恋愛(結婚)至上主義に嫌気が差した人への処方箋
0.はじめに(勝手な質問・発言にうんざり)
「彼氏(彼女)いない(作らない)の?」
「結婚しないの?」
「子どもは?」
このような質問を浴びせられたことはあるでしょうか?
あるいは、
「結婚して家庭を持ってこそ一人前だ」
「独身の人は自分勝手だ」
という発言を耳にしたことはないでしょうか?
これらの発言はすべて、「恋愛・結婚・出産・子育ては良いもの」ということを前提にしています。
しかし、本当にそうでしょうか?
世の中には様々な人がいます。人生で何に重きを置くかは個人が決めることであって、他人が勝手に決めるものではありません。恋愛や子育てが好きではない人もいるのです。そうした人にとってみれば、上述した発言は迷惑極まりないものに感じられると思います。
今回の記事は、こうした身勝手な発言に対し、どのような理論・思想が有効か?ということを考えていきたいと思います。
先に注意事項です。
これから私なりの理論・思想を紹介しますが、重要なのは、先の質問を受けたときに、反論するのはほぼ無意味だということです。なぜなら、そうした質問をした人は恋愛(結婚・出産・育児)至上主義に囚われており、しかもその自覚がない可能性が高いからです。要するに、「話しても無駄」というわけですね。「言いたい奴には言わせておけ」の精神で臨みましょう。
それよりも大事なのは、「なぜ自分はそういう選択をしたのか」ということを徹底的に考えることです。なぜかといえば、たとえ反論をしなくても、自分の選択について明確な理由が述べられる状態を作ることは、自信・自己肯定感を高めるからです。
自分の行動に自信が持てるような理論・思想を作りましょう。そのために、私の考えが役に立てば幸いです。
1.「性」問題の複雑性
※「恋愛・結婚・出産・育児」に関する問題のことを、以下「性」問題と表記します。その理由は、これらがすべて「性(性欲)」に関する問題だからです。
先ほど、「人生における価値は個人で決めるべきだ」という個人主義を表明しました。しかし、事はそう単純ではありません。実はこの「性」問題は単なる個人の生き方だけでなく、家族、法制度、政治制度、経済システム、財政問題、環境問題など非常に多岐な分野に関わるのです。
まあ、当然といえば当然ですね。単なる個人の選択問題であれば、国家や社会が介入する必要はないですから。何か問題が起きると思っているからこそ、介入してくるわけです。
そこでまず第一に、「性」問題に関する歴史を基礎知識として共有しようと思います。ここの共通理解がないと話が前に進みません。なぜなら、ジェネレーションギャップにより、論点がずれた状態で不毛な議論を繰り返すことになるからです。
私が思うに、先のおせっかい質問(「結婚しないの?」など)をする人は時代認識が欠けていると思います。つまり、
「自分たちの時代は結婚するのが当たり前だった、子どもがいるのも当たり前だった。だから、君たちもそうすべきだ。何?興味ない?けしからん!これだから最近の若いやつは…」と言っているわけです。
言うまでもないですが、時代が変われば暮らしも価値観も変わります。高度成長時代の恋愛(結婚)と、不景気で、インターネットが当たり前の時代における恋愛(結婚)の様相が、同じであるほうがおかしいのです。
だからこそ、恋愛や結婚が、どんな経緯で変遷を辿ってきたのかを知り、その上で問題を考える必要があるのですね。
2.恋愛(結婚)の歴史
(1)江戸時代以前
平安時代では、夫が妻の家に行く「通い婚」が主流だったようです。女性が人前に姿を現すことも少なく、男性は仲介人を通じて女性に恋文を送ったらしいですね。
江戸時代や、その前の戦国時代の場合はどうでしょうか?
武士の結婚の場合、家の存続が重視されました。大名同士の結婚には幕府の許可が必要でした。
平安時代も、江戸時代も、基本は一夫多妻制だったようです。この時代の結婚の目的は、天皇と親戚関係になって権力を握ることや家の存続させることが主だったようで、「恋愛」と「結婚」は必ずしも結びつくものではなかったといえます。
(2)明治時代~戦前
明治時代に入ると大きく変わります。それまでの日本は性に関して割とおおらかな国だったようですが、開国に伴う西洋化により、風紀を引き締めるため、近代的な恋愛・結婚制度が整備されていきました。民法が制定され、夫婦関係は基本的に一夫一妻制となりました。また、西洋語の「love」の訳語として「恋愛」が普及したのもこの頃からだと言われています。
当初は見合い結婚が主流だったようですが、個人主義・自由主義の思想が広まるにつれ、そうした親が決める結婚に反発する男女が現れ始めます。自由恋愛・自由結婚の時代ですね。この時代の文学を繙きますと、結婚問題で苦しむ男女の姿が見受けられます。徳富蘆花の『不如帰』なんかはその典型ではないでしょうか。
ちなみに、この時代の夫婦は不貞行為に関する処罰規定が女性のみに適用されるなど(姦通罪)、男女不平等なものでした。
(3)戦後~高度成長時代
戦後、明治憲法時代よりもさらに民主的な日本国憲法が制定されました。これにより、女性の参政権が認められ、財閥の解体や社会保障制度の拡充も行われました。個人が少しずつ力を持つようになっていきます。さらに高度成長時代に突入し、便利な電化製品が登場し、主婦の家事負担が軽減されていきました。これにより、女性の社会進出が進むことになりました。
また、徐々に恋愛結婚が見合い結婚を上回るようになりました。
国民の所得が上がり、ベビーブームが発生、出生率が上がります。
(4)オイルショック~バブル崩壊
その後オイルショックにより経済に暗い影が差すものの、バブル時代に突入して一時的な繁栄を謳歌します。しかし、それも長くは続かず、経済低迷の時代を迎えます。そして、これまで国民の雇用を支えていた「年功序列」「終身雇用制度」が崩壊し始めます。これにより、夫婦は夫の収入だけで生活できず、共働きが増えることになりました。
一般的には、女性の社会進出による晩婚化、収入減による結婚率の低下が出生率の低下をもたらした、と指摘されています。
(5)バブル崩壊以後
バブル崩壊以後も景気は回復せず、現在に至ります。また、国際社会では中国や東南アジアの経済発展、ソ連崩壊からのロシアの市場経済導入によって国際競争が激化し、日本の地位は相対的に低下しました。国内では非正規雇用・派遣労働の拡充により、雇用は不安定、収入は減少と結婚どころの話ではなくなってきました。
21世紀に入ると、インターネットが急速に発展。マッチングアプリの開発、LGBT法案の検討など「性」問題を巡る動きは加速することになりました。
(6)総括
というわけで、以上が江戸時代から現代までのざっくりとした社会・経済状況の変化と、恋愛・結婚制度の移り変わりとなります。
ポイントは2つあると思います。
まず1つは、結婚観の変化「見合いから恋愛へ(権威主義から個人主義へ)」ですね(まあ個人主義・自由主義が浸透した時点でこうなるのは十分推察できたとは思いますが)。
ただ、これが成功したかどうかは不明です。というのも、恋愛・結婚の自由化は恋愛資本主義をもたらし、勝者と敗者を生み出してしまうからです。また、自分の地位・収入の向上により、相手に求める条件が高くなり、結婚のハードルが上がったという指摘もあります(いわゆる上昇婚の場合)。
もう一つは、恋愛(結婚)至上主義の相対化、つまり、「恋愛(結婚)だけがすべてではない」というカウンター、アンチテーゼの誕生です。物質的な豊かさを実現し、娯楽が多種多様化した現代において、恋愛や結婚は数ある選択肢のうちの1つに過ぎなくなった、ということですね。これも、個人主義・自由主義の浸透によってもたらされる当然の帰結の1つといえるでしょう。というのも、これまでは恋愛や結婚が半ば強制的に人生のイベントに組み込まれていたがためにできなかったことが、自分の意志でできるようになったからです。
つまり、この記事の最初に書いた「迷惑質問」に対しては、この2つのポイントを押さえた理論・思想が有効だということです。たとえば、
「もはや国家・社会に奉仕し、忠誠を誓う時代は終わった。なぜなら、国家や社会が個人の福祉を守るという本来の目的が実現できなくなってきているからだ。私を縛る権威は、もはや存在しない。私は、公共の福祉を侵さない限り、自由に人生の選択を行う権利を有する。そして、私は誰よりも自由を愛する人間である。自由を愛するゆえに、「制度」に組み込まれることを厭う。そうした「制度」は私の精神を蝕み、私を幸福から遠ざけてしまう。だから、私は恋愛も結婚もしない。そうすることなしに、自分の人生を追求し、その中で得た富や知恵をもって、この世界の福祉に貢献したいと考えている。」
長くなりましたが、こんなものでしょう。この思想のポイントも2つあります。それは、自分が、
・「真に自由を愛する人間であること」
・「自由な時間と精神によって自らの幸福と、社会の幸福を共に希求する意志を表明すること」
の2つです。
1つ目は簡単ですね。そもそも自由を愛さない人間は、孤独に耐えることができません。自由の価値を認識し、かつ自分がそれに値する人間だと自覚してこそ、この主張は説得力を持ちます。
2つ目は、「独身者は身勝手」という批判へのアンチテーゼです。独身者が自由を愛するのは、自分一人だけのためではありません。自由によって自分の精神を安定させ、その安定した精神で社会奉仕活動などを行うことで他者の幸福をも希求するためなのです。
誰しも、自分が不幸な状態で、他人を幸福にすることはできません。真の独身者は、このことをよく理解し、まず自分の幸福の源泉である「自由」を確保し、その上で社会貢献をするのです。真の独身者は、ただ寂しいだけの独身者とは違います。自由と孤独を「主体的に選択し、活用している」のです。
これで理論武装としては十分だと思いますが、それでも批判者は「少子化問題」を持ち出して攻撃してくると思います。なので、最後にこの少子化問題への考え方を紹介し、この攻撃を防ぐ方法を紹介します。
3.少子化問題は本当に「問題」なのか?
(1)メタ的な問い
少子化問題に限った話ではありませんが、メディア等が何かを「問題だ」と認識して報道した場合、「それが本当に問題なのか」を吟味・検証することが大切です。なぜなら、問題でないものを問題としても意味がないからです。問題というのは、常にそこに「ある」のではなく、恣意的に「作られる」こともあるのです。
それを踏まえた上で、少子化が問題なのかどうか考察してみましょう。
少子化により何が起きるか。大きくわけて2つです。1つは税収の減少による国家財政の悪化、もう1つは人口(労働力)の減少による経済縮小、つまり国力の低下です。
この2つはどちらも、少子化が国家存続にとって厄介な問題であることを前提としています。では、そもそも国家を存続しなければならない理由はあるのでしょうか?
私はないと思います。国家・人類が滅べばいいとは言いませんが、かといって積極的に存続させるべき理由も見つかりません。地球にしてみれば、人間の数は減ってくれた方が都合が良さそうです。これほどまでに資源を浪費し、戦争を起こして大地を荒廃させているのは、人間を置いて他にいないのですからね。
…というのが私の本音ではありますが、とはいえ、これだと話が終わってしまうので、「人類が滅ぶのはまずい」ことを譲歩して認めるとしましょう。それでは、少子化対策として何かできることはあるでしょうか?
これに対する私の答えは、「できることはあるが、本質的な解決にはならない」です。それは、先に書いた歴史を繙くことで見えてきます。
一般的に、文明が発展すると高齢化が起きます。というのも、食糧生産と医療技術が進歩し、寿命が延びるからです。人類が何をしてきたかたいうと、端的に言ってしまえば、「苦」を除去し、「快」を増大させてきた、ということになります。だから、辛い田植え作業を機械化したし、恐ろしい疫病に対する薬を開発したわけです。
ところが、高齢化が進み、高齢者人口が増えてくると、彼らを若い世代が支えてやらなければならなくなります。若い世代が多いうちはいいですが、どんどん高齢者が増えてくると、現役世代で支えきれなくなってきます。さらに、高齢者を支えるための負担金も上がり、若者の可処分所得が減るようになります。これが結婚・出生率の減少をもたらし、少子化を引き起こしている、というわけですね。これが日本で起きている「少子・高齢化問題」というわけです。
もちろん、実際にはもっと多くの事象が複雑に絡み合っており、ここまで単純ではないと思いますが、文明の発展によって死亡率が低下することはほぼ間違いないでしょう。
(2)対策と効果~競争~
じゃあ少子化を何とか対策できないか?となるわけですが、たとえば、学費免除や子ども手当の拡充など、経済的援助をしてみるとどうなるでしょうか(財源は何とか確保できたと仮定)。この場合、子どもがほしいが経済的な事情で断念している夫婦の間に子どもが生まれることが期待されます。詳しく調べたわけではないですが、こういった夫婦は結構いそうなので、出生率は上がりそうですね。出生率が上がれば、当然子どもが増えるので、少子化ではなくなります。
これでめでたしめでたし…ではないですね。少子化問題の本質は、子どもが少ないことではなく、労働力、納税者が足りないことですから。いくら子どもがたくさん生まれても、彼らが労働・納税できなければ、問題は解決されません。
となると次の問題は、新しい子どもたちの雇用・収入・社会保障などを確保できるか、という問題です。仮に全員が4年制大学を卒業後に就職すると仮定すると、22~23年後の未来にそれなりの収入を得られる仕事に就けるようにしてやらなければなりません(もちろん、その前に彼らがきちんと教育を受けられることが大前提となりますが)。
これは実現できるのか、それともできないのか、という話です。
もし実現できず、彼らが低所得・不安定雇用に留まるなら、問題は解決するばかりか、悪化するでしょう。というのも、彼らもやがては高齢者となり、彼らを支えるための新しい子どもがさらなる貧苦を味わう可能性があるからです。
近年はアジアや中国が経済成長しているようです。これらの地域はかつて欧米列強の植民地支配を受けていましたが、徐々に解放され、発展していきました。日本は、今後これらの地域との競争をすることになるでしょう。これまでは、アジアの中での日本の存在はきっと大きかったのでしょう。だから、日本に生まれるということが大きなアドバンテージ、既得権益ともいえたわけです。しかし、それも崩れてきています。これから子どもたちは、アジアや中国の人と労働市場で競争することになると思いますが、果たして大丈夫かどうか。
まあ、やってみなければわかりませんが、少子化対策をする際はこの辺りまで考えないといけません。グローバル化が進む現代では、こうした国内問題も、国際社会との関係の中で考えなければなりません。
まあ現状、奨学金という名の借金を学生に負わせているくらいなので、根本的な解決をしないと子供の数うんぬん言ってられないとは思います。
というわけで、独身者に対し、少子化を持ち出して批判することは、そもそも意味がないのです。
(3)独身者の「必要性」
前回の記事でも書きましたが、現代の複雑化した国家は、多様な意見を総合し、最適解を見つけ出す不断の努力をしなければ到底維持できません。そのために、国民の多様性を認めること、他者への寛容な精神の重要性を説きました。
そう考えると、「独身者」というのも必要な存在だということが見えてきます。よく、独身のメリット・デメリットといいますが、そのとき、大抵それは個人の視点で語られます。「自由に時間が使える」「病気の時大変」などですね。
しかし、実際には別の視点、すなわち、社会における「独身者」の必要性というのも、また存在するのではないでしょうか。
これは、もし仮に全員が結婚していたらどうなるか?を考えてみるとわかりやすいかもしれません。日本国民全員が結婚し、かつ1人以上子どもを産み育てている。そんな社会を想像してみてください。果たしてそれは健全な社会といえるでしょうか?
これは恐ろしい社会だと思います。なぜなら、こうした極端に画一的な社会は考え方も極端になりがちだからです。
たとえば、その社会に、結婚予定のないイタリア人の男女1組が入ってきたとしましょう。そのときに日本国民が彼らに対してどんな対応をするか、想像してみてください。数の暴力をもって、そのイタリア人を抑圧することが起きはしないでしょうか。
意見が、ライフスタイルが、1つしかない社会が健全なはずがないのです。
社会の多様性の担保という意味でも、独身者は必要だといえるでしょう。
また、独身者は自分独自の家族を持たないがゆえに、災害時の被災者支援での活躍が期待できます。というのも、結婚者の場合、やはりまず自分の家族を優先して救出・保護せざるを得ず、それが終わるまでは他の被災者の救助には行けません。しかし、独身者はそのように優先して助けるべき相手がいない場合があり、自分の安全が確保できた時点ですぐに他の被災者を助けにいくことができます。
他にもまだあります。独身者の個人的メリットである「自由な空間の確保」これをうまく活用できる可能性があります。世界の名著でも、美術品でも、レトロゲームでも何でも良いです。独身者はコレクションを自由に揃えることができる。結婚者だと、相手に理解がなければ無尽蔵に揃えるのは難しい。そうしたコレクションは社会に還元できると思います。たとえば、漫画コレクターであれば、どこかの街が被災したとき、漫画を寄付してやればいい。子どもたちはきっと喜ぶでしょう(好みが合えばの話ですが)。また、死後もそうしたコレクションを誰かに譲れば、それは有意義なものとなるでしょう。問題は、そのコレクションの価値を理解してくれる人がいるか、ということですね。岩波文庫を1000冊コレクションして死んだときに、それをガラクタとして捨てるのか、資産として次世代に残すのかとなった場合、後者の選択ができる人がきちんといれば、この上ないことでしょう。
他にも、独身者にしかできない社会貢献の仕方というのがまだまだありそうです。そういうのを探してみるのも面白そうです。
4.おわりに(多様な世界へ)
さて、今回書きたいことの大意は以上です。
大事なことなので何回も言いますが、現代社会では多様な視点が欠かせません。では、多様な視点を持つためにはどうすれば良いか?
偏見を持たないことです。偏見を持たないためにはどうすれば良いか?
決めつけないことです。決めつけないためにはどうすれば良いか?
疑問を持ち、調べ、自分の頭で考えることです。
そのためにはどうすべきか?
なるべく多くのことに興味を持つことです。
どうすればその境地に達することができるのか?
まだ余計な思想に染まっていなかった、子ども時代の心を取り戻すことです。
そうしたことの積み重ねが、より良い世界への第1歩になると思います。
より良い世界を作るのに、結婚者も独身者もありません。
ただ、自分ができることをやればいいだけです。
それでは最後に、最初に書いた質問を振り返りましょう。
「彼氏(彼女)いない(作らない)の?」
「結婚しないの?」
「子どもは?」
あなたは、この問いに何と答えますか?
この問いに自信を持って答えることができるとき、あなたはきっと真の、誇り高き独身者への道を、歩み始めていることでしょう。
終
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