「原発事故は過去の話ではない」 13年間続く避難生活 鴨下さん親子、大磯で講演

2024年8月26日 07時18分
「正しい情報を知って議論してほしい」と訴える鴨下全生さん(左)と美和さん=大磯町で

「正しい情報を知って議論してほしい」と訴える鴨下全生さん(左)と美和さん=大磯町で

 2011年の東京電力福島第1原発事故で福島県いわき市から東京都内へ自主避難した鴨下美和さん(54)と長男全生(まつき)さん(21)が7月末、神奈川県大磯町で講演した。2人は13年間続く避難生活の中で、避難指示区域外からの自主避難者に対する理解のなさに苦しんできた体験を語り、「政府は事故の被害をもっと周知させた上で原発を論じるべきだ」と主張した。
 鴨下さん親子は事故の翌朝、家族で自宅を離れた。美和さんと夫の祐也さん(55)は大学時代、研究室で放射性物質を扱った経験がある。「危険性や管理の厳しさを知っていた」といい、日ごろから原発を意識して生活していた。
 美和さんによれば、都内で暮らすようになって「ニセ被害者扱いされた」という。自宅は原発から南に約40キロ離れ、避難指示区域外にあるためだ。数値を測れば汚染されているのが分かるのに「被害なんてないだろう」と決めつけられた。
 全生さんは事故発生当時8歳。転校先で福島から来たという理由でいじめられた。高校生になった18年、事故の被害者が置かれた理不尽な状況を伝える手紙をローマ教皇に送り、19年3月、バチカンに招かれて面会した。
 8カ月後、東京での集会で教皇に再会。スピーチで「いじめに遭い、死にたいと思うほどつらい日々が続いた」「国策である原発を維持したい政府によって賠償額や避難区域の線引きが決められ、被害者の間に分断が生じた」と訴えた。
 祐也さんは、国や東京電力の責任を問い、賠償を求める「福島原発被害東京訴訟」で原告団長を務める。一方、自主避難者に対する住宅の無償提供打ち切りにより、22年3月、東京都が住宅の明け渡しなどを求めて起こした訴訟で被告になっている。
 全生さんは「事故は過去のことではない。問題は解決していない。当事者として発信を続けていきたい」と語った。(吉岡潤)

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