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龍角散の真実

本当の原型とは?幕府の医者の処方とは?
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龍角散の真実

そもそも龍角散という薬はなんであったのか?

それは「幕府の医者の処方」が由来 。

つまり、

『龍角散の原型となる薬』を水戸藩に習いに行ったのは藤井玄信※と名乗った久保田藩医ですが、

実は、これは原南陽(はらなんよう、1753-1820)の門人。

これを創薬(佐竹藩として)したのが1797年※※または1799年だと言われています。

現在の茨城県水戸市のとある市町村で、江戸中期~後期の””藤井玄信””は原南陽から学んだ訳です。

扶持(ふち)と言い、家来などを伴い、1人ではなく、何人かで行ったという説があります。

根本的に茨城県近郊とは、国替で秋田県に来なかった家臣団(主に下級武士など)が残っていた場所ですね。

ここが秋田県の専門家でも真実に辿り着けなかった理由ですね。

秋田県のことを調査しても、龍角散の本当のルーツが出てこなかったのはここにあります。

藤井玄信とは?

※現在、初代藤井玄淵、2代玄信と数えていますが、これは医者としての屋号ですので、本来はこの人が何代の「藤井玄信」であったかは不明です。

※※東京がつけた””2代””はまだ産まれていないか、赤ちゃん。

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