【絶対行くな】第3回立入禁止
区域(八王子・府中・奥多摩・吉祥
寺・三鷹など)
行かないほうがいい都下の
場所。
暴力団の事務所には笑えた。
全国の町どこにでもあるが
な(笑
こちらもシュールだぜ。
東京の酷道。
【絶対行くな】多摩地域の酷道
(都道)5選(八王子、町田、奥多摩など)
でも、広島県三原市の北に
抜ける峠道「恵下谷(えげだ
に)」のバス通りは、1960年
代にはもろにこんな感じだ
ったよ。東京から夏休みに
遊びに行ってぶったまげた。
で、離合不能だから、路線
バスと鉢合わせしたら、バ
スは下がらないから、対向
車が狭い峠道をバックで待
避所まで後退するのよ。
それまたおどれーた。バス
はスクールバスのような小
さな三原市営バス。
ちなみにその峠道が開通する
までの三原市から北側に抜け
る道は谷底の川沿いのこれだ
った。いや、まじで。
三原という場所は、戦国時代
末期城下登場時以降ならず明
治以降、つい最近まで町から
外に出るにはこのような道し
かなかった土地。東西北を山
に囲まれ、前は海。
まともな道は存在しなかった。
これほんと。
海沿いの国道が開通したのは
昭和30年代の事だ。
恵下谷も谷下に拓かれた大八
車がやっと通れる程の道だっ
た。
(三原市恵下谷/2010年代/
撮影私)
山を削って作られた現在の
三原市恵下谷の峠道。現在
も路線バス通りだ。拡幅さ
れたのはつい最近の事。
1960年代末期などはもろに
上掲の都道酷道のような道路
だった。
三原市営バスは平成末期に
経営破綻の為、バスは現在
は私営会社が運行させている。
遠くに見えるのが三原市街地。
遠方が四国の阿讃山脈。
近くの山は左が筆影山。
右が竜王山(秦の山)。
この撮影場所は備後国だが、
向かいの山々は安芸国だ。
これが三原。
のどかではない田舎町。
江戸期からの住人も今は市街
地外部の農村部を除いてほぼ
いない。今は殆どが外からの
流入者で構成されている。
明治以降には埋め立て湾岸部
は工業化され、工場労働者と
して多くの人間が外部から転
住して来た。
気性は全く以て穏やかではな
い。三原市民の性格は全国各
地の炭鉱町の気性に非常に似
ている。特に九州飯塚・田川
の気性にそっくりだ。
飯塚の気性はどういうものか
というと、1960年代には酔っ
た炭鉱夫が電柱に登り、上か
ら火をつけたダイナマイトを
投げたりしてた土地。
また、池での高圧電流で一気
に魚を獲るのは遊んでいた小
学生が浮いたので禁止された。
さらに市議会で革新議員を
「しぇからしか!」と議場で
ぶん殴った議長の小指は無か
った。そういう土地が飯塚。
今は多少薄まったが三原市も
そうした土地柄ととても人的
気性が似ている。これ、事実。
コンパクトでインフラ等の面
では住みやすい街だが、人的
質性は旧炭鉱町のそれに極め
て近似だ。脅迫、恐喝、窃盗、
強盗、殺人がよく起きる街。
交通マナーも極めて悪い。
良くない面は宜しくないから
みんなで直すように努力しよ
うよ、と市民としての立場か
ら言うと「あんたぁ、三原が
嫌ならあんたが三原から出て
行きんさいや」と逆切れする。
巨大造船所の総務部長でさえ
そのような非常識な感情的態
度で広島県特有の集団排斥手
法で横暴な対応に酒席で一変
する。凡そ大会社の部長とも
思えない態度と考え方。
そんな民度の土地。
なお、スポーツや武道の団体
においても、違法で不正な収
賄や汚職が社会的に明るみに
出て、それを糾すとスポーツ
選手や武道修練者が今後練習
できないようなパワハラを為
して指摘者を排外排斥排除す
る。
そういう土地が広島県だ。
これ、嘘ではなく事実。
恐ろしい土地だ。ファシズム
が公然と横行する地方国家だ。