水ダウの件で番組側に同調する方は、新型コロナウイルスの初期段階、すなわちワクチン接種により死亡率が減少するまでの状況を経験していない方々なのかなと感じました。当時最前線で診療に当たった経験を風化させないため、ここに記録として残します。これを水ダウ関連の最後の投稿にします。 当時は感染症指定医療機関で診療しており、第一波から積極的に患者さんの受け入れをしていました。あの頃は未知とのウイルスとの戦いで、感染対策も治療方法も確立されていませんでした。感染対策はエボラ出血熱と同等の1類感染症並みの厳重な措置が必要で、治療法が不明確な中、カレトラやアビガンを使用せざるを得ず、患者さんは下痢や肝障害の副作用に苦しみました。発症者は全員入院となり、PCR検査で2回連続陰性が確認されるまで退院できず、毎日のPCR検査で患者さんからは退院の見通しについて不満の声が上がりました。高齢者の方々は次々と呼吸状態が悪化し、亡くなっていきました。施設でのクラスター発生時には、超高齢の方々が発症し、家族は救命を懇願するも、医師は人工呼吸器の使用が困難であることを説明する日々が続きました。 病院の人工呼吸器はフル稼働でしたが、それでも病棟には挿管間際の高齢者が多数おり、ハイフローネーザルカニューラで何とか持ちこたえようとしましたが、患者さんは次々と亡くなっていきました。 「感染症は治せる病気」と信じていた私にとって、患者さんが次々と亡くなっていく現実は耐え難いものでした。感染経路も不明確で、自分も感染して同じ運命をたどるかもしれないという恐怖と日々戦っていおり、実際に遺書を書いた同僚もいました。家族に移しては、と家に帰れない人もいました。 あらゆる資源が限界に達する中、汗だくになりながら防護具を着用して患者さんを診察していた自分にとって、初期の感染対策を揶揄することは到底受け入れられません。もちろん今から見れば滑稽に映るでしょうが、当時はそうするしかありませんでした。この経験を通じて、当時の医療現場の厳しい現実と、感染症対策の重要性を改めて強調したいと思います。
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