2022.9.22

アンディ・ウォーホル、知られざる熱心なキリスト教信者としての顔

アンディ・ウォーホルの大回顧展「アンディ・ウォーホル・キョウト / ANDY WARHOL KYOTO」の開催にあわせて、雑誌『美術手帖』2014年3月号より、宮下規久朗によるウォーホルの信仰とイコンをめぐる論考を公開。最晩年に取り組んだ宗教的主題とウォーホルの心境を掘り下げる。

文=宮下規久朗

「アンディ・ウォーホル・キョウト / ANDY WARHOL KYOTO」より、アンディ・ウォーホル《最後の晩餐》(1986)

 アンディ・ウォーホル(1928~87)は、アメリカ・ペンシルベニア州生まれ。キャンベル・スープやマリリン・モンローといった大量消費社会の象徴を用いたシルクスクリーン作品をはじめ、旧来のアートの価値観を刷新する表現や活動で知られ、ポップ・アートを代表する芸術家となった。

 本記事では『美術手帖』2014年3月号「アンディ・ウォーホルのABC」特集より、宮下規久朗によるウォーホルの信仰とイコンをめぐる論考を紹介する。

絶筆は「最後の晩餐」。知られざる、熱心なキリスト教信者としての顔 

 ウォーホルが死の直前まで取り組んだのは、世界的に有名な宗教画を参照したシリーズだった。なぜ晩年にこのモチーフを繰り返し描いたのか。パーティーに通う華やかな生活の一方で日々教会へも訪れていた、知られざる一面に切り込む。 

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 アンディ・ウォーホルが最晩年に取り組んだ「最後の晩餐」の連作は、ミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィエ聖堂にある有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの壁画を題材にしたものであり、ウォーホルの絶筆となった。1987年1月23日、レオナルドの《最後の晩餐》のあるサンタ・マリア・デレ・グラツィエ聖堂の隣に位置するパラッツォ・デレ・ステリーネでウォーホルの「最後の晩餐」展 が開幕。ウォーホルは、「もし観客が本物の《最後の晩餐》を見られなかったら、通りを横切って僕のやつを見にくればいい」と発言している。このオープニングに出席した後に体調を崩し、帰国後ニューヨークの病院に入院。胆のう炎の手術を受けるが、合併症を起こし、手術の翌日2月9日に死去した。

 ウォーホルは63年にも、「モナリザ」を題材にしていくつかの作品をつくっていたが、「最後の晩餐」シリーズは、レオナルドの名画の直接的な引用ではない。ウォーホルは当初、《最後の晩餐》を模した立体の置物を購入し、これを撮影するなどして作品化しようとしたがうまくいかず、百科事典にあった線描だけによる挿絵を元にいくつかの「最後の晩餐」を描いた。


2024.4.13

日本の戦争責任から原発まで、政治問題を照射する越境の画家。富山妙子

第8回横浜トリエンナーレ(2024年3月15日~6月9日)における富山妙子の小展示「わたしの解放」にあわせ、2021年8月号特集「女性たちの美術史」より、文化研究者・山本浩貴のテキストを掲載。戦後から、炭鉱、鉱山や慰安婦、光州事件、自らの戦争体験、原発問題などを主題に絵と文筆で活動し、今年(2021年)100歳を迎える富山妙子。社会との関係のなかで続けられてきた批判的創作活動の歩みを解説する。

文=山本浩貴(文化研究者)

南太平洋の海底で 1985 「海の記憶」シリーズより、キャンバスに油彩 162×130cm
Taeko TOMIYAMA

ラファエロはなぜ「巨匠」になりえたのか。諏訪敦と渡辺晋輔が語るその実像

ラファエロ生誕を記念して、雑誌『美術手帖』2013年5月号「ラファエロ」特集より、画家・諏訪敦と国立西洋美術館主任研究員・渡辺晋輔の対談をお届けする。ルネサンス期の巨匠ラファエロの実像を、作品と歴史の両面から掘り下げる。

構成=藤原えりみ

ラファエロ・サンツィオ 無口な女(ラ・ムータ)1505-07 板に油彩 64×48cm マルケ州国立美術館、ウルビーノ

2022.12.10

いまも息づく、具体美術協会をめぐる言葉たち。吉田稔郎「残された精神的遺産 吉原治良語録を中心に」

具体美術協会(具体)の回顧展「すべて未知の世界へ ― GUTAI 分化と統合」の開催にあわせて、雑誌『美術手帖』1979年3月号より、吉原治良の秘書役も務めていた吉田稔郎の文章を公開。「具体美術宣言」をはじめとした吉原治良の語録を通じて、具体の精神が語られる。

文=吉田稔郎

吉田稔郎 SPRAY 1964 高松市美術館蔵(出品:国立国際美術館)

2022.11.20

岡本太郎「画題について」。芸術作品のタイトルはいかなる役割を持つのか

雑誌『美術手帖』1954年3月号より、岡本太郎の論考「画題について」を公開。古今東西の作品を例に挙げながら、自身が作品タイトルをどのように付け、受け止めているかが語られています。

文=岡本太郎

岡本太郎 写真提供=岡本太郎記念館

2022.11.6

もの派はいかにして生まれたか。記念碑的座談会「〈もの〉がひらく新しい世界」

雑誌『美術手帖』1970年2月号「発言する新人たち」特集より、座談会「〈もの〉がひらく新しい世界」を公開。今日「もの派」と呼ばれる彼らが作品や制作をどう捉えていたか、その思想をひもとく。

座談会=小清水漸、関根伸夫、菅木志雄、成田克彦、吉田克朗 司会=李禹煥

成田克彦 SUMI 6 1969 木炭 40×70×90cm9 撮影=原榮三郎
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 「もの派」とは、1960年代末から70年代半ばにみられた日本の美術家たちの表現の傾向を指す言葉である。石、紙、鉄板といった自然物・人工物を、ほとんど手を加えることなく空間に提示する彼らの手法は、今日でも見る者にインパクトを与える。

 本記事では『美術手帖』1970年2月号「発言する新人たち」特集から、座談会「〈もの〉がひらく新しい世界」を公開。今日もの派を代表する面々が、若き「新世代」として顔を揃えた伝説的な座談会だ。「近代」の揺らぐ時代に、新進の作家たちは「ものをつくる」こととどう向き合っていたのか。鋭い対話から、それぞれに異なる制作の背景や、同時代の美術を批判的にとらえるまなざしが見えてくる。

〈もの〉がひらく新しい世界
小清水漸 関根伸夫 菅木志雄 成田克彦 吉田克朗 李禹煥

 時代は、たしかに、おおきく揺れ動いている。学生のゲバ棒となって突出したその背景で、数百年の〈近代〉が営々と築きあげてきたあらゆる価値は、いま、根底から問い直されようとしている。そして、この混とんのなかから、新しいなにかを、新しい〈世界〉の秩序を生み出そうとするさまざまな模索の胎動が、確実なリズムをもって聞こえてくる。この美術の分野でも。いや、〈美術〉という旧来のジャンルのなかでは、とうていつつみきれない現象が、わが国でも、ここ数年いちじるしく見うけられるのだ。

 たとえば昨年の、東京都美術館での毎日新聞社主催「日本現代美術展」、あるいは京都国立近代美術館における「現代美術の動向展」。そこに、石を、紙を、鉄板を、あるいはそれらの組み合わせを、ほとんど手を加えることなく、いわば、ただそれだけの〈もの〉としてならべ置いた一群の新人たち。そして、見る人たちの明らかなまどい──「これでも美術か」

 美術と呼ばれようと呼ばれまいと、かれらは意に介しない。この解体と拡散の時代に、かれらが基盤とするのは、つまるところ、自己の世界観にほかならず、それを伝えるために選んだのが、たまたま〈もの〉であるにすぎないのだ。かれらは日常的な〈もの〉そのものを、非日常的に、直接的に提出することによって、逆に〈もの〉にまつわる概念性をはぎとり、そこに新しい世界の開示を見ようとする。ここでしばらく、かれら日本の新世代の発言に耳をかたむけてみよう。司会は李禹煥氏にお願いした。(編集部)

吉田克朗 Cutt-off 8 1969 綿、鉄管(直径40×長さ420cm) (『美術手帖』1970年2月号より)
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あなたはなにをする人ぞ

 今日お集まりになった方々に共通していえることは、みなさんアトリエなんか持っていないんですね。そして、毎日いわゆる作品をつくっている、あるいは絵を描いているというわけでもない。そんなところで、たとえば、「あなたはなにをしている人ですか」と聞かれると、とまどってしまうのではないかと思うんです。従来は、ぼくは彫刻家ですとか、絵描きですとか、また造形作家ですというふうに誇りをもっていえたかもしれないのに、いまは、生活のためにはまったく別なアルバイトをやっているし、しかも、自分のつくったものを売って飯を食うということは、頭のなかにはさらさらないかもしれない。そもそも、そういうものを商品化しようなどと考えることは非常に困るとさえいえる。そういうことを拒否する人すらあると思う。吉田さんなら、どう答えますか?

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