衣珠が怪我をしてからの7年余りを振り返ってみると、今はどれだけ落ち着いた時間を過ごせるようになっただろう・・・・・・

身内に大きな災難が舞い込むと 家族がバラバラになってしまうと聞くが 我が家も御多聞に漏れず 危機的な状況があった。
怪我をした場所が 我が家から遠い所だったため 搬送された病院は車で往復4時間掛かった。

衣珠が重体時期から落ち着くまでの1年間 私は毎日その道のりを通った。
帰宅は当然遅くなり 夕飯の支度は少し早く帰宅する夫の肩に圧し掛かった。
仕事でクタクタになり 帰ってからの夕飯の支度 それは 想像よりも過酷で 日に日に夫の表情が暗くなっていった。
栄養バランスや経済面からも コンビニ弁当や外食はできなかった。

私の母から「衣珠は病院で完全看護を受けているのだから 毎日病院に通わず 家のことをしなさい。」と何度も叱られた。
家庭が壊れることを心配して言ってくれていることは分かっていても、私は衣珠のことが一番心配で 聞く耳を持てなかった。

夫と私の日常会話はどんどん少なくなり お互いを思いやる余裕など無くなっていた。
「こんなに大変なのに ちっとも分かってくれない。」と お互いに自分の疲れやうっぷんばかりを溜め込み 角を突き合わせ、こんな時にも平気な顔で 変わらぬ日常を送っている顧問を心底憎んだ。

息子達は ビクビクしながら眠れぬ夜を過ごしたことと思う。毎日両親に気を遣い 必死に仲を取り持とうとしてくれていることに私の胸は痛んだ。

そんな中 私は癌を発症した。
このまま死んでしまった方が楽かも知れない・・・と思った。
元気な衣珠がいないこの生活に 生き甲斐など見出せなかった。
周りの心配をよそに まったく違う方向を見て歩いている夫婦・・・

衣珠が入院する病院が近くなり 私に家事をする余裕時間ができた。
少しずつ少しずつ 距離が縮まっていった。
ポツリポツリ会話を交わすようになり 忘れかけていた思いやりが戻ってきた。

そして今は 小さなことでも真っ先に相談したり愚痴ったり・・・と同じ時間を共有できるようになった。

先日 昼食ののったお皿を 手を滑らせ床に落としてしまった。
床には無残に散らばったお皿の破片とチャーハン。

夫が そんな私のドジさを笑いながら「いいよ。怪我するから 俺が片付けるよ。」と言って 残骸と化した昼食達と奮闘してくれた。

爽やかな風が 部屋の中を通り抜けて行った。