「夜のネオンが輝く馬は、よく走り、よく勝った」。伝説の名馬を育て、笠松競馬の黄金時代を築いた鷲見昌勇元調教師の「ぶっちゃけトーク」2回目。お元気で記憶力も素晴らしい「オグリキャップ語り部」の生の声を伝えられればと、特集させてもらった。
オグリキャップを描いた漫画「ウマ娘シンデレラグレイ」の笠松競馬時代のトレーナーが北原穣さん。そのモデルの一人とみられるのが鷲見元調教師だ。地方・笠松から中央へと駆け上がって重賞を勝ちまくり、ラストランで伝説のオグリコールが鳴り響いた。そのストーリー性から「50年、100年に1頭」と呼ばれる永遠のアイドルホースとなった。これまで語られてこなかったオグリキャップの真実とは。直接調教した先生の熱い思いやエピソードも未来の競馬ファンへ語り継いでいきたい。
■笠松では「オグリ」でなく「キャップ」と呼ばれていた
馬どころ郡上・寒水競走馬の生産も手掛ける農家に生まれた鷲見さん。笠松競馬の騎手、調教師として39年間、強い馬づくりに情熱を注がれた。オグリキャップは中央入り後「オグリコール」に代表されるように「オグリ」と呼ばれることも多かったが、笠松時代には小栗孝一オーナーの持ち馬は全て「オグリ」の冠名が付いており、何十頭もいた。このため、笠松の関係者や熱心なファンからは「キャップ」と呼ばれていた。
■「売るなら2億円。中央でも簡単に働いて稼ぐから」
笠松時代のキャップは当然ダートで走っていたが、8戦目に中京・芝コースの1200メートル戦に挑んだ(1987年10月14日)。鷲見さんは「勝己を乗せて、芝は初めてだったが、どえらい時計で上がってきて勝った。ダートでも芝でも走るなあと」。このレースを見た中央の馬主資格を持つ佐橋五十雄オーナーが注目し、トレード話を持ちかけてきたという。「毎朝、調教が終わって朝飯を食べる頃に、佐橋さんがアメ車に乗って、うちばかりに来て『売れー、売れー』と言ってきた」とあきれていた鷲見さん。
「キャップは小栗さんの馬で、俺は預かっているだけ。俺の馬ではないが『売るなら2億円だよ』と言ってやった。オーナーに話をしなくても、その額なら持っていってもいいよと。中央に行ったら、簡単に働いてアッという間に稼ぐ馬だから、俺は2億しか絶対に嫌だと」。すると佐橋さんは「鷲見さん、そんなー。中央へ行ってスッと勝てるもんじゃない」と言ってきた。でも「勝つ。絶対に勝って上がっていく馬だと。小栗さんは中央の馬主資格はなかったが、キャップをひのき舞台に上げて走らせたかった」と当時の思いを明かしてくれた。
■「日本一の馬に」と中央トレードが成立
「小栗さんがいくらで話をしたか知らんが、キャップは佐橋オーナーに譲り渡された」という。所有馬は手放さない小栗さんだったが「東海だけでなく、日本一の馬に」という口説き文句に心がグラリ。トレードは2000万円で成立したとされており、キャップは栗東の瀬戸口勉厩舎に入った。
鷲見さんは「中央でも本当に勝てると思った。自信満々やった」と。地方出身馬のトレード金を2億円と見立てたことは「ビッグマウス」とも思える額だったが、その後のキャップの活躍には恐れ入った。鷲見さんらに鍛えられて、中央デビュー時には既に古馬の風格が漂い、同世代を子ども扱いにした。鷲見さんは「そうしたら中央で8億9000万円、よく働いて稼いだやろ」とにやり。笠松の調教師の見る目は確かで、有馬記念を2回制覇するなどGⅠを4勝。JRAの年度代表馬にも輝き、競馬ファンでなくても「オグリキャップ」の名を知っている人は多く、社会現象にもなる国民的アイドルホースになった。
■ローマン桜花賞Vで「小栗さんを中央の表彰台の上に乗せてやった」
中央デビュー戦では、阪神で重賞(ペガサスS、河内洋騎手)をいきなり勝った。キャップは天皇賞・秋にタマモクロスに敗れるまで重賞6連勝。鷲見さんは「中央でキャップが勝ちまくり、佐橋オーナーも瀬戸口調教師も台の上で表彰してもらってにこにこ顔やった。キャップがGⅠを勝っても(賞金やトロフィーは)中央の馬主のところへ持っていかれ、小栗さんがかわいそうやと思った。そこで『俺があの台の上に乗せてあげるわ』」と小栗さんに約束したのだ。中央の馬主にもなるよう勧めると、小栗さんは資格を取った。「そして、笠松から中央に移籍した妹のオグリローマンですぐに『台の上』に乗せてやったんや」と胸を張った。何と鷲見さんが育てたキャップの妹でGⅠ・桜花賞制覇をプレゼントしたのだった。
■春風亭小朝さんとのトークショーで「桜花賞勝ちますよ」
ローマンが中央入りする前年の12月、笠松競馬ファンへの感謝サービスとして無料招待の「春風亭小朝落語会」が岐阜市で開かれ、鷲見さんらとのトークショーもあった。キャップのエピソードが紹介されたほか、中央入りするキャップの妹について鷲見さんは「ローマンが桜花賞を勝つ、取りますよと言ったんや」。すると「そんなに簡単に取れるものものやない」と冗談だと思われたようだったが「いや取りますよ」と桜花賞制覇を宣言したのだ。
鷲見さんは、競走能力を見抜く「相馬眼」が優れており、調教師として愛馬の実力と調子をよく把握していたのだろう。それでもローマンはまだ笠松所属で、桜花賞出走の権利もない4カ月前のこと。随分と強気だった。オリンピックなどアマスポーツなら銅メダルでも喜び合うケースが多いが、競馬のようなプロスポーツでは、勝利しか評価されないし、2着では騎手も悔しいばかりだ。鷲見さんのように優勝を信じて、それに向かって仕上げるポジティブ思考は、競馬サークルでは大切な要素なのだろう。それにしても当時の笠松競馬は、落語会という粋なファンサービスを行っていたものだ。
■際どいゴールにも「よし、勝った」と1着を確信
94年4月、鷲見さんは阪神競馬場では小栗さん夫妻と馬主席の高い所から桜花賞を観戦。武豊騎手が騎乗したローマンは中団やや後ろからの競馬で「スタートしてあまり前に行かなかったが、4コーナーを回って一気に来た。よし、勝った」と差し切りVを確信したが、際どいゴールで写真判定になった。小栗さんらは勝ったか分からなかったそうだが、慌てて表彰式へ。鷲見さんは「小栗さんを台の上に乗せてやったよ」と鼻高々。GⅠ勝利という最高の形で約束を果たしたのだった。
■あご張りはいいし、やはり大食いキャラ
地方重賞をいっぱい勝った鷲見さんだが、東海ダービーはまだだった。「キャップで東海ダービーだけは取ってから、中央へ持っていってもらいたかった。簡単に取れないレースで、あれだけは欲しかったのが心残りで…。キャップは敵なしやったからなあ。でも中央へ行って勝ちまくったから良かった」
「キャップが笠松でデビューした頃、そんなに走る馬だと思ったのか、どうでした」と鷲見さんに直撃してみた。「そりゃ体形が違ったから、あご張りはいいし『トモ』の筋肉もグワーッとすごく良かった」。手にされた「オグリの里」の表紙のキャップの馬体(引退直後)を指しながら、その素晴らしさを説明していただけた。「あご張りがいい馬は、(飼い葉などの)食い込みがいい訳だ。(生まれた時に「外向」だった)右前脚だけは心配した」という。漫画「ウマ娘シンデレラグレイ」では大食いキャラで飼い葉食いがいい馬だが、骨格的にもそれを裏付ける元調教師の証言。成長期にガッツリ食べて、たくましい馬体で駆け回ったのだ。
■蹄鉄は笠松時代の装蹄師・三輪さんが打ちに行った
心配された脚元について「蹄鉄は紙一重で狂っちゃうからね。笠松では装蹄師の三輪勝さんに頼んで打ってもらっていた。キャップは中央に移籍したが、再デビューで蹄鉄が合わなかった。そこで佐橋オーナーが『三輪さんを連れていってやってくれ』と頼んでくれた」。三輪さんは特例で中央の免許を取って、滋賀・栗東まで鉄を打ちに行った。
レースがある日は東京でも京都でも駆けつけ、ほとんどの「勝負鉄」を打っていた。三輪さんの存在はキャップにとっても大きく、ラストランまで「笠松魂」が息づいた。キャップの中央での活躍を脚元から支えたのは笠松の装蹄師だった。鷲見さん宅には三輪さんが打ったキャップの蹄鉄が飾られている。
■笠松デビュー戦は青木達彦騎手が手綱
キャップの笠松デビュー戦は自厩舎の高橋一成騎手ではなく、青木達彦騎手が手綱を取ったのはなぜか。「高橋もいたが、青木は親しい鈴木良文調教師のところの弟子だったので頼んだ。レースでは4コーナーで(他馬に)ビューンと振り回されて2着だった。マーチトウショウには2回やられた。4戦目、高橋の時、今度はソエが痛かった。このくらいの痛さなら負けないと思って出走させたが…。負けたのはこの2回(クビ差)だけで、あとは勝った」。青木騎手も初戦は負けたが、3戦目では6馬身差で圧勝した。
高橋騎手はキャップ5戦目を勝った後、那須の学校(地方競馬教養センター)に講習を受けにいった。競馬の法規や「八百長をしたらあかんよ」といったことを学ぶもので、主戦が不在になった。このため8月末の秋風ジュニアから「今度は勝己を乗せた。相性も良かったので、それからはずっと勝己で勝ちっ放しになった」という。
■「勝己が乗ると馬は動いた。しっかりと追っつけてくれた」
キャップはアンカツさんが乗りだしてから、走りが良くなったのだろうか。鷲見さんは「馬は動いた。勝己が乗ると、他の馬も走ったからなあ。ちょっと走らん馬でも勝ったりして。勝己が騎乗した後に、うちの騎手が乗っても1~2回は動いたわ」。騎乗ぶりについては「やっぱり、しっかりと追っつけてくれた。乗っている時、兄の光彰よりも体は硬いように感じたが、本当によく追ったし、乗れたなあ」と18年連続、計19回もリーディングに輝いた笠松時代のアンカツ騎乗をたたえた。
■「外車に乗った感じで、最後の直線で一気に来る」
キャップの走りはどんな感じだったのか。「そりゃ、外車に乗ってるようなもんやわ。ヒャーッと低くなって地をはうような走りで伸びた。ゲートに入ってからも気楽に見ていられた。4コーナーまではケツでもよく、最後の直線になったら、一気に来た」。あまり後ろからだと心配になったのでは。「ならん、ならん。気持ちのいいくらい一気に差し切ったから、あの馬だけは心配にならなかった」。中央に移籍してからもその豪脚を発揮し、GⅠなど中央の重賞を12勝。スピードシンボリ、テイエムオペラオーと並ぶ重賞最多勝記録(中央限定)である。
鷲見さんは調教でキャップによく乗ったそうで「主に厩舎の高橋が騎乗していたが、自分も調教では結構乗ったよ。スピードがある馬は疲れない。気持ちがいいし、フワーッと行くからね。走らない馬は軽トラで、走る馬は外車に乗った感じだった。馬にまたいでみれば、走るか走らないかだいたい分かった。きょうだいの馬でも、これはあまり走らんと思う馬もいた」という。
キャップの母・ホワイトナルビーの子どもたちは大活躍。先生のところへ来て丈夫に走った。「ナルビーの子は、どんなタネを付けても走ったし勝った」と15頭も産んだ母馬に感謝。「笠松ではいい仕事をいろいろとやることができた。付き合いが良かった皆さんにかわいがってもらい、いい商売をさせてもらった」と仲間のホースマンたちにも感謝した。
■「ネオンが頭に入っているうちはいいわ」勝利への原動力
「勝負事では、ネオンが頭に入っているうちはいいわ」。鷲見さんが度々、口にしたのが「夜のネオン」の思い出。走る馬を見つけ出し、レースでどう使って勝たせるか。ネオンサインのきらめきは勝利への原動力にもなっていた。
北海道へ行って牧場を見て回っていても「きょうはどこそこの飲み屋へ行って、飲んで騒ごうかなあ」と思っていると、笠松で走りそうな馬がひらめいたそうだ。「テレパシーがピッとくるわけや。ネオンがカーッとして。そうやって見つけると、どの馬もよく走ったわ」と活躍した愛馬たちとネオン街での楽しいひとときがよみがってきた。馬を見てネオンがちらつき、グルグルと回る感じだったそうで「そういう時は、どの馬も当たった。キャップだけでなく、他の馬も買ってもらっていたから」と懐かしそうだ。
■「柳ケ瀬よりも札幌の方が安かった」
北海道へは毎月のように行き、日高地方を回って馬探し。ネオン街では「岐阜の柳ケ瀬よりも札幌の方が安かった。柳ケ瀬では飲みに行っても『はしご酒』はしなかった。酔ってどこにおるか分からんようになるんでね。厩舎で何かあった時に電話できるように、1軒に決めて飲んでいた」という。
「札幌のススキノは知らなかったが、ある名古屋のオーナーに連れていってもらった。きれいな街で大きな店ばかりで、つい『はしご酒』をやって酔っぱらった。「アレッ、泊まる宿はどこやったかなあと思い出せなく困った」。どうやら寝入ってしまったようで「朝、パッと起きたら、飲んだ店の子がそばにいた。宿に連れてきて寝かしてくれたのだ。日高へもマイカーで回ってくれたりもして、札幌は優しい子ばっかりやなあ」と楽しい思い出がレースのように頭をぐるぐる。いい馬をいっぱい見つけて笠松に連れ帰ることができたし、馬産地・北海道が大好きになった。65歳まで調教師を続け「落ちぶれてきて、ネオンはまあどうでもいいわとなって、引退した」という。
■88年の有馬記念でも「勝つなあと思った」
88年の有馬記念で、キャップに岡部幸雄騎手が騎乗した時には「これはきょう勝つなあと思ったら、やっぱり勝った。タマモクロスが2着だった。ネオンが頭で輝く時は、本当に走る馬がよく分かって、(馬を見る目も)さえていた。夜には飲みに行けるから、昼間からチカチカしていた」と振り返った。
キャップを育てた鷲見調教師の勝負勘は、ネオンの輝きと連動してスイッチが入っていたのだ。この馬が勝てば「柳ケ瀬でうまい酒が飲める」との思いが強かったのだろう。笠松でキャップが走っていた頃も、柳ケ瀬のネオンがチカチカしたそうだ。「負けることを知らなかったから。こんな面白い商売はないと思った」
■華麗なるオグリ一族、シンデレラストーリー
「見る馬、見る馬さえていたからなあ。北海道でもそうだし、笠松の厩舎へ来て育てる時も、どのレースを使うかもひらめいた」という。素晴らしい相馬眼で、笠松から中央に挑戦できるような若駒を探し出してきた。稲葉牧場に預けたホイワイトナルビーの子が大活躍。キャップとローマンは、中山や阪神で勝ってGⅠホースになった。笠松出身の兄妹は、中央の晴れ舞台で最高の結果を残した。華麗なるオグリ一族をデビューから育てた聖地・笠松競馬場。「ウマ娘シンデレラグレイ」の続編があるとしたら、桜花賞を制覇した妹ローマンのシンデレラストーリーだろう。(次回に続く)
※「オグリの里 聖地編」好評発売中、ふるさと納税・返礼品に
「オグリの里 笠松競馬場から愛を込めて 1 聖地編」が好評発売中。ウマ娘シンデレラグレイ賞でのファンの熱狂ぶりやオグリキャップ、ラブミーチャンが生まれた牧場も登場。笠松競馬の光と影にスポットを当て、オグリキャップがデビューした聖地の歴史と魅了が詰まった1冊。林秀行著、A5判カラー、200ページ、1300円。岐阜新聞社発行。岐阜新聞情報センター出版室をはじめ岐阜市などの書店、笠松競馬場内・丸金食堂、名鉄笠松駅構内・ふらっと笠松、ホース・ファクトリーやアマゾンなどネットショップで発売。岐阜県笠松町のふるさと納税・返礼品にも加わった。