恋愛モノが苦手な話
昨日、フォローしている方の記事を読みながら思い出した。
わたしは昔から、いわゆる恋愛を取り扱った漫画やドラマや映画の多くが、あんまり好きではない。
江國香織作品が好きだと書いたあとにこう書くと、ええ?と思われそうだが、事実なのでしょうがない。
好きではないというか、いっそ苦手で、もっというと恐ろしかったりする。
少女漫画雑誌に載っているキラキラした恋愛漫画も、少年漫画雑誌に載っている作品のドタバタラブコメといわれるような作品も、総じて楽しむことができないでいた。
テレビドラマも映画もそうだ。
恋愛が主題の作品となると楽しみを見いだせないのだ。
ドラマや映画でカップルが見つめあい、キスし、胸躍るような音楽が流れると、ソワソワした気分になって、直視できなくなる。
特に日本人のそれは本当に苦手だ。たとえば海外ドラマや映画なら、そんなに気にならない。
妙な話だとは思うが、日本人のラブシーンというのが本当にダメなのだ。
さらに平成の恋愛作品には多く、主人公達を邪魔する恋敵や悪役といった役どころが出てきた(令和の今はどうだか知らない)。
特に女性の恋敵は漫画にもドラマにも頻繁にあらわれた。
わたしは彼女らが、本当に本当に苦手だった。
恋敵は、たいてい主人公の持ち得ない積極性やはつらつとした素直さを持っていて、主人公よりもやや派手な服装をしている。
胸元を露出していたり、主人公よりもヒールの高い靴を履いていたりする。
そしてたいていの場合、主人公よりもお金持ちだったり、男性にモテたり、仕事ができたりするのだ。
恋する相手に積極的になれない主人公が、うじうじと足踏みしている隙をついた恋敵が相手の男に接近し、不敵な笑みを浮かべて次週に続く。
というような形式が、ある種お約束とされていた。
わたしには、恋敵や悪役とされる彼女らが、強烈に底意地悪く見えた。
その底意地の悪さが恐ろしかった。
大人になった今でも恐ろしいと思う。漫画だろうと映画ドラマだろうと変わらない。とても苦手だ。
彼女らが画面にあらわれるとハラハラするが、それはまったく楽しい気分のハラハラではない。今にも崖から突き落とされそうな純粋な不安だ。
わたしはホラーが大好きで、ゾンビや幽霊やモンスターが突然あらわれて、ワッ!と脅かすような演出は楽しむことができるが、それとこれとはまったく質が異なる。
他人からもたらされる不安というのは、ゾンビや幽霊よりもずっと身近にある恐怖対象なのだ。
物語はほとんどの場合、主人公の女性が恋を勝ち取って幕を閉じる。
情けない話だが、恋愛作品の多くを最後の最後まで読み切った(あるいは視聴しきった)ことが少ないので、恋敵や悪役の女性達がどうなったのか、その点は記憶があいまいだ。
ほかのキャラクターとくっついたり、主人公と取り合っていた相手からフラれたり、いずれかの方法で物語から退場していく。
わたしは、その”お約束”も怖かった。
そもそものはじめから、彼女の行く末は決まっているのだ。
強烈な意地悪や、皮肉や、嘘や、誘惑をまき散らして物語をかき乱し、恋に敗れて消えるまでが、彼女の役目だ。
彼女が消える時、物語の受け取り手はカタルシスを覚えるのだろう。
胸がスカッとした。そうでなくっちゃ。ざまあみろ。
そう思われるために、彼女は存在しているのだ。
それを言葉にできたのはずっとあとのことだが、ごく小さな頃から多分わたしは気づいていた。
なぜならわたしも彼女の退場にホッとしていたのだから。
よかった、やっといなくなった。これで安心だ。ああ、すっとした。
そしてそのようにホッとするたび、言いようのない後ろめたさと後味の悪さを感じていた。
バスケットボールやサッカーや武道、架空の世界の戦い、刑事あるいは探偵と犯罪者の戦い。
そういった「たたかい」は楽しんでのめり込み応援できたし、いずれかの勝敗に喜んだり悔しがったりしても後ろめたさを感じたことなどない。
恋の鞘当てなどと呼ばれるものとそれにまつわる人間関係の軋轢が、自分ではどうすることもできないざわざわとした感情を喚起させるのだった。
なんだか長々してしまったので、続きはまた明日にでも書きます。
ちなみに、江國さんの作品の中でも「薔薇の木、枇杷の木、檸檬の木」は、ある種の恋愛作品が恐ろしいのと同じベクトルで恐ろしくて、読み返すことがなかなかできない一冊です。
あれは本当に怖い。
恋愛関係のいざこざが大好きなひとにはむしろオススメかもしれない。
では、また。
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