弥助の現実的な強さが見える一文

 つまり太田牛一は、ここで「(弥助は)26〜7歳ぐらいで、牛のように全身が黒く、健康的であった。しかも力強さは、普通の人に勝る様子であった」と書いているのである。

 なんのことはない。弥助はファンタジックに強かったわけではなく、普通の人になら余裕で勝てるぐらい強そうだったと、現実的なことを書いていたのである。

 牛一が『信長公記』で誰か個人を「強力」と特記した例は、巻11における天正6年(1578)8月15日条「大相撲」シーンの「永田刑部少輔、阿閉孫五郎、強力の由」と書いてあるところだけだから、弥助もこれら無双の力士に匹敵するほど屈強な肉体を備えていたのだろう。

 信長は初めて見た黒い肌の人間が日本人でも見ないぐらい屈強で、日本語もいくらか話せるようだったので、護衛に適していると思ったのだろう。ただ、実際にどれぐらい強かったのかは、戦績が何も伝わっていないので、よくわからない。

 そこで我々の心を躍らせるのが、フィクションの仕事である。

 異郷に流れ着いた孤独の勇者が、戦国時代トップクラスのウォーロードに気に入られ、日本の武士たちを相手に10人分の腕力をもって奮闘する姿は、どんな創作に繋げても絵になること間違いなしであるはずだった。