自分の運を試してみよう。
諸事情が爆発して、東京で家のない生活を送っている。お金もないから、あるものや貰ったもので食い繋ぎ、何もない時は塩を舐める。海水をひたすら天日干ししただけの、天然の塩だ。塩を舐めると、血になる感覚がある。この塩も貰った。どれだけ空腹でも、塩を舐めると一旦落ち着く。頭が「空腹」と言っているだけで、体は全然大丈夫なのかもしれない。嫌なことがあったり、暇だったり、さみしくなると、食で満たそうとしてラーメンを食べたくなる。これを「暇食い」「さみしい食い」と呼んでいる。
不思議なもので、必要なものは必要なタイミングで与えられる。それを待てずに「えーい、ラーメンを食べちゃえ!」と思ってラーメンを食べると、体が重くなり、不幸になる。勇気を出してラーメンを我慢すると、不思議なタイミングで「一緒にごはん食べませんか?」みたいな連絡が届く。それを信じて待つ。待つことができないと自爆する。今日は何回も塩を舐めた。寝る場所も決まっていないが、弱気になったり諦めたり自暴自棄になると、運気は下がる。家のない生活は大変だが、運試しをするには絶好の機会にもなる。毎朝、からっぽなまま目覚める。今日は何をしようかなと思って始まり、まさかこんな一日になるとはと驚きながら眠る。
お金がないからパソコンを売った。パソコンを売るだなんて思ってもみなかった。現代人にとってパソコンは必須アイテムである。だが、それを手放したらどうなるのだろうと思ったら、止めることができなかった。大事なデータも全部捨てた。カバンが異様に軽くなった。これらの記事は全部スマホで書いている。大体、一記事に一時間かかる。早い時は三十分で終わる。日本で生きていると、道具がないと何もできない人間になる。その感覚が嫌で、道具を捨てたのかもしれない。家のない生活は、道具を一つずつ捨てる作業に似ている。道具は「鎧」と言い換えることもできる。見栄や肩書などの鎧、言葉の鎧、年齢の鎧などが日に日に薄くなる。
家なし生活の一番辛いところは、横になれないことだ。カフェや図書館に行けば椅子に座れるが、都会で横になれる場所を探すのは難しい。慢性的に疲れていて睡眠不足でボロボロだが、このボロボロがいいんだよなと思ったりする。家があると、家があることが当たり前になり、屋根や壁や布団や水道に感謝することも減る。だが、一回家を失うと「トイレを無料で使えるなんて感謝!」とか「クーラーがあるだけで奇跡!」とか、幸せのハードルが一気にさがる。昨夜は温泉に呼ばれた。世田谷に温泉があるなんて知らなかった。みんな気持ちよさそうに風呂に入っていた。私は「俺が一番気持ちいい」と思った。こんなところで張り合っても仕方がないのだけれど、ずっと風呂に入っていなかった俺こそが、一番幸せを感じていると思った。
野良人間の日々が続くと「誰か俺に優しくしてください」と思う部分と「何処でも生きてやるぜ」的な気概が交錯して、変な気持ちになる。日没と同時に心細くなって「俺は今夜は何処で眠るのだろう」となる。だが、まだ、焦る時間ではない。私は、首の皮一枚で繋がっている。神様は、必ず、首の皮一枚を与える。二枚も三枚も与えない。だが、一枚は必ず与える。それを信じて待つことができるか、待ち切れないで自爆をするか。今夜も、丹力を問われている。野良人間は飼い慣らされることを拒む。人間に甘えたいのだが、飼われそうになった瞬間に逃げる。私には、そういう面倒臭い部分がある。だが、それは、あなたの中にもあるのではないでしょうかと問いたい。誰かに飼われたいと思いながら、本当は、誰にも飼われたくないと思っている部分が、あるのではないのかと思う。旅が好きな人は、きっと、旅をすることで運試しをしているのだと思う。旅人になることで、一匹の動物に、野良の人間に戻るのだと思う。老若男女の垣根を超えて、一匹の動物として、出会う人々と交流を交わしていきたいと思う。
おおまかな予定
8月24日(土)東京都豊島区界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
バッチ来い人類!うおおおおお〜!
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