徳川。韓国語でトクチョンと読む。釜山市の地下鉄にある駅名である。徳川は北朝鮮の平安道にもある。ここを本貫の地(本籍地)とする天下人がいる。徳川家康である。という話は、フィクションであるが、虚構ながらも、なるほどとうならせるものがあった。

 


朝鮮王朝第4代王、名君の誉高い世宗(セジョン)の時代に、対馬征伐が行われた。倭寇の巣窟を壊滅するためだった。応永の外寇といわれる。これに驚いた日本の足利義持は朝鮮の真意を知るべく使節を派遣する。これに応えて朝鮮から日本回礼使が派遣された。宋希璟(ソンヒギョン)をトップとする使節。その中に平安道徳川郡を本貫とする羅世田(ナセジョン)がいた。彼は世宗から密命を授けられていた。

 

その密命とは、日本に帰化して、勢力を拡げ、支配者となって日本を

 

朝鮮の藩屏(防備のための囲い)にせよ、というもの。宋希璟一行に加わった羅世田は、使節から外れて日本に残り、その密命を果たすため努力を重ねる。家康を遡ること8代、松平太郎左衛門親氏が、日本での羅世田の名前である。

 

最初、上野国新田郡世良田荘の徳川郷を足場にしたが、足利幕府に追われて時宗の遊行僧になり、諸国を放浪した。そして、三河国加茂郡松平郷の郷主・松平太郎左衛門信重の入婿となり、還俗して松平太郎左衛門親氏を名乗る。

 

それ以後、密命は子孫に受け継がれ、9代目の家康にして、天下人となった。本名は羅家康(ナカガン)である。

 

このような話が歴史作家・荒山徹氏の『魔岩伝説』に出てくる。

 

家康は、秀吉の朝鮮侵略で断絶した国交を修復し、外交使節・朝鮮通信使の派遣を要請した。その真意を探るため、外交僧・松雲大師(ソンウンテサ)が派遣され、伏見城で家康と会見している。日朝200年の平和の礎を築いた画期的な会見。しかし、その内容が残されていない。なぜか。家康は自分の出自を松雲大師に明かしたからではないか。

 

ここまでにとどめておくが、2日間かけて読破した『魔岩伝説』は興味深い作品であった。荒山徹氏は、朝鮮通信使をよく調べている。感心した。

 
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