川田町の種穂忌部神社、
ここは忌部山。
↑によると、
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阿波忌部は『古語拾遺』(807年)にも、
大嘗祭の年に由加物を取り揃え
調進していたことがわかる。
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「天日鷲命の孫が、木綿と麻(ぬさ)と
織布(あらたえ)(古語で阿良多倍といふ)
を造る。
仍りて、天富命をして日鷲命が孫を率いて、
肥饒き土地を求ぎて阿波国に遣はして、
穀・麻の種を植ゑしむ。
の裔、今彼の国に在り。
大嘗の年に当たりて、
木綿(ゆふ)・麻布及種々の物を貢る。
所以に、郡の名を麻植と為る縁なり。」
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一般に、阿波忌部は、
奈良から阿波に使わされたと思われているが
『古語拾遺』を読む限りでは、
奈良から阿波に来たのではなく、
小屋平から吉野川流域の
阿波市周辺に降りてきた。
『古語拾遺』には、
「肥饒き土地を求ぎて阿波国に遣はして」
と書かれているように、
肥えた地を求めてきたのなら、
肥沃ではない山間部の
小屋平に入ってきたのでは
書かれていることに合わない。
奈良から肥えた地を探して来たのではなく
小屋平から肥えた地を求め
吉野川流域に降りて、
阿波の郡の一部を麻植と名付けたのである。
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長乃御膳の「長」とは
阿波国の海側『長ノ国』のこと。
海を統べた国の海の幸を献上。
※文中の天桁山(アメノケタヤマ)とは
現在の美馬市小屋平にある
剣山系『天行山(あまぎょうさん)』のこと。
※旧麻植郡小屋平(コヤダイラ)は、
現在でも御衣御殿人を勤める三木家の
三木家住宅があり、
天小屋根命・天日鷲命の居住地とされている。
小屋平の地名の由来は、
天桁山と東宮山と連なる峯が
建物の大屋根のように見えることから、
また、
なんと「天小屋根命(アメノコヤネ)」の
神名に関わる説も指摘されている。
※小屋平(こやたいら)の地名には「小屋平氏」つまり、人気ブログランキング
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Re:無題
長国の王は事代主ですし、
金比羅さんと繋がりそうですね❗
onezerozero flat
2024-04-26 17:38:03
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