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当時、といっても戸切地陣屋築造の大分前ですが、この戸切地陣屋新規開墾を手掛けていたのが高田屋嘉兵衛というのが面白いところ。この北に野崎村をはさんで平山「アナタヒラ」という位置関係(『西蝦夷地日誌』)。ただ約40年後武四郎が歩いた際には野崎村はなく、棄村または戸切地村に吸収された模様。
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T_Toki
@toki1_ta
崖壁と戸切地陣屋の防衛構造を結びつけたのもおそらく(設計者以外では)自分が初なので、その辺の履歴は一応一通り拾ってはあるんですよ。 どっちかというと当時の人々にとっての戸切地は河口付近で、城の辺りは濁川村の領域。そして当時戸切地村は当初より北に開墾地を広げつつありました。 x.com/toki1_ta/statu…
いずれにせよ「戸切地」は本来距離的にはもっと南の平坦面を指す地名であり、これと本城の所在地たる野崎の丘の地形的特徴として松前広長の言う「アナタヒラの崖壁」とを結びつけるものは松前藩による命名(安政2)まではありません。なので、強引に和語で崖に結びつける試みはあまり詮無いと思います。
まあなんていうんですかね、 ・「戸切地」という地名は当初以降河川流域を指す地域名であり ・「アナタヒラの崖壁」および帰属する「野崎の丘」は『松前志』時点で初めて呼称として登場しその際は戸切地とは結びつけられた例はなく ・「戸切地陣屋」の築造によって初めて「戸切地」が冠された(続く)
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🐈窮鼠🐁
@thxforursupport
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↑ 「ヘケツレチ」だったとしても 壁連地で同じ意味では感。(アナタヒラの崖壁) へき/へけつら/つれ dictionary.goo.ne.jp/word/kanji/%E9 うーん、びみょいが江戸時代以前の松前蝦夷地の人達が私みたいにパソコンなどで辞書とか見れるわけでもなく ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8 戸切地陣屋
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↑ 「ヘケツレチ」だったとしても 壁連地で同じ意味では感。(アナタヒラの崖壁) へき/へけつら/つれ dictionary.goo.ne.jp/word/kanji/%E9 うーん、びみょいが江戸時代以前の松前蝦夷地の人達が私みたいにパソコンなどで辞書とか見れるわけでもなく ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8 戸切地陣屋
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アナタヒラの崖壁」という表現は松前広長『松前志』(1781)における表現です。ほかでは「穴タ平」「アナタ平」「穴太平」など。地形形状から見て道内において他に見られるアイヌ語「pira(崖)」からくる「~平」地名と見ています。
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🐈窮鼠🐁
@thxforursupport
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↑ アナタヒラの崖壁 崖壁 = 戸切地 そのままのような ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8 戸切地陣屋(へきりちじんや) "「戸切地」はアイヌ語「peker-pet(ペケレ・ペッ、美しい(明るい)・川)」が語源といわれ" へきりつ 壁立 切岸などの、けはしく、壁のごとく突き立つこと ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BA
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