そう言えば、優さんと別れに至った理由ってまだ書いていませんよね。
別に思い出したくないほど悲しいとか、メンタルがボロボロで思い出したくもないとか、そんな理由じゃないです。
単に、忙しくて文章にまとめづらかったからなんです。
やっぱりリスクを伴う場合、それを抱えてまで継続する熱量がなくなったというのは大きな理由です。
嫌いになったとか、飽きたとか、メンタルが弱くなって悲しみが我慢できないとかの理由ではないです。
また、お互いに捨てられそうになったから先に捨ててやろうとか、そういうのでもないです。
以前にも書きましたが、私は、振られる方が別れの理想です。なぜなら、恨みを買う可能性が低いからです。
お別れするのに、どっちでも構わないんじゃない?
振られる前に振ってやるなんて、私からするとモテない女の発想かな。振られてもなんてことないんじゃない?
熱量が無くなったこともそうだけど、言葉に出して別れを言わないといつまでも続きそうだからなんです。
嫌いでもない、多分一生この距離感と重すぎない愛情だと続きそうで、もう普通の日常になってきていたんです。
お互いに無理もしないし、趣味が同じだから話も尽きないし、毎年同じようで同じじゃないんですよ。
今年の桜、今年の新緑の様子、今年の薔薇、今年のイチョウ並木、同じものがなくって次々見たい景色があって、話しても話しても尽きないんですよ。
胸が苦しくなるような切なさもないし、家でお互いに何していようが気にもならない。
彼の故郷、彼の出身校、実家、若い頃の友達の家、元カノ、多分奥さんの知らない場所に行って話をいっぱいしたと思う。奥さん興味ないんだしね。
私は興味があったわけじゃないけど、彼の話したいことを聞いてあげたかったし、見せたいところを見てあげたかったからね。
この人とできることなら同性の友人として出会いたかったなぁ。
一生の大切な友だちになったと思います。
この人がいたから、私は植物を育てる楽しさにハマったし、活動的に見て歩く楽しさを知ったし、嫌いだと思っていた川の魚の美味しさを知ったし、気持ちだけでなくちゃんと態度で愛を伝えられる心地よさを知ったし、私にもまだ恋心があったことに気がつきましたし。
その痛みも、正しさとは何かも考えたし、許せない他人の失敗なんてあるのだろうか?なんて思うことも考えたりしました。
よくわからないけど、「こんな小さな失敗を責めないでおこう」と思うようになったし、笑顔の向こうにある不安とか悩みなんて、みんな隠しながら必死に生きているように思えて、多分私は以前より人当たりはまろやかになったんだと思います。
後輩たちや年下の仲間との距離が近くなりましたし、「まっ、いいか〜」でモヤモヤイライラしなくなったんですよ。
周囲の他人の愛情や思いが素直に感じられるようになりました。
それに、依存しなくなりましたね。
決断が早くなりました。誰かの決断に頼らず、自分で決めるときは即座に決めるようになりました。
失敗が怖くなくなって、「やってみよう!」の決断は早くなりました。
謝ることも引っかからなくなり「申し訳ありません」も、言えば得なときは割り切れるようになりました。
これ以上の失敗は無いですもん。
自分でも、いついなくなっても、消えてもいいくらい生きていくのが嫌になったのに、今は生きてまだ誰かのためにもっと何かできるのなら生きていたいし、育てたい植物かたくさんあって、もっと知りたい場所や食べ物があって忙しくて悩んでいるヒマがないくらい自分に忙しい。
やっぱり、彼には感謝しかないです。
どんなに愚かな女、自分勝手で不道徳な女と言われようと、彼に出会わなかった人生より、今の私は幸せだと断言できます。
「その分誰かを悲しませたでしょう」という人もいるかも知れない。そうでしょうね。
でも、誰も悲しませない人なんてこの世にいない。
誰にも悲しくされたことがない人もいない。
一人で出かけるのはしばらく思い出が溢れて寂しいかもしれないけど、私はそれでも同じところに何度でも出かけるつもり。
そこが寂しいだけの場所にしたくないから出かけたいし、違う景色がまた見られる気がするんです。
ふと思い出したアリスの曲の終止符の最後の歌詞。
今年の秋はいつもの秋より
長くなりそうな気がして
きっと、私の今年の秋は、楽しくて充実した短い秋にしていくんだと思います。
「あれ、もう秋も終わりか〜」みたいな