2000年代の純文学論争のタイトルを眺めるだけでも、「賑やかだなあ」という感想を抱く。 それはまあ、豊崎由美とかそういう時代を経験した人たちは、「文芸誌で議論させればいい、判断するのは読者だ」みたいなマインドになるんだろうな。でも今はもうそういう時代じゃないし、オンラインオフライン含めメディアが乱立する今、文芸誌で論争したところで、一体誰が読むのか。議論を追える人がどれくらいいるのか。 出版社に、論争の原稿を掲載する紙面と、その原稿に原稿料を支払う資力はないだろう。むしろ論争になるのを嫌うから、新聞も雑誌もかなり表現を柔らかにしようという自主規制に走っている。私の新刊『言霊の幸う国で』が出しづらかったのもそういう事情が背景にある。