる。特に、「ありがちな人物類型に落とし込まれる」ことは、表現者として許し難いことだ。せっかく「ありがちではない人物」を生み出して描いたのに、それをすっかり振り出しに戻されてしまうのだから。

これは、「番組スポンサーの意向」があったら改変してもいいという類(たぐい)のお話ではない。

日テレの報告書で最も驚いたのは、次のくだりだ。

〈制作サイドにおいて、一本の軸があった方がドラマとして見やすいのではないかという話になり、本件脚本家のアイデアで、女性二人(朱里と田中さん)のシスターフッドものの要素を取り入れ、それを一つの軸にする方向となった〉(日テレ報告書58ページ)

これは、どう見ても人物造型に大きな影響を与えてしまうレベルの改変だと思うのだが、それを小学館側や原作者に詳しく伝えて相談したり了承を得たりしたかというと、

〈制作サイドの考えや、そこに至る思考過程をきちんと整理・可視化などし、原作サイドに共有・説明した形跡までは確認できなかった〉(同59ページ)

「形跡までは」って! その「形跡」がなければ、重大極まる改変を、日テレ側が独断で行ってしまったことの動かぬ証拠になるではないか。これが本当だとすれば、信じられないほど気軽に「作家性」は無視されたことになる。(このページの脚注で「口頭のやり取りにおいて」小学館側から確認を貰った云々と、「形跡」を証明できないままでの補足がある)

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松本清張さんの映像化への思い

言うまでもないが、「人物」はいきなりすべて描かれるわけではない。エピソードの展開に沿って、ひとりひとりの人物像も、相互の絆や反目など関係性も、少しずつ深まっていく。「『セクシー田中さん』はキャラクター漫画」(芦原さん)であればなおのことだ。「エピソード順番を(ドラマが)入れ替える度に、毎回キャラの崩壊が起こってストーリーの整合性が取れなくなってるので、エピソードの順序を変えるならキャラブレしないように、もしくはできる限り原作通り、丁寧に順番を辿っていって頂けたらと思います」(小学館報告書24ページ)と、芦原さんは遠慮気味にではあるが最初から人物像のブレの発生に懸念を抱いていた。それは、エピソードの順番、すなわち、作家性の残る重要な側面である「構成」の問題に直結してくる。

物語全体の「構成」、一話ごとの「構成」にも、作家性はもちろん反映するのだ。ストーリーを語っていく順番は、どんな書き手もいちばん腐心するところだ。物語の主たる筋に、どこでどのくらい説明的要素を混ぜ込み、伏線はどこに敷き、効果を出すためのフラッシュバックや倒叙(時間的な流れを逆に遡りながら描くこと)をどう使うか、などなど。それらによって、人物造型や登場人物の間の関係性も深めていく。

テレビ局のドラマ制作担当の人たちは、そんなこと分かってるよ、自分たちこそそのプロだよと言うかもしれない。そうだろう。しかし、そのプロたる度合いは、原作者の工夫や腐心を上回っているだろうか。最近、ドラマ制作にあたって「絵コンテ」はあまり描かれないと聞く。逆に、作家の中にこそ、頭の中に絵コンテを思い浮かべるようにして物語を構成していく人は少なくない(ましてや漫画家の芦原さんは、当たり前のようにそれをやっていたかただと思う)。

私が10年にわたり担当した松本清張さんこそ、「絵コンテの描ける作家」だった。もともと新聞社の版下工を務めるほど絵心のあった人だから、というだけではない。いつも頭の中に映像を思い浮かべながら小説を書いていくタイプだったのだ。

その清張さんにして、自作のドラマ化や映画化に満足したことは少なかった。いや、清張さんだからこそ、と言ったほうがいいかと思う。常人では無理と思えるほど睡眠時間を削り、取材と執筆に没頭し、独自の作品世界を描き出した清張さんが、映像化に向ける期待は高かったが、「なかなか満足させてくれないんだよ」と、取材の行き帰りの車中などでよく聞かされた。満足どころか、出来が悪いと不満をぶちまけることもあった。

そもそもの話になるが、松本清張さんは、何よりリアリティに重きを置いた。だから、作中の人物にしろ現場にしろ、頭の中だけで作り出したものは少なく、モデルになりそうな人物たちに会って取材し、ロケハンにも歩いた。「議員秘書を書きたいから、誰か連れてきてくれ」と言われ、その物語に合致しそうな年齢や経歴の国会議員秘書さんを探して頼み込み、浜田山の松本邸に連れて行ったこともある。これはある新聞の連載小説だったが、のちに映画になった。また、国内からスイスやオランダなど海外までロケハンにもお供し、「このあたりを殺人現場にしようか」といった清張さんの呟きを聞きながら歩いた。代わりに海外取材に行くよう言いつけられることもよくあり、そんな時は、訪れた街や飲食店などが「映像のように」伝わるようレポートすることを求められた。現在のようにスマホで写真や動画を簡単に撮れるならよかったが、あいにくそんなものは影も形もない1980年代の話。重い一眼レフのフィルムカメラと手書きメモでなるべく詳しく記録し、帰国後に清張さんに報告した。

そうやって、最初から「映像になるように」取材し書いている作家だったから、実際に映像化される場合のテレビや映画の制作者への注文も細かく、厳しかった。

清張さんが特に大事だと思っていたのは脚本で、「映像化作品の出来の良し悪しは、8割がたは脚本で決まるんだよ」と何度か聞かされた。それはそうだろう、我が子を育てる思いで書き上げた作品も、映像化にあたっては脚本家の手に委ねられる。その脚本家が、作品の世界観や、ここまで述べてきたような表現者のこだわりを理解してくれず、作家の思いとズレた脚本に仕上げてきたら、原作者として満足できるはずがないのである。「テレビ局が、スポンサーの意向でこの場面は省きたいと言ってきたら、必ず聞くんだよ。あんたがたは、ほんとにこの脚本をスポンサーに見せたのかね、と。だいたいみんな返答に窮するけどね」と、清張さんは苦笑いしながら語っていた。

『セクシー田中さん』の原作者の芦原さんは、一切の改変を認めないというところから出発してはおらず、むしろ「ああなるほどそうくるのか!面白い!」と言えるような改変であれば歓迎すると述べている(日テレ報告書76ページ)。これは清張さんも同じで、自分の作品世界をよく理解した上で脚本家や演出家がそれを上回る描き方をしてきたら有難いとも言っていた。ただし、「そう言えた作品は『砂の器』ぐらいかな」と聞いたことがある。野村芳太郎監督の松竹作品(1974年。脚本:橋本忍、山田洋次)だ。ちなみに、野村さんの清張作品映画化は10本ある。活字になった話としては、『砂の器』に加えて初期の『張込み』(1958年、松竹)、『黒い画集・あるサラリーマンの証言』(1960年、東宝)を、清張さんは原作よりよかった映画に挙げている。

清張作品は、映画化が上記を含む36本、そしてテレビドラマ化に至っては分かっているだけで500本近くが制作されてきた。清張さんが1992年に亡くなって以降も、計100本を優に超える数のドラマが、毎年のように放送されてきた。ひとりの作家の作品の映像化として世にも稀な数である。そのうちどれほどに本人が「満足」し、あるいは「自作以上」との思いを持ったか、その具体数はわからない。私が清張さんを担当していた期間に限って言えば、合格点を得られたものはごくわずかというのが、その当時の感触だった。もちろん、清張作品を何本も手がけ、質の高いドラマを送り出したテレビ局や制作担当者も知っている。

こうした映像化には、ある時期から清張さん自身が関わって設立したプロダクションも制作に加わった。「霧プロダクション」と、のちの「霧企画」の2社である。もともと『黒地の絵』という作品をなんとか映画化したいという思いから会社を設立したわけだが、さまざまな事情で『黒地の絵』は幻の映画で終わり、「霧プロ」は他の作品を映画化していった。その中には、『天城越え』など本人も納得のいく作品があった。自らプロダクションを設立してまで満足できる映像化を見たいという思いを、表現者は抱くのだ。しかし、それには間違いなくお金がかかる。大作家・清張だからこそできたことであり、ほとんどの表現者は、映画会社、テレビ局、あるいは劇団などによって自分の作品が「三次元化」されるのを待つしかない。だからこそ、それら制作サイドが、表現者の思いを「真に深く理解する」ことを、仲介者たる編集者は願わずにいられないのだ。

すべての表現者たちのために知っておいてほしいこと

ここまで読んできて、こいつは長々と何を言いたいのかと思われたかたも多いだろう。あえて冗漫な文を綴ったのは、詰まるところ、ひとつのことを言いたかったのだ。

「原作へのこだわりが強くない作家」などいない、と。

弁護士だけで構成された日テレ調査委員会の報告書は、小学館から日テレに、芦原さんは「難しい作家」(原作へのこだわりが強い作家)であるとの発言が初期にあった、としている。それに対し、日テレ側は「こだわりが強い人のほうが良いドラマができると思った」と記されている。

はあ。

上記のことは、表現者を相手にする仕事である限り、出発点であって、お互いに「えー、そうなんですか?」と確認し合う類の話ではない。報告書をまとめたのが弁護士さんだからそこに驚いたのかもしれないが、編集者の感覚では、「難しい作家」と「いいもの、面白いものを書く作家」の、「正の相関関係」はかなり高い。必ずそうだ、とは言わないけれど。

とても物わかりがよく、書き直しのお願いをはじめ編集者の言うことをよく聞いてくれる作家、すこぶる人当たりがよく常識人にしか見えない劇作家も、いなくはない。しかし、そういう人でこちらが唸るような作品を書いてくれる人は滅多にいないのだ。いい書き手は、表記に対する執着だったり、調べることへの異常な執念だったり、書き直しリクエストへの徹底抗戦だったり、編集者として長く付き合っていれば、どこかでその並外れた部分が顔を覗かせてくる。

「難しい」なら、どこがどう難しいのかを感じ取る、あるいは直接会って聞き取るところから、表現者を相手にする仕事は始まるのであり、「こだわりが強い人のほうが良いドラマができると思った」でとどまるのでは、厳しく言わせていただくなら、何も仕事をしていないに等しい。

そのことへの意識づけや想像力(どんなに執着の強い人なのだろう?という推測)が日テレ側にあれば、原作者との面会や話し合いをもっと早期にしたはずであり、原作者から作中に登場するベリーダンスのショーを見に行くことを誘われて、初めて顔を合わせる、という展開にはならなかったはずだ。

小学館の編集者にも、問題がなかったとは言えない。同じ仕事をしてきた者として、理解できる部分もあるのだが。

いちばん気になったのは、小学館が日テレに「原作者の意向」をメールなどで伝える際に、常にその主張を弱めている点だ。双方の関係が相当煮詰まってからも、「一切の変更を許さないということではない」といった留保を必ず書き加えている(小学館報告書31ページ)。

それこそ自己主張の強い作家、学者、ジャーナリストなどを相手に常日頃から仕事している編集者は、どうしても「事を穏やかに運ぼうとする習性」がある。私自身もまさしくそうだった。書き手に本筋に関わる書き直しのようなかなり強いリクエストをする時でも、「必ずそうしていただきたいとお願いするわけではございませんが、ご検討いただければ……」といった留保、あるいは、相手が立腹しそうになった場合の「逃げ」をあらかじめ打ってきた。そうやって、長い間、“猛獣”に近い書き手たちを宥めながら私も仕事してきたのだ。

その「習性」が、今回は裏目に出たと言わざるをえない。日テレ側との関係が厳しくなってからの芦原さんは、「作品の根底に流れる大切なテーマを汲み取れない様な、キャラを破綻させる様な、安易な改変」は、作家を傷つけることをしっかり自覚して欲しいと求めている。これは、表現者としてなんとか自作を守りたいという心からの「叫び」だ。仲介役たる編集者がその声音(こわね)を弱めてしまってはいけないのだ。

こうした小学館側の一種の「弱腰」が影響したのかどうかはわからないが、日テレ側はこういう状況になっても「ドラマ化の通例」といった言い分を繰り返している。原作者の「叫び」にはまったく思いが及んでいないとしか言いようがない。

さらに、ある段階から小学館側の問題提起は日テレが依頼した脚本家に集中しているように見えるが、日テレ側はそのことにもさほど注意を払っていない。脚本家も、この件に関わるもう一人の表現者だ。日テレ報告書の記述が不十分で事実関係ははっきりしないが、日テレは脚本家を「桟敷の外」に置きながらやりとりを続けた観が否めない。

こうして、どんなに叫んでも、叫び声はまるめられ、日テレ側にもその意を汲み取ろうとする強い姿勢はなく、芦原さんは結果的に双方によって追い込まれていったように映る。なんとか芦原さんを守ろうとした小学館編集者の奮闘は認めるべきだが、小学館報告書45ページでやっと出てくる「一切変更不可」といった強い要求を、もっと早めに突きつけていたら、最悪の事態は免れたかもしれないという思いから、あえて付言しておく。

さらに、芦原さんがこれから生み出したであろう優れた作品が世に出る可能性も消さないで済んだかもしれないという思いからも。

とても個人的な話になる。日テレの石澤顕社長は、大学の同級生であるだけでなく、高校の先生を「共有」した関係だ。熊本の私立校で私が敬愛した国語の先生が、福岡の私立校に転じられ、そこに石澤君がいたのである。編集者になったのも、高校生に文学の面白さと深さを教えてくれたその先生の影響が大なのだが、石澤君も同じ先生の薫陶を受けたのではないかと思う。もしそうならば、最近この出来事を受けて発表された「日本テレビドラマ制作における指針」で「特に、漫画や小説などを原作として映像化する際には、原作を尊重し、その世界観をより深く理解するよう努めます」とたった1行で書かれたことに、表現者から見たらどれほどの重みがあるか、きっと理解できるはずだ。この1行を、制作現場の人たちが真に深く理解して原作者と向き合ってくれるようになることを、石澤社長に日テレでぜひ実現してとお願いせずにいられない。

そして、いまからでも、芦原さんの「表現者としての尊厳」を守るための事実の見直しと、それに基づく発言や行動を、すべての関係者の皆さんにお願いしたい。(8月4日、松本清張先生の三十三回忌の命日に記す)

参考文献
『清張映画にかけた男たち 「張込み」から「砂の器」へ』(西村雄一郎/2014年、新潮社)
『松本清張 映像の世界 霧にかけた夢』(林悦子/2001年、ワイズ出版)

* * *
日本テレビ「『セクシー田中さん』調査報告書(公表版)」(2024年5月31日)
小学館「調査報告書(公表版)」(2024年6月3日)
日本テレビ「日本テレビドラマ制作における指針」(2024年7月22日)

堤伸輔

1956年、熊本県生まれ。1980年、東京大学文学部を卒業し、新潮社に入社。作家・松本清張を担当し、国内・海外の取材に数多く同行する。2004年から2009年まで国際情報誌『フォーサイト』編集長。2020年末に新潮社を退社。BS-TBS『報道1930』、テレビ朝日の『楽しく学ぶ!世界動画ニュース』『中居正広の土曜日な会』などの番組でレギュラー/ゲストの解説者・コメンテーターを務める。

編集・神谷 晃(GQ)


アカデミー賞で最多7部門に輝いた映画『オッペンハイマー』が3月29日に公開される。編集者・コメンテーターで国際ジャーナリストの堤伸輔がレビューする。