地図と位置情報
こんなデータ、AIエンジニアも絶望するしかなかった!? 「チーム安野」は都内1万4000カ所の都知事選ポスター掲示板をどう攻略していったのか?
2024年8月21日 06:00
7月7日に投開票が行われた東京都知事選挙に立候補したAIエンジニアの安野貴博氏を支えた「チーム安野」は、今回の選挙戦でどのような取り組みを行ったのか? どのような地図・位置情報テクノロジーを活用したのか? 7月19日にオンラインで開催されたイベント「mapbox/OpenStreetMap meetup #16」で、同チームが「東京都知事選挙2024 安野たかひろ選挙掲示板マップがつくった未来」と題して講演した。
[目次]
mapbox/OpenStreetMap meetupは、地図サービスや地図コンテンツの開発プラットフォームを提供するMapboxと、フリーでオープンな地理空間情報を市民の手で作るプロジェクト「OpenStreetMap(OSM)」のコミュニティとの交流イベント。Mapboxアンバサダーを務める青山学院大学の古橋研究室が、Mapboxの日本法人であるマップボックス・ジャパン合同会社とNPO法人CrisisMappers Japan(災害ドローン救援隊DRONEBIRD/JapanFlyingLabs)、OSGeo.JP、OpenStreetMap Foundation Japan(OSMFJ)の協力により開催している。16回目となる今回は「地図を制するものは選挙も制する!?」と題して、選挙戦における地図の役割と可能性についてさまざまな意見交換が行われた。
都内に1万4000カ所もある選挙掲示板、ポスター貼付100%達成を支えたのは……
登壇したのは、ウェブエンジニアの小林修平氏、京都在住の大学院生である植田陽氏、ボランティアメンバーの中村優太氏。小林氏と安野氏は20年前からのエンジニア友達。選挙期間中は選挙カーの運転をメインに担当し、54カ所の安野氏の街宣に全て同行した。ほかにもチーム安野は総勢100人ほど集まり、年齢層は安野氏と同じ30代を中心に、下は20歳から上は40代後半までという構成となった。
今回、チーム安野が行った選挙活動で話題を集めたことの1つとして、都内1万4232カ所に上る選挙掲示板の位置情報と、ポスターの貼り付け状態を可視化したデジタル地図「選挙ポスターマップ」を作成したことが挙げられる。このマップは誰もが見られるように一般公開され、この情報をもとにボランティアスタッフが全ての掲示板へのポスター貼付を100%達成した。
チーム安野は選挙活動を展開するにあたって、安野氏の知名度向上のためポスター掲示は必要であると判断したが、業者に貼付委託すると1000万円以上必要となるので難しく、政党無所属という状況下で現実的にどこまで貼れるのか分からなかった。また、ポスター用のユポタック紙は紙代も高く、防水加工に加えてシールも貼るためコストが高いことも課題となった。
最初はポスターをチームだけで貼ろうとして、少人数で効率良く貼るためにGoogleマップの最短経路を探索できるAPIを試したが、約1万4000カ所でこの作業を行うのは難しい。場所を絞って主要駅前と投票所前だけ貼ることも考えたが、通りを歩く人にアピールする効果を考えると、高齢者が多い地域や過疎地域など、オンラインにアクセスしづらい地域こそポスターを貼る必要があると考えた。そこでポスター貼りのボランティアを募集したところ、有志が500人以上も集まり、個人献金も集まったため印刷費の課題も解決したという。「チーム安野のポスター貼りは、技術の下支えがありつつ、何よりもたくさんのボランティアの方がいたことによって成り立っていました」と小林氏は語った。
「絶望の袋」の紙資料をGPT-4oなどでデジタル化、Ingressのようにポスター貼付作業をゲーミフィケーション
実際のポスター貼りは、選挙管理委員会から、掲示板の位置が書かれた紙の束で渡されて、その束の厚さは約10cmにもなった。チーム安野では、全くデジタル化されていないこの紙束の袋を「絶望の袋」と呼んでいたという。しかも、それらの紙に記載される掲示板の位置は、市区町村ごとに異なるフォーマットで記載されており、正確な位置座標も記載されていない。また、「市役所の北と南に1カ所ずつ」など、同じ住所に掲示板が複数あるケースや、掲示板を設置する位置が実際とはずれている場合もあった。掲示板の位置の変更は市区町村によってあとから紙で通知されたり、特に通知がなかったりとまちまちだったため、これらの情報を整理するのも大変だった。
今回はボランティアが何人集まるか事前に分からず、ポスターを何枚印刷すればいいのかも不明瞭であったことに加えて、ポスターを貼る担当者をエリアごとに割り振る時間もなく、それぞれ貼ってもらうのも味気なかったため、チーム安野では、このポスター貼付作業をなんとかデジタル化できないかと考えた。まず、絶望の袋に入っている紙を全てスキャナーで取り込み、GPT-4oによるOCRで文字起こししたうえで、掲示板の番号と住所をCSVに出力した。さらに、Google Geocoding APIを使って住所を緯度・経度に変換。それをもとにGoogleマップにピンを追加し、手動で位置座標を修正した。
開発にあたっては「ポスターがどこに貼られたのかを把握したい」「たくさん貼ってもらいたい」「どうせなら楽しんで参加してほしい」といった要望を反映させるため、Ingressのようなゲーミフィケーションを採り入れることにより、みんなで協力しながら貼った場所の色を変えていくことで“地図を染める”楽しさを感じてもらえるようにした。
選挙ポスターマップの最初のバージョンはGoogleマイマップで作成された。作業の流れとしては、ボランティアスタッフがGoogleマップでポスターが貼られていない場所へ移動してポスターを貼り、LINEで市区町村名と看板番号を報告し、その報告をもとにチーム安野のスタッフがGoogleマップの色を手動で更新するというものだった。小林氏は、この最初のバージョンの良かった点として、都知事選の公示日までに地図を用意できたことや、大きなトラブルなく貼付作業を開始できたこと、地図の色が変わっていくことに感動を味わえたこと、「楽しい!」という反応が多く寄せられたこと、追加でポスターを受け取りたい人が続出したことなどを挙げた。
JavaScriptライブラリ「Leaflet」を使った新マップを開発、区市町村別ヒートマップや完了率パネルを追加
一方、想定を大きく超える速度での貼付報告がLINEで寄せられ、GoogleマイマップはAPIがなく反映が手作業となるため、ボランティアスタッフの負担が大きくなった。また、深夜早朝の貼付報告が意外と多く、更新する人が常駐できず、どこまで地図に反映したのかを管理するのが大変で貼付報告の見落としが発生したほか、掲示板の位置情報にも大量の変更が発生するなど、新たな課題も発生した。これらの課題を解決するため、GoogleマイマップからKMLファイルをダウンロードし、Pythonを使って位置情報を更新しようと考えたが、今度はピンの数が多すぎて一括インポートが失敗するという事態が発生した。
そこで検討されたのが、ウェブ上で地図を表示するためのオープンソースのJavaScriptライブラリ「Leaflet」を使った新たなマップへの移行だ。この開発を担当したのが、統計モデルを使った研究などに取り組んでいる博士後期課程の大学院生である植田氏。Googleマイマップからの移行にあたって目指したのは、以下の3点だった。
- 位置情報や状態、備考などのデータを一元的に管理することが可能で、非エンジニアでも簡単に変更できること
- 貼付報告をほぼリアルタイムで自動的にマップに反映できること
- 貼付現場でスマートフォンから快適に閲覧・操作を行えること
上記を理想として自前でのマップ開発に着手し、プロトタイプ自体は数時間で完成したという。そこからチームでシェアして旧マップからのデータ移行やテストを経て、プロトタイプ開発からわずか4日後の6月27日に新マップをリリースした。新マップの詳しい技術内容については、noteで記事が公開されている。なお、このシステムは選挙期間終了後にオープンソースプロジェクトとして公開する予定だ。
新マップに移行した当初は掲示板ごとのピンを可視化する機能のみで、当初はポスター貼付の完了とともにピンの色が変わるシンプルな仕組みだったが、区市町村別ヒートマップや完了率パネル、残り個数のカウントパネルなどを順次追加したほか、終盤はほぼ全域で完了率が99~100%となり、色の違いが判別しづらくなったため、ヒートマップの塗り色を変更するなどゲーミフィケーションとしての工夫を施した。
また、土地ごとに異なる地理事情があるため、ベースマップはOpenStreetMap、Googleマップ、地理院地図の3種類を切り替えられるようにするとともに、ポスター貼付の状態(未/完了/異常/要確認/異常対応中)ごとに表示のオン・オフを選択できるようにした。
植田氏は今後の展望として、選挙掲示板および投票所データの整備が重要であると考えており、「紙ではなく統一フォーマットのデータで公開されることにより、選挙スタッフの負担がかなり減るのではないか」と語った。掲示板の位置を住所だけでなく緯度・経度情報も公開するのは、すでに宇都宮市などで先行事例があるという。また、現状では掲示板に固有IDが割り振られていないため、掲示板の場所に変更があるとデータベースの反映が難しく、固有IDの導入も提案している。
泥臭い作業もしながらの選挙戦、「誰も取り残さない」という安野氏のメッセージのもと心をひとつに
最後にポスター貼付のボランティアスタッフとして参加した中村氏も発表した。中村氏は本業はAIの研究に取り組んでいるほか、パブリックアートが好きで街中にある彫刻などのアート作品の位置情報を集約したポータルサイトの運営にも関わっている。
ポスター貼付に最低限必要な持ち物は、チーム安野作成のマニュアルとポスター、およびスマートフォンのみで、身軽に取り組むことができた。ほかにボランティアが重視したのは周囲への配慮で、「安野氏の看板を背負っている」ことを意識し、とにかくマナーには気を付けたという。その結果、ポスター貼付中は住民からは多くの労いの言葉が寄せられた。基本的な流れは、地図上で貼られていないピンを探し、現地でポスターを貼ってLINEで報告すると、しばらくしてピンの色が変わるというもので、マップのバージョンアップにより更新スピードはどんどん速くなっていった。
ポスター貼付の作業はとても充実感があり、慣れると徒歩での移動の場合は1時間に5枚、自転車での移動の場合は1時間に10~15枚くらいのペースで貼ることができた。ただし、選挙期間中は猛暑で、ポスターの束は意外と重く手持ち枚数に制約があり、途中で手持ちがなくなって帰らざるを得ないこともあり、必ずしも効率的に進めることはできなかった。時にはボランティア同士での現地でのポスターの譲り合いや、運営スタッフによる現地での回収・再配布も行われた。また、掲示板の位置が遠くにあり、山間部では2枚貼るだけで片道90分ほどかかるケースもあった。
データには現れない面で苦労したケースとしては、東京都内は意外と坂が多く体力がきつかったことで、上り坂の回数を減らせるように計画する必要があり、このときに背景地図を地理院地図に切り替える機能が役に立ったという。
さらに、ようやく目的地にたどり着いても掲示板が付近に見当たらない場合もあり、実際は川や道路を隔てた別の場所のケースや、立体交差があるためたどり着くために数メートルずれただけで大回りしなければならないケースもあった。ほかにも、下道だと思ったら歩道橋の高台の上だったり、掲示板が見つかっても高所で手が届かなかったり、地下駐車場に掲示板があったりするケースも見られた。掲示板の位置情報データベースの修正作業についても、ボランティア有志が徹夜で行ったこともあったという。
ボランティア同士も積極的に協力し合った。貼る場所がお互いに被らないように、オープンチャットで各自が自主的に貼るエリアを宣言するようになり、次第に誰がどの辺りをよく回っているかが分かるようになっていった。終盤、貼付の完了率が95~99%くらいの時期では、誰がどこを貼るのかをオープンチャットで綿密に相談した。
このように、ボランティアスタッフにとってポスター貼りはかなり大変な作業だったが、安野氏の「誰も取り残さない」というメッセージのもとに心をひとつにして、手探りの中で良い方法を探しながら協力し合い、泥臭い作業もしながら選挙戦を戦い終えたという。
最後の1枚は伊豆諸島の新島にあり、ボランティアが竹芝からフェリーで直行した。最後の1枚を貼ったときはちょうど安野氏が都庁前で演説しており、電話で生中継し、これは公式Xに動画がある。これにより、ポスター貼付100%を達成した。
これからの選挙に求められるのはペーパー化ではなくデータ化、「チーム安野」の取り組みがヒントに
今回のイベントの司会を務めた青山学院大学の古橋大地教授は、このようなチーム安野の取り組みについて、「ポスター掲示板の位置データをダウンロードさせていただいて、掲示板の密度分布をヒートマップで表すと、人口が多いのに掲示板が少ないエリアが分かるなど、いろいろなヒントを得られました。発表をお聞きしたところ、この取り組みはまさに位置ゲー(位置情報ゲーム)ですね」と感想をコメント。
一方、チーム安野の発表に先立って登壇した東京大学大学院の西澤明氏(情報理工学系研究科)は、掲示板の位置データの整備により、掲示板の位置をPRすることで投票率アップやポスター掲示作業や貼り間違い管理の効率化、人流データなど他のデータとの組み合わせによる活用が期待できるとしており、選挙区や投票区・投票所・ポスター掲示板の位置、投票結果、開票結果など選挙関係データのベースレジストリ(さまざまなサービスの共通基盤として利活用できる基本データ)として整備することの必要性を訴えた。
「SlowNews」のプロデューサーを務める熊田安伸氏は、今回の都知事選について「非常にデータ化された選挙でした。これまでの選挙はできるだけペーパー化してデータ化しないのが原則と言われていましたが、全てのデータを公開したチーム安野は“選挙を変えた”と思います」と評価し、「これによって誰でも選挙に参加できる下地ができたのはものすごく大きなことで、今回はポスター貼りから入りましたが、この取り組みによっていろいろなヒントを得たと思うので、おそらくいろいろなことに広がっていくと思います」と語った。
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