「メタバース選民思想」とは何か

まえがき

私は人文学を学んでいたことはあるが、日本文学出身であるため
全く論文的ないし批評的性質を以下の文章には持たない。
けれども、だからといってポエムな自分のお気持ち表明をしたいのではなく
我らVRChat市民の中の選民思想ともいうべき性質について自己反省的に
見つめ直したいのである。

そして、これは私の書き散らしの範疇を越えるものではないし、
こうした漢文の多い文体こそ、エリート主義であるという指摘も
甘んじて受け入れよう。
ただ願わくばこの考えを基に多くの人にVRChatに蔓延る選民思想を
駆逐すべく、自己検討と批評をしてもらいたい。

そのためのこの文体を選択したが、あえてXの投稿のような注釈を設けた。
自身での思考を放棄し、週刊誌的な感情文が読みたい読者の方々には
この注釈だけ読めば分かるようにはしている。

「メタバース選民思想」について考えてみてほしい。
こんな感じで各章に注釈(引用)を設けて読みやすくはした。
お気持ち表明が読みたいような(浅い)読者は各章のここだけ読めばいい

まえがき

「メタバース選民思想」の出発点

まず、メタバースで活動していることは何ら世間的に有効になったり
決して認められるとは言えない状況である。
確かに現実世界への捉え方の認知変化は大なり小なりあるとしても
それは世間的には単なるゲーム知識と同等価値しか持たない。
Blenderを得意としても3D建築の作成方法を技能として挙げても
世間では「天穂のサクナヒメ」で遊んで米の育て方を技能として挙げるのと
相違は無いだろう。
BLenderを元に現実世界の家が建てられることは決して無い時点で
技能として無意味なのである。
つまり、仮想世界の知識は何ら現実世界で有効な資格ではなく、
現実によく似たゲームの知識と同等価値である。

残念ながら、それは我らメタバースのクリエイターやパフォーマーも
多分に漏れず(歌・踊り・KAWAIIムーブなど)
我々はメタバースの土台を抜かれてしまえば
現実世界の歌手やダンサーとは対等に戦うことができない。
前提条件として「メタバースで活動中の」といった但し書きが必要であり
それでもなお、現実世界の本業らとは価値の格差がある。

もちろんクリエイターやパフォーマーの中にも、この状況を打破するために
現実世界での仮想空間の比重を上げるために活動する人らは知っているし、そういった活動は最初から応援する立場である。

だが、昨今のスタンミさんの登場によって
初心者が大幅に増加した事象を前提にすると
なぜ我々だけでそういった現実世界へ向けての
価値の転換を含んだ爆発を起こせなかったのかは
大いに検討すべきである。

今までの初心者向けと看板を背負ったクリエイターやパフォーマンス、
そしてイベント全ての啓蒙活動とするならば「啓蒙活動は無駄じゃない」
という盲目的な主張は認められるだろうか?

なぜ今まで多くの人員が初心者向け活動をしたのにも関わらず
我々だけで起爆剤を作れなかったのか。を反省せず
盲目的に活動を続けることへの批判を出発点に
「メタバース選民思想」の存在を思案した。

どこかでメタバースは現実世界の一般的な遊びとは違う高尚なものだ
といった選民思想こそが、起爆剤を作れないまま自己批判が出来ない要因に繋がっているのではないかと私は考えている。

VRChatで覚えた技能で現実世界に輸入して誇れるものって何かあるの?
別に現状無くね。ゲームで遊んで詳しくなったとまだ同じだから。
もちろん変えたいと動いてる人はたくさん知ってるし応援してる。

で一方で、スタンミさんが来てVRChatの社会的地位があがるっていう
爆発はあったよね。ちょっとポップに紹介されてるし。

でさ、なのにVRChat民が「俺たちの活動は無駄じゃない!」
「文化を守ってた!」とか、「インフルエンサーww」
とかいうのはもうしんどくねえか。全然今までと変わってねえじゃん。

これがなんで言い張れるのか、っていうのを考えたら
「俺らの趣味メタバースだから!最先端だし!」みたいな
選民思想がありそうだわなと考え始めたわけ。

「メタバース選民思想」の出発点

「啓蒙活動は無駄じゃない」発言の背景と定義


まず発端、メタバースのカルチャーを現実世界に届けたい、
ブームを作りたいんだというインフルエンサーたちが存在した。

そして、スタンミさんの配信の爆発があり
「ブームを作れなかったインフルエンサーたちが
スタンミさんに乗っかり行くのは見てられない」といった言説があり
そこへのカウンターとして
「今までの啓蒙活動は意味はあった、無駄じゃない」という意見が生まれた

まず大前提として、該当事象はスタンミさんらの功績だ。
我々は、その功績に微塵も貢献してないし、支援もしていない。
ワールドですら、別にトコロバさんとの出会えたら場所は問わないだろう

ここで明確にしたいのはVRChatというゲームを見つけ
面白い動画を完成させたスタンミさんが主語ということだ。
そこに外野の先住者から勝手に貢献を宣言する余地はない。

だのに自己批判もなしに盲目的に
「今までの啓蒙活動は無駄じゃない!」と言えるは
自己解釈を美化し、自身の影響力を無為にしたくないという固執である。

まずは、この自分ら価値を無為にしたくない執念、と
自己の無批判の自己賛美を私はメタバース選民思想と名づけた。
次はこの定義を求めていきたい

なんかスタンミに今までのインフルエンサーら、たかりにいったよね。
「じゃ今まで活動はなんやったん?」という意見が出たわな。
「俺ら文化を守った、意味あることしてた」という反論になったわ。
(まあこれは俺の意訳解釈だから、勝手にそれぞれの投稿調べてくれ。)

それは置いといて、スタンミさんの活動ってスタンミさんのものやん。
なんで「それ先に遊んでた俺らもすごい!」みたいに外野が乗っかるん?
地上波デビューしたグループのニワカ古参ファンみたいでキショイわ。
まず頑張ったアーティストがすごいのにね。
てかスタンミさんを最初から応援すらしてなかったのにそれ言うの
ニワカ古参ファンよりえぐいって。

まずそういう、「おれらやっぱすごいわ!エリートだわ!」みたいな
ずっとエリートの立ち位置にこだわってる感あるわな。
おれそういうのマジで嫌いだから、
とりあえずこの感じを「選民思想」って名付けて考察するわ。

「啓蒙活動は無駄じゃない」発言の背景と定義

メタバース選民思想の定義
上記のメタバース選民思想の存在を
ケース1「自分の活動の無批判の自己賛美」
として、他のケースを考えたい。
なおこれは、ある人物がやっていたと糾弾したいのではないので、
複数個の事案をまとめた類型ケースとしている。

こうした感覚は筆者の自己感覚によるものであるため、
批判は大いに認める。
そして図星だ、とかフレンドが傷ついたとか、
自意識過剰に反応する姿勢をする輩を予見するが
この輩こそ一番の選民思想の持ち主である思う。
私は自意識の過剰とエリート思考を取り払った上での
自己批判をしたいのである

まずあのスタンミさんの一件をケース1に分類してみた。
これから「VRChat自意識過剰あるある」を自分なりに作ったから
そこから定義してみようと思う。
かなり俺の感情論だから、そこの分類については批判していいよ。

でもこれあるあるだから、一人のモデルがいるわけじゃないのね。
俺から見た複数人合わせて作ってるわけ。
でも自意識過剰なVRChat市民は、「俺だ!フレンドだ!」とか言うけど
そういう奴らが一番キショイ。
そう思うなら、イタイの自覚してじゃねえかって思うわ。
分かってんなら自分で直すか、友達に指摘してやれって。

メタバース選民思想の定義

(ケース1)自分の活動の無批判 自己評価のはき違え
 
主語     自分(他者)の今までの活動を
無視した事象 別の配信者(スタンミさん)が大きな要因 なのに
理由     先に遊んでいたからという 理由で
動作     初心者が増えた要因をアシストしたと自己賛美し
       自分が選民であるかのように振舞った。


(ケース2)自己紹介の情報の極大化のはき違え

主語     自分が所属するコミュニティを
無視した事象 自分自身のことを話さなければならないのに
理由     コミュニティの中では有名 OR 
       コミュニティが有名 なので
動作     自己紹介の時に話し
       自分が選民であるかのように振舞った。


(ケース3)センスのはき違え

主語     自分OR他者 のアバターを
無視した事象 アバターの作者のセンスが可愛い(カッコいい)のに
理由     アバターが可愛い(カッコいい)ので
動作     自分が可愛くセンスのある人であり
       自分が選民であるかのように振舞った。


(ケース4)主要理論のはき違え
主語     自分が作った作品 を
無視した事象 現実世界の作品を勉強せずに
理由     近しい人、メタバース民には人気だったので
動作     自分の作った作品理論は現実に通用するといった
       自分が選民であるかのように振舞った。


ケース5)メディアのはき違え

主語     自身のメディア(記事や動画、紹介系全部)で
無視した事象 カルチャーを紹介すると自身を定義した のに
理由     スタンミさんが人気だから
動作     メタバースとは関係ない
       スタンミさん自身や投稿動画の紹介記事を書き  
       自分が選民である(プロ芸能誌)かのように振舞った。


(ケース6)自己批判のはき違え

主語     これを書いている筆者 が
無視した事象 自分は映像が本業 なのに
理由     メタバース選民思想を定義するために
動作     論文と同じような構成で批評を書いて
       自分が選民であるかのように振舞った。


(ケースN)      のはき違え

主語     
無視した事象
 
理由     
動作    
            自分が選民であるかのように振舞った。 


ケースNは募集してるから、好きにあるある書いてくれ。
せっかくならここで全部の膿を出しちまおう!

メタバース選民思想の表象ケースの総括

さて、メタバース選民思想のケースを
個別事案と捉えられることを避けることを目的に説明文無しで記述したが
多くの事象について、少なからずの共感を得られるのではないだろうか。
こうしたケースはメタバース選民思想が顕れた結果だと筆者は考えている。

つまり、選民思想とは、メタバースで自分自身の現実状況と
仮想現実状況の勘違いし、自分が他とは違う選民であるかのように
振る舞う行為のことである。

自身が使うアバターがセンスが良いのは
作った製作者のセンスがいいからなのに
自分がセンスがいいと勘違いすることが
最も分かりやすい例であろう。
まさしくアバターの仮想現実の姿と自分の現実の姿を勘違いしたのである

つまり、それぞれ、自分の属するコミュニティや使用アバター、
メタバースの身内の評価、メディアの役割といった仮想現実の
フレームを通してしか味わえない姿を
現実の自分の姿であると勘違いしたからこそ、こうした事象は発生しうる。

ケースは特定される動きは止めてほしいから書いてない。
ある人を批判したいからこの文章書いてるんじゃないし。

で、選民思想についてタイプ分けしたら、
メタバースと現実の区別が分かんなくなっちゃったから
「俺、周りとは違うから!」みたいなムーブをするのかなと思った。

例えばアバター改変のセンスいい=自分のセンスいいって変じゃね?
それ現実の自分を鏡見て、同じこと言えんのかよ。
言えないなら本当の意味でのセンスは無いわな。

で、まとめると、有名コミュニティに所属して変に自信ついたり、
めっちゃメタバースの身内から褒められるだけで自信つくとか、よくある。

でもそういうのって、「VRChat町・ミニミニ地区予選」の話じゃん。
現実の「全国大会」に持ってったら大体初戦敗退よ?
そういう井の中の蛙感がさ、メタバース選民思想を生みやすくしてると
俺は考えてる。現実見ようよ。

メタバース選民思想の表象ケースの総括

勘違いの起源の分析

さて、以下にこのメタバース選民思想が生まれた要因として
筆者が考えた事象を挙げた。
これはまさに、自分の行動を盲目的に賛美せず、
自己批判をするために行う目的である。
そもそも私自身がメタバース選民思想を産む行動に加担した可能性が
大いにあると反省しているからだ。
なぜ現実状況と仮想現実状況の取違いが起きやすいのか、
その理由を一つに絞らず要因としてとらえ、それぞれ仮説として考察した。

じゃあなんでこの選民思想は生まれるだろうかってのを考えてみた。
考えていくと俺もそういう選民思想を育ててるような感じもしてるし。
とりあえずこれが正解!とは思えないから、仮説っていう見出しで
またケースを挙げていくわ。

勘違いの起源の分析

仮説①                  外側の企業がメタバースインフルエンサーを 集めたから=寄り合い起源説

ここで考えたい風習は、何故か企業がVRChatにワールド制作発表時には
インフルエンサーが呼ばれる風習である。
例えばメディアを名乗る団体から来るなら理解は出来るが
Vtuverはタレントではないだろうか。
例えば、現実世界で化粧品の新商品を出すからと言って
コスメ系ユーチューバーが大勢集められることはない。
テレビの影響力が凋落の状況といえども
そういったイベントは未だ聞いたことがない。

まずこうした催しを私は「寄り合いイベント」と名付けたい。
確かに企業側からしてみれば、事業失敗の確率を減らすため
インフルエンサーを招集し、広めてもらうことで
プロモーションをやった感は出しやすい。

けれども、ここで企業がインフルエンサーを呼んだから という事実から
外側の企業がVRChatインフルエンサーを認めていることは読み解けない。
彼ら企業は目に見えるフォロワーというデータ数を認めているだけであり
インフルエンサーやVRChatの文化を手放しで認めている訳ではないのだ。

そもそも、昨今プロ驚きやとテレビマンたちによって流行語となった
「メタバース」で人口が多いからVRChatを選んだだけであり
VRChat特有の文化を気に入っている企業はかなり少数であろう。
(Clusterを利用しようとすると金がすごくかかるらしい。)

このようにメタバースへの解像度の低い企業に
数値だけを評価されて招待されたことを忘れ
我らVRChat村の村長の「寄り合い」を見て
自分らの世界は企業から注目されている!
という勘違いが寄り合い起源説である。

VRChat村長(とその村の住民)たちは外から来た
移住者を認める我らが村長という図式のように思い
力関係を「仮想世界≒現実世界」と勘違いしたのである。

現に、世間一般の「メタバース」の捉え方と
我々の「メタバース」の認知が乖離していた時には
「メタバースが流行語になったのは我々のおかげ!」と喧伝せず
スタンミの流行には喧伝する理屈もここにあるのではないだろうか。
つまり、「俺たちのメタバース」が現実で認められれば自分の手柄
ちょっとでも解像度が違うと、相手(企業)のせい。
結果論ではあるが、あの時に「なぜ解像度が低いまま伝わるか」
を自己批判しなかったことが、ズルズルと尾を引いているように思う。

解像度の高いメタバースが世間に伝わっていく
ムーブメントが起きる現状を見て
このまま寄り合いは無くならないだろうか?
一人の有名ストリーマーを呼ぶ方が
効率的だと、企業が考えないか私は注視したい。

VRChatインフルエンサー集めて展覧会します!って何回目?
それやりすぎたから選民思想が起きたんじゃねえかな。
企業が呼んでるのはフォロワーであって、その人じゃないしね。
その個人ならちゃんとコラボ企画建てるやん、今までそういうのあったか?

そこを勘違いして、俺たちのメタバースインフルエンサーは認められてる!
って思った周りも選民思想を助長したんじゃないかなと思う。

「メタバース」が流行語になった時には自分らのメタバースじゃないから
自分らの手柄じゃないって考えてたのキショイから。
じゃあスタンミさんの時には言うなよ。
そういうメタバースの社会的地位を都合よく見てたから
こういう感じになったんじゃないかな。
あとスタンミさん来て、企業がインフルエンサー要らねえわって
ならないかどうか、楽しませてもらうわ。

寄り合い起源説


仮説 インフルエンサーと仲良くなりやすい=地元の喧嘩自慢説

まずVRChatの特性上フォロワーの多い人と高確率でフレンドになり
その主催するイベントの常連になればすぐ認知はされるだろう。
その結果、フォロワー数の多い仲のいいフレンドがいる という
肩書きがついてしまい○○さんとフレンドで・・・という
自己紹介になるのは多く聞く。

このフォロワー数が多いフレンドが、有名なのに自分も有名と
思ってしまい、また自分はセンスがいいと勘違いする。
まるでヤンキーの地元の喧嘩自慢が友達でバックについていると
威勢を貼るようなこの現象を地元の喧嘩自慢説と名付けている。

その後、その地元の喧嘩自慢をエコーチェンバー的に集めた結果
フォロワーの多いインフルエンサーの自称お友達軍団が出たのではないか

所属先のみ明かす自己紹介の選民思想が現れたケースをみよ。

「インフルエンサーの○○さんと友達で~」って
「地元の喧嘩自慢がダチだ!」と構造は変わんねえからイキるなよ。
そうしたイキりフレンズを闇鍋にしちゃったから、「センスのいい俺ら」
「インフルエンサーに気に入られた俺ら」が多く出たんじゃないかな。

あとこれ余談だけど個人的にはタナベさん一番可哀そうやわ。
半年くらいまえに、俺コラボ企画させてもらった時の話なんだけど
タナベさんの「コラボ考えてます!」投稿には乞食リプめっちゃ来て
「コラボはRIKUOさんと考えてます!」投稿にはリアクション0やったわw

あ、この乞食らってタナベさんでなくて、タナベさんとコラボする自分が
好きなんだって思った記憶がある。タナベさん自体を応援しような。

地元の喧嘩自慢説

仮説② 自分(の知り合い)がテレビに出た =月曜から夜ふかし説

こちらも喧嘩自慢説と同じく
テレビに出た=自分はメタバースの代表選手であると
勘違いしたから起こったと考える説である。

メタバースでテレビに出るのは容易である。
テレビに出たような有名イベントに常連になればいいし、
もっと言えば、動画配信や撮影がありますと告知されているイベントに
出席さえすれば常連でなくともテレビには映りこむことが出来てしまう。
もっと簡単にすれば、テレビに出たようなイベントをパクり
似たようなことをやればいい。

そうしてテレビで紹介された!(テレビで紹介のあのイベントと同じ!)
と喧伝すれば容易に肩書きになってしまう。

このようなテレビに出れたから自分が面白いと勘違いするような
素人インタビュー現象を月曜日から夜ふかし説と名付ける。
月曜日から夜ふかしのフォーマットという番組側が上手いのであって
決して素人だけの功績ではない。

自分の力量(特に面白さ)を見誤ることで
自分らメタバース先住民はいつも面白く
テレビで取り上げられる面白いことをしていると
勘違いしていることを発端に選民思想と繋がったのではないかと考える。

「テレビ出ました!」も多いわ。
喧嘩自慢と同じ感じで、テレビに出た○○さんと友達で~になると
余計たちが悪いよな。
そもそも、あれテレビの取り上げ方が面白いんで、
全部が全部自分じゃないから。
「テレビに出るくらい面白いことしてる俺ら」が選民思想を育てちゃった
っていう側面はあると思うんだよね。

月曜日から夜更かし起源説

仮説③ フォローないし登録の数、          Visitの数が出やすいから=数値は力説

ほとんどのVRChat民はXなどの
SNSアカウントを持っているという前提に注目したい。

けれどもインプレッション稼ぎに邁進する現状と
紐ビキニおはようツイートを見て
いいねされることを影響力と呼べるのだろうか。

こうした(よくある)努力の末、フォロワーといいね数の増加と
自分自身の実力を勘違いすることが数値は力説である。
これはワールドの訪れた数が
明確にビジット数として出ることも同義だ。

ジャパンシュラインというワールド名に騙された
経験が多いVRChat民においては
「初心者パーティ」やら「JAPAN 大集会所」
「紐ビキニアバター展覧会場」
とワールドを名付けて、ミラーの一つでも
置いておけば、ある程度人は来るだろう。

こうした数値の見える化と、数値のあげやすさ
の抜け道がひしめいているという背景を忘れ
自己の影響力を見誤るから
選民思想が生まれやすいのではないかと考える

まず数値が多い=インフルエンサーとするのは
いささか私は疑問である。
これは私の矜持ではあるが、
いかにフォロワーが多くとも実体が届かなくば
影響力はないに等しい。

Syamuゲームのフォロワー数は多いが
彼には影響力があるインフルエンサーと言えるだろうか?

何かの活動を行う一つの指標に数値を前に持っていきやすいことが
あぐらをかきやすい環境要因なのではないだろうか。

「おはつい」ってなんすか。それやってフォロワー増えたとか
いいね増えたとかキショイわ。センス伴ってねえし。
そういう抜け道だらけなのに、自分のセンスは人気感だすなよ。
ワールドの名前付けも結構すごい狙いに行ってるのあるよね。

Syamuゲームとかネットのオモチャなのに影響力あるっていえんの?
言えるんやったら紐ビキニ来ておはよ~~とか言ってろよ、
おれ、そういう奴らネットのオモチャとかしか思わないから。

数値は力説

仮説④ 肩書きを名乗りやすいから     =肩書き容認説

これは肩書きやバイオグラフィーをXに書きやすい環境が
要因であると考える説である

他のゲームとは違い、何かを行う同人誌的活動が
容認されやすいのがVRChat村の特徴である。
これは暗黙知ではあるが、クリエイター(と自称する)の活動に対して
肯定的な態度が多いことは、世間一般での作ること
その行為自体への無関心さとは、かけ離れると思う。

例えば職場や同窓会の席で「オレ〇〇作ってるんだ」という時と
VRCで「オレ〇〇作ってるんだ」という温度感の差を想像してみてほしい。

そうしたクリエイターにとって、かなり過ごしやすい環境であることを忘れ
かつ、何者かにならなければならない焦燥の暴走が
肩書きの過大な増加を産む

その結果、自分がクリエイターの卵だの勘違いし
現実での自分の本当の現実の力量を忘れていくのが
この肩書き容認説明である。

ここまで「〇〇する人」やら「〇〇集会代表」の「自己紹介固定ツイート」が多い界隈は、自分磨きビジネスマン界隈かホスト界隈ではないだろうか

「自分○○作ってます~!」の温度感って現実より大分温かいよね。
それ親戚の集まりでも同じ温度感で受け入れられるのかしら。
そういうのを忘れたビニールハウス育ちのクリエイターで固まるから
「俺らクリエイターすごい」が生まれるんじゃないかな。
それが余計に肩書き増やす要因になるんだと思うの。

そういう肩書き盛る界隈って、ホストクラブか自分磨き界隈だけだろ。
今度から、「はいぱ~めでぃあくりえいた~」とか「かんぶほさ」とか
書くように!

肩書き容認説

仮説⑤ コミュニティに所属しやすいから  =エリートコミュニティ説

ディスコードサーバーが乱立するVRchatにおいて
自分が大きなエリート集団に属していると間違えて起こる説である。

そして、自身のコミュニティの立ち位置はあまり戦力ではないのに
所属するだけでコミュニティの一員と勘違いするともとれる。
いわば、大企業の窓際社員が飲み屋で自慢するのと同じことである。

そして、サーバー加入のハードルは、かなり低いため
そうした名のあるコミュニティに入るハードルも大体低い。

ディスコードサーバーの人数は何人以上で「コミュニティ」と呼べるのか。
店舗系イベント、定期的な集会はどこからが「コミュニティ」かの線引きは誰も明確にしていない。

一方でコミュニティという聞きなれない言葉が
ここまで頻出するのは結構異常な界隈だと感じる。
補足だがGoogleで「コミュニティ」と検索すると
「コミュニティ怖い」とサジェストが表示された
一般社会のコミュニティの扱いを一度考えると良い。

コミュニティってなに?どこからコミュニティなのさ。
どこか大きなところに属してますって属することは偉いのかな。

コミュニティに対してはかなり変な文化だと思っていて
(肯定も否定もしてないけど)
一回、グーグルで「コミュニティ」って調べてみ?怖いぞ。
あんまり世間一般ではコミュニティに対しては冷たいよね。

やっぱり立場が上の何かに入っている自分みたいな、
自称進学校野球部ベンチ部員ムーブが乱立するから選民思想が
生まれたんじゃないかなあ。

エリートコミュニティ説

仮説⑥ 先人たちの知識をたどりやすいから =嫌儲起源説

嫌儲とはざっくり言えばインターネットの知識は
儲けるために使わられることを嫌うことである。

ウィキペディアなどが好例の文化であるが
こうしたネット特有の事象はVRChatでの無料ギミック配布などで見出せる。

そこに料金を発生させるか否かの議論は置いておいて
簡単に初心者が「プロっぽいことが出来る」環境こそが危険である。

Unityの無料アセットや、ブースのアセットを大量に積み込めば、
質の高いワールドが少ない労力で作れてしまう。

ほとんどネット知識(VRChatで拾った知識)でプロのような動きが
簡単に出来てしまうのが勘違いの原因なのではないかというのが
というのが嫌儲起源説である。

例えば私自身、テレビスタジオを作るためにカメラギミックを
制作してみたが、自身がギミック屋と名乗る気はない。
けれども私自身をよく知らない人物が、そのワールドに来れば
きっと私をギミックが組める人と勘違いするだろう。

この間違いはVRChatのギミックとモデルの多くが実質無料で
ネットに広く転がっているのが原因と考えている。

また無料配布の商品の多くが無料の理由はVRChatで使うと
銘打っているからだと考えている。

私自身VRChatのクリエイターがVRChat向けの商品を
VRChatだけで売るといった動きにも疑問を持っていて
そうしたガラパゴス的な発展は国内文化で完結してしまう。

せっかくその技能があるならばインディーゲームなどへ
売りこめた可能性があり、外の界隈への多くの輸出産業として
爆発の起点になった未来を私は想像してしまう。

なぜかVRChatって調べれば無料のアセット多いよね。
それ合体させただけでクリエイターって名乗れるってマジ?

まあ傍から見れば違いが分かんないから、それはそうなんだけど、
(実際に俺がカメラギミック作ったらギミック屋と思われるだろう)
やっぱりそれは自分でちゃんと自覚してないと厳しいよね。

で、そのギミックの話でいえばVRChat村の商品の無料の理由って
VRChat向けしてるから起きていることだと思う。
この中で出回るとガラパゴス的にしか自分らでしか発展しないのよ。
インディーゲーム向けとかの商品も作っていったら(フォートナとか)
ワンちゃん爆発を起こせたかもしれないのにね。

嫌儲起源説

(仮説募集中)

これだけで要因を全て書けたとは思ってないです。
思いついたら考えてください。
なんでおれらすげえっていうメタバース選民思想が生まれたわけ?

仮説募集中


最終仮説 自己批判が稚拙だから=メンヘラ説

これは全部VRChat民が総じてメンヘラとは言えないとは考えているが 
あえてメンヘラであることを最終仮説として挙げたい。

ここまでの論は筆者の私は、あったかもしれない未来の否定というべき
自己批判の運動をしているのだがこれはメンヘラ的な自傷行為の文では
ないと考えている。
あえて、ケースにこの文章自体がメタバース選民思想の現れであると
例に出したが、そういった自傷行為的な感触は無かったのではないだろうか
まず最初にこの文章自体がそうした自傷行為を辞め、自己批判をすることを
目指す目的があって書いたことを記したい。

その一方で稀に上がるVRChat文化への批判の大半が
特定の個人や団体に向けた告発文のお気持ち表明だけであることを見ると
ここは自己批判が下手な界隈なのだろうと考えざるを得ない。

そうした自分自身と周囲への生ぬるい優しさ、
自己批判の欠如が蔓延しているから
メタバース選民思想を助長しているのではないだろうか。

自分の努力できる部分に対しての自己反省をせず
のうのうと過ごし、果てはスタンミさんの投稿に逐一
張り付く乞食の姿を見るとまるで餌を待つ雛鳥のようであるとも感じる。

もしメタバースを世に広めたいと考えているのにも関わらず
現状の体制を享受するメンヘラ的姿勢を崩さず、ごっこ遊びを
続けるのであれば、永遠にメタバース選民思想が消えることは無いだろう

界隈でいうと有名な自分自身の反省文ってあるの?
批判!とか銘打たれた長文お気持ち表明しかねえじゃんか。

そういう反省しないで、有名配信者にタカるってもう赤ちゃんやん(笑)
「有名人とのコラボが急に振ってこないかなぁ」ってずっと待っとけ。

そういう待ちの姿勢を辞めないと(というか辞めさせないと)
まずメタバース選民思想は無くならないと思う。

メンヘラ説


総括 ごっこ遊び≠ホンモノの壁

我々のメタバース文化は所詮ごっこ遊びの延長でしかないのだろうか?

メタバース選民思想を振り返ると、自己催眠をかけたごっこ遊びである。
仲間ごっこやクリエイターごっこ、有名人ごっこ、美少女ごっこと
一概に括ってしまえば、全ての活動は無意味なごっこ遊びに思える。

現状の「メタバースで活動する」ことは
「ゴーグルを被ってごっこ遊びをしてる」ということである
という論に明確な反論が私自身には出せない。
ゴーグルを外せば、現実で自分と似た活動をする活動家は
星の数ほどいて、それもほとんど自分のスキルを上回る。

メタバースの人との出会いは本物という意見が出るのも予見するが
そこに一体何の意味があるのだろうか。
現実で人と知り合うことの方が情報の密度はあるのではないだろうか。
勝手に仮想空間の出会いを美化し価値のあるもので、
現実の出会いよりも素晴らしいとと捏造する意味を私は問いたい。

私はそうした楽観的主義、というメタバース選民思想という
ごっこ遊びの理論が、真の意味での無意味になる地点、
現実のプロたちがメタバースに大量に移住を始め
先人たちの歴史が無かったことになること を恐れている。

ごっこ遊びだって言われたら言い返せないよね。
どうせ出会いや体験は本物!とかいうやつ多いけど
勝手に思い出補正していくのももうしんどいと思うんだよね。
厳しい話、現実の出会いよりは下でしょ、上ではないと思うよ。

もう夢見てる時間は終わったんだよ。
このまま、ごっこ遊びしてたら、現実からプロが来てボコボコにやられる。
アイドルとか来てみ?有名ゲームエンジニアとか、アーティストが来てみ?
どれくらい生き残れるのかな。

もしそうなったら、たぶん今までの活動が本当に無意味なると思う。
おれはそうやって歴史が蹂躙されていくのが一番怖い。

ごっこ遊び≠ホンモノの壁



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†卍XxたべかけのはるさめxX卍†
自分の言葉で思ったことを伝えようと思ったのはいい事だと思う。

選民思想が云々は1部納得出来る点はあるが、今ひとつしっくり来なかった事を書き連ねていく。
長文になるため複数コメントを残してしまうことにはご容赦頂きたい。

このnoteで取り上げられている一部の選民思想の持ち主(私は虎の威を借る狐やコバンザメと呼称している)がノイジーマイノリティである可能性があり(私は確定事項であると認識している)、所謂間接的なスタンミによる売名行為を好ましく思わない人間が声を上げていないだけで多数存在しているのでは無いかと思う。

そもそも論として、メタバースを世界に広めたい!と考えている人間など特定企業やごく一部の活動家くらいなもので、所謂本文でのメタバースを広めたい!と行動している人の殆どが現実での交友関係内での勧誘に過ぎないのではという点に留意すべきでは無いか。

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また、本文で特に強調されている(おそらく本文筆者が常々思っていることだろうが)要約すれば「仮想世界の外に出ればお前達は無能力者であり、非現実の肩書きに縋っている異常者でしかない」という思想も、現実主義の選民思想の一つであると私は愚考する。

あえて本文を引用して言い換えてみるならば、「ごっこ遊びに本気になっている場合でなく現実に目を向けるべき」(あるいは広い外の世界に視野を広げ、そこで活動をするべき)
という文章だと読み取れる

しっくり来なかったのはおそらくここが原因で、noteの前半から後半にかけて有名ストリーマーの腰巾着である無名の有名人(コバンザメ)に対する冷笑や批判のはずが、VRchatの世界でクリエイターとして活動している人間への問題提起へと主語がすり変わっているためである。
†卍XxたべかけのはるさめxX卍†
主語が一貫しておらず、また一般向けにメタバースを広めたい活動家への問題提起とコバンザメへの批判、メタバース内でのクリエイターやイベントキャスト(VRchat内での催しの主催あるいは提供コミュニティの参加者の事。)に対する自己批判による自己の見つめ直しの要求は分けて考えるべきであり、noteを分ける事が必要だったのではと考える。

また、最初のコメントに記述したようにそもそもメタバース外での活動を視野に入れていない(趣味の範囲で行いたい)存在の否定はしてはならない(そのような意図はないとは思うが、そう捉えられてもおかしくない書き方をしている)ので、そういった意味でも主語が大きすぎると言える。

全てに正しく目を通せた訳では無いと思うが(私はどちらかと言えば本文には否定的なスタンスで閲覧しているため、筆者の意図とは読み方や、前提知識が異なるため。)私からの視点では筆者の主観的な意見によるVRchatの一部分のみに着目したnoteでしかなく、VRchatを楽しんでいる私としては、
「穿った視点で客観的に物事を見れている俺どう?」
をしているようにしか見えない。
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最たる例として、コミュニティ内で収まらずクリエイターの成果物を輸出していた未来を想像してやまない、という文章から読み取るに、作家やクリエイト職が、ものを販売したいだけの人であり一個人としての感情が度外視されているようにしか見えないのである。

最後にはなるが、筆者が文末に記述した
「ごっこ遊びは本物の体験には勝てない」
という考えには現実主義である筆者の思想が多く反映されており、客観的な視点ではないと考える。
詳細に記述すると長くなるため割愛するが、金銭の発生しない接客としての交流は現実では起こり得ず、キャストは本当の意味で客を"楽しませたい"気持ちなどは現実よりも間違いなく大きいはずである。
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「メタバース選民思想」とは何か|りくお/ITeCo
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