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無題(まとめ)
私の人生は女性差別に殺された。最近そう考えることが増えた。経緯を文章に整理すると心が落ち着く。また、私が受けた被害がなかったことになるのはとても悔しいので、経緯をXの記事にして、ここに公開する。
※DV・性加害の描写が含まれます。
2017年3月 修士課程卒業。
2017年4月 メーカー系IT企業に開発職として入社。
2017年5月 グループ全体での新人研修を終え、職場に配属。部内唯一の女性だった。過去に女性がいたこともほとんどないらしかった。部内で一番入試難度の高い大学を出ていたこともあってか、部長は鼻高々といった雰囲気だった。
配属翌日未明、癌で闘病していた母の容体が急変、急死。カーネーションを持って見舞いへ行き、結婚前提で交際している恋人を紹介しようと思っていた週末の母の日は、母の葬儀となった。
寮長を通じて会社に連絡を取り部長に事情を説明し忌引を取ると伝えると「供花や忌引の事務的なやりとりをする必要があるから、今後はこの連絡先へ連絡するように」と電話番号を伝えられる。これが部長の仕事用の電話番号ではなく、プライベートの電話番号であることがのちに判明する。供花や忌引の事務手続きは部長のプライベートの連絡先を通じて行われた。
忌引が明けて職場に戻ると、私の歓迎会の幹事の先輩が気を使って歓迎会の日程を1か月遅らせる判断をしてくださった。しかし部長は私が入部したことが相当嬉しいようで、早く歓迎会をしたがっていた。部長に「酒は得意か」と尋ねられ、私は愛想笑いを浮かべて「はい」と答えた。しかし、「酒は得意か」という質問は文字通り「酒は得意か」という意味だと思っていたが、どうやら「自分と酒の席を共にすることに対してあなたは乗り気か」という意味だったらしい。世間知らずなせいもあって質問の意図を掴み損ねてしまった。酒好きの部長は私の回答を受けて「せっかく配属されたのに歓迎会が1か月も先だなんてかわいそうだ、せめて直属の上司である主任・課長と自分とだけで飲もう」としきりに誘ってきたが、課長が母を亡くしたばかりの私に気を使ってやんわりと断ってくれた。正直飲み会に行く気分ではなかったので、ありがたかった。しかし部長にとっては課長が邪魔だったらしい。
技術職向けの新人研修を受けていたある金曜日、部長のプライベートの連絡先から私に「今夜空いているか、小さな歓迎会をしよう」との誘いが直々に来た。恋人との予定があったが、部長直々の誘いは断りづらく、またここまで私を歓迎したがってくれている気持ちを裏切るのも心苦しかったため、恋人に事情を説明し、部長の誘いを承諾した。指定された集合場所に赴くと、部長ひとりだけがそこに居た。歓迎"会"というくらいだから課長や係長も来るものと勝手に思い込んでいたが、サシ飲みだった。
地獄のサシ飲みだった。「お前はかわいいなあ」と何度も頭を撫でられた。修士時代の研究成果を学会で発表したいと話すと、ぜひ行くと良いと背中を押されて嬉しかったが、「土日に個人的に発表練習に付き合うよ」とも言われた(断った)。部長はマラソンが趣味らしく、一緒に走るのはどうかと誘われた(断った)。おそらく部長なりに私とプライベートでも親しくしたい・励ましたいと思ってくれているのだろうと感じたものの、すべて部長の独りよがりで、私にとっては余計なお世話だった。
終電近い時間に解散したあと、混乱した頭で恋人に電話をかけ、想定外のサシ飲みだったことや頭を触られたことなどを話すと恋人は「セクハラじゃねぇか」と怒った。自分との約束よりも部長を優先され、さらに自分の恋人が性的な目で見られ頭を触られるなどしたことに不快感をあらわにしていた。そうか、私が受けたのはセクハラだったのか。 "小さな歓迎会"が終わったら恋人の家に泊まる約束をしていたが、私は過去にないレベルでひどく動揺・混乱していたため反対方向の電車に乗ってしまった。慌てて正しい方向の電車へ乗り換えると、自宅には戻れるが恋人の家へ行くには間に合わない時間だった。恋人に再度連絡しそのことを話し、申し訳ないが今夜は泊まれないこと・このまま帰宅することを話すと、恋人は余計に苛立っていた。セクハラに遭い、大切な恋人を怒らせてしまい、私の心はぐちゃぐちゃだった。帰宅してスマホを見ると上司から「今日はありがとう、また飲もうね」とハートの絵文字つきのメールが届いていた。
一晩寝ると少し頭が整理され、自分はセクハラに遭ったのだという事実を多少は客観視できるようになった。課長の業務用メールアドレスに「昨日部長と二人で飲んで、こんなことがありました。セクハラですか?」と報告すると「セクハラです。部長があなたにそういうことをしないよう、部長があなたをしきりに飲みに誘うときは間に立つよう心掛けていた。しかしまさか直で連絡するとは思わなかった。」という旨の連絡がすぐ返ってきた。そうか、やはり私はセクハラを受けたのか。その日は何もする気になれず、寝て過ごした。
その後も部長から業務時間外に二人きりで会う誘いが何度か来たが、すべて断った。しかし業務時間内にも、私に話しかけてくるとき妙に近かったり、私のボディラインを舐めるように見ながら「太らないねぇ!」と体型に言及してきたり(初めて会ったのは5月初旬で、これを言われたのは5月末ごろだ。数週間で目に見えて太る方が難しい。意味が分からない。体型に言及したいだけだったのだろうと思った)、小さな不愉快は続き、職場に行くのも憂鬱な日々が続いた。
昼休みに同期とランチをとりながらサシ飲みで頭を触られたこと等を話すと、「セクハラじゃんキモ。でも訴えるには頭触られただけだとちょっと弱いよね。できればホテルに連れて行かれるくらいまで泳がせて、警察沙汰にして…」とか、「へー!私は気にならないけどなー!むしろ嬉しいかも!」とか、いろいろな反応が返ってきた。恋人にセクハラの話をすれば彼は不機嫌になり、「じゃあ辞めればいいだろ」と言われた。大企業での会社員歴が長い父に相談すると「できるだけ波風立てないほうがいい。近いうちに仕事が合っているかどうか人事との面談があるだろうから、そのときに仕事を変えてもらうよう相談しなさい。新人が辞めるとその上司は人事にすごく叱られる。人事は新人が辞めないように手を尽くすはずだ」と言われた。知り合いの女性研究者に「会社でセクハラに遭っている。会社を辞めて博士課程に入りアカデミアに戻りたい」と相談すると「残念ながらアカデミアにもセクハラは存在する。むしろ企業より対処しづらいという意味では悪質かもしれない」と返ってきた。 孤独だった。助言をくれる人はいたが、私の傷心に目を向けてくれる人はいなかった。
心が折れたのは6月の歓迎会のときだった。部長はパワハラ気質でもあるようで、部のメンバーは皆委縮していた。沈黙が訪れれば「おい茜、なんか話せ」と無茶振りが来た。皆が黙って下を見ている。そのとき「ここで生きていくのは無理だ」と悟った。1次会が終わると幹事の先輩が酔っ払った部長の相手をしながら、こっそり逃がしてくれた。そのあと同期が飲んでいる別の飲み会に合流したが、何を話したかよく覚えていない。ワインをたくさん飲んだ。解散後、ひとりになった途端に酔いが回って、改札前の柱にもたれかかったらそのまま一歩も動けなくなり座り込んでぼーっとしていた。誰かが「お姉さん大丈夫?」と話しかけてくれ、近くのコンビニで買った水を置いて行ってくれた。気付けば終電が出て、深夜になっていた。若い女が一人で酔いつぶれているのを見て心配した誰かが警察を呼んでくれたらしく、警察官が3人ほどやってきた。「仕事で嫌なことでもあったの?」「お姉さんせっかくいい会社に就職したのにもったいないですよ」と言われた。"いい会社"。苦笑いしかできなかった。
翌日、辞める決断をした。辞めた後のことなんかもうどうでもよい。ここでは生きていけない。しかしどうせ辞めるなら辞める前にできることをやりたかった。やられっぱなしは悔しい。しかし会社に入ったばかりで頼れる人がいないしわからない。会社の人権窓口の担当者に相談することにした。
人権窓口の担当者はバリキャリの女性というかんじの風貌だった。相談の中でこのようなことを言われた。
  • お母さまが亡くなったとき部長がプライベートの連絡先を教えてきてそれで事務連絡をしたことは、情報保護観点のコンプライアンス上も問題がある。プライベートの連絡先を業務で使う常習犯の可能性がある。セクハラだけでなく、この点でも部長を追及できるだろう。
  • あなたは辞めたいと言っているが、相手は部長というそれなりに大事なポジションの人間だ。それだと人事に「この新人はどうせ辞めるから」とまともに対処されないかもしれない。それに、この短期間で辞めて、その後どうするの?「こんな目に遭いました、でもこの会社でまだ働き続けたいと思っています、だから対処してください」という方針でいこう。
  • あなたが受けたのはたしかにセクハラだが、今後も似た目に遭う可能性がある。そのたびにいちいちセクハラだと訴えていたら、この会社では生きていけない。セクハラかどうかは受け手の感じ方によって変わるし、「上へ行くためなら体でもなんでも使ってやるわ」という人だっているから、周りも助けるべきかわからないことがある。あなたも相手を上手に諫めるような手を覚えて、世渡り上手にならなければならないよ。
3つ目のコメントを聞いたとき、これから女性差別が根付いた社会で生きていかなければならないのかと絶望した。しかし相談員に「あとは私に任せて。あなたのところの事業部長とも顔見知りだからすぐ対処できる」と力強く言われたのでとりあえず任せることとした(というか、衰弱していてそれ以外の選択肢が頭に浮かばなかった。今思えば「たとえそれでも、こんな会社は無理なので辞めます」と力強く言って、その場を立ち去り、退職届でも出せばよかったのだが)。
相談員はどうやらハラスメントや人権について教育を受けた人材というわけではなく、ただ業務の片手間にボランティアで相談員を引き受けているようだった。なぜならば、3つ目のコメントは明らかにアウトで、理想的にはハラスメント被害者の声を受けて加害者側に働きかけて誰もが安心して過ごすことのできる環境を作るために相談員が居るはずだ。たしかに現実的には被害者側が世渡り上手にならなければならない場面はあろうが、被害に遭ったばかりの人間に差別的な社会の受容と迎合を求めるのは順序がおかしい。
話はすぐ幹部に伝わった。人事担当者に呼び出され、「せっかく入社してくれたのにひどい目に遭わせて本当にすまない。部長は部長解任・異動の処分とする」と伝えられた。呼び出しから自席に戻ると部長が打ちひしがれデスクに突っ伏していた。そして間もなく、部長から私だけに宛てて「直接謝りたいので時間をくれ」とメールが届いた。また二人きりで会うのか。絶対に嫌だった。急いで父に連絡すると「絶対に二人きりで会ってはいけない。茜だけに宛ててメールしている時点で何が悪かったか部長本人もわかっていない可能性が高い。直属の上司か人事にお願いして、第三者に同席してもらいなさい」と言われた。そこで課長に同席をお願いするメールをしたところ、「せっかく部長が誠実に謝ろうとしているのに私が同席するのはおかしい。遠慮する」と断られてしまった。私をこっそりやんわりと守ることはできても、表立って部長から私を守ることはしたくないようだった。風見鶏のような人だ。改めて父に相談すると「厄介ごとに巻き込まれたくないのだろう。上司は部下を守るのが本来の役割なのだが、そういうふうに自分の保身に走ってしまう人は残念ながら一定数いる。課長がだめでも人事なら同席してくれるだろうから人事に言うといいかもね」と言われた。
ここでようやく怒りの感情が湧いてきた。人事に同席をお願いしてもよいのだが、課長の風見鶏のような態度も許せない気持ちになった。部長のメールへの返信で、CCに課長を追加し、加害者と被害者が二人きりで会うことがいかにおかしいか理詰めで説明し、第三者の立会が無い限り会うつもりはないと伝えた。突然激怒した私に驚いたのか課長も部長もOKしてくれ、課長立会いのもと部長の"謝罪"が実現された。
ひどかった。部長が基本的に話していたのだが、区切り区切りで沈黙し、私をじっと見て私の応答を待っているように思えた。そこで「あなたがしたことはハラスメントだということがわかっているか」「なぜあのとき頭を触ったのか」などコメントや質問をすると、苦々しい顔で大きく舌打ちし、「酔っていたので覚えていない」の一点張りだった。課長はそれをニヤニヤしながら黙って見ていた。
その後部長は人事担当者の言った通り部長解任・異動となり、平穏が訪れたかに思われたが、残念ながらそうではなかった。ハラスメントそのものよりも、その後の会社員生活のほうがずっとずっとしんどく、心身を削られた。
新しい部長が来た。子会社で開発の部長をしていた人らしい。
私はハラスメントに遭ってから原因不明の体調不良になることが多かった。どの体調不良も、最後には医師に「ストレスが原因かもしれません、心当たりはありますか」と言われて、「今年新卒入社して環境が大きく変わり、配属翌日に母が癌で急死して、職場で部長からハラスメントに遭いました」と答えると、どの医師も絶句していた。
あるとき朝の通勤電車の中でひどい眩暈と半身麻痺を起こし倒れて救急搬送された。脳神経外科に運ばれたが結局原因はわからなかった。救急搬送後も何度か検査を受けるためや検査結果を聞くために大学病院へ通う必要があった。検査のために早退する際、新部長に「一人で大丈夫か?誰かうちの男を付き添わせるか?」と皆の前で言われた。「いえ、一人で大丈夫です」と苦笑いした。正式な歓迎会で、私が元部長に「何か話せ」と言われるなどしているときに黙って下を見ていた人達のことは全員、1mmも信頼していなかった(私をこっそり逃がしてくれた先輩だけは信頼していた)し、職場の男性と業務外の時間に二人きりになるのは絶対に嫌だった。体調が悪く弱っているときなど尚更だ。新部長は私がセクハラに遭ったこと、元部長がそれにより解任・異動になったことを知っているはずなのに、それが想像できないらしかった。
あるとき仕事で納得いかないことがあり、自分なりに論理立てて何に納得いかないのか説明し、解決を新部長に求めた。そうすると新部長は解決策の提案をするわけではなく、私に猫撫で声で話しかけたり私の椅子を引いたりするなど、"お姫様扱い"をして私の機嫌を取るような行動に出た。屈辱だった。
あるときは新部長に「自分には(私)と同い年の娘がいる。娘を見ているようだ」と語りかけられた。私は部下であって娘ではない。この人は公私を混同し、私を部下としてでなく若い女性という属性で見ており、セクハラ予備軍だと思った。それ以降絶対に近付かないようにして、笑顔も見せずできるだけドライな対応をするよう気をつけた。
あるプロジェクトに配属されたとき、資料作りを任された。大学院生時代に見やすいパワーポイントのデザインについて勉強したことがあったためか良い資料を作ることができて、チームメンバーに「こんなにわかりやすく配慮された資料は初めて見た。感動した。自分もこれに応えたい」と言われるほどだった。嬉しかった。しかしそれについて業務上の上司(他部門)に、「こういう資料は女の子に作らせると違うねえ!」と言われ、「ありがとうございます、性別は関係ありません、勉強したからです」と答えるやり取りを3回くらいしたが、業務上の上司はピンと来ていないようだった。それを当時のTwitterで愚痴ったら、バズった。当時はリプライを制限する機能が無かったためさまざまなリプライが来た。中には「そんな馬鹿な上司を持ったのはあなたの能力が低いからだ」という自己責任論的なリプライもあり、それにいいねする悪意ある人もいた。
またあるプロジェクトで別部門の偉いポジションの女性に紹介されたとき、私ともう一人の若手の女の子の外見が小柄で黒髪のショートヘアという点が似ていることについて「へ~、事業部長の趣味?」と言われ、業務上の直属上司が「ええそうなんですよ、最近女の子の採用を増やしていて」と答えた。顔採用と言われたようなものだ。
ひとつひとつは大したことない出来事だ。しかし心は確実に擦り減っていった。そしてこの会社の根底には根強い女性差別があることがわかってきた。人事が行う教育も雑なもので、「国にやれと言われているからとりあえずやっている」とでも言わんばかりのものだった。
体重が半年で8kg減った。健康管理センターに呼び出され、体重が減った原因について心当たりはあるかと尋ねられ、泣きながら「セクハラに遭った」と話すと、担当の方も「実は私もこの会社の前の職場でセクハラに遭って、いま裁判で争っている。この会社はおかしい。お互い苦労するけどなんとか生きましょう」と励まされた。励まされたはいいものの、何の解決にもならなかった。
音楽を全く聴けなくなった。修士時代の研究成果を投稿論文に仕上げようと元指導教官と連絡を取っていたが、休日になると疲れて何もできなかった。思考にモヤがかかったような感覚が続いた。ストレスが原因のさまざまな体調不良に悩まされた。あるときは生理痛が業務に支障が出るレベルで重くなり、あるときは片耳に激痛が走り、感染症にもよく罹った。休暇がいくらあっても足りなくて、ギリギリの状態で働いていた。会社を休んだとTwitterに投稿すれば捨てアカから「よくそんな気安く休めますね」と嫌味が飛んでくる。キツかった。今思えばこのとき、つまり入社半年経った頃、鬱病を発病していた。しかし鬱病に関する知識がほとんどなく、また自分を客観視するような余裕もなかったため、気付かないまま働き続けた(のちに産業医に「あなたはストレス耐性が異常に高いから働き続けることができてしまったのだろう」と言われることになる)。
年末の最後の営業日の定時後、納会と呼ばれる忘年会のようなものが開催された。役員が来てその年の業績についてコメントし、社員たちを激励し、その後みんなで飲食するというイベントだった。そこで役員が元部長の異動に触れた。
「〇〇さんが部長という立場を捨てて助っ人として■■■部に異動してくれたおかげで炎上が無事におさまった。〇〇さんに感謝しよう。拍手!」
実は元部長は不自然な時期に部長解任・異動になったため「何かやらかしたのではないか」と裏で噂されていた。しかしこれで元部長は、炎上案件をおさめるための助っ人として異動した英雄ということになった。実際に■■■部の人から炎上をおさめるために動いたのは元々その部に居たもっと職位の低い現場レベルの人という話をすでに聞いていたので、役員のこのセリフはセクハラの事実上の隠蔽と元部長の名誉回復が目的であることは明白だった。目の前が真っ白になった。どうしても涙をこらえることができなかったため食事会中はずっとトイレにこもって過ごした。終わる頃に出て、片づけを手伝って、同期の女性たちが偉い人達との二次会に誘われたと浮足立っているが私の泣き腫らした目を見て気まずそうに目を逸らすのを横目に即会社を出た(ちなみに同期には男性もいるのだが、彼らは偉い人との二次会に誘われていなかった)。そのとき友達と飲んでいた恋人に「どうしても会いたい」と連絡し、恋人と会い、号泣した。
誤魔化し誤魔化し働き続け、入社3年目に開発から研究へ異動となった。研究の仕事自体は楽しく、職場も開発よりずっと風通しが良く快適だったが、環境変化はさらなる負荷となった。また、生理痛は相変わらず重く、なんらかの婦人科系の疾患を疑うレベルで、その身体不安がとどめを刺した。
ある論文を読んでいたときのことだった。視線が文字の上を滑り、頭に入って来ない。最初は自分の能力が低かったり、まだ馴染の薄い研究領域だったりするから頭に入って来ないのだろうと思ったが、何度読もうとしても文字が意味不明な記号の羅列に見え、意味が全く理解できなかった。脳になんらかの異常があると直感した。
インターネットで調べてみると、鬱病の症状がぴったり当てはまるではないか。その場で近くの精神科・心療内科に電話すると、運良くその日の午後に初診の予約が取れるとのことだった。駆け込むように精神科へ行き、経緯を話し、鬱病と診断され、休職に入った。その頃には体重はさらに減り、小学校6年生のときと同じくらいの体重で、ガリガリに瘦せていた。
休職に入ったときには、恋人は夫となっていた。休職前、仕事で疲れ果てて死んだように眠り続ける私に対して、夫は「平日は遅くまで仕事して休みの日はずっと眠って過ごして、一体なんのために働いているのか」と悲しそうに責め、嘆いていた。寂しかったのだと思う。しかし鬱病の診断が降り、私の休日に眠り続ける症状が鬱病によるものだとわかった。精神科の初診から帰った日の夕方、夫に「私は鬱病らしい。明日から休職する。休みの日にずっと眠って過ごしていたのも、疲れやすくて回復が遅い鬱病の特徴らしいから、お願いだから責めないでほしい」と泣きながら話した。涙で視界が歪んでいたので夫の表情はよく見えなかったが、彼は衝撃を受けていた気がする。
治療の初期はとてもつらかった。食欲がわかず、1日にバナナを1本泣きながらむりやり口に詰め込んで飲み込んだ。アイスの実を1日1個だけ食べた。脳が処理落ちしたような感覚で、情報のインプットを拒絶していたため、Twitterすらろくに見ることができない。鬱病になった報告をすると「一緒においしいものでも食べよう」と声をかけてくれる人がたまにいて、そう思いやってくれる気持ちはとても嬉しかったが、外出も食事も当時の自分には負荷が高かったので行動に移すのは気が進まなかった。寝て過ごす日々が続いた。夫は優しく寄り添ってくれた。
治療開始から3ヵ月ほど経ったときのこと。軽い鬱病の人なら寛解して職場に戻ることができる頃だが、推定される発病時期(入社後半年)から治療開始まで約3年間放置してしまったこともあり、復職は到底無理そうだった。鬱病で休職できるのは最大で1年半だが、1年半休んだところで寛解する未来も見えなかった。
そこで、夫に転居を提案された。夫は前々から転職したがっていた。私は修士を出るときに博士後期課程に進学するか就職するかかなり悩み、とりあえず就職する道を選んだが、自分の研究に未練があった(修士時代の研究をまとめた投稿論文もまったく仕上がっていなかった)。そこで、私は母校の博士後期課程に入学し、最大6年かかってもよいから治療とリハビリをしながら研究をする。そうすれば履歴書に穴をあけずに療養できる。同時に夫は、私の母校近くの企業に転職する。お互いにとってメリットのある最善の解決策だった。
2020年6月 退職、転居。
2020年7月 博士後期課程(10月入学)の入試。鬱病で脳の機能が低下した中での入試はハードだったが、なんとか乗り切った。ありがたいことに先生方の多くは私のことを覚えてくださっていて、にこにこしながら「おかえりなさい」と手を振ってくれる先生さえいた。帰ってきたという安心感に包まれた。
2020年10月 博士後期課程入学。大学事務の方々にも「茜ちゃんおかえり」と温かく迎えられて嬉しかった。
最初の1年はほとんど研究できず、寝たきりの生活が続いた。当時のTwitterの投稿をさかのぼると、「2日前に雪が降ったらしい。ずっと寝ていたのでまったく気付かなかった」などと言っていた。私の指導教官は、鬱病には詳しくないものの心配してくださり、「僕は研究というものは食事や睡眠のような生活ができた上でできる活動だと思うんです。あなたはまず生活できるレベルになるまで療養に専念した方がいい。研究はそれからです」と励まし、回復を待ってくださった。おかげで安心して療養できた。
ここまで読むと、退職&転居が成功だったように見えるだろう。しかしそのように結論づけることができない大きな理由がある。それは夫の転職が失敗だったことだ。
夫はもともと外資系製造業企業の開発部門に勤めていたが、古い日本の製造業企業の開発部門に転職した。しかし古い日系企業の空気は彼に合わなかったようだ。さらに夫は転居先に友人や家族が(私以外)ほとんどいなかった。 会社に行けば合わない職場が待っている。帰れば妻は病気で寝たきり、家事は溜まっていて自分が片付けなければならない。家計は夫が一人で背負っており(夫の収入だけでは少し心もとなかったので貯金を少しずつ切り崩していた)、この状況から逃げるわけにもいかない。愚痴をこぼしたり相談したりする相手もいない。彼はすべてをひとりで抱え込み、追い詰められていった。
ある日、仕事を終えて帰宅した夫に向かって寝室から何度か呼び掛けたが、返事が無かった。気付いていないか聞こえていないと思って少し声を大きくして呼び掛けたら、突然ガン!!!と大きな音がした。夫がモノでテーブルを強く殴りつけた音だった。私が18歳のときから大切に使っているテーブルに、大きな傷が残った。夫の殺気を感じた。 直接殴るとか蹴るとかはなかったものの、夫はモノに当たる形で暴力をふるい私を黙らせる行動を取るようになった。DVの一種である。怖かった。
また別のある日、深夜に身体に違和感を抱いて目を覚ますと、夫に避妊なしで犯されていた。ひどく驚いたが、何もできなかった。終わったら夫はそのまますぐ寝た。翌朝そのことについて話すと、どうやら彼は(本当に)寝ぼけていたらしく、曖昧な記憶はあるもののハッキリとは覚えていないようだった。また、私の同意なし・避妊なしで事に及んだことについては重く捉えていないようで、「だって、大好きな人が横にいたら我慢できない」と言われた。その後も避妊を拒否されることがあり、「赤ちゃんができたらどうするの」と尋ねると「堕ろせばいい」と事も無げに返された。性的DVである。
博士後期課程2年のタイミングである薬が追加されたところ、鬱病は劇的に寛解した。思考力も回復した。そのとき、強いストレスがかかったとき暴力的な表出をする夫と、鬱病をこれから一生抱えて生きていく私とは、単純に相性が悪いと考えた。元気になった今が夫から離れるチャンスだと思った。博士後期課程は中退することにして、就職活動をして内定を取り、経済的自立を手に入れ、夫に「あなたが今までしてきたことはDVだ、離婚してほしい」と申し出た。夫はショックを受け混乱しているように見えた。私たちの関係を引きちぎるように、半ば無理やり離婚した。
補足すると、私はDVを受けて傷つきはしたが、元夫を恨んではいない。誰だって同じ状況に置かれたらしんどいだろうと思う。ただ、相性が悪かった。彼は離婚後、自分がDVに走ったことを深く反省し、カウンセリングを受けるなど具体的な行動をとっていると私に報告してくれた。
私が鬱病にならなければ、私と元夫は仲良く夫婦生活を送ることができていたかもしれないと、たまに悲しく思う。
2022年9月 某コンサルティングファームに就職。
博士後期課程を中退し就職した会社は、信じられないくらい居心地がよかった。私の居場所はここにあったんだ、と初めて思った。外資のグローバル企業だったことが居心地の良さに大きく影響していたように思う。善くあろうとするリベラルな空気があった。会社が公式に作る研修動画等は、性差別だけでなく人種差別にも注意深く配慮されていた。ハラスメントについても、ある先輩がかつて別部門の人からパワハラに遭ったとき上司に相談したら上司が激怒、人事にすぐ通報し加害者の態度は即改善されて安心して働けるようになったというエピソードを聞いた。セクハラは気配すら感じなかった。仕事内容も、今までしてきた仕事や研究の面白い部分だけずっとやっているような感覚だった。
ところが、入社して1つ目のプロジェクトを終えたあと、上司から「あなたが1社目にいた企業を顧客とする案件があり、アサインするメンバー候補にあなたの名前が挙がっている。しかし昔いた会社を顧客とする案件に対する考え方は人によって全く違い、もう二度と関わりたくありませんという人もいれば、内情をよく知っていることを仕事に生かしたいのでぜひやらせてほしいという人もいる。あなたはどちらか」と相談された。その案件について詳しく聞くと、まさしく私が入社直後に配属された、ハラスメントに遭いそれが事実上隠蔽された、あの部門だった。腐れ縁だと思った。かなり悩んだ。1社目とは異なる業種に転職した私は仕事に直接生かせる知識や経験に乏しく、少しでもチームの役に立ちたい気持ちが強かった。そして自分のトラウマを甘く見ていた。「やらせてください」と回答した。
しかし案件にアサインされて間もなく鬱病が悪化、再び休職することとなる。上司は私に十分配慮し選択肢を与えてくれていたが、私が甘かった。完全に私のせいである。
休職後、1か月だけ復職したが、業務に耐えうる健康状態ではなく、結局休職期間を使い切り退職した。退職時、上司に「仕事より先に人生があります。まずはゆっくり療養してください。そして、あなたさえよければ、僕たちはあなたとまた働きたいと思っているので、元気になったらいつでも連絡ください」とお声がけいただいた。
その後、療養・リハビリをしながら無職生活を送り、年明け頃からようやく少しずつ寛解し、今に至る。現在はほぼ完全に寛解し(発病してから一番元気かもしれない)エネルギーが余っていて仕方ない。鬱病は薬でほぼ完ぺきに抑えることができている。いつでも働ける。しかし働き口がなかなか見つからない。前の会社にも当然応募したが、どうやら私が退職したときから内情が変わったようで、私を採用したい気持ちはあるものの採用を躊躇う理由もあるらしい(上司から個人的に連絡を頂き事情をご説明いただいたが、ここには具体的に書かないでおく)。公式には採用とも不採用とも連絡がないまま何か月も放置されている。おそらくギリギリまで私の採否判断を先延ばしして、私が他に取った内定と比べて採否を決める心づもりなのだろう。現在、他社の選考を進めているが、2回の休職歴がある上に1年近い無職期間があるとなると、なかなか選考が次に進まない。どうしても同じポジションに応募したライバルに見劣りする。
この一連の記事を書こうと思ったのは、ふと、心が折れたからだ。きっかけは思い出せないくらい些細なことで、それが何かは本質ではない。(就職活動で全落ちしたとか、わかりやすい理由ではない。)
幸いにも友人や家族に恵まれている。ある親しい友人は「茜は明るくて賢くて友達多くてなんでもできる、太陽みたいな女だよ、それは事実だ、忘れるな」と励ましてくれた。本当にありがたいことだ。しかし私が女で、鬱病であることもまた、揺るぎない事実である。私は女であるという理由でハラスメントや差別を受け、それが主なきっかけで鬱病を患った。いくら親しい人に励ましてもらってつらさを癒しても、その外にある社会における生きづらさは変わらないと気付いてしまった。社会が変わる気配もない。未来に希望が持てない。
そして、孤独だ。良い出会いがあればまた結婚したいと思っていたが、今はその気持ちもしぼんでしまった。元夫や離婚後に交際した元恋人たちも、頭では私が受けた被害を理解してくれたものの、私が深く傷ついたことに目を向け寄り添ってくれる人は一人もいなかった。私は異性愛者だが、男性は社会において置かれている立場が違うため、想像力に限界があるのかもしれない。たとえ想像力に限界があってもパートナーの心の傷に寄り添うことはできるはずだと信じたいが、今はそれに期待するモチベーションもない。
今の私は、鬱病が十分寛解しているが、女性として・鬱病を抱えて生きることに疲れ、絶望している。 私の人生は女性差別に殺された。
おわり
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