真柄十郎左衛門 実は2人いた 大太刀を振るう朝倉家の武将
2022年3月8日 05時00分 (3月8日 09時56分更新)
朝倉義景に仕えた戦国時代の武将で、大太刀を振るったと伝わる真柄十郎左衛門(まがらじゅうろうさえもん)は、実は二人の人物を指していた−。県立歴史博物館が新たに発見した資料から、これまで謎に包まれていた真柄十郎左衛門と真柄一族の全体像が明らかになった。 (水野志保)
十郎左衛門は身長が約二メートルもあり、約三メートルの大太刀を振り回した豪傑。名は直隆で、浅井・朝倉の連合軍と織田・徳川の連合軍が激突した姉川合戦で匂坂(さぎさか)式部に討ち取られたとされてきた。直隆が活躍した当時に書かれた資料がなく、実態は不明だった。
新資料は「真柄氏家記覚書(まがらしかきおぼえがき)」で、直隆の曽祖父・家次から、合戦後に医家の田代家を相続した田代養仙までの約百七十年間の事績と系譜が記された古文書。養仙の子・養山が匂坂式部本人や朝倉旧臣から聞き取り、十七世紀に作成した。
この覚書から、十郎左衛門は直隆の父・家正がもともと称していた名で、姉川合戦時は直隆に譲っていたと判明。二人とも合戦で討ち死にしたが、匂坂に討ち取られたのは直隆ではなく、家正だった。
また、大太刀を振るっていたのは直隆に限らず、真柄一族が大太刀使いの家系だったことも明らかに。直隆の祖父・家宗が、先陣で大太刀を振るう「野太刀ノ兵法」を創始し、一族で相伝したことも覚書に記されていた。
同館は昨年二月、この覚書を含む田代家文書約九十点を京都市の古書店で購入。覚書に記された内容が、断片的に知られる真柄氏の資料と符合していることから「信頼性はかなり高い」とみている。
学芸員の大河内勇介さんは「家正と直隆の事績が一体化して、真柄十郎左衛門という一人の人物として伝承された」と説明。織田信長の一代記である「信長記」で家正と直隆を区別せずに真柄十郎左衛門と書かれていたため、後の軍記物で二人を混同して十郎左衛門のイメージが形成されたとみている。
十郎左衛門が使ったとされる大太刀が熱田神宮(名古屋市)や白山比●(●は口の横に羊)(しらやまひめ)神社(石川県白山市)など各地に点在することは「兵法を相伝し、一族の多くが大太刀を使っていたので、各地に何本も現存していても不自然ではない」とした。
同館は十二日〜五月十日に新収館蔵品展を開催し、覚書を含む新資料六点を初公開する。大太刀の模型も展示される。観覧料は百円。高校生以下と七十歳以上は無料。
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