「イスラム教徒、やめました」礼拝を欠かさなかった30代イラン人男性が心変わり!その根深い事情とは
イランは政教一致の国と言われている。1970年代末にイラン=イスラム革命が起き、イスラム法学者が政治を導く国となったからだ。もちろん国民はみなムスリム(イスラム教徒)ということになっている。しかし現実のイランは政治も経済も混乱が続いている。アメリカの経済制裁により原油の輸出ができなくなり、経済は低迷し、国民は貧しくなった。このような状況下でも、本当に国民はイスラムによる政治を信じ、敬虔なムスリムとして生きているのだろうか?答えはNO。実際には宗教が弱体化し、若者のイスラム離れが進んでいるという。「イスラムは絶対」と思えなくなっている、イランの悩める若者たちの生の声とは……。(イラン在住日本人 若宮總) 【この記事の画像を見る】 ※本稿は、若宮總氏『イランの地下世界』(角川新書)の一部を抜粋・編集したものです。 ● 「大事なのは人間性であって、宗教ではない」と考える若者たち 今回は「宗教の弱体化」、つまりイランでイスラムが求心力を失いつつある現状について見てみよう。 私の肌感覚では、10年くらい前までは、ほとんどのイラン人がムスリムとしてのアイデンティティを、多かれ少なかれ持っていたように思う。もちろん今でもそうした人たちは一定数いるものの、近年、とくに目立つのは、イスラムを世界に数多ある宗教の一つとして相対的にとらえようとする若者たちの存在だ。 イスラムでは、ムスリムの子は生まれながらにしてムスリムであり、棄教が明るみに出れば文字どおり死罪とされるため、簡単にムスリムをやめることはできない。 だが、若い世代に共通するのは、「自分はたまたまムスリムに生まれただけだ。大事なのは人間性であって、宗教ではない」という考え方である。そんな彼らにとって、イスラムはもはや自己のアイデンティティではなくなっている。
● イランを出て、英国に留学して信念が揺らいだ さらに、私の友人たちのなかには、「自分はもうムスリムをやめた」とこっそり打ち明けてくれた人も少なくない。 30代のタハ君(仮名)は、そんな友人の一人である。大学生のころまで、彼はかなりストイックなムスリムだった。礼拝や断食を欠かすことはなく、一滴の酒も飲んだことはなかった。そして、神の言葉であるコーランこそが、人や社会、そして国家を正しく導く指針であると信じて疑わなかった。 その信念が大きく揺らぐことになったのは、大学卒業後、英国へ語学留学したときだったという。 初めて非イスラムの国を目の当たりにしたタハ君は衝撃を受ける。町では治安と秩序がイランよりもはるかによく保たれていた。何よりも驚いたのは、そこに暮らす人々の民度の高さだった。英国人は、ムスリムであるイラン人よりもずっと誠実で、信頼でき、そして勤勉だったとタハ君は言う。 社会の隅々までイスラム化することを目指しながらも停滞するイランと、イスラムはもちろん、一切の宗教に頼ることなく繁栄を謳歌する英国──。 「イスラムは、何か間違っているんじゃないか」。そう自問せざるをえなかったタハ君は、現地でキリスト教会の門を叩いたこともあったが、結局、それにもなじむことができぬまま留学の期間を終え、帰国の途につく。 ● 「コーランは神の言葉にあらず」~イスラムを棄てる若者たち イスラムに対する彼の漠然とした疑念はしかし、のちにテヘランで一人の女性と恋に落ちたことで確信へと変わっていく。 コーランでは、女性の価値は男性の半分と明確に規定されており、男性に従わない女性は殴ってもよいとする記述すらある。だが、タハ君の彼女は、彼自身が恐れ入るほど聡明で忍耐力があり、自分の半分どころか、その何倍もの価値があるように思えたという。 「コーランは神の言葉じゃない。そのときそう確信したんだ。もし、それが神の言葉なら、現代にも通用する真理を語っていなければならないだろう? 現代は男女平等で、男性よりも優れた女性だってたくさんいるのに、コーランでは一貫して男尊女卑が説かれている。それはこの本が、未来を予見できなかった昔の人間の手によって書かれたものであることの、何よりの証拠だと思うんだ」 なるほど。でも、はっきり言って、それってムスリムでない日本人なら最初からうすうす感じていることなんだよなあ。 私が率直にそう言うと、彼は大きな目をぱちくりさせていた。