北大阪急行電鉄・千里中央駅前の商業施設「オトカリテ」(大阪府豊中市)が4月30日に閉館する。千里ニュータウン玄関口の商業施設として半世紀超にわたり親しまれたが、老朽化が目立ち閉館を決めた。同館の主要テナント「ピーコックストア千里中央店」の前身は昭和45年に開業した「大丸ピーコック千里中央店」。48年の石油ショックを象徴する事象「トイレットペーパー(トイレ紙)騒動」の全国発端となった店舗だ。昭和の歴史に名を刻んだ「証人」の1つが姿を消す。
大丸ピーコック千里中央店は、45年3月11日オープン。周辺には千里阪急百貨店なども開業、大阪・千里を会場とした大阪万博の開幕が4日後に迫り、地域は熱気に満ちていた。
「この日万博への足、北大阪急行千里中央駅前の(中略)同店には、早くも開店1時間以上も前から、周辺団地の主婦やマイカーによるお客様が行列…」。大丸(当時)の社内報は当日の様子をそう伝える。
「百貨店の系列として高品質の商品を充実させ、お客様に満足していただいているという自負があった」。当時、同店の従業員だった清水暉人(てるひと)さん(79)は振り返る。
突如、200人の大行列
順調に業績を伸ばしていた同店は、思わぬ形で再び注目を浴びる。48年10月31日。開店前に主婦ら200人以上の大行列ができていた。トイレ紙がなくなる-との噂から買い求めようとした人たちの列だ。客は開店と同時に3階催事場に殺到、用意していた1週間分のトイレ紙1400個は1時間で売り切れた。
石油ショックを受け、後に各地で発生したトイレ紙の「パニック買い」。「発端は千里中央店のトイレットペーパー安売りのチラシから始まった」(ピーコックストア社史)とされる。
清水さんは語る。「1人1個限定やったんで、家族で手の空いてるもんはみんな来るという感じでいろんな人が並んでいた。取り合いになるので、どうすれば安全に商品をお渡しできるか従業員みんなで知恵を絞った」
騒動が起きた背景には、千里ニュータウンは当時としては珍しい、水洗トイレ完備の住宅都市で懸念が大きかったことや、住民同士の口コミが一気に拡散したことなどがあったとされる。
大阪電通大の小森政嗣教授(認知科学)は「人間は不安を他者と共有したいという傾向があり、不安な感情ほど拡散されやすい。新しいまちだった千里は住民同士の世代も近く、知り合いに話しているうちに騒動が広がったのでは」とみる。
活性化へ再開発
同店が入居する施設はその後オトカリテと名称を変え、現在はイオングループが運営している。同グループは「閉館までお客様に楽しんでもらいたい」と話す。
開業時から利用しているという吹田市の主婦(82)は「品物が良いのでバスを利用して週3回は買い物に来ていたのに」と残念がる。トイレ紙騒動については「ストックがあったので買いに走りませんでしたが、そんなこともありましたね」と振り返った。
周辺では、かつてサイン会や物産店などのイベントでにぎわった大型商業施設「セルシー」も令和元年に閉館。かつて千里ニュータウンを彩った商業施設が相次いで姿を消し、再活性化に向けた動きも出ている。
オトカリテやセルシー、千里阪急などの地権者や豊中市は、5年度中の事業認可を目指し、再開発計画に着手。バス停などを併設した大型商業施設を民間主体で整備する事業案などが検討されている。10年程度をかけ完了させる計画だ。同市などは「千里はまちびらきから60年がたち、更新の時期が来ている」と話す。
北大阪急行は5年度末に千里中央駅から箕面萱野駅(大阪府箕面市)まで延伸される予定。近畿大総合社会学部の久(ひさ)隆浩教授(都市計画)は「千里中央駅が『通過駅』になる可能性もあり、人を呼び込む仕掛けが求められる。商業施設も時代に合わせた変化が必要で、住民とも連携するなど自ら更新していくまちを目指すべきだ」と話す。(北村博子、内山智彦)