世の中の移り変わりには不思議
なものがある。
ここ10数年前頃から、1980年代
の空前絶後のバイクブームの頃
とは決定的に異なるバイクシー
ンが日本で展開されてきた。
それはホンダのスーパーカブブ
ームだ。
だが、すまん。
本当にまことにすまんのだが、
カブの事を「オシャレ」だとか
思った事は私は一度も無い。
これは私の私的概念だけでなく
実際に本質はそうなのではなか
ろうか。カブの良さの本質は
オシャレとかそういう類、そ
うした感性とは180度真逆だと
思う。
徹底した実用性、完成された
エンジンシステム、AK47小銃
のような無敵の耐久性、廉価
大衆性、等々がカブの魅力で
あり実力なのではなかろうか。
これは登場した1958年からず
っと今でも。
その実力から実用車として
スーパーカブは歴史上多くの
人々に重用されて来た。
それが本来のカブらしさであ
り、カブの持ち味を活かした
カブならではの使用法なので
はと思う。
あるいはセカンドバイクとし
て趣味者が好きなようにいじ
り倒したりする趣味性の高い
二輪として。
決してシティを走るオシャレ
なタウンビークルではない筈
だ。
だが、ホンダがカブ人気を逆
手に、取って着けたオシャレ
キャンペーンをやってから
女性や若者たちもカブ好きを
公表し始めた。
1980年代にはその圧倒的な
実用実力をライダーたちは
認めながらも、くっそダサ
とっつぁんバイクとして実
はカブは捉えられていた。
これはもう全国区で。
カブに乗るとしたらダジャレ
で乗るようなものだった。
スズキからギャグというバ
イクチョロQのようなモデ
ルが出た時のように。
だが、今やカブは一つのカブ
世界というカテゴリーを築い
ている。カブ世界の発信源は
和歌山だったか奈良だったか。
それと漫画アニメの影響も
強いだろう。
まあ、ダサいとっつぁんバイク
という全国的印象(社会現象
だった)が希釈されたのは歓
迎されるべきだろうが、カブ
は決して今でも「オシャレ」
なものではない。
カブがオシャレ、カブはオシャ
レ、それは絶対にまやかしだ。
カブの良さや実力はそのような
軽佻浮薄なレッテルとは真逆の
骨太で無骨で超絶さにこそある。
ちなみに、私が12才で初めて
自分の力で運転した発動機付
二輪車は広島県三原市内で、
叔父のスーパーカブだった。
祖父の自宅敷地内で。
めちゃくちゃ面白いので笑い
が止まらなかった。
中一になる時で、何かで親族
が集まって30人程家に泊まっ
ていた。
私も首都圏から三原に来行組
だった。
その休みには毎日のように一
つ学年が上の東京のイトコと
取り合うようにカブに乗って
いた。叔父もフツーに乗らせ
る。「道路に出るなよ~」と
言いながら。
敷地内で乗ってたのに警察官
が来て免許証見せろとか言って
たが、親戚の叔母が応対して
敷地内だからという事でパス。
てか、私有地内に本官君は令
状もなく入ってくんなよ(笑
女子校生さえもが抱くカブへ
のイメージは、1980年代は
これだった。
1980年代の歴史的金字塔二輪
劇画である『バリバリ伝説』
(1983〜)での描写。第2話目。