「180度変わってしまった」福島第一原発 処理水放出 現場の1年

東京電力福島第一原子力発電所にたまる処理水の海への放出が始まってから、8月24日で1年になります。
中国による日本産の水産物の輸入停止措置が継続している影響で、漁業や水産業では厳しい状況が続いています。模索を続ける各地の現場です。

漁業者「常に神経を使っている1年だった」

処理水の放出に一貫して反対してきた福島県相馬市の漁業者はこの1年を「心配の種は消えず常に神経を使っている状態だった」と振り返りました。

相馬市の底引き網漁の漁船の船主、高橋通さん(69)は50年余り続けた漁を4年前に引退し、あとを継いだ40代の息子を支えています。

高橋さんは処理水の放出に伴って新たな風評被害が起きる恐れを懸念し、一貫して放出に反対してきました。

高橋通さん
「漁業者は泣く泣く放出を受け入れましたが、その後は海産物の検査などで、もし魚がとれなくなるような数値が出たらどうしようかと心配の種は消えず常に神経を使っている状態でした」

底引き網漁の漁業者は、原発事故が起きる前には近隣の県の沖合まで広い範囲で操業していましたが、今は漁場は福島沖と、宮城沖の一部に限られています。

所属する漁協の水揚げ量は事故前のおよそ4分の1にとどまるなど漁業の復興は道半ばで、高橋さんは30年から40年続く放出が今後も無事に行われることを願っています。

高橋通さん
「処理水の影響がないようにしてくださいと何百回も言っている。自分が生きている間に事故前の状態とまではいかなくても8割くらいまで水揚げ量を戻して、なんとか次の世代の人たちが生活できるような道筋を作っていきたいと思います」

「福島の漁業 将来につなげたい」

福島県の若手の漁業者は、原発でトラブルが相次いでいることへの懸念を抱きつつも「福島の漁業を将来につなげていくためにも、おいしい魚を届けられるよう頑張らないといけない」と思いを語りました。

相馬市の石橋正裕さん(45)は、早朝から漁に出て、とったばかりのタチウオやアジなどの魚を水揚げしています。

石橋さんが懸念しているのは福島第一原発で相次ぐトラブルです。

去年秋以降、作業員が放射性物質を含む廃液を浴びたり、電源ケーブルを誤って損傷し処理水の放出設備など一部の施設で電気の供給が停止したりするトラブルが相次ぎました。

石橋正裕さん
「廃炉がうまく進んでいないのではと思ってしまう。原発に不安を抱えながら操業しているという点では事故のあとから続く心境と何も変わりません」

一方、福島の漁業を応援しようと海産物を積極的に購入する消費者と接した若い漁業者たちが福島の魚の魅力をPRしていくことの重要性を再認識したといい、石橋さんらは、福島の沿岸で水揚げが急増している「トラフグ」のブランド化や、地元の水産物の安全性を伝えるイベントの開催などに力を入れてきました。

石橋正裕さん
「福島の魚を広く知ってもらうチャンスととらえていて、若い漁業者のモチベーションの向上にもつながっている。福島の漁業を将来につなげていくためにもおいしい魚を届けられるよう頑張らないといけない」

「常磐もの」“応援買い”追い風に

福島県いわき市で鮮魚店などを展開する会社は、処理水の放出が始まってからこの1年で放出に伴う影響はほとんど感じていないとし「引き続き福島の魚のおいしさを発信していきたい」と思いを語りました。

福島県産の海産物、いわゆる「常磐もの」を中心に鮮魚店や食堂を展開するいわき市の会社は、処理水の放出が始まってから、福島の漁業に対するいわゆる「応援買い」が広まったことを追い風にして、海産物の魅力が消費者により伝わるよう店舗を全面改装したほか、調理方法を従業員に聞けるよう対面型の販売コーナーを設けるなどしました。

鮮魚店を訪れていた客は「常磐ものはおいしいので大好きです。処理水の放出は、安全に問題ないと思うので気にしていません」と話していました。

取締役 小野崎雄一さん
「当初は応援する機運が高まって福島の魚が求められていたが、最近は消費者の意識も変わり単純においしいから求められるようになっている。福島の魚を売る店として社会的な使命も感じているので、われわれが先頭に立って引き続き常磐もののおいしさを発信していきたい」

水産事業者「国内向けも海外向けも180度変わった」

処理水の放出が始まって以降、中国や香港などによる日本産水産物の輸入停止の措置が継続している影響で、ホタテの輸出ができなくなった宮城県石巻市の水産事業者は、厳しい経営状況が続いています。

石巻市の寄磯浜でホタテやホヤなどの養殖や加工を行っている遠藤仁志さんは、およそ10年前からホタテを香港に輸出し、多い年でおよそ2500万円を売り上げていました。

しかし、処理水の放出以降、香港政府が宮城を含む10の都県からの水産物の輸入を禁止したことから、販路を失い、別の海外の輸出先を探すにしても中小の事業者では難しいのが現状だといいます。

また、国内向けに加工して出荷していたホタテも、放出前まで中国に輸出されていた北海道産などが市場に多く流れ込み、競争が激化して利益が見込めなくなっているということです。

このほか、ホヤをめぐっては、4年ほど前からアメリカ向けに出荷していましたが、取り引きをしていた企業から禁輸措置がないにもかかわらず「処理水の放出以降、現地の需要が減っている。当面、引き受けられる見通しがつかない」と通告を受け、今も輸出できない状態が続いているということです。

遠藤仁志さん
「放出前と後では国内向けも海外向けも180度くらい変わってしまい、会社として厳しい状態だ。海外の禁輸措置が解かれないと、北海道産などより安価なホタテがずっと国内市場に入ってきて、だんだんと宮城のものには目が向けられなくなってしまう。国や東京電力には、もっと全体の状況を把握して解決をしてほしい」

「ふざけるな」中国からの迷惑電話 いまも

福島県に隣接する茨城県北茨城市の観光業者では、今も中国から迷惑電話がかかってきているといいます。

福島第一原発にたまる処理水の海への放出が始まったあと、茨城県内の観光施設には、中国からとみられる迷惑電話が相次ぎました。

北茨城市平潟町の海沿いで特産のあんこう料理などを提供する民宿では、放出開始から1年がたちますが、宿泊客が減ることはなく、当初、懸念していた風評被害の影響は感じていないということです。

一方、この民宿でも去年8月から中国から迷惑電話がたびたびかかってきていて、いまも続いているということです。

留守番電話に残った録音にはカタコトで「もしもし」といったり、中国語で「なんで話さないんだ、ふざけるな」といったようなことばが残っていました。

このほか、無言の電話や早朝にかかってくる電話もあるということです。

仁井田康雅さん
「こうした電話は気持ちが悪いです。時間を問わずかかってくるので嫌な気分になり、出ないようにしています。処理水の放出だけでなく、廃炉作業はこれからも長く続いていくと思うので、何が起こるかわからないという気持ちがありますが、処理水の問題に負けないように経営していきたいです」

「原点に返って個人客を大切に」売り先模索する動きも

これまで輸出に力を入れてきた水産事業者の間では、中国や香港の輸入規制を受けて、新たな売り先を模索する動きが続いています。

東京 江東区の豊洲市場で飲食店などにウニや鮮魚などを販売している仲卸業者は、2010年ごろから輸出に力を入れ始め、処理水の放出開始前は売り上げの4割ほどを輸出が占めていました。

しかし、去年8月に主要な輸出先だった香港が福島や宮城など10都県からの水産物の輸入を禁止したことから、輸出が激減し、1か月あたりの売り上げが1000万円ほど減る事態に追い込まれました。

こうしたことから、この業者は、新たな売り先を確保しようと、SNSなどを活用した売り込みを強化しています。

▽国内外の取引先にLINEを使って、翌日の仕入れ予定やおすすめの水産物をこまめに伝えているほか▽仕入れに訪れた飲食店の担当者には、それぞれの水産物に合った調理法を提案するなどの取り組みを強化したということです。

その結果、いまでは処理水の放出開始前を上回る水準まで売り上げを回復させることができたということです。

「吉善」 吉橋善伸 社長
「とても厳しい1年で、香港の人たちが好むような脂ののったカツオなどが入ってきても10都県のものだと輸出できずもったいなかった。この機会に個人のお客さんを大切にして1品でも多く買ってもらうという原点に返って、取り組んできた」

「中国と同じ量とはならなくても」販路開拓進める会社

北海道函館市にある水産加工会社では、影響を軽減しようと、国内の販路拡大に加えて新たな輸出先の開拓に力を入れています。

この会社では、中国向けのホタテが売り上げ全体の4分の1を占めていましたが、輸入停止措置の影響で中国向けの出荷は全くできない状況が続いています。

こうしたなか、▽去年9月には通販サイトを立ち上げて販売を始めたほか、▽ことしに入ってからは飲食店やホテル向けの販売に乗り出し50社余りとの取り引きにつなげるなど、国内の販路拡大を進めています。

こうした取り組みの結果、中国向けに販売する予定だったホタテは、およそ半年かけてすべて出荷できたということです。

さらに、中国以外の輸出先の開拓に向けた取り組みにも力を入れています。

▽ことし6月にはホタテの新たな市場として期待されているメキシコの州の幹部らによる視察団を受け入れ、加工技術をアピールしたほか、▽7月には、各国のバイヤーからの要求に応じた販売ができるように、数千万円をかけて冷凍ホタテの貝柱を大きさごとに仕分ける機械を導入しました。

また▽輸出に必要となる各国が定める安全基準をクリアするための認証の取得も進めています。

水産加工会社「きゅういち」 中西由美子 取締役
「日本の食材であるホタテが海外の人に受け入れられる環境が整い始めていると感じている。中国に向けた輸出と同じ量とはならなくても、トン単位の大口の取り引きができるよう海外への販路の拡大にも取り組んでいきたい」

「変化をチャンスに」JETRO担当者

JETRO=日本貿易振興機構の農林水産食品部で水産物の輸出支援に取り組んでいる西浦克次長は、中国向けの輸出がゼロとなっていることについて変わるべきタイミングにきていると指摘します。

JETRO 農林水産食品部 西浦克次長
「北海道の企業を中心に特定の輸出先に偏ることへのリスクをすごく実感されたと思う。安定的な経営のためには輸出先を多角化させることが必要だ。円安の影響もあるが、企業などの努力もあって海外で日本産のホタテのニーズが高まっており、輸出に向けた準備は必要ではあるが、変化をチャンスに結びつけていくタイミングだ」

そのうえで、輸出先の多角化を進めるため引き続き、支援を行っていくとしています。

西浦克次長
「経済的に成長し人口が増えている新興市場は、日本食を知っていただく機会に伸びしろがある。また、日本食の市場を維持しつつ、いままで日本食材を扱っていないところに日本の食材を売り込んでいく“非日系市場”が重要だ」

事業者への影響が長期化

処理水の海洋放出に反発した中国や香港が輸入停止措置を導入して以降、日本産水産物の世界への輸出額は16%余り減っていて、事業者への影響が長期化しています。

中国は日本産の水産物の輸入を完全に停止しているほか、香港も福島県や宮城県など10都県の水産物の輸入を禁止しています。

農林水産省によりますと、放出開始後の去年9月からことし6月までの10か月間の水産物の輸出額は、2879億円と、前の年の同じ期間に比べて589億円、率にして16.9%減りました。

特に影響が大きいのがホタテで、放出開始前の去年6月までの半年間は、中国への輸出額が214億円に上っていましたが、ことしの上半期はゼロになりました。

一方、事業者の間では、中国以外の輸出先を開拓する動きは広がっていて、ことし上半期の中国以外へのホタテの輸出額は240億円と前の年の同じ時期より71億円、率にして42%増えています。

東京電力は、風評被害による価格の下落や、海外の禁輸措置への対応にかかった費用などを賠償することにしていて、今月14日までに
▽受け付けた賠償請求の書類はおよそ570件、
▽すでに賠償金を支払ったのはおよそ190件で、あわせて320億円に上るということです。

全漁連会長 中国の輸入停止措置撤廃求める

全漁連=全国漁業協同組合連合会の坂本雅信会長は23日、経済産業省を訪れ、齋藤大臣と会談しました。

このなかで坂本会長は、処理水の放出開始以降の政府による水産業への支援を評価した一方で「中国による日本産水産物の輸入停止で、大変な被害を受けている。中国への対応は、我々ではどうしようもなく、先が見えていないことを大変心配している」と述べ、措置の撤廃に向けて政府が引き続き取り組んでいくよう求めました。

これに対し、齋藤大臣は「科学的根拠に基づかない日本産の水産物の輸入規制については即時撤廃に向けて、様々なレベルで働きかけている」と述べ、働きかけを続けていく方針を説明しました。

会談のあと坂本会長は次のように話しました。

全漁連 坂本雅信 会長
「中国本土での日本産水産物の消費は大きかったため、輸入規制が撤廃されない限り、我々の被害は解消されない。ただ、ほかの国や地域への輸出をさらに進めて、中国のダメージを他の国や地域でカバーできるようにもしていってほしい」

東京電力 計7回の処理水放出を完了

福島第一原発では、2011年3月の事故直後から発生している汚染水を処理したあとに残るトリチウムなどの放射性物質を含む処理水が1000基余りのタンクに保管されています。

政府は廃炉作業を進める上で処分は避けて通れないとして、基準を下回る濃度に薄めた上で海に放出することを決め、去年8月24日、この方針に基づき、東京電力が放出を始めました。

東京電力はことし7月までに合わせて7回の放出を完了し、8月7日から8回目の放出を行っています。

これまでに、地震と発電所内の停電によりあわせて2回の放出停止がありましたが、いずれも設備への影響はなく、東京電力は「安全な運用を維持できている」としています。

東京電力によりますと、7回目を終えた先月16日時点で累計の放出量は5万4734トンとなっていて、8回目を終えるとおよそ6万2500トンになる見込みです。

一方で、今も地下水や雨水などが建屋に流れ込むことで、処理水の元となる汚染水が1日90トンのペースで発生しています。

その結果、1年前には1000基余りあるタンクの容量の98%にあたる134万5072トンあった処理水の量は、今月15日時点でおよそ3万5千トン減って130万9999トンとなりました。

東京電力は今年度中に放出で空になった21基のタンクの解体に着手する予定で、解体したあとの敷地は今後行われる核燃料デブリの取り出しに関連する施設の整備などで活用するとしています。

モニタリングの結果は

また、先月までに放出されたトリチウムの総量はおよそ8.6兆ベクレルで、年間の最大値として設定している22兆ベクレルを下回っています。

東京電力や国などは、原発周辺で定期的に海水を採取しトリチウム濃度を分析していて、これまでに検出された最大値は1リットルあたり29ベクレルと▽東京電力が自主的に放出の停止を判断する基準の700ベクレルや
▽WHO=世界保健機関が定める飲料水の基準の1万ベクレルを大幅に下回っています。

また、水産庁が行っている魚の分析では、これまでのところ検出できる下限に設定された1キロあたりおよそ10ベクレルをすべて下回っています。

こうした状況について、現地に調査団を派遣するなどして安全性の検証を続けているIAEA=国際原子力機関は先月18日、処理水の海洋放出は引き続き国際的な安全基準に合致しているとする報告書を公表しています。

農林水産物の輸出拡大に向け支援 政府

政府は23日、農林水産物などの輸出拡大に向けて林官房長官や坂本農林水産大臣らが出席する会議を開きました。

政府は2025年までに農林水産物と食品の輸出額を2兆円に増やす目標を掲げていて、去年までは11年連続で輸出額の増加が続いてきましたが、ことし6月までの半年間では、中国による日本産水産物の輸入停止措置の影響もあって、前の年の同じ時期より1.8%減りました。

会議では、中国などに対し規制の即時撤廃を粘り強く求めるとともに、輸出先のニーズに対応できる産地づくりの推進や、海外の新たな市場開拓を支援するなど、輸出拡大に向けて政府一丸となって取り組んでいくことを確認しました。

会議の中で林官房長官は「目標達成のためには増加ペースを今まで以上に引き上げなければいけない。来年度予算の概算要求に必要な施策をしっかり盛り込み、取り組みを加速してほしい」と述べました。

中国外務省 “輸入停止継続は正当な対応”

中国は去年の8月24日、福島第一原発にたまる処理水の海への放出が始まったことに強く反発して日本産水産物の輸入を全面的に停止する措置をとり、日本政府は「科学的根拠に基づいていない」として即時撤廃を求めています。

中国外務省の毛寧報道官は23日の記者会見で「予防措置をとって食の安全や国民の健康を守るのは、完全に正当であり、合理的で必要なことだ」と述べ、輸入停止を継続しているのは正当な対応だと強調しました。

さらに、「日本側が情報の透明性を高めれば高めるほど、国際社会の懸念の緩和につながることを強調したい」と述べた上で中国みずからが関わる国際モニタリング体制を確立するよう日本側に改めて求めました。

日中両政府はことし1月から双方の専門家を含めた政府間の協議を重ねているものの中国側との隔たりは埋まらず、日本産水産物の輸入再開に向けた具体的な進展はみられていません。

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