都内のイトコ姉から包丁5本と大量
の煎餅届く。
研ぎお願い、と。
煎餅は荒川区三ノ輪の「桜せん
べい」だ。
ここのおせんべ、かなり好き。
いろんな種類を送ってくれた。
ありがたし。
NYで新聞記者やってる時に姉は結
婚した。
あるあるシリーズというのは恐ろし
いもので。
何十年ぶりかに帰国して、夫と初め
て対面して共に近所の寿司屋で飲ん
だ。バイク乗り。大手新聞の記者で
社会部デスクからのちに社の取締役
になった。
何回目かに飲んだ時、イトコの結婚
したその相手は私が当時勤めていた
職場の仲の良い若手弁護士と大学
時代に大親友だった人と判った。
二人で「えー?!」なんて言った。
たまたま偶然。
私の場合、そういうの、結構ある。
結構どころか、数えたら20件以上も
ある。異常。
古流抜刀術の師匠もそうだったが、
一番驚いたのはフライフィッシング
の師匠だった。
私が東京から広島県内に転住してか
ら数年、広島県内で出会ってから
も数年経ち、その人と二人で広島
市内で呑んでいた。年は私の12
学年上。
も数年経ち、その人と二人で広島
市内で呑んでいた。年は私の12
学年上。
ふとしたことからセンセの高校時代
の話題になった。九州の福岡県だ。
その時、「あれ?一つ学年下に〇〇
という男と〇〇という女いませんで
した?」と訊いた。
師匠、ビタリと飲む手が止まる。
「お前、なんであいつら知ってるん
だ?!」と。
知ってるもなにも、私の学生時代か
らの付き合いで、バイク仲間で、
その後ずっと職場の上司だった男だ。
しかも奥さんもバイク仲間。その子
は3才の時から私に一番懐いていた。
(今、その子はとうにおっちゃんに
なり、弁護士やってる)
フライ師匠はなんちゅー偶然とぶっ
たまげてた。その二人とは高校が同
じだけでなく、小学校中学校も同じ
だったのだという。しかもさらに前
からの幼馴染。家族みたいなもんだ。
東京の大学時代に初めてバラバラの
進路になったという。フライ師匠は
かぐや姫の山田パンダにギター教え
た人。
その場で幼馴染の女性の人に私は
電話した。
電話した。
30数年ぶりの会話で二人ともかなり
懐かしがっていた。
何というか、単なる偶然なのだが、
あまりにも同じパターンのケースが
多すぎる。
見ず知らずの人と出会い、付き合っ
ていたら、それは何というか会うべ
くして出会っていた縁が隠れていた
という不思議なシンクロニシティに
気付かされる、というような。
仲間内では私のそのケースがまた新
たに発見されると「出た。来たよま
た」と言う。
こじつけではなく、偶然そうなって
いる何とも不思議というか、気持ち
悪くなる現象。
人のえにしというものは、人智の及
ばないところで誰かに操作されてい
るのではなかろうか。
天は確実に見ている。
我々からは見えないところで。
「お上は何でもお見通しであるぞよ」
と、かつて鮨食いながら笑って私に
言ったのは大菩薩の先輩闘志だっ
たが、そちらのお上はともかく、
たが、そちらのお上はともかく、
とにかく天上天下には何かがある。
フライ師匠は元牧師さんでもあった。
西洋式毛鉤術の事だけでなく、多く
の神の導きを教えてくれた。
人智を超えた人と人のえにしに気づ
かされる時、「渓流を流れる石の下
には神の言葉がある」と言ったマク
リーンの言葉を思い出す。